死者との交流 〔ルドルフ・シュタイナー〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “シュタイナーは、「死者はともにあり」において、さらに語っている。

 

 われわれは眠りに落ちる瞬間、そして目覚める瞬間に、死者と出会う。

 覚醒と入眠の瞬間は、いわゆる死者との、そして高次世界の霊的存在との交信に、もっとも大きな意味を持つ時間である。

 眠りに落ちる瞬間は、とりわけ死者に話しかけるのに都合がいい。死者に何かをたずねたいならば、質問を魂に刻みつけ、眠りにはいる瞬間、死者に問いを発するのだ……。いっぽう覚醒の瞬間は、死者からの交信を受けるのに最適な時間である。

 

 なぜならば―― とシュタイナーは語る―― 目覚めのときには誰もが、「死者からの無数のたより」をともなってくるからである。

 しかし、そこで奇妙な問題が生じる。死者と話をするときは、両者の関係がなぜか逆転するのだ。生者が死者に質問をすると、その問いは死者から発せられてくる。つまり、「死者がわれわれの問うた質問を、われわれの魂に吹き込む」のだ。「そして死者が答えるとき、答えはわれわれの魂から出てくる」。「死者との交信を確立するとき、われわれは自分の言葉を死者の中に聞き、死者の答えを自身の魂から受けとらなくてはならない」。”

 

 “シュタイナーは語る。「死者を外界に求めてはならない。彼らが常に存在していることを意識せよ」。「人智学の仕事のひとつに、霊的科学によって生者と死者のあいだに少しずつ橋を築いていくことがあげられる」。彼はまた、「転生やカルマの概念が少数者の支持する理論でなくなったとき、人生は大変革を迎える」だろうと信じていた。”

 

     (コリン・ウィルソン「コリン・ウィルソンの来世体験」三笠書房より)

 

 

 “「心魂の浄化の過程にある死者に対して、わたしたちはなにをすべきなのかな」
 「その死者と過ごした楽しい日々のことをおもいだすことだね」
 「思い出すって、自分がその人のことを懐かしんでいるだけじゃないの」
 「ううん。ぼくたちが思い出している懐かしい情景のイメージがね、死者にも見えるんだって」
 「へえ、わたしたちが思い浮かべるイメージは、死者にも見えるんだ」
 「そう。しかも、死者は単にそのイメージを見るだけじゃなくて、そのイメージが天上界と地上のあいだの窓みたいになるらしいんだよ。そのイメージという窓をとおして、死者は地上の今の様子を見ることができるっていうんだ」
 「ふうん」
 「それから、死者のために霊的な書物を読んであげるのも、とてもいいことだ。とくに、生きているあいだ、死後の世界のことなんて知りたくもないと思っていた死者は、死んだあと、自分がいまどんな状況にいるのかさっぱりわからなくて、右往左往という状態だ。見知らぬ情景が目の前に広がっていて、どうしていいのか見当がつかない。
 そんなとき、ぼくたちが天界のことを語っている聖典などを読んであげると、死者はおおいに助かって、いま自分がいる世界のことがだんだんわかりはじめる。
 ぼくたちも、ある朝目覚めたら、まったく見知らぬ土地にいたなんてことがあったら、途方に暮れてしまうだろう。そんなとき、その土地の事情を説明してくれる人がいたら、とても助かるはずだ。
 聖典を読むときに注意しておくべきなのは、棒読みするのではなく、自分も理解しながら読んでいくということだ。死者といっしょに読んでいる。あるいは、死者がすぐそばにいて聞いているという感覚を持って読むといい。」”

         (西川隆範「見えないものを感じる力」河出書房新社より)

(西川隆範氏……シュタイナー研究家、真言宗僧侶。2013年7月17日に逝去されました。)