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政府債務の圧縮進めよ=元大阪経済大学教授・熊倉修一(日経)
(略)わが国の財政は1990年代以降、税収入が伸び悩む一方で、社会保障費がかさみ、さらに金融危機や震災、コロナ禍などの対策で財政出動が重なったことから、巨額の国債発行を余儀なくされた。その結果、国の長期債務残高は1000兆円、名目GDP比200%を超える異様な水準に達し、他国ならばとうに信認が失われ債務不履行に追い込まれているところだ。(この後めっちゃ略
私のようなアホが、IQ的には30も40も高い可能性のある大学教授より経済を理解しているというのは恐るべきことです。
まず税収減で懸念すべきは「経済がうまく回っていないと疑われる証拠の一つではないか」という点であって、何かの財源が減るから、ではない。コロナ対策に税収は必要ありません。
何度も 何度も 何度も 何度も 書いていますが、例えば、重機もあり燃料もあり技術者もいるとします。しかも目の前に。
それでも、
予算がないから
という理由で、地震の被災地を見殺しにして瓦礫の撤去は諦めろというんですね、熊倉さん。私はこの方のような人非人ではないので、もし自分に全ての決定権があれば苦笑い&即決で重機を動かし、業者さんにはふんだんに人件費含めた事業費を払います。人が嫌がる仕事してもらうんだから当然ですよ。財源は国債です。というか、被災地を見殺しにし続ける方がよほど「信認が失われ」るだろうし、あなた方が大好きな「次への備え」もできないでしょう。いやもう常識的に。なにかこう、
実は経済とはこうなっているのです!!
知らんかったやろ!!
とでもいうようなニュアンスはゼロでして、全く普通の、まっとうな感覚として簡単に理解できると思いますが。普通の人なら。
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18歳以下に10万円だかいう話が報じられていますが、お昼の番組など見ていると「もらうのが心苦しい」との反応が実に多いわけです。
「その精神が導く先にある現実世界の結果」と完全に切り離して考えれば、それは一見して確かに道徳的ではあります。しかし、繰り返してこの言葉を使いますが「その精神が導く先にある現実世界の結果」をひとたび直視すれば、最低最悪の不道徳です。だって、子々孫々に荒廃した国を遺すこと、そのものですから。
こういう人々は、お金をもらうことを「ウハウハ的」だと思っている。だからこそ非道徳的だとみなし、給付をもらうのが心苦しいと考えるわけです。違うんですよ。ウハウハではない。
そのお金って、今すぐではなくてもいつかは使うんでしょう。お金を使うってのは、誰かを働かせるということです。では「誰か」って、誰なんですか。それは自分自身も含まれているのではありませんか。
西村ひろゆきさん、堀江さんあたりと同じで、そこが分かってないのだと思います。コンビニのおにぎりは宙から湧いて出てくるのではありません。誰かの労働の結晶です。
誰かを働かせ、また自分も誰かに働かされるという構図が、給付金の持つ一面です。それって不道徳なの?一体何が悪いんですか?
[状況A]
①誰かに働いてもらう
②その果実を自分が受け取る(ウハウハ的部分)
③自分が誰かに働かされる
④その果実を誰かが受け取る
という構図ですが、「もらうのが心苦しい」と言っている人々や、大阪の吉村知事など維新の会の人々は、なにゆえか知りませんが②しか見ていないのです。来る日も来る日も言及するのは②ばかり。私が何かをもらう。私が何か良い思いをする。私が甘い汁を吸う。いやいや違うって。①も③も④もあるんですが、なぜ無視するんですか、という話です。間接的に①③をまとめてざっくりと「経済を回す」などと言って触れることはありますが、ほとんど常に②ばかりを指摘するから、さもオノレが道徳的に上にあるかのように振舞うという最低の不道徳をやらかしてしまっています。
これは反対にした方が分かりやすいかもしれません。
[状況B]
①'誰かに仕事をさせない
②'果実を自分が受け取れない(維新の会などが道徳的マウントを取る部分)
③'自分が仕事をしない
④'果実を誰も受け取れない
給付金を心苦しく思う人々、維新の会の人々は、ここでも 「な ぜ か」 ②'しか見ないのです。私は何ももらいません。私は良い思いはしなくて結構。私は甘い汁を吸いません。いやいや違うのよ。①'も③'も④'もあるんだって。
②'ばかりに注目していると実に「頑張ってる感」がありますが、経済的には何の意味もないどころか、デフレ下では害悪そのものです。状況Aと状況Bを比べて、どちらが後の世代に住みよい国を遺せるのかフツーに考えたらわかると思いますが、②と②'しか考えない人が国会議員になり、でかい自治体の長をやっています。
ましてやそれをパフォーマンスに利用して、しかもパフォーマンスとして成立してしまっているのです。
そうなると、日本が落ちぶれるのは当然です。
「ばらまき合戦」、過熱の一途=各党財源論乏しく(時事通信)
与野党は、衆院選で最大の争点となっている「分配」政策のアピールに懸命だ。
競い合いは過熱の一途で「ばらまき合戦」の様相を呈す。ただ、各党とも財源論については多くを語らない。赤字国債に依存するなら、負担は将来世代に重くのしかかる。
(以下、クソくだらないので全部略)
時事通信の「わかってない」記事を見て、ちょっと前に聞いた話を思い出しました。
アメリカでは(州によるのかもしれませんが)給付金が相当に手厚いので、就労意欲が特段湧かない人々というのが一定程度いるらしく、そこそこの現金をもってのんべんだらりと過ごしているそうです。笑
確かにそれって全面的な善とは言えないのかもしれませんが、一体その何が悪いのか、明確かつ的確に指摘するのは難しいと思います。
客が来ない、酒を出せない、店を閉めるかどうかのギリギリのところだ…。一年たっても二年たっても延々と「苦しい苦しい」言い続けるのと、国から金ェもらってだらだらしてるのって、どっちが幸せなんでしょうね。いつも言ってますが道徳的な観点は抜きにして。というのも、経済は道徳ではないし、まさにその道徳観がしこたま悪用されて今に至っているわけでして、もはやここまで来てもその観点から抜け出せないのは
愚鈍にもほどがある
というか、
罪深い
と言っても過言ではないかと…。
(実際、将来の子供たちにクズのような国を遺すのに一役も二役も買ってますので。)
ずっとその「のんべんだらり」状態を容認する政策が立派だとは言いません。でも、まあ、いいじゃないですか。
政策はマクロですから、ミクロの我々個々人にとっては波の高低があり、色の濃淡があります。危機的状況があれば「妙にトクしちゃう」人が出ても仕方ないんです。私がいつも言ってる、災害時のボランティア依存はやめろという話もその一つです。ボランティアの代わりにちゃんと国が人を雇って日当3万円出しゃいいんですよ。その人々は「災害プチ成金」みたいになると思いますが、人が嫌がる仕事をしてお金もらって、いったいなにが悪いんですか?
そのアメリカの「のんべんだらり」の人たちは、カネ持ってるんでしょう。誰も働いていないというなら危機的状況ですが、だらだらしてる人たちがいれば働く人もいるんです。言うまでもなく、それらの人々が払うカネは働いている人に渡るんですから。カネが移動する(単なる移転は別ですが)ということは、人が働くということです。繰り返しますが波の高低と色の濃淡はあるとしても。
政府も一緒になって節約して、買いたいモノを我慢して、お店は客が来ない来ないと苦しんでいるよりは遥かに上等です。それは全員が歯ぎしりしながら仕事をサボっているも同然です。
いまだに、ハッキリしたこのレトリックがどこにも見られないので少々嬉しくなってきたのですが(笑)、カネを出さないということは働かないということです。経済的に苦しいと念仏のように何十年も言われている状況で、国民が必死に渋面を作りながら全力でサボっているのが日本という国です。
>赤字国債に依存するなら、負担は将来世代に重くのしかかる。
いやー、ぜんぜん違いますよ時事通信さん…。
将来世代の子々孫々は、私たちに「まともな国を遺すためにちゃんと働いて!」と言いたいはずですよ。
買いたいものはあるけど節約!客は来ないけど我慢!ってのは、なんか妙に努力してる感あるけど経済的な意味では完全なサボりですからね。つまりは働かないってことだから。
国民が働かないことの方が、将来世代の負担になると思わない?
時事通信さん。
タイトルは、メンタリストのDaiGoさんとやら(あまりよく知りませんが)が発言された言葉でして、絶賛炎上中とのことです。
私は優生思想だとかヘイトクライムだとかいう観点ではなく、単なる事実だけに触れます。
まず、
「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃない」
という部分ですが、DaiGoさんが払った税はそもそも生活保護の原資になっていません。DaiGoさんが払った税は、格差、景気、インフレ率などの調整、その他様々な政策の「意図」として(「原資」ではなく)徴収され、この世から消滅します。あなたが払った税は生活保護には一円も使われていないのでご心配なく。
もちろん、現在の経済政策においてはその「意図」に大変な誤りがありますが、それはまた別の話です。
「生活保護の人が生きてても僕は別に得しないけどさ、」
この点ですが、生活保護の人々は当然ながら消費しないと生きていけませんので、一般政府からの財産移転として受け取ったお金(繰り返しますがDaiGoさんは一円も負担していません)を何かの形で使います。
その「使ったお金」は、DaiGoさんが納めた税とは違って、生きたまま実体経済を巡ります。
すなわち、誰かの所得になり、誰かの命をつなぎます。この「誰か」とは、私もDaiGoさんも当然含まれています。DaiGoさんも私も、他人に生かされています。残念ながらこれは宗教的観念的なものではなく、事実です。優秀な人ほど認めたくないことかもしれませんが、経済は一方通行ではないので、どうしてもそうなります。
西村ひろゆきさん、堀江さん、そしてDaiGoさんも、例えばコンビニに並んだ「おにぎり一つ」として自分で用意することはできない、ということを知ろうとしません。
全ての人は、他人に寄りかかって生きています。そして、寄りかかられた側の人だって、また別の誰かに寄りかかって生きています。
そのためには消費が必要です。作ったものを誰かが消費してくれるからこそ、他の誰かが寄りかかってくるのを支えることができます。
生活保護費を年間2.6兆円とすると、この人々が(お望み通り)「何も消費しなくなった」場合、全くの単純計算でひとり平均21700円の所得減です。もちろん影響には濃淡があるので、もっと遥かに減る人も出てきます。またマイナス側の乗数効果もあるので、実際はもっと大きくなります。
すると、まあDaiGoさん御本人は安泰だとしても、
「(生活保護とちがって)ぜひ生きてて欲しい人たち」
が一部死ぬことになります。または生活保護を新たに受け始めることになります。これも事実です。認めるかどうかは関係ありません。
すると、DaiGoさんはそういう事情で生活保護を受けることになった人も、
「生きてても僕は得しない」
と言ってのける対象になるわけですから、それらの人々もまたお望み通り「何も消費しなくなった」としましょう。
さて、つぎは国民一人当たりいくらの影響があるのかな、と。これは延々とつづきます。
以上、道徳的なことには何一つ触れていません。事実を思いっきり誤認していますよ、というだけの話です。
とにかく、国家は国民に対して「死ね」という権利はありません。
今回の緊急事態宣言においては、酒類を出す基準を守らない店舗との取引をやめるよう働きかけるとか、その店舗の情報を金融機関に提供するとか、そんな話が西村経済再生担当相から出てきています。
あまりにも酷い。
テレビを見ていても「なんとか踏ん張ってください」などと励ましているコメンテーターなどが多くいますが、日々自分の蓄えが目減りしていき、協力金を担保に銀行から金を借りたいなどという話をしている人々のことが、安全地帯から見ていて理解できるはずがありません。(自分も含めて。)
国民を殺す国家に対しては、どの歴史を見ても民衆は従う必要はありません。言うことを聞け、と胸を張って言えるだけのことをしていない限り。