【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
☆認知症ばーちゃん&うつ病長女&心身症孫
のドタバタ話 →こちらから
☆姑はなぜ自分の家を追い出されたのか?
→こちら (発端)
次男夫婦と同居するため家を建ててあげたのに、同居したら鬼嫁👹にひどい扱いをされ、最後はその家を鬼嫁👹に追い出されて、わが家に引っ越して来たばーちゃん(姑)の、ワガママカマッテチャンぶりについては、こちらを見てね
(こっちのばーちゃんのお話です🙇)
「僧侶のお布施、お葬式、出棺へ」のつづきです
☆これまでの話
ばーちゃん(姑・96歳要介護3)は、特養で元気に暮らしていたが、昨年秋、高熱が出て、病院へ運ばれてそのまま入院。重篤な状態が続いたけど、そのあと病状が安定、個室から4人部屋へ
普通の点滴を入れる血管が無くなって、夫が中心静脈栄養を決断したら、最も重い状態の医療区分3にあたり、療養病棟へ。
ばーちゃんは喋ることも食べることも飲むことも、自分で寝返りさえも出来ない。胃ろうなどもせず、最低限の点滴だけ
それでも1日おきに面会へ行ったとき見せるひ孫の動画は楽しみだったみたい。
深夜病院から電話があって、急遽病院へ。
ばーちゃんにお別れを言って、家族葬の会館へ。そこでお通夜とお葬式。
葬儀場から出棺、焼き場、炉前へ
★お葬式当日
お布施20万円 車代・膳料2万円 初七日3万円 計25万円を3つの封筒に分けて、お葬式前に住職さんに渡す。
★出棺へ
夫、息子、長女の婿殿、11歳の孫も手を添えて、棺を霊柩車へ。住職さんは小さな鐘(おりん)を鳴らしながらお経を唱える。
霊柩車は、昔みたいな木造の建物が付いたような宮型霊柩車ではなく、長ぼそい車。
位牌を持った夫、遺影を持った私が乗り込む。
後はどなたが行かれますか?
とスタッフに聞かれて、
「じゃあ、オレが行こうか」と息子
「あ、それじゃあ私も行くわ」と長女が息子の車に乗り込み、あとのメンバーは葬儀場に残った。
これは見解が人によって違うのかもしれない。私の母の葬儀の時は、姪は
「人間は最後、どうなるかっていう勉強になるから見せたほうが良い」と言って、
当時6歳と4歳くらいの子供たち(男子)を焼き場へ連れて行っていた↓↓↓
👆「焼き場」という言葉は露骨過ぎて使う気になれず、今までは「斎場」を使っていたけど、「斎場」では葬儀場の意味になるみたい。。。すみません🙇
焼き場は車で15分位の所にあった。
★案内されて、炉の前へ。
じーちゃんや義弟のときは、古い設備だったせいか、はだかのコンクリートの寒々した光景だったけど、こちらはまるで、ホテルの部屋の廊下のように近代的。
お坊さんがお経を唱える中、棺が炉の中へ吸い込まれていく。
ああ、この音。。。ミューンっていう、電気音。
ばーちゃんがショートステイに行くときにばーちゃんの乗った車いすが、ハイエースに吸い込まれていくときの音と同じで。。。
とうとう、あの時に予感していた「そのとき」が来てしまった↓↓↓
長くなるのでつづきは明日に🙇
☆姑の足が動かなくなってから特養に行くまで
「突然ですが…ばーちゃんが・・・」
「静かに逝ってしまったばーちゃん」
「ばーちゃんへお別れの言葉は」
「よく頑張ったね、ばーちゃん!」
「看護師との最後の意味深な会話」
「1秒でも早ければ」
「霊安室でのこわーいお話」
「鬼嫁へ姑永眠の連絡をするべき?」
「姑の不動産巡り義弟嫁と夫のバトル」
「財産盗った鬼嫁への子供達の怒り」
「鬼嫁に連絡すべきと言い張る次女」
「棺に入れてと言ってた大事な物とは」
「御朱印付白装束が見つからない」
「家族葬打合わせ、足袋を履かせない?」
「白装束の代わりにコレで我慢してね」
「鬼嫁を式に呼ばなくてよかった」
「お通夜当日次女親子が帰ってきた」
「お通夜直前の最終打ち合わせ」
「我が家だけの文字通りの家族葬」
「お経唱える住職の後ろで踊る孫2歳」
「記念撮影、通夜精進落とし」
「通夜の日は工事・断水・発熱の3重苦」
「発熱で蘇る舅葬儀での鬼嫁の態度」
「舅の葬式と姑の家族葬決定的違いは」
「姑葬式会場はひ孫達の記念撮影会に」
「僧侶のお布施、お葬式、出棺へ」