中国の未来 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・エドガー・ケイシー

 

 “ケイシーはあるときアメリカの精神的な定めについて直截にたずねられている。彼は、どこの国にもそれぞれの精神的な定めがあると答えている――それぞれ、天の力に導かれた定めがある、と。そしてアメリカの場合は、より大きな同胞意識と他者への愛を通じてしかその定めを実現することはできない。そうでなければ、世界のリーダーシップは再び西へ移る。

 「各国は、天にあるごとく導かれている。アメリカにおいて、より強い同胞意識、自己と同様に隣人を愛する心が受け入れられなければ、文明は西に向かって進む……」(3976-15

 ケイシーのそのほかの予言から、西への動きとは東アジアを指していることが確かめられる。

 リーダーシップが移動するか否かを決めるカギは、この問題である。個人が、もっている精神的知識をどう扱うのか?国家が受けている挑戦に打ち勝てるかどうかを決めるのは、政府高官の選択や法案が議会を通過することではない。そうではなく、総じて個人個人が未来をつくっていくのだ。

 文明が西に移るとしたら、益を受けるのは中国だろう。この神秘的な国は、世界共同体の一員となる努力を再び始めてから、まだ数年しかたっていない。その資源と人口は膨大である。この何千年という精神的な遺産の奥深さは、インドを除いては他の主だった国々も比ではない。この国の理想と目的が世界と和合する精神的なものになったとき、その国民がどんな貢献をするかというのは胸おどる考えだが、ケイシーが国際情勢の予言のなかで提示しているのは、ちょうどそうしたビジョンなのである。 中国はやがて「キリスト教精神の揺籃となり、人類の生き方にそれを適用する」(3976-29)。しかし、この予言には「人が数えるとき、それはまだはるか先」という言葉のほかに、時間枠は設けられていない。 

 それでは、いつの日にか、世界で最も人口の多い国でキリスト教が広まると考えてよいのだろうか?二、三十年前までは、それはほとんど考えられないことだった。一九六〇年代には、教会は閉鎖され、宗教活動は禁じられていた。しかし現在では変化の兆しが見られ、ケイシーの予言は実現しそうになってきている。最近の新聞にも、驚くべき内容の記事が載っている。世界キリスト教会会議が、中国でキリスト教は「めざましいスピードで」広まっていると報告しているのだ。一九九六年の春に中国への十一日間の旅をしたキリスト教会議の代表団は、「かなりの数の」キリスト教徒の洗礼を行った。その数は一千万にものぼり、なお急速に増えているという。

 しかし、ケイシーが予言したのは、必ずしもキリスト教会の繁栄ではないだろう。予言のキーワードは、キリスト教が人類の生き方に適用されるという部分だ。おそらく、この国において、イエスが提示したことを進んで実現するような雰囲気をもった相互の生き方が見いだされるということなのだろう。この予言では、中国人がイエスを受け入れるかどうかは二次的な問題だ。ケイシーの予測では、ここにキリストの教えを適用する機が熟した人々がいるということだ。そうすることで、彼らは文明の精神的なリーダーシップをとるのである。しかし、予言で言われているとおり、それはまだはるか先のことである。いまは、同じ理想に向かって、それぞれがその国で各自の仕事をするときである。

 最後に述べておかなければならないのは、世界情勢の予言では、革命や混乱、政府の交代などが告げられてはいるが、そこには、励ますような深いメッセージも残されているということである。現在の出来事だけを見て気をくじかれ、大きな混乱に陥ってしまうのはたやすい。しかしケイシーは、もっと広い視野で世界を見ることができた。”

 

(マーク・サーストン「エドガー・ケイシー文庫 21世紀ビジョン」(中央アート出版社)より)

 

*この本が書かれた時期と比較して、現在の中国の状況はかなり悪化しており、もはやキリスト教どころかどの宗教であろうと、今以上に発展する余地はなく、それどころか完全に共産党の傘下に組み込まれようとしています。しかし、それでも中国国内には数千万にのぼる地下教会の信者が存在し、命がけで信仰を守り続けています。

 

*ケイシーは「キリスト教会」ではなく「キリスト教精神」と言っていることに注意すべきだと思います。もしかしたら、未来の中国で栄えるのは既存のキリスト教会ではなく、キリスト教の霊性のより本質的な部分を継承した、たとえばスウェーデンボルグによって予言された「主によって新たに興される教会」かもしれませんし、そうであるなら必ずしも「キリスト教会」を名乗るわけではありません。

 

*道教をベースに道教、儒教、仏教、キリスト教、イスラムの五教同根を根本教義とし、内面的精神修養外面的慈善活動を行う道院・紅卍字会は、扶乩(フーチ)を通じての至聖先天老祖(太乙老人、太上老君)の命によって創立されたもので、おそらく将来、その重要性・必要性が広く知られるようになると思います。

 

*先日、NHKのBS1スペシャル「満洲 難民感染都市〈後編〉知られざる悲劇」を見ておりましたら、敗戦後に満洲に取り残された日本人寄留民の間に腸チフスが大流行したとき、紅卍字会が救援に名乗りを上げ、貨物車両で救援物資を運んでくれた、という話が当時の映像と共に紹介されていました。もし再放送されることがあれば、ぜひご覧になっていただきたいと思います。

 

*出口王仁三郎聖師は、戦後、これからは支那の宗教との関係を密にせよと言われているのですが、第二次大本事件が解決し、出口聖師が自ら「苑主」となられた「愛善苑」が発足して間もなく、昭和21年12月5日に再建されつつある亀岡天恩郷へ転居され、12月8日からは、「大天主太神(おほもとすめおほみかみ)」の御神号(既に昭和21年10月18日に「大本皇大御神」から変更されていた)と併せて、それまでの「惟神真道弥広(かむながらまみちいやひろ)……」に替えて道院・紅卍字会での主神の御神号、つまり「至聖先天老祖守り給へ幸はへ給へ」と奏上するよう命ぜられました。それが聖師が昇天されて、昭和23年2月2日に聖師本葬祭が行われるまで続けられたのですが、このことはあまり知られていません。私は、この御神号の変更にはかなり重大な意味があると思っているのですが、世界情勢がだんだんときな臭くなりつつある現在、出口聖師が大陸で行われた神の経綸、「玉と剣の仕組」ができるだけ早く発動してくれることを祈らずにはおれません。 

・モンゴルでの御神業 

 

 “「それは玉と剣だよ」

といって、ハハハハ、と豪快に笑った出口王仁三郎師は、意表をつかれてキョトンとした岡崎鉄首の顔へ、ブーッとたばこを吹きかけた。

  「玉と剣?……どこにあったものです」

  「綾部の大本の宝物だったよ。玉は水晶、剣は天国(あまくに)の名刀だ。それをソッと持ち出し蒙古に置いてきた。この二つが発動しだすと世界は動くことになるのじゃ」

  「へぇ……」

 岡崎には何のことか神秘めいたことはわからなかった。出口師に会うと、きっと一、二度は神秘的な言葉に接する。するとムッと反感を覚えるが不思議とまたそれが魅力で神秘的言葉がないとさびしい。

 大正十四年三月、春とはいえ、亀山城の城跡に吹きあげてくる風は寒かった。

 怪物と世間から注目されている出口師の居間には瀬戸物の火鉢が一つと古机が一つあるだけで、床に八方にらみの達磨の軸がかけてあり、その前に白梅がいけてあるだけであって、何一つ調度品もなかった。

 「満洲浪人もこのころは活動舞台がなくなって奥さん孝行ができるだろう、ハハハハハ」

 「いや、とんでもない。蒙古入りを失敗に終わらせたのはわれわれ浪人がボケていたからだと知人には笑われ、家内には責められ身のおき場がありません」

 「ハハハハハ、気の小さい満洲浪人だなぁ。なにも失敗ではない、成功したのだよ。一石を投じたのじゃ。波紋は今、拡がりつつある。神界の経綸からいえば舞台装置ができて、これから剣の舞がはじまるのじゃ」

 「ちょっと……どうもわからん。神界の経綸だの、剣の舞だの……私は少し頭が悪いのですから……」

と、自分の頭をコツンとたたいた。

 そして

 「大庫倫に入って蒙古王国を建設する目的が張作霖のために挫折し、多くの犠牲者を出し、おめおめと閑居することは、残念で腹が煮え返るようです。

 「神と人との合作だよ。人のすることはもう終わった。笑うものには笑わし、失敗だというものには言わしておきなさい。成果はこれから起きる神劇にある。張作霖もやがて剣の裁断を受ける」

 「そんなことがわかりますか?」

 「わかる」”

 

(「人類愛善新聞」昭和33年7月 高松恋月(大国美都雄)『過潮の月』)

 

  

 “先生の蒙古入りのことは、ずっとあとで詳しく述べますが、大へん深いお仕組みで、まだ先でないと、このことを言うても、だれにも通じないことでありまして、やがてこのお仕組みが実地にまわってくるのであります。……

 

 (出口すみこ「おさながたり」(天声社)より)

 

 

・スワミ・ヴィヴェーカナンダ(1863~1902) 

 

 “次の動乱は、ロシアか中国から生じるでしょう。どちらかははっきりとは見えませんが、そのどちらかでしょう。”

 

 “世界はヴァイシャの支配下のもとに、第三期にあります。第四期はシュードラの支配下になるでしょう。”

 

 “ヴァイシャ、すなわち商人と、シュードラすなわち労働者は、ヒンドゥー教徒の社会では第三と第四の階級である。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、次には、第四の階級が人間社会を支配すると言った。バラモンは古代インドの光輝の時代には世界の思潮を支配した。それから、ローマ帝国の時代から17世紀の中頃まで、ヨーロッパの覇権を通じて表明されているように、クシャトリヤ、すなわち軍人の統治ができた。スワミはシュードラ階級の来るべき主権を予言した。この循環の完成後、精神文化は、自ら再び現れ、宗教の師バラモンの力を通じて人間の文明に影響を与えるだろうと言った。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、インドの過去の栄光のすべてをしのぐものとしてインドの将来の偉大さをしばしば語った。

 

(スワミ・ニキラーナンダ「スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯」法律文化社より)

*出口王仁三郎聖師が言われた「ミロクの世の到来」は、日本だけのことではありません。多くの聖なる方々が同じように、新しく「霊性の時代」が到来することを予言しておられます。ただ、今が「シュードラの時代」ということであれば、共産主義者やリベラル派の連中が一時的に力を持つのは当然です。しかし、このカースト循環の法則に従えば、次は「バラモンの時代」が来ることは確実なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 


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