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(ShowZoh)ショーゾーのブログ

投稿テーマは主に3つ。
ご当地キャラ:ご当地キャラに関するもの。
写真:趣味の写真に関するもの。
考察:非科学的と言われている事に、科学的な根拠を考えてみる仮説。
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前回の投稿で、刻一刻と変わる空と雲の表情が分かる写真をいくつか選んでみました。

 

今回は、夕焼け空、夕陽に染まる空と雲の表情を選んでみました。

 

同じ場所から見える夕景でも、日によって雲の多さ形、夕陽の角度で全く違う表情になります。

 

レンズの焦点距離(標準、広角)やアングル(横、縦)の違いで、広がりや奥行きも変わります。

 

駅のホームから見える夕焼け。

動画で見る都会の駅の夕方の風景。


夕陽が地平線に沈む直前、光が下から雲に光が当たったり、雲間から上に抜ける残照が見えたり、厳かな空気が下りてきます。

 

夕方が終わりかけた頃、暮れなずむ街。

 

最後に、広島の厳島から戻る途中、海から見えた残照。島全体が神の領域と言われ、通称「宮島」と呼ばれる神聖な領域です。

動画も2本。すれ違うフェリーと、厳島神社の鳥居からパンして見える残照。

 

いかがでしたでしょうか。

空の広さや高さ、大地と空間、昼と夜の境界、地球と太陽と宇宙の広大さまで感じられませんか?

 

雲って、色んな色や形が有って、刻一刻と変わる表情が面白いですね。

気になって撮った雲の写真が貯まってるので、去年の夏以降に撮った写真と動画を選んでみました。

 

高さが違う雲は、風の流れの影響で、色々な形が同時に見られます。

 

白い小さい塊の雲が集まってできる巻積雲。形や大きさによって、鯖雲、鰯雲、鱗雲、羊雲、と呼ばれます。これは何雲でしょうね?

 

遠くは青空なのに、自分の周りにだけ雲が有ったりする、雲のムラ。空気の塊同士の境界線、せめぎあいを感じる事が有ります。

 

薄い雲間から薄日が差している空の陰影、グラデーションとコントラストも、ずーっと見ていられます。

 

洗濯板みたいな雲。気流が波打ってるんでしょうね。規則正しい模様が、誰かが描いたみたいで、却って不思議です。

動画も撮ってあります。

 

夕方が近づいて、横からの夕陽でオレンジ色に染まり始めた雲。この時間帯は、刻一刻と変わる空と雲の表情から、時間の悠久な流れの中から切り取られた一瞬を感じられます。

 

夕方の写真と動画は、次の投稿で。

 

ネタが無くて、久しぶりの投稿。

 

突然ですが、僕は左利きです。
小学1年生の頃は、鉛筆を左手に持って書いていましたし、食事する時のお箸も左手に持っていました。

僕が生まれ育った昭和時代は、左利きは不便だから右利きに「矯正」する、という風潮が有り、左利きを気にした両親に勧められて、筆記具と箸は右手で持つように練習しました。

 

その結果、お箸は元々左手で使っていた期間が短かったので、今では右手でしか使えませんが、スプーン、フォーク、ナイフは、今でも左右どちらでも使えます。

 

問題は文字です。

筆記具は、当時は左右どちらでも書けましたが、その後左手で書く機会が無かったので、今では右手でしか書けません。

それは良いのですが、右手で書く文字、いくら練習しても歳を重ねても、全く上手くなりませんでした。大人になっても、小学生が書くような文字しか書けないんです笑い泣き

言い訳すると、たぶん右手は利き手ではないので、不器用なんでしょうねぇ。文字に関しては、そこで成長が止まった感じです。

高校生の頃、友達に手書きの年賀状を出したら、「小学生の弟宛てかと思ったゲラゲラ」って笑われましたよ。

 

スポーツ関係は、左利きの方が有利な事も多い、という事で、左利きのままです。

普段は、筆記具も箸も右手で持っているので、僕が左利きだと気付いていない人が多いのですが、一緒に野球やボーリングをした時に「えっ!?左利きだったの??」って言われる事が多かったですね。

 

他も含めてまとめると、

・文字は右手でしか書けなくて、字が下手です(小学生の頃から上達しない)

・スプーン、フォーク、ナイフは左右どちらでも使えます

・お箸は右手でしか使えません。

・包丁は左手でしか使えません。

・はさみは最初から右利き用を普通に使っています。

・ライターは、右手でも左手でも着けられます。

・スマホは右手でも左手でも持って操作できます。

ってう感じですね。

 

左利きの人、ナチュラルなままで行きましょう!

 

 

 

 私の新年の抱負はズバリ!

「ダイエット」

 

在宅ワークがほとんどの生活に変わってから、圧倒的に運動不足が続いています。

食欲は変わらないし、もともと甘い物が大好物なので、完全にカロリーオーバーですね。

怖くて体重計に乗れません。

元の体系に戻さないと、着られる服が...

頑張ります!

 

 

 

 

 

 

 

不思議な出来事にも何か根拠が有るのでは?という考察シリーズ。

今回は、生命の危機が迫った時に見ると言われている走馬灯について、昔から良く有るデータベースの仕組みに当てはめて考えてみました。

 

  記憶には取り出し易さのレベルが有る

一口に「記憶」と言っても、全ての記憶が同じように扱われている訳ではありません。何段階かのレベルに分けられます。

例えば、こんな経験、有りませんか?

  1. パソコンやスマホでいつも入力しているパスワードや自分の名前は、指が自然と動いて入力できる
  2. よく会う人の名前はパッと分かる
  3. 久々にあった人の名前を思い出すのに時間が掛かる
  4. なかなか思い出せず、諦めて別の事をやってる時、だいぶ経ってから急に思い出す

使用頻度が高いかどうかで、記憶の取り出し易さに差が有るようです。

 

  日常生活に例えると

上の例の記憶の置き場所を日常生活の物の置き場所で例えてみます。

  1. 最も頻繁に使用する物は、出しっ放しで、いつも手元に置いてあるか、身に着けている
    (例:リモコン、スマホ、etc.)
  2. 出しっ放しする程ではないけどよく使う物は、棚や引き出しに整理して収納している。
    (例:引き出しやバインダーや収納ケースに中身が分かるようにシールを貼る、etc.)
  3. ほとんど使わない物は、押し入れや天袋、手の届きにくい棚や抽斗に収納している。
    (例:オフシーズンの服や小物、たまにしか使わないホットプレートや鍋、etc.)
  4. ほぼ使う事は無いが、捨てられない物は、適当な所に入れっ放しにしたり、物置等に整理せずに雑然と収納している。
    (例:子供の頃の思い出の品、記念品、使わなくなったけど捨てるには惜しい物、etc.)

4番の例は分かり難いかも知れませんね。探している時には見つからなかったのに、他の物を探している時に「あ、こんな所に有ったのか」ってたまたま見つかったりするアレです。

 

  データベースに例えると

IT関係でデータベースを扱った事がある人は、昔から有るデータベースの検索の仕組みに当てはめると、分かりやすいかも知れません。

  1. いつも手元に置いといて、繰り返し使う情報は、「キャッシュ」に置かれていて、いちいち記憶をたどらなくても、パッと使える状態。
  2. 良く使う情報は、「インデックス」が付いたデータベースに格納して、検索すればすぐに取り出せる状態。
  3. ほとんど使わない情報は、インデックスの無い「シーケンシャルファイル」に雑然と保管されていて、頭から順番に探す必要がある。
  4. ほぼ使う事が無い情報は、「アーカイブ」に移されて、普段は忘れ去られています。万が一必要になったら、アーカイブから読み込み直す必要がある。
どうでしょう?人間の記憶って、コンピュータのデータベースと似たような仕組みだと思いませんか?
 
思い出せなかった事を、だいぶ経ってからパッと思い出すのは、
  • 3番や4番の検索に時間が掛かりすぎて、その場では思い出せなかった。
  • その後も頭の片隅で記憶の検索は続いていて、やっと見つかった時にパッと出てくる。

というマルチタスクのバックグラウンド処理なんでしょうね。

緊急度が低い検索なので、優先度が低いバックグラウンドの別タスクとして、頭を使っていない隙間で検索し続けてるんでしょう。

 

  人生の走馬灯とは?

データベースに例えた説明の3番。「頭から順番に探す」にピンと来た人もいるでしょう。そう、雑然としまわれた記憶を片っ端から検索している時に見えるのが、人生の走馬灯と考えられています。

 
トラブルに遭遇すると、過去に似たような経験が無かったか思い出そうとします。
転びそうになった、何かを無くした、忘れ物をした、怪我をした、体調が悪い、etc.
そういう時にどのように対処すれば良かったかを、自分の記憶から探そうとします。
よくある軽いトラブルなら、上の2番のインデックス検索までで何とか見つかりそうですね。
 
しかし、それまでの人生で経験した事が無いような重大な事態は、2番まででは見つからないでしょう。そうなると、過去のありとあらゆる経験から、何とか対処方法を見つけようとして、3番の検索が始まります。これがあたかも走馬灯のように見えるんですね。
3番で見つからなければ、さらに、奥底に眠っていた4番の古い記憶まで引っ張り出してきます。長い間すっかり忘れていた風景や出来事がランダムに出てくるのは、こういう事なんですね。
 

  後から思い出すのと、走馬灯との違い

前の方で説明した「思い出せなかった事を、だいぶ経ってからパッと思い出す」のも、同じ3番や4番の検索ですが、これは走馬灯のように見えていません。何が違うのか?

 

それは、優先度の違いと考えられます。

緊急度が低い検索は、優先度が低いバックグラウンドの別タスクでしたが、生命の危機にも繋がる緊急事態では、脳みそをフル稼働させて、最優先のフォアグランド処理として処理しているため、検索している情報が、全て視覚イメージとして認識されるものと考えられます。
この辺も、コンピュータと似ていますね。
 

 

あとがき

いかがでしたでしょうか。

人生の走馬灯、見てみたい気もしますが、そんな事態にならないように気を付けましょうね。
 

 

「オカルト」とか「非科学的」と言われる事にも、何か根拠が有るかもしれない、という考察シリーズ。

今回は「言霊」について感じている事をまとめまてみました。

 

 

  言霊とは

言葉や文字に神秘的な力が宿っている、という考え方は、かなり古い時代から有ったそうです。

呪文」や「祝詞」は、言葉に宿る力の利用方法ですし、「ちちんぷいぷい」や「痛いの痛いの飛んでけ~」と言った「おなじない」も、言葉を使った効果を期待するものです。

声に出す言葉だけじゃなくて、文字として書いた言葉(壁に張った標語や額)にも同じような効果が有るようです。

 

良い結果をもたらす言葉だけではありません。恨みつらみを晴らすために、他人に向けた呪いの言葉や、自分の能力が及ばない事を悲観する否定的な言葉など、ネガティブな言葉にも言霊の効果は出てしまうようです。

 

 

  言霊の力とは

言葉や文字に宿っている力、それを一言で言えば、

暗示

という事なのでしょう。

 

願いや目標を言葉として口にする事で、自分の深層心理に刷り込まれた「自己暗示」に掛かると思われます。

その結果、目標に向かって前向きな気持ちが持て、意識的にも、無意識にも、目標を実現するために必要な事を自然と選択し、積極的に行動できるようになる、という効果が考えられます。

また、周りの人も「あの人は○○を目指している」という暗示に掛かる事で、意識的にも、無意識にも、その人の目標実現に協力的な態度をとってくれやすくなる、という効果も有ると思います。

 

 

  言霊の例

不安を感じた時に「大丈夫」と言う事で、自分を落ち着かせ、冷静さを取り戻し、解決策を思いついたり、本来の実力またはそれ以上の力を発揮できる

周りの人の不安感も取り除かれ、安心感を与え、信頼と応援を得られる。

 

「自分には無理」「出来ない」と悲観的な言葉を口にすると、気持ちが後ろ向きになって、実力を発揮できなくなる

周りの人の目も否定的になり、見離される。

 

 

 

 あとがき

僕の座右の銘は「何とかなる」「どうにかなる」です。言葉だけ見ると、能天気で人任せに見えますね。でも、自分の意識の中では逆です。

トラブルが有っても、「大丈夫、何とかなる」そう思い込む事で、「何とかする」「どうにかする」という能動的な意識が持てます。諦めない気持ちが、課題に対する解決策や、十分な成果を得るために足りない事を考えようとする姿勢に繋がります。

 

最近、昔から影ながら応援しているソロアイドルさんのnoteの投稿で、

気にしいで心配症だけど、最後にはなんとかできる気がして、信じてしぶとく続けてしまうのです。

という文を見ました。出典は以下。

この「最後にはなんとかできる気がして」という一言を見た事が、今回この記事を書く切っ掛けになりました。

同じ投稿に、書かれていた「続けているからこその矜持」という言葉と、その後に続く

自分のアイドル人生において、今が「後半戦」にあたるのかはわかりませんし、もちろん、まだそうは言わずに、もっともっと長く頑張りたいという気持ちでおります!
が、だからこそ、これを機にまた、「ここからひっくり返すぞ」という気合を入れ直して、コピーの勉強や発信も、そしてアイドル活動も精進したいと思います!

という文章に、強い決意と覚悟を感じました。

 

もう一人、最近30歳を迎えた気鋭のロッカーがボーカルを務めるバンドのライブに参加した時、MCで語っていた決意と、その後の発表を見て、やはり同じような矜持と覚悟を感じました。

https://x.com/DrawingtheNazca/status/1735993225377419772?s=20

"覚悟を決める"その一心で会社設立を決めました。

 

この二人の「矜持」と「覚悟」に触れて、今回の「言霊」という投稿を思いつきました。

書いた内容は、以前から思っていた事ですが、応援の意味も込めて、言霊の力を信じたいと思っています。

 

 

前回投稿した卒煙に関する考察です。

何度も禁煙に失敗した経験と、禁煙補助剤を使って禁煙に成功した時に分かった事が有ります。それを整理してまとめてみました。

 

 

  煙草を吸いたくなる理由(ニコチン依存症と習慣性)

煙草を吸い始める切っ掛けは、人それぞれですが、少し吸うだけ、たまに吸うだけ、の人は、吸わなくても我慢できるでしょう。

しかし、長期間吸い続けているうちに、煙草を止めようとしても、吸いたくて我慢できなくなります。

禁煙しようとした時に、吸いたくなったタイミングから、次の2つの理由が考えられました。

・ニコチン依存症

・習慣性

 

①ニコチン依存症

煙草を吸う事によって取り込まれたニコチンが、脳内のニコチン性アセチルコリン受容体と結合する事によって、快楽を招く脳内神経伝達物質であるドーパミンが大量に放出され、強い快感が得られます。

煙草を長期間吸っていると、血中にニコチンが滞留するようになり、ある程度の濃度でバランスが取れた状態になります。

ニコチンが少しずつ排出されて、血中のニコチン濃度が下がってくると、そのバランスが崩れ、不快感を感じてしまうようになります。

その状態で煙草を吸うと、ニコチン濃度が上がり、バランスが取れ、不快感が解消されます。

これが、ニコチン依存症で煙草を吸いたくなる理由です。

朝起きた時、長時間の会議や公共交通機関での移動の時等、血中のニコチン濃度が下がった状態になると、煙草を吸いたくなります。

 

②習慣性

これは、いつも煙草を吸っているシチュエーションになると、血中のニコチン濃度が足りていても、条件反射的に吸いたくなる、というケースです。いわゆるパブロフの犬と一緒ですね。

例えば、食後の一服等がこれに該当します。また、仕事のキリが良いタイミングとか、交通機関を降りた時とか、ニコチンの血中濃度がそれほど下がっていなくても、習慣的に吸いたくなってしまうのがこれです。

 

 

煙草を止められなかった理由 

急に煙草を止めようとしても、上の2つの原因を取り除かなければ、禁煙の辛さが強いストレスとなってしまい、よほど強靭な意思の持ち主でなければ、挫折してしまいがちです。それぞれの原因に対して、軽減する対策が必要です。

 

 

  煙草を止められた理由

上の二つの原因に対して、以下のように軽減を図りました。

 

①ニコチン依存の軽減

軽い煙草に変える事と、吸う本数を少しずつ減らして行く事で、ニコチンへの依存度を少しずつ下げました。前の投稿に書きましたが、止める直前には、一番軽い1mgを1日に1箱まで減らしていました。

しかし、最終的に止めるには、それだけでは不十分。時間が掛かり過ぎます、

 

②習慣性の軽減

決め手になったのは、「煙草を咥えて火を着ける」という習慣を断ち切る事。

ニコチンの血中濃度が低くなった時は、禁煙補助剤を使ってニコチンを補う事で、煙草を吸わなくても、不快感が治まるようにしました。

また、ニコチンの血中濃度に関係無く、習慣的に吸ってしまうタイミングでは、煙草を咥える代わりにミントタブレットやガムで口寂しさを誤魔化し、昼休みの食後の一服タイムが無くなった分、時間を持て余して散歩する習慣も身に付きました。

 

 

   

いかがでしたでしょうか。注意点として1つ挙げると、

禁煙のコツは、依存性と習慣性の両方を解決する事。

これが僕の結論でした。

 

 

 後書き

喫煙習慣が無い人は、煙草の煙の臭いに敏感ですね。嫌な臭いなんだと思います。

僕は喫煙経験が有るので、煙草の臭いには慣れています。嫌な臭いではなく、懐かしい香り、という感覚です。

禁煙していても、卒煙できていない人は、煙草の誘惑を断ち切れず、酒の席で隣の人が吸っている煙草の香りに誘われて、つい吸ってしまう、というような失敗を耳にする事が有ります。

僕は、煙草の臭いを「懐かしい」とは思っても、吸いたいと思う事はありません。そこまで行って、初めて卒煙と言えるんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

一日2~3箱吸っていたチェーンスモーカーが、完全禁煙した思い出話です。

 

チェーンスモーカー時代

僕が若かった頃は、酒や煙草は大人の嗜み、という昭和の真っただ中。駅のホームや列車のボックス席、新幹線や飛行機の座席にも灰皿が有って、路上のポイ捨ても当たり前のような時代でした。

学生の頃は1日1箱程度でしたが、卒業して社会人になってからは、オフィス内の自席で普通に吸える環境だった事もあり、気付いたら無意識のうちに煙草に火を着けている、というチェーンスモーカーになっていました。1日に2~3箱、しかも、格好付けて強めの洋もくを吸ったりしていました。

 

分煙時代

やがて時代は移り、喫煙の害だけではなく、受動喫煙の害ポイ捨てによる環境破壊等も問題視されるようになり、嫌煙権、分煙、禁煙、といった流れが主流になってきました。

路上喫煙でポイ捨てしないように、携帯灰皿を持ち歩くのは、喫煙者の当然の嗜み。

しかし、オフィスの自席では吸えなくなり、喫煙室まで移動しなければならないとか、公共の場所でも吸える場所が減ってきて、喫煙場所を探してさ迷ったり。

吸う本数が減った分を補うため、より強い煙草に変えてみたりしていました。

強い煙草に変えると、一時的に本数は減ります。しかし、吸うペースは生活のリズムに合わせたタイミング(起き抜け、食後、電車を降りたり建物を出たりして、吸える状態になった時、等)で吸う事になるので、そのうち元の本数に戻りました。

この頃吸っていた本数は、一日1箱半程度でした。

 

禁煙失敗時代

やがて不惑を過ぎ、厄年を迎え、体調の不調を感じる年代になりました。

体調が悪い原因として、煙草も良くないんじゃない?と指摘され、確かに多めに吸った次の日は体調を崩しやすい傾向が有る事に気付きました。

試しに禁煙しようとしましたが、1~2日で我慢できずに吸ってしまう元の木阿弥。そう簡単には止められそうにありませんでした

 

減煙時代

急に止めるのは難しかったので、せめて軽い煙草に変えてみました。

当初は、身体がニコチンを欲するのか、満足できずに吸う本数が増えましたが、吸うペースは上に書いた通り、生活のリズムに合わせたタイミング(起き抜け、食後、電車を降りたり建物を出たりして、吸える状態になった時、等)で吸う事に慣れるので、そのうち元の本数に落ち着きました。

また、なるべく吸わないように我慢して、1日1箱程度に抑えられるようになっていました。

 

卒煙へ

喫煙者への風当たりはますます強まり、吸える場所がますます減って、体調もますます悪くなり、煙草値上げのニュースを切っ掛けに、本気で禁煙を考えるようになりました。

過去に禁煙に何度も失敗した経験を思い出し、ちゃんと止めるために利用したのは、禁煙補助剤でした。

禁煙補助剤には、貼るタイプと噛むタイプがありますが、僕が利用したのは噛むタイプのニコレット。説明書には、元々吸っていた煙草の強さに本数に応じて、止めるまでの日数と、摂取する量の減らし方が書いてありました。

その時点で、一番軽い煙草を1日1箱程度でしたので、最短の1週間で止められる計画。

様子を見ながら量を調整し、予定より短い5日間で、完全禁煙に成功しました。

 

禁煙した後、また吸い始める人も居るようですが、あれから15年以上経っても禁煙は続いています。

 

 

 

 

 

占いについて、普段から感じている事をまとめています。

今回は「後書き」ですが、一番言いたかった事。


前置き:【考察】占いって信じます?

 

① 統計的な要素

 

② 占い師さんのコンサルティング能力

 

③ 占い師さんの特殊能力

 

後書き:占いの利用方法(←この投稿)

 

 

占いの結果をどう利用するか?

良い事、悪い事に一喜一憂する楽しみ方も有ります。

良い事を言われた時は、安心したり、テンションが上がったりする心理的なメリットは有りますね。

 

では、悪い結果が出た時はどうしましょう?

凹んでテンションの低いまま過ごしますか?

 

僕は、占いはコンサルティングだと捉えています。

なので、悪い結果は、何に注意すれば良いのかのアドバイスとして受け止めるようにしています。そうすれば、凹むことなく、用心深く、前向きに過ごすことができます

どんな根拠が有るのか分からない占いも有りますが、生活のワンポイントアドバイスとして、スパイスのように日々の生活を味変してみるのも良いと思いませんか?