「グローバリズムは不可避説」は本当だったのか?(4) | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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グローバリズムの現状と分析

 「グローバリズムは不可避であったのか?」という命題に対して「それは全体主義やイジメが不可避であるから抗わない、という態度であるのならばそうだろうが、抗うというのならばそうではない」とやや主観的ともいえる結論を導き出しました。

 つまりは道徳や常識、そういった概念よりも長いものには巻かれるという価値観からすれば不可避であり、逆に道徳や常識などを大切にするというのならば不可避ではなかったと思えるわけです。逆説的な話ですが、グローバリズムが文化、伝統、習俗、常識などを破壊していくというのであれば、抗うとはそれらに依拠するより他にないというわけです。

 この場合、先に失われていったのが常識なのか、それともグローバリズムが蔓延して破壊されていったのか?というところが気になりますが、これは脇に置きましょう。

 

 現在は紛れもなくグローバリズムが蔓延り、20年~30年におよび先進国のボトム9割の所得が増えず、世界的な経済成長は1980年以前と比べて減衰しています。ここではこの分析に対して反論されるであろう主張も含めて、現在の世界の現状を端的に診断していきたいと思います。

後進国の所得があがったから、全体としては伸びている?

 「先進国の所得が伸びない、および減少している」という分析には必ず「しかし後進国などの所得は上がっている」「全体としては伸びているじゃないか」という反論がなされます。しかし最初にいわせていただくのならばそれは、世界市民という概念と同様の価値観でしょう。人道主義も結構ですが、国家というものをあまりに無視しすぎている詭弁というほかないと感じます。

 しかし上記の反論はこのような国家を軸とする考え方でなくても再反論が可能です。なぜならば後進国においても労働分配率の低下という減少は顕著に見られるからです。

 これは先進国vs後進国という対立軸ではなく、ボトム9割vsトップ1%という構図が明らかであるという証左でしょう。

 なおハジュン・チャンの統計によりますと1980年代以前の20年間と、1980年代以降の30年間では明らかに先進国、後進国を含めて経済成長率が鈍化、半減、激減であるというのはどの地域にも共通していることです。

 とするのならば「パイの拡大するとその恩恵を低所得層も受けられる」といったたぐいの言説は、それ自体は理屈としてはあっていても、そのパイ自体がグローバリズムで伸び悩んでいるという矛盾を抱えます。パイ自体が伸び悩んでいるのであれば、よしんば後進国の所得の拡大が起きていたとしても、それは先進国からの移転にしか過ぎないというわけです。

グローバリズムがイノベーションを生み出したのか?

 グローバリズムや自由貿易、ひいては自由競争は様々な場面で「イノベーションを生みだす」という誤解を招いており、一般論としてこれが語られることも多々あるでしょうが、明確な間違いであります。

 「創造的破壊」という言葉を創作したシュンペーターのいうイノベーションによる「破壊」とは、イノベーションによる「創造」なしには語れません。つまりたとえばスマートホンなどのイノベーションが起きたから、CDプレイヤーやカメラなどが市場から駆逐される、雇用の破壊を一方でもたらすという話であって、雇用の破壊をしたからイノベーションが生まれるという話では断じてありません。

 また自由競争する経済主体は個人、企業であり、いずれも国家という経済主体とは比べ物にならないほど規模が小さい。一部の天才のイノベーションをさも「自由競争が生み出した産物である」と大げさに語る人が多いですが、しかし自由競争とイノベーションを結びつける論理的な見解は殆どないというのが実情です。

 

 たとえば企業であれば自由競争において必要なのは「魅力的な商品やサービス」「コストの削減」などでありましょうけれども、魅力的なサービスや商品がポンポン生み出せるのならば誰も苦労はしません。したがって通常は「普通程度の商品をコストを削減して競争力をつける」という戦略が一般的に取られます。ならばコストの中には当然ながら「研究開発」も含まれるわけで、むしろ自由競争とは企業がコスト削減に動きやすく、そして短期的視野に陥りやすいという点を考えるとイノベーションを阻害しているとすら解釈可能です。

 実際に例でお示しすると、2000年以降の日本においてなにか画期的なイノベーションが起きたか?といわれると代表例をあげるのに苦労するでしょう。

 

 もう1点言及するのならば、核心的な技術というのは軍事を出発点としているものが大変に多いという事実です。インターネット、GPS、PC、航空技術からロケットにいたるまでその出発点は殆どが軍事でありました。これは国家という規模の大きな経済主体が、惜しみなく予算を注いでこそ得られるのが世界を一変させうるイノベーションであるという事実を示しているでしょう。

 そして軍事において軍事研究が盛んに行われるのは戦争の危険性、もしくは実際に戦争が起こった場合でありまして、その間の経済というのは自由競争とは程遠い統制経済でありますから、ここからも「自由競争がイノベーションを起こす」という戯言が、いかに事実と違っているか?が推察可能でしょう。

 イノベーションとは惜しみない予算と研究者の努力、そしてそれらの研究者を育て上げる教育制度の賜物なのであって、自由競争が介在する市場からポンポンと生まれる都合のよいものでは決してないといえます。

 資本主義がイノベーションを必要とする経済形態と定義するのならば、過激な自由競争は資本主義を滅ぼすとすら解釈可能です。

世界中でほころぶ資本主義と国家の断裂

 2017年、2016年というのは非常に示唆的な年でありました。アメリカではトランプが大統領に就任し、イギリスではブレグジットが可決されました。欧州では移民制限派、日本では極右などとレッテル貼りをされておりますが、そういった政党が勢力を伸ばしておりフランスのルペンも大統領選を善戦したといえましょう。

 

 グローバリズムの定義を「ヒト・モノ・カネの自由な行き来」とするのならば、グローバリズムに対して多くの民衆が疑義を呈しているのが現在の世界情勢です。

 経済のみに絞ってもグローバリズムは上記で論じた通りにイノベーションを阻害し、格差を拡大させていく代物であり、そこに移民という「その国家の社会にとっての異物の混入」という事態まで進めば否が応でも「ヤバイ!」と誰しも直感的に思うものなのでしょう。

 日本では未だにのほほんと、現実を直視できずに遁走し続けている、もしくはグローバリズムを迎合しているといった風潮が強いようで、あまりのマヌケぶりに乾いた笑いしか出ませんけれども。

 

 経済成長率の低下、所得がの停滞および減少、格差の拡大、そして社会通念の破壊。こういった事態が何を指し示しているのか?資本主義の崩壊であると私は考えます。これから崩壊するのではなく、すでに崩壊したのだと思うのです。枕詞に「健全な」という表現を足しても良いでしょう。

 社会とは本来「動的」なものであり、複雑系であり、絶え間ない不確実性をはらむものです。人間の人生にしたって明日に何が起こるか?などわからない。それが寄り集まって社会になっているのですから、不確実性は常に存在しているし、完全な予測は不可能であるわけです。

 しかしここ半世紀近くの経済学の観念は「静的」であり、不確実性を認めずに「予測可能なリスク」として計算することで社会制度の設計を行ってきました。

 本来動的なものを静的な制度に押し込める、これ自体がそもそも無理のある話であったのです。

 そしてその無茶は「健全な資本主義の崩壊」として、我々の目の前の現実に現れている。それはある国では移民という形で、ある国では格差拡大という形で、国家内部の分断が進んでいるわけです。

 グローバリズムそのものが「小さな政府」と目指す以上、これは必然的な現象であるでしょう。

 

 政治としては国民の不満の鬱積をそらす手段は常に限られています。内政を成功させて格差や移民問題を解決するか、それとも外的要因に内政の失敗を責任転嫁してプロパガンダするか、もしくは近隣諸国から富を収奪するか。

 移民関係でさんざん論じたことでありますけども、移民というのは一度受け入れてしまえばほとんど不可逆的です。戻ることは不可能といって良いでしょう。

 格差の拡大にしてもロビイストや大企業、もしくは日本でいえば経団連などを政治家が無視をするのは、政治家の保身として考えるのならば自殺行為でしょう。よっぽどの国民の世論の後押しがなければ不可能だし、そして世論というのは非常に移ろいやすいというのは常識です。

 そもそも利害調整などが政治家の役割であるはずですが、この作業は非常に面倒くさい作業が必要であり、ロビイストや民間議員の用意する「大義名分」に担がれていたほうがよほど楽、という事情もあります。

 

 とするとほとんど内政によって国民の不満を和らげるということは不可能、ないし難しいという事になりますので、必然的に外に国民の不満を転嫁させようというのが政治家にとっての仕事となるでしょう。

 つまりは国際関係に遠心力が働かざるを得なくなり、各国間の関係をよい状態に維持するのは難しいという話になります。

 それはたとえば中国の対日本での態度であったり、もしくはアメリカの日米同盟を質とした外交であったりするわけです。

 単純な話にすると、カモがネギを背負っているのだから狙わないほうがおかしいというだけの話です。非常に嫌な話ですが、このような状況で日本外交になにか期待をかけるほうが間違っていて、ほとんど全敗すると思っておいたほうがよいでしょう。日韓合意しかり、ロシアへの北方領土の譲歩然り。

 個人的な物言いになりますが、このような状況で「地球儀外交」などとうそぶいて、積極的に外交をされるほど迷惑なことはありません。今年の安倍総理は日中関係の改善が目標なのだそうですけれども、このような不利な状況でそのような動きをするというのは、正直なところ気が狂っているか、相当に状況を読めないマヌケかのどちらかでしょう。ろくなもんじゃない。

 まあ、大方はアメリカからの要請なのでしょうけれども。つまりアメリカは、北朝鮮問題の進展のために日本という人参を中国の前にぶら下げた、というシナリオだって考えられるわけです。本当にろくでもない。

 

 これからの日本の立ち回りというのは、非常に困難かつ難しいものになるのは間違いないでしょう。いっそ鎖国できたらどれだけ良いことやら。

大国間の戦争なき資本主義

 第一次グローバリズムは2回の大戦を経て修正されたわけですけれども、核兵器が存在する現在では大国間の戦争というものはもはやほとんど起こり得ないと見て間違いないでしょう。私は平和主義者でありますので、これはこれで結構なことなのですけれども、つまりは良い意味でのショック・ドクトリンも出来ないというのが現状です。

 大戦という劇薬の治療法を失った現在、ではグローバリズムを修正する動きおよび、それを出来るだけの処方箋が存在するのか?というのは非常に疑問です。

 

 少々軍事学的な話にそれますが、過去の大戦が国家vs国家であったわけですが、現在はそれがほとんど無理ですから、民衆の不満というのはどんどん蓄積されるでしょう。そうなると国家の中で分断が生じ、テロや暴動といった現象として発現するわけです。

 これが頻繁するのならば社会は不安定化し、さらなる不満が各国の政府に向けられるということになるでしょう。民主政もしょせんはギミックであり、民衆の不満がそのギミックが抑えられる限界点を超えたら・・・あまり想像はしたくないのですけれども、国家としては再びファシズムや全体主義が蔓延るかもしれません。

 現に中国という共産党独裁国家がこの20年間、非常にうまく立ち回っているという事実を見ても、政治家やエスタブリッシュメントとしては合理的な選択といえるでしょう。

 グローバリズムと新自由主義を実行した結末が、全体主義と統制国家だとしたらなかなかに皮肉な結末としかいいようがありません。この危険性は歴史を見ても、少なくない可能性として存在していると明記しておきましょう。

 

 私としては統制国家や全体主義や一般論的なファシズムではなく、緩やかな社会主義という可能性を模索したいと思います。社会主義という言葉に抵抗があるのならば、公益資本主義やもしくは大きな民主制の政府、といった表現でも結構です。

 内容としては自由競争は一定程度、安全保障の面において制御して抑制するというのが重要でしょう。食料、エネルギー、インフラなどは国営、もしくは政府が株式を所有する、もしくは保護と補助金で自由競争から遠ざけることが必要でしょう。それは軍隊を自由競争に晒さないようにするのと全く同様の話です。

 金融においても金融は本来、経済の潤滑油であり実体経済の従であるという概念を思い出すべきでしょう。つまりは金融規制の強化です。

 既得権益というのはとかく世間では悪者にされがちですが、その権益は「日本人の所有するものだ」ということは見過ごされがちです。また既得権益という言葉には運営のノウハウが蓄積されている、といった面もあるのだと思い出すべきでしょう。

 これは日本だけではなく、世界の各国が自身の国にあった政策を、自国のために取るべきであると思います。この提言をしていて思うのは、マルクスというのは現在の絶望的な状況というのはある種予言していたのかもしれないと思うことです。もっとも、私はマルキストでもなければ共産主義者でもなく、ソビエトや中国のような政治体制は御免こうむりたいと思う自由主義者であり民主主義者であるわけですが。

 

 また国家間の外交にも言及しておく必要があるでしょう。グローバリズムのような単一の価値観、市場ルールを多国間に押し付けるのではなく、多元的な価値観を尊重しながらも国益をかけて押し引きする、といったルール作りは必要でしょう。

 こういったルールがもしも作成されたとしても、それを押し付け守らせる主体は何か?という問題が非常に大きいですし、またどのようなルールであれ問題は生じるし軍事や政治力といったファクターが無視出来るものではありませんから、大国がこのルールに従うかどうか?などというのは全く保証できない限りです。むしろ中国などは喜々として破ってくるに決まってますが。

 

 しかし現状の世界情勢より、そして私が予測する未来よりマシなものになるのであればそれで結構かと思います。現状のままではあまり幸せな未来は予測できませんからね。

 アメリカが主導したグローバリズムと新自由主義は、アメリカ自身の凋落を加速し、中国の台頭を許し、世界は多極主義へと分裂しかかっております。地政学的には日本が中国の属国になるというのはほとんど避け難いかもしれない。そして福祉や人権の概念が足りない中国の属国というのは、あまり嬉しい未来でもありません。もっとも、これから凋落していくアメリカの属国というのも、バカバカしい話でありますけれども。

 

 日本にとって世界の現状は非常に困難なものでありますが、良い未来の可能性がまったくないという話でもありません。全ては現状の認識と、そしてどう振る舞うのか?にかかっているといえましょう。出来うるのならば明るい未来が日本に訪れることを祈念しております。

 

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本日の男の料理 豚キムチ

 豚キムチ。ごはんの友に最高です。驚くことに、包丁とまな板が一切いらないレシピ。

材料

  • 豚肉
  • もやし
  • キムチ
  • 胡椒
  • ほんだし
  • 醤油
  • サラダ油

調理手順

  1. フライパンにサラダ油を敷いて豚肉を炒めます。塩、胡椒で下味をつけます。
  2. もやし、キムチをいれて炒め、塩、胡椒、ほんだし、醤油で味を整えて炒めて完成!

P.S

 最近は仕事で少々バタバタしておりまして、寄稿の更新、毎日のブログ、記事の閲覧などがやや大変。自営業で文句をいうのも何なのですけれども、労働環境の改善が必要です。

 私の代わりにマネージメントできる人材ががががが・・・育てるにしても期間がかかるわけですけれども、育てている最中にやめられると振り出しに戻る、という悪質なスゴロクと一緒の状況でして一進一退どころかむしろ後退してねーか?と悩み中。

 さらに1月で新年会的なものやら挨拶やら。お願いだからこのような行事はこの世から消えてなくなってくれ!と恨み言の1つでもいいたくなります。本来は酒好きなので大歓迎のはずなんですけれどもね・・・。

 

 ということで最近のマイブームは、寝る前にウェブ小説を読むことです。一日中仕事のことやら、暇があれば政経論の記事の概要など考えていると、良い息抜きになります。

「転生したらスライムだった件」

「自分が異世界に転移するなら」

「幼女戦記」

 などなど・・・転生系にハマっているわけです。これ、現実逃避かな(笑)

 ちなみにおすすめは主人公最強系なら「転生したらスライムだった件」、軍事好きなら「幼女戦記」がおすすめです。幼女戦記はアニメにもなってますね。現在、ウェブ小説を18話まで読んだところです。

 ん?皮肉の言い回しが幼女戦記の作風に似てきてないかって?ええ、影響されていることは認めましょう。一段落したら経済ものの転生小説とか書いてみたいな~と、密かに思っておりますが、思っているだけで実行するとは限りません。

 

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