おれ野,プチプラお散歩日記♪   ▼CAMMIYA

お散歩したら 幸運を発見!×9999兆

*お知らせ 10/1東西線「早起き部」に入部しました♪
<快足輪行> 180710:圏央道「青梅トンネル」の上を歩く♪
<美賑地域> 180403:旧安中藩「郡奉行役宅」「武家長屋」
<適密明境> 180310:名水百選の街、隣村境界に何かある?

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>
2018年10月20日(土)

最後はジオラマ模型でガッテン!ガッテン!…日光街道「草加宿」

テーマ:■都市地域の「構造」を確認する

日光街道(旧国道4号)を行く

東京都道・埼玉県道49号足立越谷線(とうきょうとどう・さいたまけんどう49ごう あだちこしがやせん)は、東京都足立区から埼玉県越谷市に至る都県道(主要地方道)で、国道4号草加バイパスが1967年(昭和42年)に開通したのに伴い1973年(昭和48年)12月25日に都・県道に降格された路線。

このうち、写真の獨協大学前(東)入口交差点付近では、

現・県道49号に並行して旧日光街道の松並木が草加市北部の綾瀬川沿いに1.5kmに渡って続く国指定の名勝「草加松原」として知られ、

石畳が敷かれた遊歩道(草加市道9001号)が松並木に沿って整備され、車道と交差する箇所には跨道橋である百代橋や矢立橋が架けられており、遊歩道が連続性している。

以前は1982年(昭和57年)まで松並木の中を上り車線が通っており、車の排ガスで松が枯れるという問題を抱え、都市計画街路事業により県道の下り車線側を拡幅して上り線を移設、河畔側の残余地に遊歩道を整備した

松並木の遊歩道は、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選定されている。

(埼玉県草加市松江1丁目にて本ブログ管理者2018.7.29撮影)

札場河岸公園(ふだばがし)

綾瀬川の河川激甚災害対策特別緊急事業の終了を記念し、平成元年度から平成3年度にかけて草加松原遊歩道の南端に整備された河畔公園。

かつての「河岸」の面影を今に再現し、

かつて賑わった舟運の河岸場が復元されているほか、

五角形の望楼や休憩所が建てられ、

望楼からは綾瀬川や草加松原が一望できる。

松尾芭蕉は「奥の細道」第1日目に当地を記した。

(埼玉県草加市神明2丁目にて本ブログ管理者2018.7.29撮影)

五角形の望楼と休憩所

草加松原遊歩道には県指定文化財「甚左エ門堰」や「松尾芭蕉像」また「正岡子規句碑」、さらには松尾芭蕉の「奥の細道」より引用され名前が付けられた太鼓型の2つの歩道橋「百代橋(ひゃくたいばし)」と「矢立橋やたてばし)」など観光スポットとしても見どころ満載!

(札場河岸公園にて本ブログ管理者2018.7.29撮影)

草加宿の北の拠点である「札場河岸」

札場河岸は、綾瀬川を利用した舟運に使われていた私(わたくし)河岸で、所有していた家が高札の立った場所にあり屋号が「札場」であったことからそう呼ばれているのだそうだ。

護岸工事で取り除かれた船着き場の石段を修復し

当時の雰囲気を再現している。

1992(平成4)年7月10日に、建設省(現・国土交通省)の手づくり郷土賞の「くらしに根づく施設」部門受賞した。

(札場河岸公園にて本ブログ管理者2018.7.29撮影)

おせん茶屋

旧日光街道「草加宿」宿場町内に整備された

宿場の雰囲気を漂わせた小公園。

茶店風の無料休憩所、高札を模した掲示板、公衆便所を設置。

草加煎餅の元祖とされる「おせんさん」に因み名づけられた。

(埼玉県草加市神明1丁目にて本ブログ管理者2018.7.29撮影)

清水本陣跡

草加宿は、享保年間(1716年-1736年)から発達し、天保14年(1843年)によると、南北12町(約1.3km)の規模となり、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠67軒(大2、中30、小35)、人口3,619人であったとされる。

これは、同じ日光道中の宿場のうち、城下町に併設されていた宇都宮宿と古河宿を除けば、千住宿、越ヶ谷宿、幸手宿に次ぐ規模であったそうだ。

本陣は、前期が大川家、後期が清水家であった。

両家は旧街道を挟んで斜め向かいに位置する。

(埼玉県草加市住吉1-13-9/本ブログ管理者2018.7.29撮影)

清水本陣(後期)と、大川本陣(前期)の位置関係

後期の大川家は、「打出」と言って

最初から幕府に縄打ち(宅地・農地の測量)をされた

“名誉ある家”の扱いをされていることがわかる。

(草加市立歴史民俗資料館の展示資料/本ブログ管理者2018.7.29撮影)

常設展示は撮影OK!

町割図からは、前期の大川家側に高札場があり、

後期の清水家側の隣家が脇本陣だったことがわかる。

草加市立歴史民俗資料館は

かつての市立草加小学校西校舎であった建物である。

少子化による学級数縮小に伴い再利用。

国の登録有形文化財にも指定されている。

□外部リンク参照

(埼玉県草加市住吉1-11-29/本ブログ管理者2018.7.29撮影)

宿場町の範囲は札場河岸~現市役所までの間

草加宿は、武蔵国足立郡にあった奥州街道および日光街道の宿場町の1つであり、現在の埼玉県草加市中心部に相当する。

宿場の位置は、現在の草加市役所の前に建つ地蔵堂付近から神明一丁目の草加六丁目橋付近までの、東京都道・埼玉県道49号足立越谷線(1937年(昭和12年)に新道として開通)の西にある「箪笥の取っ手状の道」となっている一帯である。

(草加市立歴史民俗資料館の展示資料/本ブログ管理者2018.7.29撮影)

「五丁目橋」跡

現在は市道に降格している箪笥の取っ手状“旧旧道”の

草加小学校前交差点を横切る細い路地が水路跡か?

この場所以外でも何箇所か

細い水路が街道を横切っていたことが

歴史民俗資料館の常設展示ジオラマ模型から読み取れる。

本陣がある中心部の“西裏”は「寺町」だったようだ。。。

(草加市立歴史民俗資料館の展示資料/本ブログ管理者2018.7.29撮影)

“近代都市計画”の模型も展示

草加駅前(東口)再開発も展示されていた。

改めて宿場町と河岸場の位置関係を見ると、

何となく近隣の春日部(粕壁)に似ているような気がする。

気のせいかなぁ???

(草加市立歴史民俗資料館の展示資料/本ブログ管理者2018.7.29撮影)

2018年10月18日(木)

教えてください!・・・何故?、この家に住んだら運気が下がった理由を、、、

テーマ:■日々の生活に“感動”を…

上京して、最初に住んだ部屋

風呂無し共同便所の4畳半1K北西角部屋だった。。。

家賃は格安だったけど、

何をしても報われない悶々とした日々を過ごしていた。

次に選んだのも北西向きの部屋

見映えは立派な

鉄筋コンクリートのワンルームマンションだったのだが、、、

なるほど確かに

ここまでの部屋選びは“凶相”だったことがよくわかる。

事実、頑張って他者よりも仕事できても

周りから認められない存在だったし。。。

さて、

ここからが

本題(?)です!

南東向きで広く陽当たりが良い「吉相」と思える物件。

UR都市機構の団地でやっと巡り会えて、

引越し吉方位(無難方位)鑑定を初めて採り入れた。

昭和40年代の古い団地だが、

中身は綺麗に(今風に)リフォームされており、

公共部分の管理も行き届いていて

やっと理想の住まいを見つけたと思ったのだが、、、

残念ながら。。。

元々の運気として持っていた仕事運の悪さが、

さらに悪化してしまったようで、

この家に住んでから

今まで以上に仕事が長続きしなくなってしまった

何をやっても定着せず、文字通り“迷走”って感じ。

私が主に世話になっている鑑定士さんによると、

マンション建築の5階以上はNGとのことで、

この部屋はまさに団地の5階にある。

まさか、それが原因か?

他の風水師だと、

たとえばタレントの「あばれる君」の例を出して、

5階こそが“出世部屋”みたいな事を言っているのだが、、、

次も風水に気を使って(?)南向き物件

日盤のみ吉方位を使って引っ越してきたが、、、

良かったのは最初だけ。

今まで他人を凌ぐ仕事をしながら全く認められなかったのが

突如、

管理的な職制ポジションに抜擢されたりもしたが、

結局、

その「好景気」も1年半しか持続しなかった。

また、何をやっても大成しない悶々とした日々が続く。

対人関係のトラブルも多かった。

入居期間の途中よりロフトに毎晩寝始めたのが悪かったかな?

(*図面間取り左右逆転)

今思えば、、、

最初の内覧時に、南向きとは言え

玄関を開けて一歩部屋を踏み入れた際に、

若干の陰気を感じた。

23区内で

駅近の物件にこだわり狭小物件の1階を選んだのが

凶となったのであろうか?

また、隣部屋の奴が

ハードロックを毎晩ガンガン大音量で流してくる等、

「レオパレスの壁」にも悩まされる。

よくよく考えてみれば、

ロフト部分が若干前に迫り出し、

最奥(北)部のキッチンや玄関の側まで光が届かない。

住む前までは、

そこまで深刻な問題だという認識は無かったのだが、、、

間近に迫る隣家の壁

最初は建物と建物の途切れ目なので、

陽の光が奥まで届くから大丈夫だと思っていたのだが・・・

事実、日照面での不満は然程感じてはいなかった。

さて、今回は?

今度の物件は、

若干南西向き(約10~15°くらい)に傾いているが、

南面は3m私道(舗装道路)があり、

西側は歩道付き6mの公道に面し、

南側3m私道を挟んだ南側の1戸建て狭小建売は2階建てで、

13:00頃に内見した感じだと日照面の不安は無いようだ。

(*図面間取り左右逆転)

さらに、このアパートは8世帯×2階建だが、

今回契約した部屋は

真ん中(左から4世帯目・中央階段室に隣接)の部屋。

室内もロフト部分の迫り出しが抑えられた9畳部屋だ。

実は、

このアパートは中央部に吹き抜けの階段室がある構造なので、

実際に内見したところ、

完全ではないもの「南東角に準ずる」ような感覚だった

(これが決め手の1つになり“仮押さえ”の書類にサイン)。

但し、中身は相変わらずの1K+ロフト物件だが、

いちおう間仕切りドアがあり水回りと分離されており、

主居室は9畳の広さがあるので

今回はロフトに寝る必要は無くなると思う(笑)。

しかしながら、

玄関に表札を設置する箇所が無いのが残念だ。

今回も決して吉相とは言えない

コストパフォーマンス最優先の物件だが、

今までよりは、

多少でも間取り的および土地の気が良好ではないかと思い、

 ほんの僅か少しでも良いから、今よりもよければ・・・

との考えのもとで今回の決断に至った次第だ。

今までの部屋が何故悪かったのか?

その理由を、

もし、本記事をご覧になっていらっしゃる詳しい方より

理論的な解説コメントを頂けたら幸いである。

2018年10月16日(火)

カレー屋の名物ラーメンとは、何か?

テーマ:├東京23区「駅近」ミニマリスト生活

神田明神(かんだみょうじん)

東京都千代田区外神田二丁目に鎮座する神社で、正式名称「神田神社」といい、神田・日本橋(日本橋川以北)・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。

旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。

現在は神社本庁の別表神社となっている。

また旧准勅祭社の東京十社の1社である。

江戸時代、江戸城増築に伴い慶長8年に神田台へ、さらに元和2年(1616年)に現在地へ遷座し、江戸総鎮守として尊崇された。

ここで行われる「神田祭」は江戸三大祭りの1つである。

(神田明神裏参道にて本ブログ管理者2018.7.21撮影)

妻恋坂交差点から蔵前橋通りを西へ

蔵前橋通りの側は正確に言えば「新・妻恋坂」で、

1本北側にある細い道が本来の妻恋坂である。

現在も当地(東京都文京区湯島3-2-6)にある妻恋神社(つまこいじんじゃ)は、創建年代等については不詳であるが、以下のような伝説が残っている。

“日本武尊が東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき大暴風雨に会い、妃の弟橘媛(弟橘姫命)が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救った。

その後、東征を続ける尊が湯島の地に滞在したので、郷民は尊の妃を慕われる心をあわれんで尊と妃を祭ったのがこの神社の起こりと伝えられる。”

江戸時代には「妻恋稲荷」と呼ばれ、関東惣社と名のり王子稲荷神社と並んで参詣人が多かったのだそうだ。。。

(蔵前橋通りにて本ブログ管理者2018.7.21撮影)

神田明神(神田神社)付近は「同朋町」と呼ばれていた

“この界隈は、かつて同朋町(どうぼうちょう)と呼ばれていました。同朋町の範囲は、現在の町名では外神田二丁目10~15番地と、蔵前橋通りをはさんで外神田六丁目1、2、3番地の辺りに相当します。

江戸時代の初めごろまで、神田神社にほど近いこの地区は、大きな寺が立ち並ぶ寺社地でした。ところが、「明暦の大火(振袖火事)」(明暦三年・1657)によって、神田一帯は焼け野原になってしまいます。
翌年、幕府は本格的な江戸の再開発に乗り出しました。その際、神田神社の裏門周辺は、御坊主衆の屋敷地に指定されたのです。さらに寛文十年(1670)には、町内に商人や職人が住む町屋も生まれています。


御坊主衆とは、江戸城内で将軍や大名など、身分の高い武士につかえた法体姿の案内世話役のことで、同朋衆とも呼ばれました。彼らのおもな仕事は、江戸城内の案内や茶、弁当の手配などでした。将軍が外出する際は、長刀をもって従ったそうです。
四人の上役を同朋頭(200石高)といい、この四人だけが将軍や老中、若年寄の用事を担当し、それ以外の御坊主衆は大名たちの用事を務めたとされています。
また、「南総里見八犬伝」で有名な曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、文政七年(1824)、九段中坂からこの同朋町に移り、天保七年(1836)までこの町の住人でした。”

(文面は現地案内板より引用/本ブログ管理者2018.7.21撮影)

清水坂下の交差点先に、目指す店があった

「カレーライス」と「中華そば」が同居?

どっちにしようか迷うじゃん(笑)

どっちも大好物です!って人が多いんじゃないかな?

(東京都文京区湯島2-2-1/本ブログ管理者2018.7.21撮影)

ご存知!第3回(2013年)神田カレーグランプリの優勝店

日乃屋 本店

営業時間 [月~土] 11:00~15:00 

*但し、カレールーが無くなり次第終了。 

定休日は、 日曜・祝日。

席数 19席 (カウンター11席、テーブル8席)。

店内は完全禁煙。

□外部リンク参照

(東京都文京区湯島2-2-1/本ブログ管理者2018.7.21撮影)

元祖カミナリそば(750円)

著名カレー屋だが、あえてラーメンを食べる(笑)

でも、

これもこの店のカレーに隠れた伝統人気メニューなのだ。

しかも、日乃屋の支店は近隣~近郊にたくさんあるけど、

「カミナリそば」は本店でしか食べられない!

ベースのスープは鳥がらと、魚介系の素材を使用し、

ピリ辛の味噌仕立てで提供。

山椒と胡椒の風味と味噌が見事にマッチした

強烈な印象のラー油味噌ラーメンに仕上がっている。

まさに、「新感覚な1杯」なのだ。。。

(東京都文京区湯島2-2-1/本ブログ管理者2018.7.21撮影)

肉厚のチャーシューが食欲を誘う。。。

モヤシもたくさん入って栄養満点!

モヤシは味付け無しの青臭いシャキシャキのまま、

軽く湯通ししただけものが入っている感じ。

肉厚チャーシューも味脂染み無く「素材のまま」載る。

ただし、食べ応え感は大いにある。

むしろピリ辛コッテリラーメンには、こういう素朴な味の自己主張が強くないチャーシューのほうが、スープ本来の旨味を引き立てるので相性が良いのかもしれない。

(東京都文京区湯島2-2-1/本ブログ管理者2018.7.21撮影)

やっぱりカレーも食いたいよね♪

日乃屋カレー 御徒町店

JR御徒町駅(南口)から47mの東側高架下にある。

 営業時間 11:00~22:00 日曜営業 (基本的に年中無休)。

店内はカウンターのみ18席。

ご飯大盛り無料の文字が嬉しい!

(東京都台東区上野5-27-1/本ブログ管理者2018.7.22撮影)

名物カツカレー(大盛り840円)

1口大に最初からカットされてトッピングされたカツが、

サクサクって軽~い歯触りで、

一度食ったら癖になりそう(笑)。

基本メニューよりも

若干スパイシーなルゥ(神田店系)が載っているとのこと。

カレーをご飯の上から全面に掛けるのが、

この系列全店・全メニューに共通したスタイルのようだ。

他の外食チェーンや洋食屋、カレー専門店でよくあるような

ライスとカレーがセパレートして供される様式とは

ビジュアル的に明らかに異なる。

でも、美味しかった♪ご馳走様!

(東京都台東区上野5-27-1/本ブログ管理者2018.7.22撮影)

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス