只今、西遊記の、玄奘三蔵のご紹介中です(・ω・)ノ


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実在の玄奘三蔵は、中国仏法史に残る素晴らしい功績を残しました。


そして、玄奘三蔵が危険極まりない旅を記した「大唐西域記」を基に、


伝記小説「西遊記」が書かれました。


西遊記が、西遊記としてお話が成立するまでには、いろいろとタイトルやら登場人物の名前やらが変化するのですが、

機会がありましたらご紹介しますね。











西遊記の中の三蔵法師はどんな感じでしょうか。





西遊記の登場人物としての三蔵法師は、

姓は、幼名を江流(こうりゅう)あるいは紅流児と言い、

法名を玄奘禅師と言いました。



前世は釈迦如来(または観音菩薩)の二の弟子、金蟬子(こんぜんし)です。

金蟬子は説法を聞かず、教えを軽んじたため、東土に転生させられました。

その後、仏教に帰依し、2度の旅に失敗して転生しましたが、ようやく3度目で81つの難をくぐり抜け成功しました。

そのため、三回天竺(蔵とも言うようです)を目指して到達した事から、三蔵法師と呼ばれると言う説があります。



そして、旅が終わると、

三蔵真経を求めた取経の旅の功績と大義により、お釈迦様から、

未来にて、旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)という仏に成る記別を得ます。








さて。


意外に知られていないのが、三蔵法師の生い立ちです(・ω・)ノ

現代に近くなる程、このエピソードは語られなくなりましたので、しょうがないのですが…。



うさ吉、お釈迦様の弟子であった事は知っていましたけど、改めて調べてみると、

かなり波乱万丈な生い立ちがあったようですよ。







玄奘三蔵の誕生




お父さんは、光蕋(こうずい)。

科挙に合格した英才で、若いながら江州の長官に抜擢された人でした。


お母さんは、大唐帝国の宰相・殷 開山の娘で、温嬌(おんきょう…または満堂嬌)で美しい女性でした。


若い夫婦が任地に向かう途中、渡し舟の船頭・劉洪が温嬌を見初め、

同じく船頭の李彪と謀って光蕋を殴りころして、死体を川に捨てました。

劉洪は温嬌を妾とし、光蕋に成り済まして江州長官になりました。



温嬌は劉洪の留守に男の子を生みましたが、劉洪が帰ればこの子は殺されると思い。

赤ん坊を肌襦袢に包み、自分の息子である証拠として赤ん坊の左足の小指を噛み切りました。

そして、生い立ちを書いた血書を同封し、息子を助けるために、木片に乗せて川に流しました。



赤ん坊は運良く金山寺の法明和尚によって救われ、江流と名付けられ、僧として養育されました。



一方、三蔵の父・光蕋は、ころされ河に捨てられる前に、金色の鯉を救っていました。

その鯉は竜王の化身で、命の恩に報いるため、川底に沈んだ遺体は竜宮へ運ばれ、魂と共に保存されました。



18年後、江流は若き僧となり玄奘と名乗っていました。


ある日、師である法明和尚に生い立ちを知らされ、

師の薦めで托鉢僧として、母の消息を訊ねることになりました。


江州長官宅に行くと、ちょうど劉洪は留守で、玄奘は母と再会できましたが、

母はすぐに立ち去るように言い、耳環を渡し、父方の祖母・張氏と、母方の祖父・殷開山に会いに行くように指示しました。


張氏は貧しく落ちぶれ、失明していたが、玄奘が祈願して両瞼を舐めると、視力を回復しました。


次に玄奘は長安で殷開山に会いました。

殷開山は娘夫婦の悲劇を知って憤激し、太宗皇帝に直訴し、兵を差し向け、殷開山は劉洪・李彪一味を捕縛する事が出来ました。


劉洪と李彪は、罪状を洗いざらい吐き、まず李彪が罰を受けて処刑されました。

殷開山、温嬌、玄奘の3人は、光蕋が殺された川辺で霊を慰めるため、祭文(死者哀悼の文)を焼き、

劉洪の生き肝を生贄にしました。


川底ではこの祭文を受け取り、竜王がそれを読むと、

「光蕋の死を哀しむ者たちがいる。

これで光蕋を蘇らせることができる。

命の恩に報いることができる」

と喜び、光蕋の遺体を川に戻し、魂を身体に返しました。


ちょうど川のたもとでは、

生きるためとはいえ、妾として夫をころした者と暮らしていた自分を恥じる温嬌が、川に身を投げて死のうとし。

玄奘が宥めているところに、光蕋が水面に浮かび上がり、息を吹き返しました。


蘇った光蕋は太宗に学士に取り立てられ、

玄奘は洪福寺でさらに仏道修行を積むことになりました、

温嬌はしばらくは大変落ち着いて穏やかにしていましたが、後に自死しました。





 その後。玄奘は、観世音菩薩様に、高弟(出来の良い弟子)の生まれ変わりとして注目されました。


菩薩は太宗皇帝に、「大乗仏教三蔵という教えが、死者を苦難から救い、無量寿(如来)の身にすることができる唯一のもの」と言い。

天竺へ三蔵真経を取りに来るように伝えました。


太宗皇帝が「誰か天竺へ行くものはいないか?!」と、聞くと、

玄奘が「私が参ります」と名乗り出ました。


そこで太宗は、玄奘に三蔵と名乗る事を許し、

玄奘三蔵は、天竺へと向かう旅に出ました。






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私たちがよく知っている西遊記は、ほぼほぼ孫悟空が主人公で。



三蔵法師は、天竺へありがたいお経を取りに行く非力なお坊さんでしかなかったのですが。



こんな、幼年期があったのです(・ω・)ノ


若い頃から、盲目の祖母の眼を見えるようにしてしまうなど、かなり徳の高い僧なのです。



だって、西遊記の本当の主人公は、玄奘三蔵なのですもの。

波乱万丈で、法力がなければ、物語として面白くないですよね( ´ ▽ ` )



でも、とても聖人らしくて…うさ吉が知っている西遊記の三蔵法師とイメージが違うのも、確かです。







つづく。









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