只今、西遊記をご紹介しております(((o(*゚▽゚*)o)))



さて。


西遊記のヒーローと言えば、


孫悟空!




うさ吉の西遊記の原点と言えば、


「悟空の大冒険」です  ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆




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手塚治虫・作、『ぼくのそんごくう』のアニメ化でしたが、

パイロットフィルムを作成した段階で、監督の杉山キザブロー氏が

「僕の作りたいものではない」

と、手塚治虫先生に直談判し、

ギャクアニメにしたという作品です。




♫『悟空が好きすきすき、悟空が好き、好き!!』


と、いうフレーズ、聞いた記憶がある方も多いと思います(((o(*゚▽゚*)o)))





たったの39話で打切りとなりましたが、

うさ吉には、とても懐かしい、好きな作品です。




でも、この作品が、西遊記を身近なものにしたととしたら、


孫悟空を、世界中に広めた功労者は、この方ではないかと、うさ吉は思っています。

















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この方…ドラゴンボールの孫悟空です。




『孫悟空』で検索すると、

この方の情報が真っ先にでてきました(笑)




その他の孫悟空を検索する場合…



タイトル名を入れないとなかなかヒットしないという、

妙な現象が起きています。



でも、『西遊記 孫悟空』を検索すると、

界正明さん主演のドラマ西遊記が結構出てきます(笑)




西遊記は本当、人気のある作品が多いですね。








さて。






この、悟空という名前。




「悟りとは空(くう…心に何もない事)そのものである」


とか、


「我、空である事を悟る」


と言った意味で。




仏教の法名では、オーソドックスな名前の一つだそうです。





そんな中で、


悟空という名前の僧が、

玄奘三蔵と同じく、

インドまで旅をした史実があるのをご存じでしょうか?







悟空(ごくう、731年 - 没年不明)は、中国唐代の仏教の僧侶です。


俗名を「車 奉朝」というので、

『車 悟空 (しゃ ごくう』と、よばれています。


もともとは、唐の時代の官吏でした。

天竺へ取経に出た僧に同行しましたが、ガンダーラで病に伏し、別れました。



ほどなく出家して「ダルマダーツ」(達摩駄都、Dharmadhatu…漢訳では「法界」)と名乗ります。


各地を回り、仏典を漢字に訳してもらうよう頼んで回ったといいます。


約40年ぶりに帰国を果たし、

翌年、徳宗皇帝に拝謁し、仏典・仏舎利等を奉呈しました。

そして、勅命により正式に得度(出家のための儀式)し、「悟空」の名を賜りました。



その後は、仏典漢訳に従事し、徳宗の崇敬を受けたといいます。入寂の年は不明だそうです。


悟空の天竺への往復に関する旅程・経由地の図録は『悟空入竺記』としてまとめられた。

また『宋高僧伝』の巻3に「唐上都章敬寺悟空伝」として伝記が載せられている。

『西遊記』のストーリーの元になった三蔵法師(玄奘三蔵)の行跡と比較して、玄宗皇帝時代に西域経由でインドまで赴いたこと、仏教の経典を唐に持ち帰ったこと、旅の途中の地誌を旅行記として残した(『大唐西域記』)ことなどが共通します。


そのため『西遊記』物語における、「西天取経」の旅をする三蔵法師の従者・孫行者の名前として、同様の西天取経僧である「悟空」の名が与えられた、とされています。



玄奘三蔵にモデルがいた事は、うさ吉、知っていましたが、


悟空も、モデルがいたとは…




知りませんでした。( ̄◇ ̄;)






まだまだ、勉強不足です(笑)









続く。











あ、そうそう…



⬇︎ドラゴンボールは初期と、

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フリーザ編が一番好きです(・ω・)ノ







悟空と悟飯ちゃんが強くなり過ぎて、魔神ブゥ編はどうなるか本当心配でした(笑)

悟殿ちゃんの屈託のなさが、好きです(・ω・)ノ






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