「世界宗教連合会」の結成 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “大正十一年五月、四国を巡教中の出口すみこ二代教主は、来訪した海南新聞社の記者に「神様は平等で、仏もキリストも教えの根本は同じこと、取り次ぐ人に違いがあるだけです。世界の隅から隅まで平和になる事を祈っています」と述べた。この言葉に大本の在るべき姿が明確に示されており、世界の大本を目指す活動が具体化していった。
 同年七月、世界に人類愛と兄弟同胞の教えを唱道していたバハイ教との出会いが始まった。翌十二年十一月には、道教、仏教、キリスト教、回教、儒教の五教同根を説く中国の新宗教団体、世界紅卍字会が「日本に行けば道院と提携すべき教団がある」との神示を受けて来訪し、提携が実現した。そしてその頃、王仁三郎のもとでは、精神的王国を建設して世界の統一を図り、世界の思想的混迷や国際的な不安動揺を救おうと、先駆者の意気込みを秘めて、蒙古(もうこ)入りの準備が進められていた。

 第一次大本事件で責付出獄中の王仁三郎は、大正十三年二月、極秘裏に日本を脱出し、数人の部下と共に蒙古に向かった。三月三日、奉天をたった王仁三郎は、盧占魁(ろせんかい)将軍の軍を率い、日・地・月・星をかたどった宇宙紋章の旗をひるがえして満蒙の奥地へ駒を進める。

 「聖者きたる」のうわさはたちまち広がり、人民は群がり集って聖者を慕い拝んだ。三月二十三日、王文泰の名でしたためた手紙には「長駆して新疆(シンキョウ)に進入し、日本全国の二十倍くらいの地域を統治し、漸次西蔵(チベット)、波斯(ペルシャ)、印度等に神権を拡張する神策にござ候。これでなくて三千世界の統一はとうていでき得るものではござなく候」と、雄大な決意でエルサレムを目指している。

 この壮図は、同年六月パインタラの遭難によって終わるが、翌大正十四年五月には北京に道教・救世新教(悟善社)、仏教、回教、キリスト教などが集まって、世界宗教連合会を結成し、王仁三郎はその総裁に推挙された。まさに現代の宗教連合の種が、ここにまかれていたといっても過言ではない。”

 

         (「人類愛善新聞」昭和63年7月号 『北京で世界宗教連合結成』より)

 

 
 “綾部の大本に最初に出てきた宗教が大正十二年の中国の道院(=紅卍字会)です。関東大震災に多額のお金と見舞い品をもって日本へ見舞いに来た。道院の「フーチ」に大本の存在が出ていたので、見舞いのあと大本に立ち寄った。聖師さまは心から歓迎されまして、それより両者の交流がはげしくなりました。また朝鮮の白白教や普化教からもどんどん来るようになりました。

 聖師さまは大正十年十月から霊界物語を口述発表され、大本の信徒が「日本教大本」から「世界教大本」に心を改めたのをみられて、大正十二年には「いろは四十八文字」の大本にローマ字を採用され、つづいてエスペラントを国祖大神様のご経綸であると採用されます。そして、西村光月氏の欧州派遣によってドイツの白色旗団が出てくる。白系ロシア人の神霊協会・白色連盟が提携にやってくる。

 大正十三年の聖師さまの蒙古入りによって中国の宗教が大本を理解するようになり、宗教連合会を北京に結成されるようになります。そして、大正十四年六月九日冠島開きの日に人類愛善会を創立され、宗教のエキスの大風呂敷をこしらえて、世界の神々や人々にパッとかぶせられます。今日ではベトナムのカオダイ教も提携を申し込んでいる。そして戦後の大本は、世界宗教平和会議を天恩郷と梅松苑で開催しました。”

 

         (木庭次守編「霊界物語の啓示の世界」日本タニハ文化研究所より)