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読んだらすぐに忘れる

とりとめもない感想を備忘記録的に書いています。


ショーン・ダフィ・シリーズ四作目。



ベルファストに住む新興ブックメーカーの富豪夫妻が、射殺される事件が発生。容疑者と目されていた息子が崖下で死体となって発見される。現場には遺書も残され、家庭内の争いによる単純な事件かと思われた。しかし、息子のガールフレンドが排ガス自殺に見せかけ殺されたことが明らかになり、事件は連続殺人と断定。おなじみクラビーや新米ローソン刑事とともにダフィは真相を追い始める。

折しも北アイルランドでは不穏な事件が続発。外からの武器の密輸が横行、地元の兵器企業<ショート・ブラザーズ>の在庫から対戦車ミサイルシステムが盗まれ、アングロ=アイリッシュ合意の調印に反発する小競り合いがあちこちで起きていた。

暴動鎮圧任務に忙殺されながらも、事件が<ショート・ブラザーズ>の盗難と武器売買を巡るもので、謎のアメリカ人が関わっていることをつきとめる。



このシリーズでは現代史の本当にあった事件の裏側でショーン・ダフィが関わっていました、というお約束の展開がある。今回も著者のあとがきにもある通り色々詰め込まれていて面白い。中でもレーガン政権時代最大のスキャンダルと実際に兵器企業で起きた盗難事件を結びつけてしまう点は感心した。一作目ならこの「おとなしいアメリカ人」をふん捕まえてやろうとしただろうが、自分の手の届かない物事を追うのに疲れた「成熟した人間」は事件ファイルを閉じたままにする。



本書の最大の見せ場はダフィの成長と身の振りだろう。

前三作でキャリアのジェットコースターを経験したダフィは、いままでのスタンドプレーの数々を反省し今回は比較的大人しく振舞う。部下や後進を育成し、特別部の捜査員と仲良く事件を捜査する。さらに前二作で登場したMI5の支部長ケイトからMI5へのオファーがかかる。刑事一筋で頑張ってきたが、警察上層部は彼の存在を煙たがってこれからのキャリアも見込がない。オックスフォードに出張した時には、犯罪捜査に加え暴動鎮圧までさせられ、運転中にRPGを撃ち込まれたりする身の上とモース主任警部の世界そのままの平和ボケしたテムズ・バレー署とに落差を感じる。自分の能力を認めてくれるMI5に転向したほうがいいのではないか? 揺れ動く身の振りの行方は、最後に衝撃の結末を迎えることになる。



シリーズは今のところ2023年で七作目まで書かれているので半分まで来たことになる。翻訳者のあとがきを読むと翻訳続行は期待しても良さそうだが、まだまだ油断はできない。マッキンティを再び作家廃業に追い込む訳には行かないので、できる限り新刊を購入して応援しようと思っている。がんばれ、武藤さん。負けるなマッキンティ。



シリーズ三作目はあのシマソー『占星術殺人事件』のインスパイア作品。



前作で降格になったダフィは、古巣キャリクファーガス署を追われる。そして、当て逃げの濡れ衣を着せられ、退職することに。何もかもが嫌になり北アイルランドから出ようとするダフィを引き留めたのは、MI5だった。彼らは、かつての友人にしてIRAの有能な指揮官、爆弾テロリストでもあるダーモット・マッカンを捕まえれば、犯罪捜査部の警部補に返り咲けるという。刑事に戻りたいダフィは申し出を受けるも、彼の親族、関係者は口を閉ざしたままで埒があかない。しかし、関係者の一人からある殺人事件の犯人を見つければ、ダーモット・マッカンの居場所を教える取引を持ち掛けられる。わらしべ刑事は雲をつかむようなテロリスト探しよりも、得意とする殺人事件の捜査に取り掛かるのだが、それは密室と化した店内で事故死と処理された事件だった。



ミステリファンで「密室物」を積極的に嫌いという人は少数だと思う。紀田順一郎さんは「密室に夕暮れが訪れた。カンヌキのかかった厚い扉をこじあけようとする者は、すでにいない」と半世紀前に密室物は袋小路に入り、すたれると言った。ところが、いまだに作り手と読み手はこのジャンルに熱中する。

シマソーインスパイアと聞いていたので、空を飛んだり、斜めに滑ったり、ピエロが消えたりするのかと想像していたが、超古典的なそれこそ閂がかかった密室物だった。しかし、古臭い密室ミステリも見せ方次第で魅力的な読み物になる。トリックそのものは単純で大したことないが、事故か殺人か、地道な捜査で明らかになる工程が面白い。当時の警察の徹底した捜査に本当に事故ではないかと弱気になるが、同じ時期に同じ町でおきた窃盗事件にひっかかりを覚えたダフィは、その周辺を洗っていくうちに見落とされていた手がかりを見つける。



密室の謎解きが終わっても、本筋の大捕物や歴史の裏ではたらく深謀遠慮の世界を垣間見させる内容で、ぐいぐい引き込んでいく。

今回は、歴史的事実とダフィの活躍の接点がかなり密接なものになっている。1984年10月12日のサッチャー暗殺未遂だ。保守党党大会開催中のブライトンのホテルでIRAによる爆弾テロで議員やその家族など5人が死亡、30人余りが負傷した。サッチャーは無事だったのだが、その裏でダフィがまさに粉骨の努力をしていたことになる。 望み通り、刑事への復職と地位を手に入れたにも関わらず、ダフィ気分は晴れない。北アイルランドの未来を聞かされたダフィは自分たちが身体を張って守っていたものが無意味であるように感じ気落ちする。



本書は2014年に出版された。ヨーロッパ統合がなされ国境の意味がなくなる未来に北アイルランド問題なんて些末なことだとMI5に言わせる著者だが、ブレグジットによって再びアイルランドとの国境問題が取り上げられるなんて、想像もしていなかったに違いない。



マッキンティさんは『レイン・ドッグス』で再び不可能犯罪物をやる。


ショーン・ダフィ・シリーズ二作目。

内紛で混乱しているのに、妙にすっとぼけた、でもしたたかなアイルランド人たちの会話がツボにはまって好きになっている。



前作で警部補に昇進したダフィは、部下のクラビー巡査とトランク詰めにされた切断死体遺棄事件を捜査することになる。検視の結果、死体は冷凍保存された後、切断、遺棄されたようだが、おかしなことに死因は毒。使われたのはトウアズキという珍しい植物から抽出された毒物アブリン。重火器があふれかえっている北アイルランドで、誰がわざわざ毒殺を選ぶのか? さらに被害者の入れ墨から身元がアメリカ人で、しかも歳入庁調査官であったことが分かる。

奇妙な殺害方法かつ被害者が外国人であることから、上司のブレナン警部と部下たちは嫌な予感しかしない。

一方ダフィは彼女と疎遠になりはじめ、私生活が荒れ始めているため没頭できる仕事が必要だった。超過勤務もなんのその、トランクの持ち主とトウアズキという二つの手がかりから捜査を開始する。



今回も実在の出来事や人物を絡めて物語を描く。

フォークランド諸島をめぐってイギリスとアルゼンチンの間に起きたフォークランド紛争。北アイルランドのイギリス軍がフォークランドに取られ、手薄になったため、王立アレスター警察隊の激務に拍車がかかる。治安が乱れ、殺人捜査もままならない。しかし、ねっからの刑事であるダフィは、どんなに忙しくても、やはり気になったら調べずにはいられない。自分の捜査と関係ない事件に首を突っ込み、今回もお叱りをうけることになる。



さらに「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でおなじみのあのガルウィングで有名なデロリアンが出てくる。実は解説でジョン・ザッカリー・デロリアンの顛末を初めて知った。



理想の車を作るためにGMから独立して起業。製造工場をイギリスの補助金もあり、北アイルランドのベルファスト郊外につくるデロリアン。ダフィと話しするデロリアンは、電気自動車のことをしゃべったり、いまのテスラに近いことをやろうとしていた早すぎる企業家として登場する。しかし、その正体は・・・。

販売不振、イギリス政府からの補助金停止、会社資金の私的流用、とどめがコカイン所持容疑の逮捕によって、倒産に至るわけだが、この歴史的な事実が、事件に絡んでくる。



つきあっていた女性にふられ、助けたかった女性は助けられず、さらに降格の憂き目にあう。次作で復活はあり得るのか!?



ここ数年お気に入りになった作家。

エイドリアン・マッキンティは最初<翻訳ミステリ大賞シンジケート>で島田荘司『占星術殺人事件』に触発されて、ノワールの作風でクラシックスタイルの密室殺人を書いちゃう謎解き大好きな変わり種の作家と紹介されたと思う。その後ショーン・ダフィ・シリーズが順調に邦訳され追いかけてきたが、謎解きよりもショーン・ダフィの語り口そのものが好きになった。個人的にはルヘイン、ブロック、リューインと肩を並べるくらいの名匠だと思っている。




舞台になる北アイルランドについて、ちょっと調べてみた。
1937年にアイルランドがイギリスから独立。英国に残った北アイルランドでは、英国からの分離とアイルランドへの併合を求める少数派のカトリック系住民と、英国の統治を望む多数派のプロテスタント系住民が対立。60年代後半にはカトリック系武装組織IRAとプロテスタント系武装組織UVFを中心とした大小のテロ組織の暴力の応酬が激化、犠牲者は3200人を超える。そして、1998年に包括和平合意が成立する。



物語は1981年。
イギリス人にとって大きな事件があった。チャールズ皇太子とダイアナのロイヤルウェディングがあり、ヨークシャーリッパーが裁判にかけられた年。アイルランド人にとっても大きな事件があった。ハンガーストライキでIRAの指導者のひとりボビー・サンズが刑務所で餓死、少数派のカソリック系住民たちの怒りは沸点に達し、石つぶてと火炎瓶が飛び交い、特製水銀爆弾の恐怖が蔓延する北アイルランドで、王立アルスター警察隊に刑事として奉職しているショーン・ダフィ巡査部長は同性愛者連続殺人を追う。
被害者の手首を切りおとし、肛門に<ラ・ボエーム>の楽譜を突っ込んだり、<地獄のオルフェ>の楽譜を握らせたり、警察を挑発する内容のハガキを送りつける変態殺人鬼に心理学の学位を持つインテリ巡査部長は興奮を覚える。テロと殺人が日常茶飯事の北アイルランドで、まともなシリアルキラーを追えることを喜ぶダフィだったが、事件は被害者の一人がIRAの大幹部であったことが明らかになり、IRAとUVFからも目をつけられ、複雑な様相を呈し始める。
一方でカトリック系家出娘の自殺を調べることになるダフィ。持ち前の懐疑主義を発揮し、殺人の疑いをもつようになるのだが、進まない連続殺人の捜査に要らない事にまで首を突っ込もうとして上司からお叱りをうけることになる。やがて、むしゃくしゃして色んな場所でちょっかいを出した結果、今度は命を狙われるようになる。



たとえて言うなら、戦前戦後のベルリンを舞台にした初期ベルンハルト・グンター・シリーズと妄想推理を乱れ打つモース警部シリーズを掛け合わせたような感覚だ。上司のブレナン警部がクロスワードパズルの答えをダフィに聞くシーンなんてデクスターを意識しているんじゃないかと思う。
ダフィはカトリックなので、プロテスタント系住民から白い目で見られ、IRAからは体制側につく裏切り者として見られる。普通ではない社会に身を置いても腐らず、つらい目にあっても茶目っ気とはったりで切り抜ける姿に好感を覚える。また、ダフィは夢想家なところがあり、楽譜の歌詞や手紙に移った筆圧の文字から妄想が膨らみ、刑事の直観のような推理をくりだし、独りで盛り上がったりする。



事件は、思わぬ横槍が入り有耶無耶なかたちで終結するが、どうしても落とし前をつけたいダフィは単独で犯人と対峙する。犯人をめぐる皮肉な展開はなんともイギリスミステリらしい。遠い寒い国に行く者もいれば、近場の寒い場所に派遣される者のいるわけだ。



作者のエイドリアン・マッキンティ氏は音楽がたぶん好きな作家なのだろう、クラシックからロック、果てはスティーヴ・ライヒのような現代音楽作家の名前まで登場する。私もライヒは結構好きでアルバムを持っている。作中で紹介されていた曲はたぶん「クラッピング・ミュージック」のことじゃないかなと思う。
余談だがライヒの異父弟は作家のジョナサン・キャロルだったりする。
表題のタイトルもトム・ウェイツの歌詞に由来するようだ。こういう好きなミュージシャンの楽曲を作品に織り込む傾向は結構海外ミステリ作家に多いと思う。

昔、ちひろ美術館にたまたまに出かけた際に赤羽末吉さんの企画展があったのでみた。名前は知らなかったが『スーホの白い馬』の作画の人だった。調べてみると1980年、国際アンデルセン賞を日本人として初めて受賞した人。赤羽さん、実はスゴイ人だった。



日本画家からアメリカ大使館に勤務など紆余曲折を経て絵本作家に転身した赤羽末吉の画風は墨絵や大和絵が中心。担当する絵本の作画内容や自身のオリジナル絵本も昔話、古事記や平家物語など和風のものが多い。展示されていた雪の情景や戦乱の絵、迫力ある鬼たちなど大人も楽しく鑑賞できる素晴らしいものだった。しかし、そんな赤羽末吉展でひときわ異彩を放っていたのがこの『おへそがえる・ごん』だ。



赤羽晩年のオリジナルシリーズ絵本。伝統的だがポップ、コミカルにしてプリティ。そして、絵本にしては120ページ前後の厚さが3冊と規格外の大作。ひと目で気にいった。


押しボタン式のキュートなへそを押すと怪しげなスモッグを吐き出す不思議なかえる、ごん。愛刀のへそかき棒を腰に携え、人間の子供けんや、両手のある蛇どんと旅に出かける。旅の目的は戦に駆り出されたけんの父親を探すこと。道中にはぼんこつやまに棲むみどりの狐とあかい狸(どん兵衛と逆の色使いだ)、村から女子供を連れ去るおにのさんぞく軍団、戦にあけくれる殿様たちといった悪役が登場。仲間と協力して奇想天外な方法で悪党を懲らしめていく。


絵をみればわかるように国宝、鳥獣人物戯画のかえるがモデルになっている。ゆるーいタッチで楽しいしかわいい。文もゆるーくて面白い。


「鬼の赤羽」の異名をもつ作家の鬼はこんな感じ


『源平絵巻画集』などで描いた戦の描写は本作にもでてくる。


3冊セットで買うのは結構な出費だが、本棚に入れて置きたい素敵な絵本。



ミステリとメインストリームの中間を狙った感じの小説。


1972年末、英国南端のコーンウォールの絶海にメイデンロック灯台から3人の灯台守が忽然と姿を消した。灯台は内側から施錠、食事も手つかずのまま、時計はすべて8時45分で止まっていた。当時このミステリに様々な憶測や推理が流れたが、灯台を管理する公社〈トライデント・ハウス〉は調査団を立ち上げ、前科者の灯台守が感情を爆発させ二人を殺し、自らも海に消えたと公式見解を出し、事件の幕引きを図る。
それから20年後、1992年ある海洋冒険小説作家ダン・シャープがこの未解決の失踪事件に光を当てた小説を書こうと、灯台守の家族、当時の恋人たちへの取材を開始する。


本書は実際に1900年にイギリスであった海難事件に着想を得ているそうだ。しかし、レーベルがクレスト・ブックスですから、あくまでメインストリームな小説。消失事件の謎解きやホラー幻想の雰囲気はあるがそれを全面に出さないで、事件にまつわる関係者の思いが物語の中心になっていく。作者は本書前に別名義でエンタメ小説を書いていたようで、残された関係者たちの秘密や思惑、過去が明かされていく展開はミステリを読むような感覚で引き込まれる。個人的には子供を亡くす親の話に弱くなっているので、こういう話を読むと辛い。


本書は1992年の物語と1972年の灯台守たちの運命の日までの生活が交互に描かれ、失踪事件の「真相」が明かされているような形にはなっている。
しかし、1972年の物語が作家が書いた原稿であるならば「百通りか、もっとあるかもしれない」物語の一つに過ぎないことになる。この「真相」は関係者の一人ヘレン寄りの内容で、もう一人の関係者ジェニーが読んだら激怒するものだ。作家もヘレンに「あなたの本」と言っているから、やはり読者は作家の書いた「真相」を読んだことになると思う。


現実は「藪の中」だらけで真相が分からない話が多い。本書の場合、死体もないので藪の中どころか、さらに広大な「海の中」になる。海レベルだともう「真相」なんて選びたい放題な状態だ。
しかし、作家やヘレンはあえて「真相」を選ばない。選ぶことで霞んでしまう真相があるならいっそ選ばないで、それぞれの真相の光をそのままにしようとする。



ミステリの文脈でいえばオープンな多重解決物といったところか。思慮に富んだ結末は、唯一無二の解決を知ってスッキリしたいなんて欲求を吹き飛ばす。読後は爽やかで穏やかな気分になる。


読んでいてフランスのラ・ジュマン灯台を思い出した。激しい波濤にさらされる幻想的な灯台でもくもくと働く男の姿をとらえた写真は惹きつけられる。





イーアン・ペアーズの代表作『指差す標識の事例』は、四部構成になっており、それぞれが一冊の長編並みの長さになっている。文庫上下巻二冊で1000ページ近くするので、思っていた以上に読むのに時間がかかった。久しぶりに歯ごたえがある小説読んだなという気分。17世紀、支配者がかわる動乱の時代で魔女狩りや占星術の迷信と近代科学の萌芽が混在するイングランド、オックスフォードに読者を誘う重厚で、ロマンティックな歴史ミステリだ。



独裁者オリバー・クロムウェル亡き後、王政に戻りチャールズ二世が統べる1663年のイングランド。学問の街、オックスフォードで大学教師ロバート・グローヴが砒素で毒殺される事件が起きる。疑われたのは下女のサラ・ブランディ。病に伏せる母を助けて欲しいと懇願するも断られたことを恨みに思っての犯行と思われた。サラは数々の状況証拠から裁判で有罪になり、絞首刑の後、火あぶりとなった。傍で事件の流れを見てきた関係者たちは各々、手記で当時のことを回想する。ヴェネツィアから来た医学に心得のある青年、父親の裏切り者の汚名を雪ごうとする息子、暗号解読の達人にして陰謀好きの幾何学教授、そして、「事実」の収集を心掛ける学者。食い違う主張がぶつかり、読者は少しづつ認識を補正されていく。



第一の手記「優先権の問題」

マルコ・ダ・コーラは父の命を受け悪徳商人からイギリスにおける商権を取り戻すために使わされるのだが、当面の生活と対策を練るためにオックスフォードのロバート・ボイルを頼る。その途中、彼は貧しい母親の病気を治すことでサラと知り合うことになる。母親を助けるために当時としては初めてとなる母娘間における「輸血」をリチャード・ローワーと秘密裏に行い、命を助けようとする。一方で、オックスフォードで生活し始め、知り合って間もなく死んだロバート・グローヴの死を検証に立ち会う。その死の原因が砒素で、購入したのがサラであり、事件当時のグローヴの指輪を盗んだことが明らかになる。やがて、裁判でサラは死刑となり、ローワーによって無茶苦茶に解剖される。死者を冒涜したローワーと決別し、コーラはヴェネツィアに帰ることになる。



第二の手記「大いなる信頼」

オックスフォードの法学徒であったジャック・プレスコットは、第一の手記をローワーから手に入れ、在りし日の冒険を認める。

王党派として戦っていたが、敵方と内通する暗号文を差し押さえられ、裏切り者として告発された父親ジェイムズは海外に逃走し死んだ。一族は土地や財産を没収された。父親の無実を証明し、プレスコット家の再興を願うジャックは奔走、父親を嵌めた陰謀の全貌が見えてくる。その過程でプレスコットはサラを手籠にした上、親友トマス・ケンがグローヴとの争いを有利に進められるようにサラとグローヴのふしだらな密通の噂を流す。怒ったサラは呪いの言葉を吐きプレスコットはだんだん調子が悪くなり、サラの抹殺を決意。折しもトマス・ケンがグローヴの死の現場にいた事を目撃したプレスコットは彼をかばうためサラに罪を被せる。



第三の手記「従順なる輩」

クロムウェル時代はジョン・サーロウに、チャールズ二世時代はヘンリー・ベネットに仕え、体制転覆をはかる破壊者の監視を続けるジョン・ウォリスは独自の諜報活動のなかで、以前から怪しいと睨んでいたマルコ・ダ・コーラ宛ての一通の解読不能の手紙を入手する。それは折しもジェイムズ・プレスコットが、議会派に内通し王党派を裏切った際に通信に使用していた暗号文書と同じ様式であった。ある時は医学をかじった学究の徒、ある時はトルコ人相手に勇猛果敢に戦った戦士、得体の知れないカトリック教徒コーラが、イングランドを揺るがす重大事件を起こすのでは? と疑惑を深める。やがてウォリスは、大いなる陰謀の世界を覗くことになる。裏の裏はもはや表という複雑なドラマのなかで、ウォリスは、コーラが自分を毒殺する為にワインに毒を仕込んだが、誤ってグローヴが飲んでしまったことを確信するもサーロウの見えざる力によって、サラの死刑に手を貸すことになる。



第四の手記「指差す標識の事例」

三つの手記に脇役で登場したある人物は、三つの手記を読み、それぞれの偽りと誤りを指摘する。コーラはある事を隠すために嘘を書いており、プレスコットは妄想に取りつかれ自分に都合のよい物語をつくり、ウォリスは知ったかぶりの陰謀について書いているが本当のことを知らない。第四の手記の書き手は三つの手記と自分の行為、見知った出来事をつなげていき「事実」を描こうとする。それは誰も想像しなかった愛と奇蹟、そして、決して世間には公表されない秘密についての告白だった。



ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』、ジョン・ファウルズ『マゴット』(これは若島正さんの指摘)、アガサ・クリスティ『五匹の子豚』をちゃんぽんしたような感じ。物語はフィクションなのだが、実在の人物が残した「手記」(四番目のは、死後に焼却が指示されている)という形式にすることで、モキュメンタリータッチになっている。それぞれの手記の書き手しか知らない意外なドラマが次々と明かされていく展開は面白いが、如何せん長い、長すぎる。



また、正直なところ王党派、議会派の対立、国教会と非国教会の対立などイギリス史の知識が乏しいので、十分に作品を楽しめたと言えない。本書最大の秘密である信仰とアイデンティティの問題についても、事の重大さは理解できるが、現代の日本を生きる私にはあまりピンとこなかった。しかし、ル・カレを代表するスパイ小説を生み出すイギリスの土壌はこういう歴史から来ているのだなと感じた。



ペアーズはこの作品以降、凝った構成の小説を書いているようだ。訳されるか分からないが、あまりに凝ったものを出されると、柔い小説しか読んでないので、こちらの「歯」がもたないかもしれない。

本書は、イギリスの架空の町フラックス・バラを舞台にした全十二作のシリーズの五作目。



伴侶に殺されるかもしれない、助けて欲しい。
救いを求める匿名の手紙が、警察署長、検死官、新聞社の編集主任のもとに届く。ただの手の込んだイタズラか? それとも本物のSOSか? やがて、時おかずして殺人事件が発生する。
被害者の女性は会社経営者の妻で、金魚を飼うために水を張った庭の浅い井戸に頭から突っ込んで溺死。両足には無理やり持ち上げられた痣があった。
女性のタイプライターを調べると匿名の手紙を打ったものと一致。さらに夫が事件当時にお粗末なアリバイを主張したことからパーブライトは夫が犯人だと見立てる。しかし、他の動機も捨てきれない。
被害者はフラックス・バラで慈善事業を幅広く手に出していた慈善家で、他の慈善団体と揉め事があった。パーブライトは彼女の残した手紙からその揉めていた団体の事務局長にミス・ティータイムの名前を見つける。
折しも、フラックス・バラにロンドンの私立探偵モーティマー・ハイブがやって来る。謎の依頼人〈ドーヴァー〉の指示の下、依頼人の妻の浮気相手を調査していた。色々な妨害がはいりながらも調査をやり遂げたのだが、依頼人の反応はいまいちで捜査の終了を宣言する。鬱屈としたハイブは、ロンドンに帰る前に旧知の女性ルシーラ・ティータイムを表敬訪問する。
かくして警察と探偵の線が女傑のもとに繋がり、崩壊した家庭のブラックな犯罪が浮かび上がる。


謎多きミス・ティータイムの正体は、話の節々からどうやらコンフィデンスマンだということが伺える。
それ故、彼女の友人でかつて別れさせ屋として活躍した私立探偵モーティマー・ハイブが「コンフィデンスマンJP」のダサいけど色男な五十嵐(小手伸也さん)の姿と重なり微笑ましかった。


ミステリとしても面白い。
手紙のトリックは巧妙だが不測の事態で不自然になってしまい、犯行の露見につながる。さらに犯人にとってついてないのが、モーティマー・ハイブが妙に生真面目過ぎたことで、計画そのものが瓦解してしまう。犯人がかわいそうになる。



論創社は引き続き〈フラックス・バラ・クロニクル〉を翻訳してくれるようだ。

特に気になっていたThe Flaxborough Crabを訳してくれるようだ。よろしくお願いします。



東京創元社から長編が二冊でているコリン・ワトソン。あまり話題にならず、あっという間に忘れ去れた感じがする。『愚者たちの棺』の解説で海外ミステリ研究家の森英俊さんは、ワトソンという作家は英国ファルスミステリの分野においてエドマンド・クリスピンとR・D・ウィングフィールドをつなぐミッシング・リンクだと指摘している。確かに二冊とも読んだが、人をおちょくるような結末で楽しませる。個人的には女衒や硫酸風呂といったお下劣なネタでジョイス・ポーターをイメージした。(パーブライト警部はドーヴァー警部のようなアクの強い人物ではないけど)


創元推理文庫では「フラックスボロー」になっているが、論創社では「フラックス・バラ」になっている。“borough”は市や町を表す古語であり、古くからある「自治都市」を表している。「エジンバラ」を「エジンボロー」と言わないから、確かに「フラックス・バラ」がいいね。


架空の町フラックス・バラを舞台にヘンテコな事件の数々をパーブライト警部たちが捜査するシリーズは全部で十二作品ある。シリーズ四作目の『ロンリーハート・4122』は森英俊さんがワトソンの最高傑作と褒める逸品だ。シリーズのもう一人のキーパーソン、ミス・ティータイムが初登場する作品でもある。


フラックス・バラで独身の中年女性が二人、貯金をおろしたり、資産を売って失踪する事件が発生する。パーブライト警部は失踪した女性の家で結婚相談所<ハンドクラスプ・クラブ>への小切手控えと結婚を約束する男性からの手紙を見つける。女性は結婚相談所の会員となり、ある男性とお付き合いしようと文通をしていたと思われる。そして、もう一人の失踪した女性も結婚相談所で知りあった男性と結婚する話を友人にしていた。ふたりの付き合っていた男は同一人物ではないか? そして金を騙し取られた挙げ句始末されたのでは? 謎の男を追いパーブライト警部たちは、結婚相談所<ハンドクラスプ・クラブ>を訪れ、数名の男性会員の名前を手に入れる。


一方で、フラックス・バラに一人の女性がロンドンからやってくる。ルシーラ・ティータイムは、新聞で<ハンドクラスプ・クラブ>の広告を見つけ、結婚相談所の門を叩き、男性会員の一人「ロンリーハート4122」と文通を始め、デートを始めるようになる。甘美な未来と薔薇色のロマンスを夢見るふたり。話はトントン拍子に進む。


パーブライト警部はミス・ティータイムが次のターゲットになるのではないかと考え、秘密裏に彼女を泳がせ犯人にたどり着こうと画策するのだが、事件は警部もロンリーハート4122も予期せぬ方向に転がっていく。


事件らしい事件があるのかどうかわからないまま、物語はあっという間に肥溜め(いやこれマジで)に向かってドボンだ。正直なところ何が「高度な技法」なのかは分からない。4桁と3桁の違いなどは標準的な伏線だし・・・。もしかしたら原文のニュアンスが絶妙なのかもしれない(訳者が点線つけている箇所とかかな?)。かなり悪辣な詐欺で、おそらく肥溜めに死体があるのかなと思うと陰惨な事件だ。しかし、それを一転させるのがミス・ティータイムだ。50歳過ぎて、白髪で身のこなしにキレよいこの女傑は、どうやらコンフィデンスマンのようなので、今回の犯人をおちょくるためにフラックス・バラに来たのかな・・・と思ったりもする。


翻訳の機会があるとすれば、これまたおバカな匂いが漂う『The Flaxborough Crab(フラックスバラの蟹)』を読んでみたい。論創社に期待しよう。



北欧ミステリはスリルも謎解きもあって楽しいのだが、血腥い話が多いような気がする。バイキングの荒ぶる血が現代のスリラー作家たちにそうさせるのか(なんて書くと差別だとか言われそう・・・)、スカンジナビア半島には個性的なシリアルキラーが跋扈する。デンマークに現れたのは「チェスナットマン」。本作は2020年バリー賞新人賞を受賞した。



コペンハーゲンの美しい紅葉に囲まれた秋の運動場で、片手を切断された若い母親の遺体が発見される。被害者はシングルマザーで、婚約中の恋人と同居しているごく普通の女性だった。現場には犯人の痕跡がなにもなく、手がかりはほぼ皆無だが、ただひとつ、遺体のそばに栗の実で作られた小さな人形“チェスナットマン”が残されていた。その人形からは、一年前に誘拐され、バラバラに遺棄された少女クリスティーネの指紋が検出される。少女の母親ローサ・ハートンが現職大臣だったことから警察の威信をかけた捜査が行なわれ、逮捕された男は殺害を自供、有罪判決を受け、精神病棟に収監されていた。
そして、休職していたローサが大臣に復職した頃から殺人が起こり、彼女を人殺しと糾弾する脅迫と嫌がらせがはじまる。過去の事件と現在の事件には繋がりがあるのか? 犯人の目的は何なのか? そしてクリスティーネはまだ生きているのか? 手がかりの少ない状況、政治的な思惑がからみなかなか前に進まない捜査を嘲笑うかのように犯人は子持ちの母親を殺し続け、刑事まで殺し、栗人形を置いていく。


事件を捜査するのは、コペンハーゲン警察重大犯罪課の男女のペア。トゥリーンは、幼い娘と暮らすシングルマザー。頭は切れるが、古い考えかたの上司や同僚に煙たがられる。そんな職場に嫌気がさし、花形のサイバー犯罪課への転属を願っている。相棒のヘスは、優秀だがユーロポールの上司の不好を買い、古巣に出戻ってきた捜査官。ユーロポールに返り咲く事しか考えていない。最初からまったく反りが合わない二人だが、ぶつかりながら事件解決を目指す。


600ページ近くあるが、スルスルと素麺を啜るように読めてしまう。テレビ脚本家だからか、場面転換やツカミが抜群に上手い。ジェフリー・ディーヴァーの太鼓判も納得。メインの猟奇殺人事件とサブの新たな誘拐事件が巧みにからみ、事件がモヤモヤっとした幕切れになるのだが、トゥリーンとヘスがそれぞれ独自に新たな手がかりを発見、捜査を単独で再開し、意外な犯人へ迫っていく件は、畳み掛けるような展開でワクワクする。特に栗の種類の手がかりは上手いと思った。終盤の無慈悲な仕打ちとアクションもいい。北欧ミステリの雄ジョー・ネスボの『スノーマン』を彷彿とさせる。


ドラマ『キリング』の脚本を手掛けたセーアン・スヴァイストロプの作家としてのこれからの活躍が楽しみだ。Netflixでドラマの方もエピソード6で完結している。