ここ数年お気に入りになった作家。
エイドリアン・マッキンティは最初<翻訳ミステリ大賞シンジケート>で島田荘司『占星術殺人事件』に触発されて、ノワールの作風でクラシックスタイルの密室殺人を書いちゃう謎解き大好きな変わり種の作家と紹介されたと思う。その後ショーン・ダフィ・シリーズが順調に邦訳され追いかけてきたが、謎解きよりもショーン・ダフィの語り口そのものが好きになった。個人的にはルヘイン、ブロック、リューインと肩を並べるくらいの名匠だと思っている。
舞台になる北アイルランドについて、ちょっと調べてみた。
1937年にアイルランドがイギリスから独立。英国に残った北アイルランドでは、英国からの分離とアイルランドへの併合を求める少数派のカトリック系住民と、英国の統治を望む多数派のプロテスタント系住民が対立。60年代後半にはカトリック系武装組織IRAとプロテスタント系武装組織UVFを中心とした大小のテロ組織の暴力の応酬が激化、犠牲者は3200人を超える。そして、1998年に包括和平合意が成立する。
物語は1981年。
イギリス人にとって大きな事件があった。チャールズ皇太子とダイアナのロイヤルウェディングがあり、ヨークシャーリッパーが裁判にかけられた年。アイルランド人にとっても大きな事件があった。ハンガーストライキでIRAの指導者のひとりボビー・サンズが刑務所で餓死、少数派のカソリック系住民たちの怒りは沸点に達し、石つぶてと火炎瓶が飛び交い、特製水銀爆弾の恐怖が蔓延する北アイルランドで、王立アルスター警察隊に刑事として奉職しているショーン・ダフィ巡査部長は同性愛者連続殺人を追う。
被害者の手首を切りおとし、肛門に<ラ・ボエーム>の楽譜を突っ込んだり、<地獄のオルフェ>の楽譜を握らせたり、警察を挑発する内容のハガキを送りつける変態殺人鬼に心理学の学位を持つインテリ巡査部長は興奮を覚える。テロと殺人が日常茶飯事の北アイルランドで、まともなシリアルキラーを追えることを喜ぶダフィだったが、事件は被害者の一人がIRAの大幹部であったことが明らかになり、IRAとUVFからも目をつけられ、複雑な様相を呈し始める。
一方でカトリック系家出娘の自殺を調べることになるダフィ。持ち前の懐疑主義を発揮し、殺人の疑いをもつようになるのだが、進まない連続殺人の捜査に要らない事にまで首を突っ込もうとして上司からお叱りをうけることになる。やがて、むしゃくしゃして色んな場所でちょっかいを出した結果、今度は命を狙われるようになる。
たとえて言うなら、戦前戦後のベルリンを舞台にした初期ベルンハルト・グンター・シリーズと妄想推理を乱れ打つモース警部シリーズを掛け合わせたような感覚だ。上司のブレナン警部がクロスワードパズルの答えをダフィに聞くシーンなんてデクスターを意識しているんじゃないかと思う。
ダフィはカトリックなので、プロテスタント系住民から白い目で見られ、IRAからは体制側につく裏切り者として見られる。普通ではない社会に身を置いても腐らず、つらい目にあっても茶目っ気とはったりで切り抜ける姿に好感を覚える。また、ダフィは夢想家なところがあり、楽譜の歌詞や手紙に移った筆圧の文字から妄想が膨らみ、刑事の直観のような推理をくりだし、独りで盛り上がったりする。
事件は、思わぬ横槍が入り有耶無耶なかたちで終結するが、どうしても落とし前をつけたいダフィは単独で犯人と対峙する。犯人をめぐる皮肉な展開はなんともイギリスミステリらしい。遠い寒い国に行く者もいれば、近場の寒い場所に派遣される者のいるわけだ。
作者のエイドリアン・マッキンティ氏は音楽がたぶん好きな作家なのだろう、クラシックからロック、果てはスティーヴ・ライヒのような現代音楽作家の名前まで登場する。私もライヒは結構好きでアルバムを持っている。作中で紹介されていた曲はたぶん「クラッピング・ミュージック」のことじゃないかなと思う。
余談だがライヒの異父弟は作家のジョナサン・キャロルだったりする。
表題のタイトルもトム・ウェイツの歌詞に由来するようだ。こういう好きなミュージシャンの楽曲を作品に織り込む傾向は結構海外ミステリ作家に多いと思う。