皆さま、こんにちは!
陸羽東線・岩出山(いわでやま)駅です!
陸羽東線(当時の呼び名は陸羽線)の開通と共に、
大正2年に開業した駅でした。
現在の駅舎は昭和59年に新築されたもので、
それまで利用された駅舎は、
鉄道資料館「ポッポランド」として再利用されていることは、
以前のブログでも書いた通りです。
(こちらもチェックくださいね)
陸羽東線・岩出山駅のすぐとなり、鉄道資料館「ポッポランド」に行ってきました。
どちらかというと無機質な印象の岩出山駅の駅舎でしたが、
平成20年に催された
宮城ディスティネーションキャンペーンに合わせて改築され、
現在は正宗公をイメージした駅舎内に変わりました。
この回の宮城DCでは、駅の改装は陸羽東線の駅をが中心だったようで。
岩出山駅を列車で降りると、ホームの異様な幅の広いさに気づきます。
陸羽東線の輸送量を考えると、
このホームはちょっとスペックが高すぎるような気がしまして…
ふと、ホームの断面を見てみると、
おそらくは岩出山駅、開業当初は相対式ホーム2面2線構造であったモノを、
貨物の輸送量増加に合わせて
現在の島式ホーム1面2線構造に改良されたのではないかと、
自分なりに仮説してみました。
相対式ホームを島式にする際に、ホームを拡幅したのではないでしょうかね?
上の写真に写る駅舎側のブロックの列が、
廃止されたホームの遺構出と思うのですが。
常磐線の坂元駅は、水害対策でホームを嵩上げした際、
同様に相対式ホーム→島式ホームに改良されましたが、
常磐線・坂元駅の駅の様子です。
この辺のことは、資料が無く、確認は出来ませんでしたが、
いずれ調べてみたいと思います。
そしてもうひとつ、岩出山駅にまつわる謎がありまして…
岩出山駅から新庄駅側に100メートルほど進みますと、
鉄道線の分岐点と思われる遺構が残っているのですよね。
ちなみにこちら、昭和50年に撮影された岩出山駅の航空写真でした。
緑の線で記した部分が、駅から東方に進む道路なのですが、
そのカーブは明らかに、鉄道線のそれと思わせるモノなのですよね。
赤いラインが陸羽東線で、緑のラインが廃線跡を転用したと思われる道路。
貨物専用線の廃線跡かと思いましたが、
陸羽東線に専用線が存在した駅は、北浦駅、陸前古川(古川)駅、川渡駅で、
岩出山駅には専用線が存在してなかったのです。
となると、川砂利輸送のための砂利線?
こちらも気になってましたわ。
待合室に鳴子駅(現在の鳴子温泉駅)の表記が残っていたりと、
国鉄時代の遺構が満載の岩出山駅でした。
ポッポランドの立ち寄りは必至、お土産はかりんとうの一斗缶ですよ!
☆追 伸☆
岩出山駅から延びる廃線跡、
案の定、昭和30年代半ばまで使用されていた、
江合川まで延びてた川砂利を輸送するための砂利線跡でした。
訪問駅リスト(JR線)
陸羽東線
↑(小牛田駅)
岩出山駅(平成24年5月17日)
↓(新庄駅)