大怪獣モールバンド、怪獣とクトゥルーの邪神 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “目の届かぬ許り川幅広く、うす濁りのした水底の深き大激流、飛沫を飛ばし、何物の制圧をも恐れざる勢を以て、自由自在に奔流するアマゾン河の河口に、鷹依姫の一行は、帆に風を孕ませ漸くに安着しぬ。

 此処には水陸両棲動物のモールバンドと云ふ怪獣がすべての猛獣の王として覇を利かして居る。象の体を十四五許り集めた様な太さの長き図体をなし、爬虫族の様に四本の足の先に水掻きあり、爪の長さ七八尺にして、剣の如く光り且つ尖つて居る。頭部は鰐の如く、口は非常に大きく、鹿のやうな角を生し、角の尖より何時も煙のやうなものを噴出してゐる。目は常に血走り、尻は蜥蜴の尾の如く、必要に応じ四五十間迄伸ばす事が出来る。さうして尾の先には鋭利な両刃の剣の如き凶器を持つてゐる。此モールバンドに対しては、如何なる大蛇も猛獣も恐れ戦き、森林深く姿を隠して、モールバンドの害を免れむとして居る。又此アマゾン河には長大なる蛇数多棲息し、或時は森林に或時は水底に潜んで獣を呑み且つ人々の此地点に迷ひ来る者あらば、先を争うて出で来り呑み喰はむと待ち構へ居るなり。

 又外にエルバンドと云ふ、鰐でもなく大蛇でもなく、鱗は鉄の如く固く、竜の如き髯を生じ、四本の足ある動物あり。エルバンドの頭は玉の如く丸く、其目は比較的小さい。エルバンドは其丸い頭部を必要に応じ、細く長く伸ばし、動物の血を吸ひ生き居る怪物なり。

 モールバンドは猛獣を取り喰ふにも、男性的に敵をグツと睨めつけ、尻尾を打振り、尾端の剣を以て敵を叩きつけ、切り殺し、其後に自分の腹に入れて了ふ。又エルバンドは之に反し、其働きは極めて女性的で、動物の寝てゐる隙を考へ、柔かき蛸のやうな頭を、どこ迄も細く長く延長し、動物の肛門に舌の先や口の先を当てがひ、生血を搾る恐ろしき動物なり。”

 

(「霊界物語 第三二巻 海洋万里 羊の巻」『万物同言』より)

 

*モールバンドとは、「霊界物語」の中に登場する、アマゾンのジャングルに潜む大怪獣のことです。文中にあるように、もう一種類、エルバンドという怪獣もおります。最初この箇所を読んだ時、子供のころに見た怪獣映画「ガメラ対大魔獣ジャイガー」に出てきた「ジャイガー」を思い出しました。ワニのような頭で角をはやし、尾の先から針を出して攻撃するところなどが、よく似ていると思いました。今またYouTubeなどの動画で見てみると、もともとジャイガーは、太古のムー大陸の怪獣で、「悪魔の笛」という石像によって封印されていたのが、その封印を取り除いてしまったことで出現したという設定で、また実は他の生物に寄生する怪獣であって、ガメラの体に卵を産みつけたり、低周波の音が弱点で、自衛隊がスピーカーで低周波音を流して退治しようとしたりなど、当時としてはかなりこったストーリーで(最近どこかの国が、駐在している大使館員に低周波による攻撃を行なったそうですが)、ちょっと驚きました。封印が解けて現れ、最後はまた封印のアイテムを額に突き刺されて倒されてしまうなど、まるで怪奇小説作家H・P・ラヴクラフトによって創造されたクトゥルフ神話の邪神のようでもあります。

*霊界物語の断定的な解釈は誰にも許されてはいませんが、当然のことながら、このような怪獣など現実世界には存在せず、モールバンドもエルバンドも何かの象徴であろうと思われます。しかし、先日NHKのBS放送「ダークサイドミステリー」で、H・P・ラヴクラフトの特集をやったとき、ゲストの佐野史郎さん(熱烈なラヴクラフトのファンだとか)が、ゴジラ=ダゴン説というのをとなえておられることを知りました。ダゴンというのは旧約聖書にも登場する古代ペリシテ人によって崇められた魚の神で、クトゥルフ神話では、人類が登場する以前に地球を支配していた邪神たちのひとりであり、深海に潜む怪物とされています。以前何かで東宝の円谷英二監督は、深海で眠りについていたのが水爆実験で目覚め、地上に現われて文明を破壊しようとする怪獣ゴジラを、実は自然の守り神のように考えておられたという話を読んだこともあり、非常に興味深く思いました。かなり強引な考えですが、ゴジラが実は古代ペリシテ人の神ダゴンの現代日本における顕現であるとすれば、モールバンドやエルバンドもひょっとしたら何らかの霊的存在(間違いなく悪霊ですが)の顕現であるのかもしれません。別にそれらの怪獣が、封印されていたと書かれてはいませんでしたが、例えば「霊界物語」には、海王星からやって来て、地球に大災害を引き起こそうとしたタクシャカ竜王(九頭竜)を、月照彦という神さまが地下の岩窟に封印してしまい、三千年後に宣伝使たちを使わして解放するという話などもあるのです。あと、既にアメリカには、クトゥルフ神話の邪神たちを崇める連中もいるようで(もちろん遊び半分ですが)、いずれ日本にもゴジラを神として崇めるダゴン秘密教団ならぬゴジラ秘密教団なるものが結成されるかもしれません。

 

*このクトゥルフ神話については以前にも紹介させていただきましたが、大本神話とも少なからず類似点があります(但し、善悪は逆転しています)。H・P・ラヴクラフトによると、クトルゥフとは蛸のような頭で頭部から何本もの触手を生やした怪物であり(怪獣エルバンドも、蛸のような柔らかい丸い頭で、頭部から触手は生えていませんが、竜の如き髯が生えていると書いてあります)、他の惑星からやって来て、人類登場以前の太古の地球の支配者となっていたが、星辰の位置が変わって地球が別の次元(今の我々のいる次元)に移動したために深海で眠りにつき、そこでいずれ来るべき復活の時を待ち続けている、となっています。これは地上の主宰神でありながら、時間と空間の彼方、根の国底の国に封印され、復活の時を待ち続けた艮(うしとら)の金神、国祖国常立尊(こくそ・くにとこたちのみこと)を思わせます。そして「霊界物語」に登場する、その国常立尊に敵対する邪神たちの一人、盤古大神塩長彦(ばんこだいじん・しおながひこ)は太陽神界から天則違反を犯して地球へ向かい支那の北方に降臨し、もう一人の大自在天大国彦(だいじざいてん・おおくにひこ)は、天王星から飛来し、北米大陸に降臨したとされています。そもそも出口王仁三郎聖師ご自身が、「我はオリオン星座より来たれり」とも言われているのです。コズミックホラーを確立したラヴクラフトの小説「クトルゥフの呼び声」は1928年に発表されたものですが、「霊界物語」が口述されたのは大正10年(1921年)であり、ラヴクラフトに先んじて、宇宙を舞台とした、かくも壮大なスケールの物語が日本で発表されていたとは、それだけでも驚異的だと思います。そしてさらに、クトゥルフ神話では、邪神たちを召喚する力を持つ「ネクロノミコン(死霊秘法)」という魔導書が重要な意味を持っているのですが、これはまるで「霊界物語」に対応しているかのようです(こちらが召喚するのは邪神ではなく、正神界の神さまです)。ラヴクラフトファンの方々にも、ぜひ「霊界物語」を読んでいただいて、暗黒の世界ではなく、国祖大神、天のみろく様の光の世界とつながっていただきたいと思います。

(田辺剛「クトゥルフの呼び声」(KADOKAWA)より)

 

 

 

・大本愛善苑 出口すみ子苑主の言葉 (「愛善世界」№58より)

 

 “天地の親神様が世に落ちなさるにつきましては、艮の金神様とご一緒に、その系統(ひっぽう)の神様が皆世に落ちてござって、長らくの間苦労なされたのでございます。

 これは霊のことで、人間の目には見えないのですが、聖師様が初めて大本においでになりました頃なども一番初発から世に落ちておられた神様が、なんぼおあがりになったか判りません。業をなさって苦しんでおられた神様や、根底の国に落ちておられた霊が沢山あがってきました。この霊のあがって来る有様は、実際口では云えません。

 まるで蜂が集団(たま)になって宿替えするときのようなゴーッという音をして何万という霊があがって参りました。みな大変に喜んで、親子の対面とか、夫婦の対面、主従の対面とかいうふうにそれは芝居のようでありました。その頃には、私などまだ霊のことがはっきり判らない時分でしたから、「おかしなことやなぁ、開祖様も聖師様も、おかしいことを仰るし、しなさるもんやなぁ」と思うて笑っておりましたけれど、ボツボツその時分の事を考えてみますと、なかなかそうしたわけのものではございません。これは一番初発の地獄の蓋開けで、大神様がお出ましになりましたに就きまして、沢山の霊がつぎからつぎと出て来たのであります。

 「助けてくれ、助けてくれ云うて、なんぼ出て来るやら知れん」と開祖様も云われました。わたしたちは根底の国に行ったことがないから、その苦しさは判りませんけれど、怖ろしい処に落ちていた霊が、こんどの神様のお出ましに際して、ちょうど陛下が御位につかれたり、お子様がお出来になったりお目出たいことがありますと懲役に行っている人が許してもらえますように、つまりああゆうふうに許されなさるのでしょう。”

 

 

・人魚の霊 (大正時代にあった話)

 

 “……大正日日新聞には他の新聞がまねのできなかった霊的物語が連載され、それが社会に大きく波紋を投じ、興味あるものとなった。それは「神秘の扉」という題名で、霊の現象を写真入りで報道したものであった。

 

 「神秘の扉」執筆者は、当時の社長浅野氏はじめ各首脳陣の方々で、私共もまたこれに加わり、変わった種をあさった。ここでその一二の霊的現象について、「神秘の扉」に発表したものをあげておく。その一つは「人魚の霊」の問題である。

 

 ことの起こりは、私共青年のうち新聞社に宿泊していた数人の中に岡本という人がいた。この人には時々霊がかかり、いろいろと霊媒的な状態となる。ある朝、私の寝床のところにソッと来て、「一寸起きてくれ。何だかおかしい」という。見ると頭髪が水に濡れたようにベトベトになって、着物も水を頭から被ったようになっている。私は驚いて、「どうしたんだ」というと、すぐ彼は鎮魂の姿となり、身体を女のようにくねらし、口を切った。「われは明石の浦の人魚である」という。

 

 私はあわてた。こんなところで神懸かりされては困ると、神前につれて行き、「どうしたのだ」と聞くと、人魚と名乗る霊が、「この肉体がきのう、明石に海水浴に来た。そこで、よい霊媒が来たと、人魚を代表して、頼みがあるので、その時から懸かったが、この肉体がなかなか思うようにならぬので、今までいろいろと機会を待っていた」という。そこで、「何の用件か知らぬがわしでは判らぬ。サニワの上手な人が来るから、それまで待て」といって待たした。

 

 その間も霊媒とは自問自答の形で、いろいろと言い合っていた。そこへ社長秘書の滝川氏が来たので話をした。すると滝川氏はすぐ神前に行きサニワを始めたところ、明石海峡の昔の合戦や、明石の浜で多くの人が水死したことなど、次から次と話しだし、それらの霊が浮かばれないので、一大慰霊祭を行い、明石の浦を祓い清めてほしいという要求であった。しかし、そのことは判ったが、人魚というものが実際にいるかと尋ねると、「いる」と答える。どんな姿だというと、絵に描いてあるように、女体で腰のあたりから下が魚だという。「馬鹿なことを言うな、そんな姿の生き物がこの世にいるはずはない」と叱りつけると、「間違いはない、実際にいる、ここに懸かっているではないか」という。随分問答した結果、あるいはおるかもしれないということになった。

 

 昔から絵に描かれている姿も、何かの霊感なり、霊眼に映ったのではないかと思われる。ともかく、人魚という言葉があり、そういう絵のようなものを連想すると、その想念によって霊現するという霊界の消息から、あながち否定することもできない。まして霊媒の状態は水の中につかっている人のごとく頭髪はベットリし、身体から水分(汗)がふき出ている。着物も濡れて、何とも奇怪な状態になっている。

 

 本来この霊媒の頭髪は非常に堅く、針のように立っており、いくら油をつけても分けることができぬ性質のものであった。それが人魚が懸かっている間はベットリとなり、身体をくねらせるのだから、いかにも人魚の形態を想像させるものであった。”

 

(「おほもと」昭和48年9月号 大国以都雄『神秘の扉 真信仰の回顧③』より)

 

*「昔から絵に描かれている姿も、何かの霊感なり、霊眼に映ったのではないかと思われる。ともかく、人魚という言葉があり、そういう絵のようなものを連想すると、その想念によって霊現するという霊界の消息……」とありますが、たとえばゴジラという言葉があり、人々がその姿を連想すると、その想念によってゴジラも霊現するのでしょうか?もし降霊術を行ってゴジラの霊を呼び出し、霊媒に懸からせると、どうなるのでしょうか?そもそも会話を成立させることが困難だと思いますが、やはり吠えるのでしょうか?どうせなら、もう一人霊媒を用意して、キングギドラやキングコングの霊を懸からせると、何だかもの凄いことになりそうです。(冗談です)

 

 

 


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