霊界での飲食 (大正時代の大本教団であった話) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・霊界での飲食 (大正時代の大本教団であった話)

 

 “京都は伏見、そこで大本の支部長をしていた本田という人があった。この方は、毎月、2~3の人と月のうち半分は綾部に来て奉仕され、旧役員とも顔なじみになっておった。

 その支部が発展して、信者も4、50軒できたので、初めて大祭を執行することとなった。本田さんの依頼で、先生(出口王仁三郎聖師)のお許しを得て田中善臣、西田元教、竹原房太郎の四氏が出向し、神前の床の間に“大本皇大御神”のお軸が掛けてあるので、西田氏が「このお軸は誰が書いたものか」と尋ねると、「それはH・S(ブログ主注:大本教団初期において、聖師を排斥し御神業を妨害した人物。若くして死亡した)が書いたものだ」との答えである。「H・Sごとき者が書いたものを奉斎するとは何事だ」と西田氏は言うなり、引きむしってしまった。と同時に側にいた上田幸吉氏にH・Sの霊が懸って、

 「こら西田、貴様はなんということをする。おれはH・Sじゃ。私は取り違い慢心して神様に罰せられて霊界にいるが、今じゃ改心して神様に毎日お詫びをしているんじゃ。しかし霊界も、やはり食わなくてはおれん。水一杯も許しなくしては頂けない。腹が減って、どうにもならんので家に帰ったが、産土(うぶすな)の大神や先祖が許してくれぬため、夕方母がお米をとぎに来るのを待って、その洗い汁を飲んでいたが、それだけでは満足できぬ。どこかに寄りどころがないかと見ていたら、本田が私の書いた軸を掛けお給仕しているから、神様のお許しを得て頂いているんじゃ。そのかわり、本田に懸って宣伝につとめ恩返しをしているのに、それも知らず、なんということをする!」といい、上田氏と西田氏が取り組む大騒ぎとなった。

 ほかの者たちがやっと取り鎮めたところ、H・Sの霊が言うには、「お前らは口では偉そうなことを言っているが水くさい奴らじゃ。私のために一度でも神様や先生にお詫びをしてくれたことがあるか」となじれて、「いや、すまなんだ、許してくれ。こんど帰ったら先生にお詫びしてお祭りしてやるから鎮まってくれ」と約束してやっと鎮まった。軸も元通りに掛けておいた次第。”

 

         (「いづとみづ」№14 佐藤尊勇『旧道の細道②』より)

 

 *その後、H・Sの霊は神さまに許され、救われるのですが、たとえ肉体を持たない霊であっても‘飲食’は重要であり、また、その霊の救済を求める、生きている人々による‘祈り’も非常に大切なこととされています。(ただし、既に高い境地にある霊、あるいは死後かなりの年月を経た霊については、すでに食欲などの肉体的欲望からは解脱しているとも言われています)

 

 

 

・宣伝使たちの霊界旅行(「霊界物語」第40巻)

 

  芳香(  はうかう)(くん)(はな)(にほ)ひ  (てふ)()小鳥(ことり)(うた)

  地 ち一面いちめん花毛氈はなまうせん  空地あきちもなしにきつめし

  極楽浄土(  ごくらくじやうど)光景(くわうけい)を  (なが)めて(とほ)(たの)もしさ

  紺碧(  こんぺき)(くも)ただよへる  (そら)日月(じつげつ)相並(あひなら)

  其(  その)光彩(くわうさい)七色(しちしよく)に  (かがや)(わた)(あつ)からず

  又(  また)(さむ)からず(その)気候(きこう)  中和(ちうわ)()たる真中(まんなか)

  カルとレーブの両人(りやうにん)は  (あし)(まか)せて(すす)()

  浄土(  じやうど)(たび)()ひながら  (すこ)しく(あし)(つか)()

  腹(  はら)空虚(くうきよ)(うつた)へつ  五体(ごたい)勇気(ゆうき)何時(いつ)しかに

  衰(  おとろ)(きた)りて(みち)()に  ドツカと()して(いき)(やす)

  天国(  てんごく)浄土(じやうど)旅路(たびぢ)にも  娑婆(しやば)世界(せかい)(こと)ならず

  饑渇(  きかつ)のなやみあるものか  (かみ)御諭(みふみ)()かれたる

  楽中苦(  らくちうく)あり苦中(くちう)(また)  (たの)しみありとの御教(みをしへ)

  今(  いま)()のあたり実現(じつげん)し  とても天地(てんち)()(らく)

  互(  たがひ)()()ふものなるか  至喜(しき)至楽(しらく)境遇(きやうぐう)

  神(  かみ)()へども()られない  これが天地(てんち)真相(しんさう)

  あゝ惟神々々(かむながらかむながら)  御霊(みたま)(さち)はひましまして

  苦楽(  くらく)(みち)をほどほどに  まくばり(あた)吾々(われわれ)

  安(  やす)(まも)らせ(たま)へよと  (こころ)(ふか)(ねん)じつつ

  (みち))(かたへ)()()めて  大空(おほぞら)(あふ)()()して

  悔悟(  くわいご)(なみだ)にくれにける。

 

 かかる処へ五色の薄絹をしとやかに着流したる妙齢の美人、忽然として現はれ、両手に二個の美はしき名の知れぬ果物(このみ)を携へ二人に向ひ声も静かに、

『貴方はレーブ、カルの御両人様で厶(ござ)いませう。貴方は三途の川を渡つてから早已に一万里の道程(みちのり)を徒歩して、お出でになりましたのだから、嘸(さぞ)お腹が空いたでせう。妾は都率天より月照彦神様の命を奉じ、ここに現はれたもので、生魂姫命(いくむすびひめのみこと)と申します。此果実は、貴方の飲食(おんじき)に授けたいと存じまして態々(わざわざ)ここ迄持ち参りました。何卒(なにとぞ)食(あが)つて下さい』

 レーブは、

『ハツ』

と頭を下げ、

『宏大無辺の神様のお慈悲、美(うる)はしき花は道の両側に咲き匂うて居りますれど果実は一つもなく、飢に迫つて両人が苦しみ悶え、もはや一歩も行かれませぬので、ここで休んで居りました。天道は人を殺さずとやら、実に有難う存じます』

カル『お礼の申様もなき有難き、その仰せ、慎んで頂戴致します』

と両手を拡げて早くも体を前へつき出す。

 

         (「霊界物語」第四十巻 舎身活躍 卯の巻 『試の果実』より)