あけましておめでとうございます。
正月早々、ろくでもない話から始めます。←

緊急事態宣言が再び出そうな状況ですが、私の周囲の人々は「対応が遅い」とか「全国一律に宣言を出すべきだ」とか言っています。
そうすると困る人々(まあ典型的なところでは飲食店や旅行関連)が当然出てくるわけですが、誰一人として、

補償すればいい

という所までセットにして主張する人はいません。見事に私のみ。いやまじで一人だけ。
自分が直接困る立場にないものだから想像が及ばない、というのはあるでしょうが(まあそれを言うなら私だって同じ条件なのですが)、感染症対策についてはニワカ専門家になる割には、他人や政府の財布の話になると急に輪郭がぼやけて、

そこはまあ、むにゃむにゃ…

という感覚になるわけです。
なんとかなるだろ、ということなのでしょう。現実は何ともならないのですが。
それとも「今は耐えるしかない」とでも言うのでしょうか。現実は耐えきれないのですが。

というか、補償どころの騒ぎではありません。
正月に見た映画として、

https://www.wowow.co.jp/drama/original/oz/

これを紹介されまして、いたく感動したとのこと。
そして「やはり自分の考えは間違っていなかった」と確信したそうです。
いちど観て見たら、などと言うのですが…それってもはや、ベルトルト・フォン・レーゲンスブルクを居酒屋のサイコロ賭博に誘うようなものでして…いや、これも喩えが妥当なのかどうかいまいちわかりませんが。←

うん。まあいいんですよ。草刈正雄の映画で喜ぶのは構わないし、政府の支出を半分にすべきだというのもまあアリです。主張は自由ですから。
で、あなたは、この日本という国に「苦しむ人々を助ける力」がまだあると思っているのか、もう無いと思っているのか、どちらなのか。もちろんここではカネの有無を質問しているのではありません。能力の問題です。すなわち、


できる、のか。

できない、のか。


質問を変えます。
もう百回以上は似たような話をしていますが。

地震で屋根に押しつぶされて逃げられない人がいます。
火災がすぐそこに迫っています。
このままでは、その人は確実に死にます。
しかしあなたは目の前にある重機を運転できる。
それを使えば屋根を取り除き、逃がしてあげることができます。

あなたはその時、カネ(代金)が無いから重機は動かしたくない、この人は死んでも仕方がないのだと、しっかり主張すべきです。それならば私は、あなたと一緒の共同体に属したいとは思いませんが(笑)、そういう考え方もあるんだなあということだけは理解します。
そこから目を逸らしてはいけないのです。あなたが言っているのは、いわゆる「片手落ち」というやつで(これは使うべきでない言葉?らしいのですがバカバカしいので使います)、屋根に潰されている人に向かって「地震対策がなってない」と説教を垂れているようなものです。何の意味もありません。ましてや今回のコロナの場合は、個々人においては対策もへったくれも無かったはずです。
ちなみに私は、国として助けることが可能なのであれば、持てる人的・物的資源を駆使して全員を助けるべきだと考えます。私なら0.01秒で重機を動かします。
一切の躊躇もない。
即断ですよこんなもの。

あなたが属しているのは、キリストの「第十の合唱隊」に相当する堕落者の集団です。ご存じないなら調べてください。

ちなみに私は全くキリスト教徒ではありませんので、念のため。
今回の投稿で使った宗教的表現は単なる比喩のためであり、旅芸人を貶すなどの意味は一切ありません。(むしろ凄ェ人達だと思っていますが)