昨日から全国高校サッカー選手権大会が始まりました。Jリーグができてからは、有望な選手の多くがJリーグのユースチームに行ってしまい、高校サッカーには良い選手が少なくなったと言われています。20歳以下や17歳以下のような年代別代表の選手は、大半がJリーグのユースチーム所属や出身の選手で占められています。

 

しかし、日本代表には多くの高校のサッカー部出身の選手がいます。ブラジルワールドカップの代表メンバー23人中13人が高校サッカー部出身でした。主力と言われた、長谷部、遠藤、大久保、本田、岡崎、長友、内田、今野、川島などは高校のサッカー部出身です。

 

日本のサッカーを支えていたのは、まさに高校サッカーの指導者達でした。今でこそJリーグがあり、ワールドカップに日本代表が出場してサッカーへの関心が高くなっていますが、以前はワールドカップ予選の結果をほとんどの人が知らない時代もありました。

 

おそらく、ドーハの悲劇があった1994年アメリカワールドカップの予選から、日本代表の戦いを見始めた人が多いのではないでしょうか。その前のイタリアワールドカップ予選の日本代表の戦績を知っている人は非常に少ないと思います(一次予選で北朝鮮に次ぐ二位となり予選敗退)。

 

そういったサッカー冬の時代から、高校サッカーの指導者として日本のサッカー界を支えた名将が数多くいます。その中には、今大会に指導者として臨んでいる人がいます。今日の記事では、長崎総合科学大学付属高校サッカー部総監督として参加する小嶺忠敏監督のことを調べましたので、少し紹介します。

 

 

【主な戦績】

・インターハイ:優勝6回、準優勝2

・全日本ユース:優勝2回、準優勝2

・全国高校サッカー選手権:優勝6回、準優勝3


【主な教え子】Jリーガー:68人、日本代表:10人)

高木琢也、永井秀樹、三浦淳宏、大久保嘉人、徳永悠平など

 

 

小嶺監督は島原商業や国見高校などで監督を務め、14回の全国大会優勝果たしました。社会科の教師であり、国見高校では校長も務めていました。

 

小嶺監督が大学を卒業して島原商業で指導者としてスタートしたときは、部員が13人しかいませんでした。その頃は、九州のレベルが低く全国大会の初戦で負けることが当たり前でした。

 

チームを強くするために、島原以外から生徒を集めて自宅に下宿をさせ、小嶺監督の奥さんが生徒の世話をしていました。遠征に行くために大型免許を取得し、建設会社や幼稚園などからバスを借りて、自ら運転して関西や静岡など全国に遠征をしてチームを鍛えました。

 

国見高校に赴任すると、病院を借り上げて選手寮を確保し、小嶺監督の奥さんが寮母を務めて生徒の面倒を見ていました。その奥さんも選手の送迎をするために大型免許を取得したようです。

 

そして、私財を投じてマイクロバスを購入し、島原商業時代と同じように自らバスを運転して全国に遠征してチームを鍛えました。

 

指導内容は厳しく、国見高校出身の大久保(川崎フロンターレ)は「血ヘドを吐くようなきつさに逃げそうだった」と言っています。

 

厳しい練習を課されていましたが、選手たちは小嶺監督を勝たせたいと思っていました。教え子の永井秀樹選手(東京ベルディ)はこんなことを言っています。

 

「俺ら、遠征は全部、小嶺先生の運転するマイクロバスで行ったんですよ。会場まで行く。試合をする。帰る。俺らは熟睡してる。時々目を覚ます。先生の背中が見えるじゃないですか。あの人も疲れてるはずなのに、何も言わずにハンドルを握ってくれてる。それも何十時間も。あれをみて、この人のためにって思えなかったら男じゃないでしょ。」

 

ちなみに、長崎から静岡まで行くと片道で約1,000という距離になります。余程の情熱がなければ、できないことだと思います。

 

数多くの選手を育てましたが、モンテディオ山形の小林伸二監督や前橋育英の山田耕介監督など、教え子も名指導者になっています。

 

 

国見高校については、そのサッカースタイルを批判する人が少なくありませんでした。徹底して体力面を鍛え、走力と当たりの強さを活かして手数をかけずにゴール前に放り込み、力ずくでゴールにねじ込み、クリエイティビティが感じられないと酷評する人もいます。

 

選手の将来を見据えた指導ではなく、勝つためのサッカーをさせて選手の個性を潰しているという批判もありました。

 

しかし、実際には小嶺監督は選手を型にはめず、選手の個性を考えて選手の持ち味を活かすサッカーを心がけて指導していました。

 

平日の朝には体育館で2時間練習をしていましたが、ミニゲームやパスゲームが中心でした。ミニゲームでは積極的にドリブル突破をして、どんどんシュートを打って得点を競わせます。パスゲームでは10本パスがつながったら1点というルールで、出来るだけボールをつなぐようにしていました。その練習中は、指導者が一切意見を言わずに選手の好きなようにプレーさせていました。

 

小嶺監督は、選手の個性を伸ばすために大切なことは、練習や試合で一度や二度失敗しても安易に叱らないことだと言っています。若いコーチは選手が失敗するとすぐに声を荒げてしまうようですが、小嶺監督はそういうコーチに対して、あまり叱らないように注意していました。

 

上手い選手ばかり作ろうとしている現在の育成現場に対しては、不安を感じているようです。技術は時間をかければ身に付けることができるが、足の速さや身長の高さなど鍛えても身に付かないような能力は重要だと考えているからです。100m13秒で走る上手い選手をいくら鍛えても11秒で走れるようにするのは無理でも、11秒で走れる下手な選手を鍛えて上手くすることはできるからです。

 

国見高校には中学時代に有名だった選手は少なく、高校で鍛えられて成長した選手が多くいます。無名だった選手を鍛えて個性を伸ばすことができたのは、選手の将来を考え、長い目で選手のことを見る我慢強さがあったからではないでしょうか。それがJリーガーの出身校別で第二位となる67人という結果を生んだと思います。

 

日本サッカーが発展するためには、まだまだ小嶺監督のような育成年代のスペシャリストの力が必要だと思います。


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