皆さま、こんにちは!
陸羽東線・北浦(きたうら)駅です!
ここに訪れたのは9月15日のこと。
この日は小牛田駅前で飲み会がありまして、
待ち合わせ前に北浦駅に立ち寄りました。
北浦駅を見ていざ小牛田駅に戻ろうとしたところ、
時刻表を見たら、運悪くタイミングよく帰れる列車が無いの!
結局、駅前のタクシー屋さんにお願いして小牛田駅まで戻りましたが、
タクシーの運ちゃん曰く、
「この辺の人は、そんなヘマはしないよ。
ちゃんと列車の時間を調べてるもん。
さっきおたく、鉄道好きって言ってたけど、
まさか列車の時刻とか、調べてないんじゃないよね?」ですって。
反省しております。
行き当たりばったりの人生から抜け出せるよう頑張ります!
北浦駅は、起点の小牛田駅から陸羽東線に乗って最初に到着する駅で、
大正3年9月に開業しました。
列車の行き違いが可能な島式ホーム1面2線構造で、
南側(下り線側)に保線車両の留置線がありましたよ。
駅舎とホームは構内踏切で結ばれてますけど、
ホームに立つ「列車がきます ご注意ください」の看板に注目ください。
これ、元々は駅名標として使われていたモノなのでしょうけど、
はたしてどこで使われていたのでしょうね?
現在は無人駅になってしまった北浦駅ですが、
専用線要覧によれば、昔は貨物の専用線が延びていたようです。
各年の要覧をチェックすると、
戦後間もない頃から昭和30年辺りにかけ、
日東紡績株式会社までの専用線が掲載されておりました。
側線の距離はおよそ100メートルで、
手押し作業で貨車が押し込まれていたみたいですね。
ネットで調べても、北浦駅周辺に日東紡績工場があった記載はなく、
唯一の手がかりとなるものは古い航空写真なのですが、
北浦駅の構内がハッキリと見える航空写真は、
昭和50年に撮影されたものが唯一のようで。
古い木造駅舎が写る写真でしたが、よく見ると、
駅前側に緩やかにカーブする路盤跡っぽいものが見えるのですよ。
ひょっとしてこれが、日東紡績専用線だったのでしょうか?
この写真が撮影あれた時点でも、
専用線が廃止されてすでに20年近く経過しているのですが。
そしてもし、これが専用線の廃線跡だとしたら、
日東紡績の当時の工場の位置がわかれば、
専用線の位置もはっきりしそうですけど、
なんたって戦後間もない頃の話です。
帰りの列車の時刻すら調べることが出来ない自分にとっては、
到底、解読なんか出来ないネタなのかもしれませんね。
☆追 記☆ 平成30年8月13日
お仲間さんから戴いたコメントから、
昭和50年撮影の航空写真に写る側線は
農協倉庫に通じるモノであることがわかりました。
そうなると気になる日東紡績の専用線の件ですけど、
農協の側線は日東紡績の専用線を転用してモノではないかと。
昭和22年撮影の航空写真に紡績工場らしきものと、
そこに伸びる線路らしきモノが写り込んでましたよ。
この頃は田んぼ側にも側線があるので、
今では想像出来ないくらい賑やかな駅だったのではないでしょうかね?
陸羽東線
↑(小牛田駅)
北浦駅(平成24年9月15日)
↓(新庄駅)
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