「絶対他力」 無条件の救い  | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・妙好人、讃岐の庄松

 

 “妙好人といえば、讃岐の庄松を語らずに通り過ぎることはできません。庄松は寛政十年(一七九八)に讃岐国の丹生(にふ)村、現在の香川県大川郡大内町土居に生まれ、明治四年(一八七一)に七十三歳で亡くなっています。

 庄松は真宗十派の一つ、興正派の勝覚寺の門徒でした。庄松の回心経験はどういうものであったかはっきりわかりませんが、初めは三業安心(さんごうあんじん)であったということです。三業安心というのは、異安心(いあんじん、真宗における信仰上の異端)の一つで三業帰命(さんごうきみょう)ともいわれ、帰命の曲解より来る異安心です。すなわち帰命について、心に助けたまえと思うとともに、口にも後生助けたまえと称え、それを形に表わす、つまり合掌礼拝の相を身に表わして、それらを持続すべしとする説です。これは相当な意志力、つまり自力を必要とする修行であります。

 庄松は初めはそのように身口意の三業で弥陀を念じ、名号を称え、礼拝恭敬に勤める教えに従っていたのですが、この三業安心は自力の努力を多分に含んでいることに気付き、この容易ならざる宗教的訓練を要求する安心に多くの疑問と迷いを感じたに違いありません。それまで聴聞してきた阿弥陀如来の無条件の救いということが本当であるなら、そのような自力的努力をしなくても、阿弥陀如来は救ってくれるはずであると、こういう理屈で押し詰めたわけではなかったでしょうが、三業安心には何か腑に落ちぬものを感じていたに違いなかったと思います。

 すなわち本当の安心は、こちらの如何なる自力的努力も要求しない、凡夫をそのありのままで、無条件で救ってくれる阿弥陀に出あうところに得られるものだという予感のようなものがあったのでしょう。そういう予感がありましたが、自分を顧みると、自分の罪悪煩悩性が目について、弥陀の無条件の救いを真受けにできない。弥陀は無条件で受けるとはいっても、罪悪煩悩という限定性を持っている庄松は、素直にその呼びかけに従えない、つまり自らの限定性・有限性を捨てられない。限定性・有限性が庄松自身でありますから、それを捨ててしまうということは庄松自身を捨ててしまうということになります。

 ここで求道者はみんな足踏みしてしまうのです。要するに、迷い、惑い、疑いが出る。ここが最後の難関で、百尺竿頭に来て、さらに捨身の一歩を踏み出せるかの瀬戸際であります。

 浄土真宗の場合は、阿弥陀様は我々に、罪悪煩悩深重のまま、そのままで来い、無条件で救いとると言われているのに、我々は「何か手土産を持って行かなくては」ということを考えるのです。それが自力の計らいで、自力的訓練や努力のもとになる心理であります。

 ですから阿弥陀如来のもとへ行く最後の手強い障壁は、自己を、自力を捨てるということです。自己を、自力を捨てるということは、自殺するということでは勿論ありません。自己、自力そのままで如来の呼び声に従うことです。如来の懐(ふところ)に飛び込むことです。こちらを見ずに、向こうだけを見て、自己のすべてを如来に委ねる、如来に任すのです。それが自己、自力を捨てるということです。

 庄松もここまで行っていたのです。三業安心で足踏みしていた庄松を百尺竿頭に於いて最後の一歩を踏み出させ、如来の無条件の救いの手に飛び込ませたのは、勝覚寺の弟子の周天という厚信の僧であったということです。周天が庄松の善知識でした。聞書をまとめた『庄松ありのままの記』(永田文昌堂刊)の中に、「庄松はじめは三業安心なるを、勝覚寺の弟子に周天といえる厚信の僧ありて、ねんごろに庄松を諭(さと)して、ついに御正意安心に廻心させたり。後に庄松、周天に遇うたびに手を合わせ、周天を敬うて、『周天如来、周天如来』と拝んだ」とあります。” 

 

      (楠恭「NHKライブラリー 妙好人を語る」NHK出版より)

 

*江戸時代の紀州の念仏行者に徳本(とくほん)上人という方がおられました。山崎弁栄上人もこの方を非常に尊敬しておられたそうですが、燃えさかる炎の中で平然と念仏を称え続けたとか、どしゃ降りの雨の中でも全く濡れることがなかった(自分の頭上には目に見えぬ天蓋がある、と言っておられたそうです)とか、様々な奇跡譚でも知られている方で、常に阿弥陀如来と一体の境地におられたそうです。そして、徳本上人のこの弥陀との合一の境地は、ただひたすら念仏を称えるだけで達成されたとも伝えられています。その上人の言葉で、「徳本が仏になるのは難しいが、仏様のほうから徳本になってくださるので、仏にならずにおられない」というのがあります。他力信心、絶対他力というものを、非常によく表していると思います。聖パウロの言葉「生きているのはもはや私ではなく、キリストが私の中で生きている」とも通じるものがあるようです。また、イスラムについても、そもそも「イスラム」とは神への絶対帰依を意味するアラビア語であり、大本、愛善苑で唱えられる祈りの言葉「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」も、やはり神さまへの絶対帰依の境地へ到るための言霊です。求められているのは、ただ帰依することだけであって、親鸞聖人の悪人正機説もまた、そのように解釈されるべきだと思います(頭ではわかっていても、その『ただ帰依すること』ができないのですが)。

 

*徳本上人(徳本行者)ついて付け加えますと、文化15年10月6日に、現在の東京都文京区にある浄土宗一行院で入滅され、御廟もそこにあります。入滅される数日前、自身と等身大に造られた像(京都の仏匠、西田立慶作)を、「今日よりのちは、利益衆生を汝にゆずる。教化の力、われに劣ることなかれ」という言葉と共に開眼され、その像は現在も、一行院で大切に守られているそうです。(参考:岡本鳳堂「徳本行者」和歌山県日高郡美浜町 法善寺)

 〔徳本上人像(一行院)〕

 

( いさお)なき御霊(みたま)千座(ちくら)(あがな)ひて (あら)ひたまひぬ天津(あまつ)御国(みくに)に (「霊界物語」第61巻『讃美歌』)