皆さま、おばんです!
前回のブログで東北新幹線/陸羽東線の古川駅のことを書きました。
(よろしかったら前回のブログもチェックくだされ。)
【まったり駅探訪】東北本線/陸羽東線・古川駅に行ってきました。(前編)
大正2年に開業、今年で開業102周年目とされる古川駅ですけど、
実のところ、現在の駅舎は昭和55年に
新幹線ホーム新設に併せて造られたものでして、
それ以前の駅舎は陸羽東線の300メートル西側にあったのです。
しかも駅名は陸前古川駅。
駅名も違うし駅の場所も違っていると。
こうなりゃこの2駅は、完全に別ものだと思うのですが、
そう考えるのは自分だけかしら?
ちなみに昭和55年まで存在していた陸前古川駅は、
現在はコンテナ集配基地の
古川オフレールステーションに変わっております。
こちらは昭和50年に撮影された陸前古川駅です。
ホームや駅舎は完全に姿を消してしまいましたが、
土地の形状は全然変わっていないのがわかりますよね。
ならば、古川オフレールステーションを見れば、
陸前古川駅の遺構が残ってるのではないかと思った次第です。
陸前古川駅跡…というか、
古川オフレールステーションの辺りを歩いてみました。
まずはこちら、
古川オフレールステーション(以下、ORS)から見た現在の古川駅です。
柵が立ち並んでますが、これはORSに変わってから立てられたもので、
陸前古川駅時代はここに駅前広場があったはず。
ORSの正面から延びる道路、
陸前古川駅があった当時は古川駅前のメイン道路だったんでしょうね。
柵の外からORSを眺めてみましたが、
陸前古川駅の駅施設をすべて撤去した上でコンテナ置き場とした模様。
かつて陸前古川駅の構内だった場所に出来た駐車場からも
眺めてみたのですが…
元・東横インの東北インばかり気になっちゃいました。
ORSから現在の古川駅方向に歩きましたが
再びORSの正門に戻って、今度は反対方向の西側に歩いてみました。
枕木で出来た柵、
それと、これまた懐かしい感じの縁石を並べただけの歩道。
これぞ昭和の香り!
この柵、絶対に陸前古川駅時代からあったものですよね。
コンクリートブロックで出来た危険物倉庫が!
それだけじゃありませんのよ。
ハエタタキの残骸!
こんなモノで興奮できるなんてお前はアホかと言われそうですけど、
その昔、鉄道業務用の通信回線は
現在のような無線、GPS、地下ケーブルではなくて、
線路のそばに立てられた電柱を伝う通信線でやりとりしていたのですよ。
正式名称は架空裸線路支持柱でしたっけ?
こちらは北海道ちほく高原鉄道銀河線の廃線跡に残るハエタタキでした。
碍子の数は少ないですけど
ハエタタキですよね、これって!
ORSの周辺、探せばまだまだいろんなモノが見つかるかもしれませんね。
そうそう、陸前古川駅の写真を見て、もうひとつ気づいたことがあるのですが…
現在の古川駅がある位置にその昔、でっかな倉庫がありまして、
そこに繋がる貨物専用線とホームがあったみたいですが…
古川駅の陸羽東線ホームから現在も見える2本の線路、
どうもその専用線の名残りっぽいのですが、
こんな風に楽しめる駅、本当に魅力的だと思います。
…というか、こうして楽しめる自分、我ながらおめでたい性格だと思ふ。
陸羽東線
↑(小牛田駅)
↓(新庄駅)