「ありがたい」の力 〔黒住宗忠〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “備前藩士の一人で高禄のお家柄の人ですが、ハンセン病にかかり、顔にも表れてきました。で、かねてうわさに聞く上中野の先生のところへお参りして、おかげを受けたいものと、御宗家をたずねまして、教祖(黒住宗忠)様の御教えを受けました。

 教祖様は、
 「ご心配はありません。よくなります。が、この道では、何よりありがたいということが肝要です。とにかく、一日に百ぺんずつ「ありがたい」ということを熱心に唱えてごらんなさい!」
 その人は、それはまことにたやすいことだと思って、さっそくそれを七日間実行しましたが、なんの効もありません。

 そこで、また参りまして、そのことを申し上げますと「では、日に千べんずつ・・・」との仰せです。
 今度は少し骨がおれますが、千べんずつ七日間実行しました。が、少しも病状は変わりません。
 また、そのことを申しますと、
 「・・・・どうか、日々一万べんずつ唱えなさい!きっとおかげがあります!!」
 とのお言葉。
 純真な人のことですから、またそのお言葉どおり一万べんずつ毎日々々唱えましたところ、ちょうど七日間目の日に、にわかに熱が出て、激しく吐血し、弱りきって倒れたまま寝たのでしたが、久しぶりになにもかも忘れて熟睡し、目が覚めると、たいへん気分がよく、不思議に手や足の腫れや、腐色が取れてしまって、きれいになっていました。

 このひとは、それ以来、熱心にお道を信じて、生涯二、七の御会日を一回もかかさず参拝されたとのことです。”

                   (「教祖神の御逸話」(黒住教日新社発行)より)

 

 “ここで思うことは、太古にかの大国主命が、蒼人草(あおひとぐさ=人民のこと)の治病の手段として施された「禁厭」のことである。禁厭は「まじないやむる」と読まれる通り、種々の「物の怪(もののけ)」を、祈祷、呪術等でやましむる行為をいうわけだが、宗忠における「物の怪」とは、「有無生死」等にとらわれる妄念、つまり陰気一般を意味する。「物の怪」の陰気を退けて、面白い、楽しいという陽気になると病気は退散する。即ち、彼の説く如く「心の治るびんぎに病は治る」のである。このことは、近代の精神医学の研究者によりては、既に常識化されている。”

 

(延原大川「哲人宗忠」(明徳出版社)より)

 

*「ありがとう」を一日に一万回唱えると開運につながるという話は、ネット上でも何人もの方が書いておられますが、おそらくここで紹介させていただいた宗忠教祖の逸話が、その元々の話だと思います。実際に良いことがあったという方も多いようで、やはり「ありがとう」の言霊には力があるようです。ただ、宗忠教祖は、病気の人みなに対して「ありがたい」と唱えるよう勧めたわけではありません。御神水を与えたり、息を吹きかけた手を病人の体に当てて、神を念じながら撫で擦ったりもしており(むしろその方が多かったようです)、まず御神徳を頂かせて、神様のありがたいこと、尊いことを悟らしめようとしたのであって、「ありがたい」と唱えることも含めて、これらは単なる開運法以上のものだと思います。