死者への憎しみ 〔ルドルフ・シュタイナー〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “自分が憎んでいた人が死ぬとします。その人が死んだ後も、その人への憎しみがなくならないとしたら、繊細な思いやりのある心魂は、この憎しみ、反感を恥じます。このような感情を、透視者は追っていくことができます。そして、「なぜ繊細な心魂は、死者に対する憎しみまたは反感を、恥ずかしく思うのだろうか。そのような憎しみを持ったことが、人に知られていない場合でも、そのような恥の感情が生じるのはなぜか」という問いが立てられます。

 死の扉を通過して精神世界に赴いた人間を透視者が追っていき、地上に残った者にまなざしを向けると、死者の心魂が生者の心魂の中にある憎しみをはっきりと知覚・感受するのが分かります。比喩的に語れば、「死者は憎しみを見る」のです。死者がそのように憎しみを見るのを、透視者は正確に確かめることができます。

 そのような憎しみが、死者にとってどのような意味があるのかも、私たちは追及していけます。そのような憎しみは、死者の精神的な進化におけるよい意図を妨害するものです。地上で他人が目標を達成しようとするのを妨害するのと同じような妨害なのです。死者は、その憎しみが自分の最良の意図を妨害するものであることを知ります。これが精神世界における事実です。

 こうして、心魂の思惟の中で憎しみが消滅していくのが分かります。自分が憎んでいた人が死ぬと、恥を感じるようになるからです。

 透視者でないと、何が起こっているのか、知ることができません。しかし自分を観察すると、「死者は私の憎しみを見ている。私の憎しみは、死者のよい意図を妨害するものなのだ」という自然な感情が、心魂のなかに生じます。

 精神世界に上昇すると、そのような感情を生み出すもとになっている事象に注目できます。そのようにして明らかになる深層の感情が、人間の心魂のなかにはたくさんあります。地上にある多くのことがらを、単に外的—物質的に観察しないようにし、自分を観察して、「死者から観察されている」と感じると、死者への憎しみが消えていきます。

 私たちが死者に対して抱く愛、あるいは単なる共感でも、死者の歩む道を楽にし、死者から妨害を取り除きます。

 憎しみが彼岸で妨害となり、愛が妨害を取り除くことは、業(カルマ)の法則を破ることにはなりません。直接には業に算入されないことがらが、地上でたくさん起こるのと同様です。石に蹴つまずいたとき、それを常に業、道徳的な業として数え上げてはなりません。地上から流れてくる愛によって楽になったり、逆に憎しみを自分のよい意図に対する妨害と感じる事は、業に矛盾しないのです。”

 

(ルドルフ・シュタイナー「精神科学から見た死後の生」(風濤社)より)

 

*日本では誰かが亡くなられたとき、生前その人に否定的な感情を持っていた人たちであっても、「亡くなった人のことを悪く言うのはやめよう」とか「死んだらみんな仏様だから」ということがよく言われます。これは多くの日本人が、精神的・霊的に非常に健全な状態にあることを示していると思います。ある国では、いったん「悪人」と決めつけられた人は、それがその人の死後であっても、すべての業績が否定されて徹底的に侮辱され、さらにそれが延々と何十年、下手をすると何百年も続きます。このようなことをしていては、その民族は未来へと進むことはできず、退化の道を歩むことになります。過去に起こったことを検証することは必要ですが、まず未来へと進むこと、霊的・物質的に向上しようとすることが前提であり、そちらの方を優先させなければなりません。日本でも一部の政治家やマスコミの中には、「まず過去を総括せねば先へ進むことはできない」などという人もいますが、いくら裁判で判決が下されようが、最終的、不可逆的な解決と定めた条約が締結されようが、彼等は毎回ゴールポストを動かし続け、絶対に未来に進ませようとはしません。彼等と関わることで自分自身が退化への道へと引きずり込まれないためにも、そのような連中とは、一刻も早く縁を切らねばなりません。

 

*凶悪犯罪の犠牲となった方やその親族の方々にとっては、たとえ犯人が死刑になったとしても、決してその人物を赦すことができないというのはやむを得ないと思います。まして、その犯人が最後まで反省を口にしなかった場合はなおさらです。しかし、グルジェフが、「我々の中の高次の感情センターには否定的なものは何もない」と説いているように、我々の潜在意識の中の高次の部分には、必ず「赦し」が存在しています。また、いつまでも否定的な感情に捕らわれていては、精神的・霊的に向上することもできず、犠牲者の方や、親族の方々ご自身の為にもなりません。とはいえ、犯人を憎むなと言われても、そのようなことは我々の通常の顕在意識のレベルでは不可能であり、ただ苦しいだけです。この様な場合は、無理にその憎しみの対象を赦そうとするのではなく、より高次の存在、神仏へと意識を向けるのが良いように思います。

 

*今日は秋分の日で、彼岸の中日になります。亡くなられた方々の霊魂は、お盆やお彼岸の時期には、供養を受けることを期待しているということですので、その期待に応えるのは子孫としての義務です。

 

・「幽顕問答」 江戸時代の霊界通信

 

吉富氏「彼岸盆会には世俗みな霊を祀る慣習なるが、かかる折には霊魂は実際に来臨するものか。」

霊「彼岸盆会は世俗おしなべて霊を祭る時と定めてあれば、霊界にても祀りを受くべき時と直感し、また死せる人も盆会には必ず来るものと思い込みて死せるが故に、必ず現れ来たるなり。・・・・」
 

宮崎氏「帰幽せる霊はみな各自の墓所にのみ居るものか」

霊「常に鎮まりたるは余のごとく無念を抱きて相果てし輩(やから)か、あるいは最初よりその墓に永く鎮まらんと思い定めたる類にして、その数、いと少なし。多数の霊魂の赴く先は霊の世界のことゆえ言葉にては告げ難し」

宮崎氏「墓所に居らざる霊魂はいずこにて供養を受くるか。彼らもその供養の場に訪れるものか」

霊「地上にて幾百年も引き続きて行い来たれる祭り事は幽界にてもだいたいそのごとく定まれるものなり。されば勝手に月日を改め、そのことを霊魂に告げずして執行すれば、それがために却って凶事を招くこともあり。
 なぜというに、霊がいつもの期日を思い出し祭りを受けに来るに、すでに済みたるを知り不快に思うが故なり。
 地上にて同時に数カ所にて祭祀を行う時には、霊は数個に分かれてそれぞれの祭場に到り、祭りを受くるものなり。たとえ百カ所にて祭るとも、霊は百個に分かれて百カ所に到るべし。もっとも余のごとき者の霊は一つに凝り固まりて、その自由は得がたし。」

宮崎氏「年号月日はいかにして霊界に知れるぞ」

霊「先に述べたるごとく人間界のことは人の耳目を借らざれば正確には知り難し。われ先月より市次郎の耳目を借りて見るに、あの通り帳面三つ掛けありて、ともに天保十年正月と記せるを見れば、いずれも同時に調整され、今年が天保十年になること明らかなり。また月日を知るは、七月四日が余の忌日(命日)にて、その日は霊界にありてもよく知らるるなり。これはひとり余にかぎらず、他の霊魂もみなその忌日は知りおるものぞ

           (近藤千雄編「古武士霊は語る 実録 幽顕問答」潮文社より)

 

*この「幽顕問答」とは、今から数百年前に、無念の割腹自殺を遂げた加賀の武士が、積年の願いを遂げるため、天保十年に筑前(福岡県)のある家の若主人に憑依して出現し、その宿願を果たすとともに、ことのついでに現界と死後の世界とのつながりについて物語ったものの記録です。地元神社の宮司で、国学者・平田篤胤の弟子でもあった神道家、宮崎大門らが、武士の霊と交わした問答が克明に記録されており、亡くなった方々に対する供養のやり方を考える上で、非常に参考になる本です。

 

 

 

 

 

 

 

 


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