世界の希望 (ロシアの宗教的発展) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・エドガー・ケイシー

 

 “世界情勢に関するエドガーの新しいリーディングは俄然世間の耳目をそばだたせた。時として、その内容は予言的になることがあった。たとえばヨーロッパ西部戦線の開始や戦争の終結とその影響や、ロシアの革命などである。最後の問題については、「ロシアの宗教的発展に、世界の希望がかかっている」と出た。

 ずっとあとになって、ロシアの状況がおそるべき様相を呈し始めたとき、人々はこの言葉をどう扱ってよいか迷った。そこで、前の予言は共産主義のことだったのかという質問についてリーディングが取られた。答えはそっけなかった。「共産主義は宗教ではない」”

 

(J・ミラード「奇蹟の人 エドガー・ケイシーの生涯」(霞ヶ関書房)より)

 

 

 「ロシアの宗教的発展に、世界の大きな希望がかかっている。そのような関係を密に持っている集団が、ゆっくりと進む変化の中でうまく立ち回るであろう。」(3976-10、1932年2月)

 

 「ロシアの中に世界の希望は生まれるだろう。共産主義の希望ではない。人間一人一人が同胞のために生きるという自由である!その原理はすでに生まれている。形をとるまでには幾年もかかるだろうが、ロシアから再び世界の希望はやってくる。それは何に導かれているのか。『われら神を信ず』という言葉を貨幣単位の中にまで刻みつけている国との友好である。」(3976-29、1944年)。

 

(林陽「エドガー・ケイシー世界大破局への秒読み」(曙出版)より)

 

ドゥホボール教徒の世界史的な影響 (ルドルフ・シュタイナー)

 

 “「ロシアには深い宗教性を内に秘めたドゥホボル派(霊のための闘士たち)という異端の一派がありました。素朴ながら、非常に美しい形の神智学教義をもっていました。この人々はひどい迫害を受けてきましたから、表面的にはもはや眼に見える影響力をもっていません。唯物論者たちは言うでしょう。彼らがどんな目的をもっていたにせよ、その影響力はすでに失われてしまった、と。

 しかしドゥホボル派の人々はすべて、生まれ変わってきたとき、共同の絆で結ばれ、かつて身につけた教えを後世の人類の中に注ぎ込むのです。人々の出会いは、内的な人と人との絆は、転生を通して消えることなく人類に働きかけつづけます。人が一度体得した理念は、世界の中へ流れていきます。その理念はより深められて、後世の人々に受け継がれていくのです。」”

 

(ルドルフ・シュタイナー「シュタイナー 霊的宇宙論」春秋社より)

 

 

 “スターリングラード、コーカス山一帯は素戔嗚尊の本拠だから、ドイツが勝てないのである。(参照:霊界物語第11巻第23章保食神。第24章顕国宮。第25章巫の舞。)” 

 

(木庭次守編「出口王仁三郎玉言集 新月のかけ」より)

*「霊界物語」には、スサノオはコーカス山にある顕国宮(うつしくにのみや)の主となり、そこからイホの国(エジプト)へ宣伝使たちを派遣したと書いてあります。

 

・ファチマの聖母マリア(ルチア(聖母の御出現を受けた三人の牧童の一人)へのインタビュー)

 

 “一九四六年の面会において、ルチアは、ロシアをマリアの汚れなきみ心に捧げることが、重要な問題であると強調したことについての質問に次のように答えた。

 「聖母が望まれることは、パパ様と全世界の司教たちが、ロシアをある特定の日に、聖母の汚れなきみ心に献げることです。もし、彼らが実行するなら、聖母はロシアを改宗させて、世界は平和になるでしょう。もしそうでなければ、ロシアの謬説が世界の全ての国々に広まり、続くでしょう。」

 

質問 「あなたの考えでは、それは全世界の国々が例外なく共産主義に支配されるだろうということですか」

答え 「はい、そうです。」

 

 その後ルチアは、面会者アッフェルトにも全く同じことを言った。彼は、もう一つの戦争があるだろうかと、彼女に尋ねたので、ルチアは、

 「大切なことは、パパ様が全司教と一つになって、ロシアをマリアのみ心に奉献することだと私は思います」と言って、黙ってしまった。アッフェルトは重ねて、

 

質問 「あなたは、ロシアの改宗は世界に平和をもたらすと確信しますか」

答え 「はい。聖母は、それを約束なさいましたから」”

 

(「ファチマの聖母の啓示 ルチア修女の手記」(ドン・ボスコ社)より)

(ルチア、フランシスコ、ヤシンタ)

(1917年、ファチマ(ポルトガル)で聖母マリアの御出現を受けた三人の牧童)

 

・ガラバンダル(スペイン)の聖母マリアの御出現

 

(「イエズスとの内的語らい」(1963年7月20日) コンチータ・ゴンザレス)

 “‥‥‥「あの、ロシアは改心するでしょうか?」

 「はい、改心するでしょう。こうして、すべての人がわたしたちの心を愛するようになるでしょう」

 「そのあとで天罰が来るでしょうか?」

 イエズスは答えてくださいませんでした。

 「どうして、わたしの貧しい心のなかに来てくださったのですか?わたしにはそんな値打ちはないのに」

 「それは、わたしが来たのは、あなたのためでなく、世の中のみんなのためだからです」

 「奇跡が起きたら、聖母をみたのは、わたしひとりだけだったと人々は考えるようになるでしょう」

 「あなたは、ぎせいと、試練のときの忍耐によって、わたしが奇跡をするように取り次ぐでしょう」とイエズスは答えてくださいました。

 それは、わたしたち4人いっしょか、あるいは取次のために、だれもお使いにならない方が、もっとよいのではないでしょうか?」とわたしは言いました。

 「そうではありません」とイエズスはおっしゃいました。

 「わたしは天国に行くでしょうか?」

 「あなたは、わたしたちのみ心をたくさん愛しますか?それにお祈りしますか?」とイエズス。

 「あの、わたしに十字架をくださるのは、いつでしょうか?」

 イエズスはお答えにならないで、ただ、わたしがどんな人間であっても、どんなことをするにしても、大変苦しむだろうとだけおっしゃいました。

 「わたしは、まもなく死ぬのでしょうか?」とわたしはいいました。

 「あなたは、世界の人を助けるために地上にとどまらねばなりません」とイエズスは、わたしにおっしゃいました。

 「わたしは、ほんとうにつまらないものです。世界を助けるために何もできません」とわたしはいいました。

 「あなたの祈りと苦しみで、世界を助けるでしょう」

 「いつ、人は天国に行きますか?そこに行くときは、死ぬのでしょうか?」

 「人は、決して死にません」とイエズスはおっしゃいました。

 わたしは、復活するまでは、人は天国に行かないと思っていました。

 それで、「聖ペトロが、わたしたちを受け入れるために、天の門のところに待っていてくださるでしょうか」とわたしがききますと、「そうではありません」と答えてくださいました。

 わたしは、このように、祈ったり神さまとお話したりしているとき、この世界の外にいるように感じていました。

 イエズスは、これからもっとたくさんの人がイエズスのみ心を愛するようになる、とおっしゃいました。

 神父さまがたのことについては、かれらが聖人となり、自分の務めをりっぱに果たして、人々を善にみちびくように、司祭たちのために、たくさん祈らねばならないことをおっしゃいました。

 「司祭たちが、わたしを知らない人に、わたしを知らせ、わたしを知っていても愛さない人に、わたしを愛させるように」ともおっしゃいました。”

 

(デルコル神父「コンチータの出現日記」(聖ヨゼフ修道院)より)