金儲けの秘訣 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・野口晴哉先生  (野口整体)

 

 “私たちが初めて指導室を持つ時に先生はこう言われたものです。「道場の四隅に気合をかけなさい。気が充ちれば会員は集まる」と。当時の私は活元運動の誘導ができるくらいで、技術的にいうと今卒業する人たちにかなわなかったかもしれない。それでもどんどん人が集まるんですね。そういうことがありまして気を集めるということに或る一つの働きというものを感じました。或る時、売れない服があって困ると会員の洋服屋さんが言うので、私はつい「なに、気を集めれば売れますよ」と言ってしまった。その人は真に受けてその洋服に気を集めたのだそうです。そうしたらその翌日にその洋服が売れたそうです。今では気を集めることが色々な変化になっていくことを当たり前に思うようになっていますが、当時はちょっと面白いと思いました。

 或る時、先生は「お金は使うと入るんだ」と言われた。私は当時若くて今みたいにひねくれておりませんでしたので、先生が右と言われたら右、左と言われたら左と信じて疑わなかったものですから、正直にそれを実行したものです。松本に行ったばかりのころで、一日に指導する人は一人か二人という時でしたが、昼食に木曾屋という郷土料理店に行ったのですが、持ち金が二千円で全部でしたので、女房が心配で二千円で足りますかと訊いたら、大丈夫だというので入ったことを憶えています。食事代に使うともうその日はお金はないのです。それでも翌日には二人か三人の会員がやってくる。こうして毎日手元に残るお金が無い生活を続けていましたが、今想うと心は豊かで、少しも貧乏という気持ちはなかったですね。”

 

(「月刊全生」平成12年8月号 田総康夫『野口先生から学んだこと』より)

 

*場所を気で充たすだけでなく、自分自身にも気を充実させるために、野口晴哉先生は、背骨で息をする、背骨に気を通し、その気を丹田に込める、ように言われています。また、野口先生は書を書かれるときは、まず紙に気を通してから書かれたそうです。先生の友人であった画家の横山大観氏も、絵を描くときは、必ず紙に気を通してから描かれたという話を「月刊全生」で読んだことがあります。

 

*以前紹介させていただきましたが、出口王仁三郎聖師は、「神様を祭っている家と、祭っていない家とは格段の差があるし、常に霊界物語か神書の拝読、また祝詞の声のする家は、霊気が違っている」と言われています。家の中が神気で充たされるようになるということだと思います。また出口聖師は、「言霊ほど尊いものはない、言霊によって不景気など吹っ飛んでしまう」とも言われています。常に明るくポジティブなことを口にすると良いようです。さらに、「お土とお水は大神様の体、血液である」とも言われ、土や水を大切にする人には、必ずや神様の恵みがあると言われています(地面に唾を吐いたりする人は、自分で運を下げています)。

(大黒天に扮した出口聖師)

*言うまでもない事ですが、「お金は使うと入る」といっても、ただ浪費することが勧められているわけではありません。お金は出来る限り有効に使わねばなりません。また「使う」のであって「出る」のではありません。自分が意識的、能動的にお金を使うことと、無理やり支払いをさせられること、税金などを差し引かれることは異なります。出た金が入ってくるというより、お金は生き物であり、有意義なお金の使い方をすれば、お金(の精)が、有意義に使ってもらおうとして、その人のもとにやって来るということだと思います。そして、このような法則があるのだとすると、景気を回復させねばならないときに緊縮財政など、もっての外です。

 

黄金(こがね)の精の言葉 (『貧福論』(「雨月物語」)より)

 

 “……わたしはもともと、神でもなければ仏でもなく、ただ非常な黄金の精であります。ですから、人間の善悪を裁く必要もなければ、その道理に従う義務もありません。善を褒め、悪を罰するものは、天であり神であります。この三つの教えは人間の生きる道です。到底わたしどもの及ぶところではありません。ただ、わたしどもは金銭というものを有難がり、大切に扱ってくれる人のところに集まるものだ、というふうにご理解いただければよろしいかと存じます。このあたりが、金には霊はあるけれども、人間の心と違うところなのです。ですから、いくら善行だといっても、理由なく他人に恵んだり、相手が不真面目であることをよく見きわめもせず金を貸したりするようなお金持ちのところからは、やがて、財産は消えてなくなってしまうでしょう。そういう人は、金の使い方は知っていても、金の徳というものを知らず、金を軽々しく扱うからです。”

 

(後藤明生「雨月物語」(学研M文庫)より)

 

・松下松蔵祖神様

 

 “人間は土地と株と金を平等に持っていた方がよい。(昭和七年八月)”

 

 “金の儲かる仕事ばかりは、せん方がよい。(昭和七年九月) (付言:たまには、金の儲からない、人の為になる仕事もしなさいということである。)”

 

 “商売人は、或る時は仕方がない。(昭和八年十二月) (付言:と、祖神様はもうされました。商売人は、或る時は損をする時もあるから、儲かる時は儲けておく事もある程度は仕方がないという意味)”

 

 “アメリカと戦争をすれば、必ず負けた後は、思想が乱れて、日本人は苦しむ。世界中の金には、ユダヤ人の気が、十分の九かかって居る。ユダヤ人には、貧乏神の気が一つもかかって居ない。日本人を眺めてみると、貧乏神の気が、平均十分の七かかって居る。ユダヤ人には、貧乏神の気がかかって居ないから世界の金持ちである。この様に、ユダヤ人に貧乏神の気がかからず、世界中の金持ちになったのは、真の神様の気を知って、信仰し実行する為である。日本人が、金が欲しければ、真実の神様(宇宙の大気)の力を知って、神様から定められた四大道の実行をすれば、ユダヤ人より金持ちになれる。我が国の天皇陛下は、人間が、御立てした御方ではなくて、一番初めに神様が、御立てになった天皇であられる。天津神様から位と力を戴かれた天皇陛下を真心から尊び、陛下に御心配をかけないよう、又日本国が栄えるようにという心掛けをもって実行すれば、神様はいつでも、お金は与えて下さる。我が日本国には、何万年昔の神代からの道理の教えと道がある。この道理は、神様から定められた道で、我々人間が、是非踏み行なわねばならないのは、四大道の実行である。理屈は、人間が作ったものである。(昭和十年三月十八日)”

 

 “金持ちの神経は「背」にあり、貧乏人の神経は「腰」にあり、泥棒の神経は「へそ」にある。故に、昔から金持ちは威張っているが、本当である。(昭和十一年八月十九日)”

 

(松下延明編纂「神書」(祖神道出版部)より)

 

・エドガー・ケイシー

 

 “非常に多面的な才能をもっているためにどれを選んだらよいか迷っている13歳の少年がかつて、「僕は大人になって経済的に一番成功するには僕のどの素質に従ったらよいでしょうか」と尋ねた。すると答えは次のようであった。「経済面のことは忘れて、むしろ世界を住みよいところにするために一番役に立つ方法は何であるかを考えなさい。単に報酬目当ての仕事は決してしてはなりません。金銭上の利益はその人が自分の才能を人のためになる方面に使えば結果として必ず得られるものです。」

 別の人が尋ねた。「どういう方面の仕事にたづさわったら私は経済的に最も成功するでしょうか。」すると、「経済的という考えをやめなさい。経済的な利益は正直で誠実でありさえすれば自然に伴うものです。他の人々にもそのように生きることが正しいことを悟らせるようになさい。利益は神様がさずけて下さいます。」との答えが与えられた。ある貿易商は云われた。「同胞への奉仕をモットーにしなさい。あなたが付き合う人々があなたによって利益を受けるようにし、決して彼らを踏み台として利用することのないようにすること。名誉や富は(これは結果として必ず来るものだが)有効にすごした人生の結果として、また人に与えた奉仕の結果として受けるようにしなさい。他人を自分の名誉や富の踏み石に利用してはなりません。」” 

 

(ジナ・サーミナラ「転生の秘密」(たま出版)より)

 

 

 

 

 

 

 

 


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