仙台藩町家の特徴(1)
● ★土蔵造り店舗を持つ旧仙台藩領の町家遺構の多くは、奥に長い屋敷の前面に、間口の一端部をあけて、瓦葺き2階建てで前方に下屋を通し、通りに向かって平入り店舗を建て、これと鍵型・L字状かつ曲屋的に奥に向かって別棟の主(母)屋を接続する。別に間口の端にあたり主屋に至る店脇の屋敷入口には門(間口の狭い家は木戸)を設け、屋外の前庭を経て、主屋の土間入口や屋敷奥への通路とする「前庭通行式(外通路式)」であり、一部の宿駅機能を持つ町家以外は旧仙台藩領内の場合に限り、ほとんど全ての町家が屋敷間口の大小を問わず「前庭通行式」を採用し、いわゆる「通り土間」「通り庭」は見られない。(草野和夫「東北民家史研究」中央公論美術出版、平成3年、p.63、p.362)★
● 近似の例は、旧会津藩領の在郷町であった喜多方の町家の例(同p.63)
● 仙台領内の小城下町・村田の詳細な記録(同p.356‐363)および藤沢の間取り図(「宮城縣史(復刻版)」昭和62年p.36、原本は昭和31年)
● 「通り土間」が無い理由は、仙台付近が東北地方の中でも少雪地帯に属しているので、必然性がそもそも無いことが、草野(既出p.63)によって理由付けがなされているが、小倉(小倉強「東北の民家」相模書房、昭和30年p.150)によると、積雪地でない地方でも「通り庭」を持つものがあり、古くから京阪地方の町家で行なわれているので、その文化の流れが地方に分布したものであり、確かに宅地幅(間口)がきわめて狭い場合に自然に行なわれる工夫として、特に深雪地では「外通路」方式では通行困難となるので家の中に不文律として隣家との 入会 で通路を設ける必要性を有するが、仙台に「外通路方式」以外見られないという事実は、「文化系統の上からも(同p.154)」議論すべき事項だと指摘している。
● 上記事項について補足すると、吉田靖監修(「民家と街並み」山川出版社、平成13年p.42)において、一般的な町家は「通り土間」脇の表側を店にするのが普通だが、江戸では「通り土間」は造らず、道路面の前面すべてを土間にしてその奥に店を開く形式が多く、住居はその奥に別棟で造ることを指摘しており、仙台との近似性を発見できる。したがって、仙台は上方よりもむしろ江戸の影響が大きい文化系統に属するものと考える。
● ちなみに、仙台周辺とそれ以外の東北方面の町家を比較した例が小倉(既出p.151)によって示されているが、店と主屋が一体構造で「土間通路」を持ち、京町家における大きな特徴とされる「中庭」「坪庭」によって採光・通風を得る秋田(旧秋田藩)の例や、天井の一部分を吹き抜けとした「天窓」を設けた本宮(福島県・旧二本松藩)の例が挙げられている。
● また、東北地方の町家研究において特に有名な「こみせ」を持つ旧津軽藩(弘前・黒石方面)の例は、草野(既出p.327)によって図示されているとおり、豪雪への対策として、屋敷内においても「通り土間」のスペースを大きめに採る例、主屋から蔵まで「通り土間」で接続されている例、また仙台の典型的パターンの様に店と主家が別棟になっているのに対して、津軽では京町家のように一体型の建物であるという特徴が明らかになっている。
● 掲載写真【上】:宮城県柴田郡村田町(旧・仙台藩)
● 掲載写真【下】:
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