②日本の社会保険制度はいかにして国民を苦しめるようになったか
かつて、世界各国が必ずしも近代国家または国民国家と呼べなかったとき、つまり、国家主権の保持者が必ずしも人民のものとは言えなかったときは、市場の一人としての企業、労働者組合、村落、医師、宗教教団などが社会保障に似た弱者救済のための相互扶助活動を行い、その主体者となり、君主主義的傾向の濃厚な国家は主体者になろうとしませんでした。
それは、まだ、君主制や貴族制が残り、基本的人権は確立しておらず、社会保障に似た行為は散見されても、それは国家が関心を持つ必要はなかったからです。
しかし、徐々に主権は人民に奪取され、人民は基本的人権を主張出来るほどに強くなりました。そして、全ての国家、特に先進国と呼ばれるグループは、完全な国民国家に生まれ変わって行きました。
しかし、その未成熟な隙を縫って、新興勢力として資本家が台頭し、資本家が経済界だけでなく、政治までも牛耳るほどに強くなると、国家主権は人民のものであると決着するに至る前に、政局は流動的になり、力関係のバランスを取ることに専念され、人民が主人であると言うテーマは徐々に捻じ曲げられて行ったのです。
そして、お上に平伏する意識が強く、国家主権が完全に人民のものとはなっていないことの証が現在の日本の社会保険制度の有様です。
現在、なお、アングロサクソン諸国でも、古い階級制がまだ生きており、低所得層を救う役割を持つ公共部門は軽視され、福祉でさえも市場のプレイヤーの一員とみなされ、財源が個人の思惟による寄付金で賄われ、それは国によって正統な福祉の形態の一つであると認められているので、ゆえに、寄付金は免税されることが当然であるという風潮となっています。
アングロサクソンと哲学的に対立する、社会福祉先進国の北欧諸国では、福祉は政府の役割であるとする国民的合意が存在し、福祉の財源は政府一般税収となっています。
日本は「権力はお上のもの」という概念が現在に至るも尾を引いて、国民感情は、国が低所得層を救うことを嫌悪するアングロサクソン系の哲学と似ています。
今まさに、日本の社会保険行政は当局からお荷物として嫌々ながら行われており、特に負担において、低所得者に課税される人頭税方式であり、国民の平等の理想はまったく影も形もありません。
健康保険も年金保険もアメリカ型の民間保険会社の保険商品と変わらなくなっています。すなわち、すでに黒字化されており、いつ民営化されても、つまり、いつ証券取引所に上場され、株式を募集されても、おかしくないように変化しているのです。
なぜなら、日本の国民が、社会保険と言う保険会社の良い契約者となり、過剰な社会保険料(所得の大体2割)を支払い、反面で医療費給付額が削られて、社会保険事業が黒字に転換されているにも関わらず、何一つ苦情を言わない最高の客になっているからです。
日本国民は、社会保障とは健康保険や年金保険のことで、自分たちが骨身を削って支払ったものに釣り合う医療費や年金を受け取るものだと思い込んでいます。つまり、社会福祉というものがどんなものか良く理解できていないのです。
しかし、社会保障と社会保険とは全く異なる概念であり、社会保障が国民を無償で救う理念であるのに対して、社会保険は保険業の商取引が基本になっているということは、念頭に置いていて欲しいと思います。
社会保険(健康保険や年金保険)は負担を受益者本人ではなく国家とすることで社会保障(無償の保護)になり得るものであるにすぎません。
日本国民は過剰な社会保険料の増額が繰り返されたために、いまや、健康保険事業や年金保険事業によって貧困化しています。
こういうものが社会保障であるはずがありません。
国民を幸福にする社会保障と言う目的が無くなり、社会保障の黒字化が重視されはじめたからには、いまや、社会保険料は税金と同様に、国民を苦しめるだけに過ぎないものになってしまいました。
すなわち、社会保険料は社会保障のためではなく、国民から貨幣を回収する目的として存在し、インフレ下においてはインフレを抑制するためであり、デフレ下においてはデフレを維持するためのものになっています。
デフレを維持する目的は、大企業が輸出における価格競争力を付けるためです。
次章で詳しく述べますが、国際競争力強化とは輸出における価格競争力強化のことであり、国際競争力強化が小泉内閣以降声高に叫ばれている構造改革の目的です。
これまでの、あらゆる構造改革は国際競争力強化のために行われました。
それはすなわちデフレ政策ですが、デフレ政策はすなわち国民窮乏化政策でもあります。
この場合の国民とは自国民のことです。国民を貧困にすることで輸出商品の価格を下げ、国際競争力を上げることが出来ます。
デフレになれば、国内における生産において名目賃金が下がり、仕入費が減少し、ゆえに、輸出価格を下げ、売上を増やし、利益を上げることが出来ます。これが、国際競争力強化の意味です。
これに対して、国内市場だけが頼りの中小企業は壊滅的な打撃を受けます。さらに、内需型の中小企業が潰れれば、輸出型の大企業が国内市場を独占することが出来るようになり、大企業は国内における競争でも勝つことが出来ます。
大企業にとって、デフレは二重にメリットがあるのです。
インフレを抑制し、そして、デフレに誘導するためには、低所得者や貧困層にお金を持たせないようにすることが最も効果的です。
なぜなら、低所得者や貧困層は消費性向が高いので、彼らにお金を持たせるとすぐに使ってしまい、すぐにインフレになるからです。
逆に、彼らにお金を持たせずに貧困の状態にして置けば、消費できませんから、消費が減り、景気が悪くなり、すぐにデフレになります。
自国内のデフレ、そして、自国内の国民の貧困は、輸出で儲けようとする国際投資家や輸出企業にとって、絶好のチャンスであり、好景気なのです。その国際投資家や輸出企業にとって、絶好のチャンスを、自民党政府が国民窮乏化政策によって作ってくれています。
この場合の国民とは近隣国民のことではなく、自国民のことです。自国民を貧困にして、輸出製品の原価を下げています。
いわゆる近隣窮乏化政策は輸出を重視した結果、近隣の国民の雇用を奪い、結果的に、近隣の国民を窮乏化させることを指しますが、国民窮乏化政策は、原因的に、自国民の窮乏化させることで、輸出競争力を強化し、輸出量を増やすことを指します。これもまた、結果的に近隣の国民を窮乏化させる近隣窮乏化政策になります。輸出に力を入れることは、一部の大企業を儲けさせるだけで、自国民にとっても近隣諸国の国民にとってもロクなことはないのです。
だから、日本国民の一人当たり名目賃金は30年間上がることはなく、そのおかげで、日本の国際的な大企業は、世界一の空前の利益と空前の内部留保金を積み上げています。
現在の自民党政府は、デフレを維持し、輸出型大企業すなわち経団連とその株主(国際投資家たち)の利益のために、主に、消費税、固定資産税などの応益税(赤字でもかかる税金)と、社会保険料によって、国民窮乏化政策を実行しています。
すなわち、社会保険料の重税化は低所得者や貧困層にお金を持たせないためのものです。(低所得者や貧困層にお金を持たせると、すぐに消費するので、インフレになって国際競争力が下がるからです。日本は低所得者や貧困層にお金を持たせないようにあれこれ理由をつけて増税し、財布の中を空っぽにしておこうとしています。これが、国民窮乏化政策です。)
ゆえに、日本国民から社会保障であるべき社会保険制度を奪ったのは、デフレを維持するためであり、その首謀者は、大企業とその資本家であり、つまり国際投資家であり、日本においては経団連とその株主たちです。自民党は彼らの番頭にすぎないとも言えるし、それらの社交界の番頭であり、中心であるともいえます。
したがって、国民は、誰を倒せば、社会保険制度を社会保障として取り戻すことが出来るかと言うと、資本家つまり国際投資家と自民党です。
そんなことをすると、経済自体が潰れるのではないかという反論が出てくるのですが、そんなことはありません。
今の経済においては、資本家つまり国際投資家が生産しているわけではなく、企業や労働者が生産しているのです。間接金融の元になる通貨は政府・日銀の統合政府によって供給され、間接金融による融資によって中小企業の資本が供給されます。
だから、資本家つまり国際投資家の代わりはいくらでも出て来ます。
来るべきデマンドサイド経済学は、そうした新旧資本家の交代の結果、新しい企業や労働者が生産したものをどのように分配するかの理論になります。
そういうと、すぐに、共産主義でも良いのではないかという意見も出てくるのですが、共産主義は余りにも支配者の独裁(個人の能力)を信じすぎていたので失敗しました。
支配者に大きな役割を与えるが、その個人的な資質である善意や能力に依存しないという前提で組み立てられているのが資本主義の中の民主主義です。政権担当者は監視され、監督され、ふさわしくないと思われれば解任されます。
これに対して、新自由主義は支配者の役割を軽くし、政府の介入を否定し、資本家の自由を重視するようになりました。
だから、ケインズ主義が誕生し、人民によって選ばれた支配者の権力を強化して、政治が資本主義下で強制力をもって(生産と分配)をすべきと唱えたのです。
その所得再分配は、低所得者や貧困層にお金を持たせることで達成され、また、低所得者や貧困層にお金を持たせることによってしか達成されません。
ケインズは、低所得者や貧困層の持つお金を取引的動機による貨幣保有と呼び、これをM1とし、経済成長は「Y=M1×V」においてM1の増加で達成されるとしています。
つまり、低所得者や貧困層の持つお金が経済を成長させるのです。
低所得者や貧困層へにお金を持たせるための所得再分配が正義であると世論に認められれば、政治家は選挙に勝ちたいので、それに適合する政策を持つようになります。
今、日本の政治家が低所得者や貧困層にお金を持たせることはバラマキであり、正しくないと考えているのは、激しいプロパガンダの繰り返しによって、全く同様に、国民が低所得者や貧困層にお金を持たせることはバラマキであり、正しくないと信じてしまっているからです。
国民が、自分たちこそ、お金を持つべきであり、そのために、消費税、固定資産税、社会保険料を廃止するか、減額すれば、そのときこそ、経済は成長するのだと気づけば、ケインズ革命は、選挙の中で自然に達成されます。
ケインズは、消費が増えれば、資本の限界効率が上がり、投資が行われるようになり、デマンドプルインフレ(国民全体がお金を使えるようになることでインフレになり、しかし、デマンドプルインフレは、生活物資の不足のサインなので、あらゆるところで生産が活発になり、国民の名目賃金は毎年のように上がって行き、豊かな生活が阿多の前になるインフレ)が起こると言っています。)
すなわち、ほとんど完全雇用が達成され、完全雇用においては、企業は労働者を雇うために賃金を上げなければならなくなるのです。
何年間か、インフレや完全雇用状態が続くようになると、労働組合のベースアップ闘争などの活躍によって、企業は物価上昇率より高い率で賃金を上げて行かざるを得ないようになります。労働組合が活発に国民生活を牽引するようになります。
いくら、政治家が市場をデフレやスタグフレーションにしたままで、大企業に賃上げ要望の猿芝居をやろうとも、そんなことでは、決して賃金は上がりません。
低所得者や貧困層がお金を持つことによって始めて、少しは贅沢なものを買うようになって、はじめてデマンドプルインフレが起こり、人手不足が始まり、誰にも止められないほどの勢いで賃金が上がり、本物の景気回復がやって来るのです。
そのとき、企業は苦しんで、ようやくイノベーションに着手するようになります。