未来の宗教 (スウェーデンボルグの預言) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “前の教会は主として創造者なる神に対する信仰であり、贖罪者と救い主に対する信仰ではない。しかし新しい教会の信仰は創造者であり、贖罪者であり、救い主である一人の神に対する信仰である。” 

 

       (イマヌエル・スエデンボルグ「真の基督教」静思社)

 

 

 “・・・スウェーデンボルグが語る人類史とは、宗教の体系が変容しながら循環し、螺旋上昇的に進歩するものである。天使的教会といわれた最古代教会から始まった堕落の歴史は実のところ、後の人類がさらに霊的な成長を遂げるためのプロセスだったのであり、人類の未来に約束されている「ニューエルサレム」は、もっとも天使的な天界である「最高の天界」をも凌駕する「全天界(=天界の巨大人)の冠」となるものである、と彼は言う。
 しかも人類のその新しい宗教は、特定の宗教だけで形成されるのではない。それは、天界の冠に輝く「複数の宝石」に象徴されているように、多くの宗教に含まれる最高の真理が結合された形でできあがる、とスウェーデンボルグは説いている。つまり、人類史の最初に神から与えられた「根源的唯一神」と「仁慈」について説く宗教は、そこから発展した諸宗教の多様性を保持したまま、近い将来、さらに高いレベルでふたたび原初の形へと回帰していく。いいかえれば人類の宗教は、あたかも膨張と収縮を繰り返す宇宙のように、その歴史の最初に存在した「人間の姿をした神=霊界のイエス」という一点から始まり、いったん堕落し多様化するがふたたび統合の道をたどり、最後には「神人イエス」という一点に収束するのである。
 その新しい人類の宗教は、何も真新しい教理や難しい論理を必要とするものではない。「一人の人間の形をした神」を信じ、「隣人を愛する心」をもち、聖言に含まれる「内的な真理」に従って生活する人間であれば、誰でも新しい天界である「ニューエルサレム」に加わることができる。しかも意外なことに、その「一人の人間の形をした神」の名称はかならずしも「ヤハウェ」や「イエス」でなくてもよい、とスウェーデンボルグは説いている。「名」という言葉の霊的意義は「性質」であり、つまりは神イエスと同じく本質的に愛と知恵であり、みずから「犠牲の愛」の尊さを示し、現界と霊界との結合を象徴する「一人の人間の形をした神」の性質をもつ神であれば、「ニューエルサレム」で信仰される対象となりえるのである。
 さらにスウェーデンボルグは、従来のキリスト教に代わって人類を「ニューエルサレム」の信仰に導く「地の新しい教会」の可能性についても語っている。彼によれば、かつてのユダヤ教会の後を継いだキリスト教会がユダヤ教世界から見て異邦人の地に造られたように、キリスト教会後の新しい教会もまたキリスト教会から見て異邦人の地に造られるという。キリスト教会のドグマによって拘束されない、人間の霊性発揮にもとづく自由選択によって本当の神を知ることのできる新しい教会、それはおそらく古代教会の形態をとって存在し、諸宗教の故郷でもあるアジアのどこかに創建されるにちがいない。”

 

       (瀬上正仁「仏教霊界通信 賢治とスウェーデンボルグの夢」春風社)

 

 “霊界での自分の見聞や体験を描くさい、きわめて誠実であった彼は、『最後の審判とバビロンの滅亡』の最終ページに、「天使たちと語りあったこと」と前置きして、将来のキリスト教と新時代の宗教とについて以下のように付記している。

 
 「今後の教会の状態について、私は天使たちとさまざまに語りあった。彼らはこう言った。 『将来おこることは主のみに属していることゆえ、私達はそれを知りません。けれども私たちは、教会の人間が以前陥っていた奴隷と捕囚の常態が取り除かれ、今度回復された自由によって、教会の内的な真理を認めようと思えば、これをもっとよく認めることができ、またもっと内的な人間になりたいなら、そうなることもできるということを知っています。
 しかし、私たちは、キリスト教会の人々には依然わずかな希望しかもっていません。かえって、キリスト教世界から遠く離れ、そのために悩ます者たちから引き離されている或る国には多くの希望を抱いています。この国は霊的な光を受け容れ、天的-霊的な人間になされうる国です。現在、内的な神的真理がこの国に啓示されています。そしてこの啓示は、霊的な信仰をもって、つまり生命と心情をもって受け容れられ、その国民は主を礼拝しています。』」(「最後の審判とバビロンの滅亡」七四)

 
 キリスト教会の時代に続く新しい教会の時代に入ってすでに二百数十年が経過した。この天使たちが語ったという国とは、いったいどこなのだろうか。未来のことを知ろうとするのは「悪しき愛」であり、将来起こることは「主にのみ属する」とはいえ、現代の私たちは過去に語られた天使の言葉を検証する資格を有する。しかしそれは、あまりにも抽象的で簡潔な言明でしかないから、この国を特定することは不可能である。
 ただ、原宗教の循環の中で新しい教会は「異邦人」のもとに興るという、スウェーデンボルグの明確な言明がある。彼はこう述べている。

 
 「教会が教会でなくなるとき、すなわち仁愛が死滅して新しい教会が主によって再び創建されつつあるとき、新しい教会は、古い教会に属する者たちのあいだには、たとえ創建されるにしても、まれにしか創建されない。新しい教会は、以前に教会が存在しなかった者たち、すなわち異邦人のあいだに創建されるのである。」(「天界の秘儀」二九八六)


 この引用文に続いて、スウェーデンボルグは、原古代教会の終わりつつあったときの古代教会を始め、ユダヤ教会もキリスト教会も、すべてが「異邦人」のあいだに創建されたと述べている。そして他の個所において、キリスト教会に続く新しい教会は「今や異邦人のもとへ移されつつある」(同書、九二五六〔五〕)と明言している。「キリスト教世界から遠く離れた」「異邦人」の国とはいったいどこなのか。興味をそそる問題ではあるが、これ以上の深入りは慎みたいと思う。” 

   

       (高橋和夫「スウェーデンボルグの宗教世界」人文書院)