蘇った中心街、再生へのポイント3つ…地図上で巡る会津若松七日町の旅(17最終検討)*過去記事更新
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太郎庵「会津藩物語」
旧「黒川城」と呼ばれていた戦国時代を含め、会津地方を治めた殿様の居城である若松城(鶴ヶ城)における歴代城主の家紋がパッケージに描かれていました。
本ブログ管理者が手にした1枚・・・中身は3代目(1590~1598年)と5代目(1601~1627年)の城主であった蒲生氏の家紋の形で焼かれたゴーフレットが出てきました。
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歴代城主の家紋一覧(鶴ヶ城にて)
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濃厚な地場産の低温殺菌牛乳ブランドである「会津のべこの乳(□外部リンク参照)」を使用したチョコクリームが、絹のように滑らかに塗られて薄焼きの煎餅に挟まれたゴーフレットでしたぁ♪
★本ブログ内「会津若松市七日町」関連記事
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■地図上で巡る会津若松「七日町」の旅⑧【空き店舗補助条例編】
■地図上で巡る会津若松「七日町」の旅⑨【テナントミックス編】
■地図上で巡る会津若松「七日町」の旅⑫【昭和なつかし館・珈琲館「蔵」】
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周辺店舗の修景に触発されて豆腐屋さんだった店の跡に、外来観光客向けの土産物を扱うお菓子屋(支店)が進出
*本ブログ管理者自ら現地へ出向き2009.1.14撮影
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元々は米穀店⇒街並み修景に合わせて喫茶飲食に改装・業態転換した店舗の事例
*山寺米穀店■(本ブログ内過去記事)地図上で巡る会津若松「七日町」の旅⑦ 参照
*本ブログ管理者自ら現地へ出向き2007.9.9撮影
以上、これまで関連記事シリーズにてお伝えしてきましたとおり、本ブログにおいては、
旧越後街道沿いの玄関口として歴史ある商店街の衰退に対処するため、
歴史的建築物を活用し、
それと同時並行で
テナント/アイテム・ミックスを再構築 させるという商店街活性化手法による 「修景まちづくり」事業が今日まで展開されてきた
福島県会津若松市の中心市街地内に位置する七日町地区を事例として、
単に、街が綺麗になっただけでなく、
街にお金が落ちて、新たな産業≒雇用が生まれてきた一連の過程について、
おもにゼンリン住宅地図上における経年変化を中心に考察した結果を連続記事として企画し、説明してまいりました。。。
今回は、その「まとめ」と「最後に(ひとことだけ)」言わせて貰って、
本企画を締めくくりたいと思います。
(長々とお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます)
―まとめ―
(本ブログ内先行記事において)ゼンリン住宅地図の年次(経年)比較考察により、得られた知見の「まとめ」は以下の通りであります。
【1】
福島県会津若松市七日町通りにおける「まちなみ修景」は、普通の米屋さんが、飲食業へ業態変換することを足掛かりとして拡がってきました。
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結果として、今では、会津若松市を代表する観光スポットの1つであり、JR東日本(仙台支社)も、無人駅である七日町までSL(蒸気機関車)による臨時列車を運行するまでに(おもに)観光面で影響を及ぼす地区に成り上がっています。
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このことは建築物の修景だけでは「片肺飛行」(もちろん業種変換だけでも不足)・・・・・両者合わせてはじめて『成功』するということを示しているのではないでしょうか?
【2】
ご当地では現在、さらなる既存建築物の修景・改築(改装)・業態変換により、主に外来観光客を対象とした小規模な「個店」を中心とした商業施設が造られておりますが、
それら商業施設は契機となった最初の(元)米屋さん(↓地図中②)が在るJR七日町駅付近(七日町通り西側地域)を中心として増えてゆき、
今日では、メインストリートである七日町通り(現・国道252号線)と
逆T字路状に直交する路地(横丁・・・・・↓地図中③)方向へも拡大するなど、奥行きと幅を持ちながら、「街歩き」の魅力が拡がりつつある状況が見られます
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ゼンリン住宅地図「会津若松市2006年(1:1500)」×45%に本ブログ管理者加筆
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なお、当該地域内において、その後増加傾向にある業種・業態は、
飲食(とくに地場食材)系と、美術工芸・民芸・服飾系(とくにアンティーク骨董雑貨系と、
地場の素材を利用した服飾系のミニ・ブティック)であります。
【3】
以上のような経過で、会津若松市の七日町通りは、
「近隣商業の(都市の郊外化に伴う)衰退型」商店街から、
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「広域観光の(街の修景・業種業態変換に伴う)発展型」商店街へ
・・・・・・っと、脱皮に成功したのであります。
この事例は、同種の課題に取り組む地域における参考事例として取り上げる事ができるのではないでしょうか????。
―おわりに―
(本ブログ内で今回企画した連続記事に作成に当たって)
簡単な現地踏査を2007年9月9日に実施しておりまして、
その日の夕方(帰り際)、
上掲「米穀店改装の店」で呑んでいました。。。。。
さて・・・・・・
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修景、祭り、LRT、音楽/アートフェスタ・・・・・
これらは、確かに広報宣伝(契機)にはなるけど、
「その場限り」事例が多い中で
何か肝心なものを忘れてはいないか???
「夢」を語ることは否定しないけど、
私は、もっと現実的な面に眼を向けて行きたいと思います。。。
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「後の祭り」にならないように・・・・・・
(今のうちに言っておきます)
とくに、
この(↑冒頭写真の)店の経緯を知らない景観街づくり論者を、私は全く信用しません(できません)wwww
我々一般の会社勤め人が「転職」するときでも大変な苦労をする
(たとえば、イジメに遭うことは、余程のことがない限り、先ず避けられない)
普通の会社勤めであっても、
難癖を付けられ、理不尽な仕打ちを受けることに対して上手く逃げ回り、対応策で討ち返しながら立ち回り、長く定着することが、今の時代どんなに至難の業であることか、、、、
(昔とは情勢がまったく違う!)
・・・・・にもかかわらず、
自営で「定着」させていくことは、並大抵の努力では決して無かったことでしょう。。。。
一時だけ賑わっても、地域住民(商店街であれば、そこで暮らし店を構える商業者)にとって、何のプラスにもなりません。
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むしろ、寄付金やタダ働きだけを強要されて、逆にマイナスになることも多い
(以前、僕が勤めていた会社ではそうだった)
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だから、全国チェーン店なんかは、はじめから、そんな実態を百も承知で、地元に対する寄付や、地元から発せられる理不尽な要求を突っ撥ねているのである。
日常生活・・・・・
(この場合は、地域住人の「糧」)として定着してこそ、
はじめて、
地域が活性化したと言えるのではないでしょうか。
景観(だけ)で飯が喰えるのか?
祭り(だけ)で飯が喰えるのか?
LRT(だけ)で飯が喰えるのか?
音楽/アートフェスタ(だけ)で飯が喰えるのか?
・・・・・
もういちど
人間生活の「原点」に立ち返って考えてみて欲しいです。
だから
( くどいようですが、、、、、 )
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景観(だけ)でも地元民は飯が喰えないし、
LRT(だけ)でも地元民は飯が喰えないし、
祭り(だけ)でも地元民は飯が喰えないし、
音楽/アートフェスタ(だけ)でも地元民は飯が喰えない。。。。
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本当に地元にとって直接的かつ即効的にプラスになるのは(上記4点を「契機」「広報宣伝の手段」として上手に使い)
地場産品を地道に売り「地産地消」を拡大させながら、首都圏民から『外貨』を獲得する・・・・・・・・・・・という、宮崎「そのまんま知事」の姿勢が、まさに『正論』であると(自己の経験に鑑みて)思います。
景観・祭り・LRT・アート(音楽)フェスタなどは、
その戦略を考えるヒントや手段(の1つ)であり、
それ自体が「目的」ではない。。。。
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あくまでも、
その地域に暮らす人々の生計が第一義的でなければなりません。
(地場の物を外部に売らない限り、地域内には収入が入ってきません)
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収入が無ければ、地域内で暮らして行けません。
(生き延びることもできません・・・・・)
っと、
言う訳で・・・・
環境を守りながら
「地産地消」を拡大させ、
「外貨」を得ながら
地元雇用を維持する
・・・・・という街づくりでなければならないし、そのような都市計画・修景まちづくり・交通まちづくり論こそ「サスティナビリティ(持続可能な)」地域の発展につながる・・・
本ブログ管理者はそう考えます。
*参考資料*
サスティナビリティ「トリプルボトムライン論」・・・・・
持続可能な発展性を『経済的』『環境的』『社会的』側面から評価
・サスティナビリティの定義:前ノルウエー首相G.Hブラントラント氏による(1987年)
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・1992年リオネジャネイロ「環境と開発に関する国際会議」
・持続可能性にとって最大の問題=「貧困」の克服
:
■本ブログ内「サスティナビリティ」関連先行記事①
■本ブログ内「サスティナビリティ」関連先行記事③
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以上、
このような
(地図で表現されている地域の中に隠れている生活実態等の)
「予備知識」を入れてから、
現地をお歩きになられると、
「地図」を眺める楽しさも倍増するのではないかと思います。