高校サッカーには名将と言われる指導者が何人かおり、以前は長崎総合科学大学付属高校サッカー部の小嶺忠敏総監督(元国見高校監督)を記事で取り上げました。

 

今回は静岡県の清水商業で長年監督をしている大瀧雅良監督を取り上げます。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀6や、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え(元川悦子著)」などに書かれていた内容を交えて紹介していきます。

 

大瀧監督も小嶺監督同様に、サッカー界では知らない人はほとんどいないと思います。高校サッカーにあまり詳しくない人でも、名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

 

清水商業は学校の統合により、清水桜ケ丘と校名を変えています。現在でも引き続き大瀧監督がサッカー部を率いています。

 

監督としての主な戦績と輩出した選手は以下の通りです。教え子には日本を代表する選手が何人もおり、名前を見れば錚々たるメンバーだというのが分かると思います。

 

【主な戦績】

・インターハイ:優勝4回、準優勝1

・全日本ユース:優勝5

・全国高校サッカー選手権:優勝3

 

【主な教え子】Jリーガー:73人、日本代表(候補含む):19人)

・風間八宏、江尻篤彦、三浦文丈、藤田俊哉、名波浩、山田隆裕、望月重良、平野孝、川口能活、田中誠、安永聡太郎、小野伸二、小林大悟など

 

大瀧監督は清水商業出身で、選手時代にはインターハイに出場して全国準優勝を果たしています。その後、拓殖大学を経て商業科の教師として母校に赴任しました。

 

指導者になったばかりの頃は、感情にまかせて選手を怒鳴り散らし、部員が激減して紅白戦も出来ない状態になったこともあったようです。

 

当時の清水は小学生からの育成システムが機能し始めて、有能な選手がどんどん清水商業にも入ってきていました。しかし、中々結果が出ず、清水商業には選手を潰す監督がいるという噂も立っていました。

 

赴任3年目に一人の選手が入ってきたことで、大瀧監督に転機が訪れます。その選手は風間八宏でした。高いテクニックを持っているだけでなく、広い視野や高い戦術眼もあり、彼に教えるものはないと感じたようです。

 

それまでの指導方法では駄目だということを感じ、ただ教えるだけでは限界があることに気付きました。そして、選手に教えることではなく「考えさせること」に指導法を変えていきます。

 

選手たちも監督からの指示待ちだったのが、選手同士で話し合うようになっていきます。練習メニューも自分達で考えるようになり、夜間に自主練習を始めるようになりました。結局、風間が選手時代にも全国大会に行くことはできませんでしたが、徐々に成果が出るようになっていきました。

 

 

大瀧監督は練習中に気になることがあると、選手にどのような意図を持ってプレーしていたのかなどを尋ね内容的にも厳しい質問をします。しかし、答えは言わず、選手に考えさせ自分で答えを見つけさせるようにします。

 

キャプテンになった選手には、練習メニューやチーム全体のことを考えさせ、練習やチームの課題をノートに書いて提出させます。

 

こういったアプローチをすると時間もかかりますし、非常に我慢強くなければできません。実は答えを言ってしまった方が指導者としては楽なのです。

 

大瀧監督は自分で考えさせるということについて、「教えてもらったものは身に付かない。教えてもらうと、いざ勝負という時に何か教えてと頼ってくる。逆に自分で掴んだものは、どんなときでも忘れない。」と言っています。

 

その他にも、礼儀やルールを守るということと、衝突を恐れるなということを選手に言い続けています。礼儀やルールを守れなければ社会では通用しないということ、表面的な仲の良さよりも真剣な衝突が人を成長させると考えているからです。

 

また、大瀧監督は個を育てることを重視しています。何でも万遍なくできる選手よりは、大きな長所を持っていた方が、サッカー選手として生き抜いていけるからです。そのためにも、選手には自分を自己分析させて何が武器なのかを気付かせるように心掛けています。

 

 

大瀧監督は非常に厳しい指導をすることで有名で、試合に勝った後でも喜びを表すことはあまりなく、選手を戒めるような発言をよくしています。

 

大瀧監督が練習に現れると、選手の間には張り詰めた緊張が漂うようです。中には、大瀧監督が怖くて目を見られないと選手もいるようです。

 

正月になると、現役の高校選手だけでなくOBなども集まって初蹴りという行事が行われます。現役の選手やOB達は笑顔で一緒にサッカーを楽しむのですが、大瀧監督は選手とは一線を画し、OBであっても気安く話しかけられる存在ではありません。

 

しかし、選手に何かあったときには、大瀧監督は選手のために動くことを厭わないようです。

 

清水商業出身の大岩剛、望月重良、平野孝が監督との衝突から名古屋グランパスから突然解雇を言い渡されたことがありました。このことを聞いた大瀧監督は、すぐに名古屋に行きクラブに事情説明を求め、更に中京大学で一時的にトレーニングできるように掛け合いました。


 

フランスワールドカップ予選で加茂監督が更迭され日本代表が苦しんでいるとき、名波、平野、川口に向けてFAXを送り激励をしていました。

 

「苦しいときこそ楽しめ。ここであきらめるな。日本男児なら奮い立て!」

 

このメッセージを見て、名波と川口は見失っていた自分のプレーを思い出し、予選を突破してワールドカップ初出場を勝ち取りました。

 

 

清水商業が全国高校選手権で初優勝したときのキャプテンだった江尻篤彦は、家計への負担を考慮して大学に進学せず就職を希望していました。大瀧監督は「大学へ行け。必要なら月に3万円を送ってやる。」とまで言って、江尻の両親を説得しました。

 

 

また選手獲得のためには、直接選手に会いに行くことも少なくなかったようです。

 

安永聡太郎は山口県の中学校のサッカー部に所属しており、中学生の頃から全国的に名を知られている選手で、国見など他の強豪校からも誘いを受けていました。


大瀧監督は安永の自宅に電話で安永の意思を確認し、清水商業の話を聞きたいと言われると、その二日後には山口の自宅を訪れたので、安永は非常に驚いたようです。

 

小野伸二が清水商業に入ることを希望していると聞くと、沼津まで行き小野の自宅を訪ねました。それが決め手となり、小野は清水商業に行くことを決めました。

 

小野の才能はずば抜けていましたが、特別扱いをすることなく謙虚さを失わないように「自分に厳しくしろ」と常に言われていました。また、勝つことだけでなく質にこだわり高いレベルを目指すように意識付けをしていました。

 

日本代表がワールドカップ初出場を決めた翌日、大瀧監督は高校三年生だった小野を呼んで「お前はフランスワールドカップ出場を本気で狙え」と言います。

 

まだプロにもなっていない高校生にこんなことを言うのは驚きですが、その言葉通り小野はフランスワールドカップで試合に出場することになりました。

 

川口が中学三年時に試合で骨折をしたときには、病院を紹介して連日見舞いに訪れていました。また、何度も川口の自宅に足を運び、熱心に勧誘していました。

 

 

安永は、引退後に日本サッカー協会が全国の小学校で行っている「ユメセン」のスタッフとなり、全国800校以上の学校に行き多くの子供たちと接しています。

 

その活動を始めた頃、大瀧監督にその報告をするために会った時、子供が言うことを聞かなくてつい怒ってしまったことを話したようです。すると「怒っているうちは二流三流だ。子供たちが机の下で足を組んでいるのが恥ずかしいと自分で気付くような言い方ができたら本物だな。」と言われました。

 

その言葉を聞いてから、子供のタイプを見極めながら、その時の状況に合わせて子供へのアプローチ方法を変えなければいけないと安永は気付いたようです。

 

 

サッカーを取り巻く環境が大きく変わる中、大瀧監督自身が新たな刺激を得ようと様々なことにチャレンジしていました。

 

ブラジルなど海外への遠征や外部から指導者を招き、自分とは違った価値観を取り入れて新たな視点を持つように心掛けていました。

 

1980年代後半には、ブラジルからコーチを招いて一緒に選手を指導することを始めました。また、いち早くフィジカルコーチを招聘するなど、常に新しいことを取り入れることに非常に貪欲でした。

 

川口が清水商業に入学すると、川口を育てるためにブラジルのプロチームからGKコーチを招聘しました。今でこそJリーグでも各チームにGKコーチがいますが、当時日本サッカーのトップリーグだったJSL(日本サッカーリーグ)で、GKコーチがいるチームはほとんどありませんでした。

 

このように、大瀧監督は選手が成長できる環境を作るために、先進的な取り組みを数々行っていました。そして、サッカー選手として成長することよりも人間として一人前になることを重視して指導しています。

 

洞察力を鋭くし感性を磨くことが、結果的にはサッカー選手としても成長することに繋がっていきます。

 

 

大瀧監督の指導は、選手育成だけでなく、教育や子育てにも参考になることが多くあるような気がしました。


(関連の記事)

○W杯で日本はグループ突破できるか?
○ブラジルW杯での選手以外の日本代表
○勝負に拘るドイツとイタリア、内容に拘るオランダ
○世界に誇る日本の技術(1)
○世界に誇る日本の技術(2)
○結果も内容も求められるブラジル、スタイルを模索中の日本
○腰が引けた戦いだった日本代表
○イングランドとフランスも勝負強さに欠けている
○グループリーグ突破が厳しくなった日本
○コロンビア戦で日本代表に期待すること
○日本はグループリーグ敗退
○アジアの出場枠減がアジアのレベルを上げる?
○日本サッカーはまだ世界トップとは差がある
○決勝ではアルゼンチンが負けることを願うブラジル
○ワールトカップもいよいよ決勝
○W杯ドイツ優勝を移民推進に悪用する朝日新聞
○日本がやりたいサッカーは、日本ができるサッカーではなかった
○サッカー日本代表の新監督が決まりましたが・・・

○国際的なスポーツ競技連盟の本部がスイスにある理由
○欧州サッカーがJリーグを見習う?
○日本サッカーを支えた高校サッカーの名将(小嶺監督)


こちらをクリックしてください!