【考察】走馬灯って見た事ありますか?~記憶はデータベース~ | (ShowZoh)ショーゾーのブログ

(ShowZoh)ショーゾーのブログ

投稿テーマは主に3つ。
ご当地キャラ:ご当地キャラに関するもの。
写真:趣味の写真に関するもの。
考察:非科学的と言われている事に、科学的な根拠を考えてみる仮説。
<https://ameblo.jp/showzoh/entry-12841125446.html>

 

不思議な出来事にも何か根拠が有るのでは?という考察シリーズ。

今回は、生命の危機が迫った時に見ると言われている走馬灯について、昔から良く有るデータベースの仕組みに当てはめて考えてみました。

 

  記憶には取り出し易さのレベルが有る

一口に「記憶」と言っても、全ての記憶が同じように扱われている訳ではありません。何段階かのレベルに分けられます。

例えば、こんな経験、有りませんか?

  1. パソコンやスマホでいつも入力しているパスワードや自分の名前は、指が自然と動いて入力できる
  2. よく会う人の名前はパッと分かる
  3. 久々にあった人の名前を思い出すのに時間が掛かる
  4. なかなか思い出せず、諦めて別の事をやってる時、だいぶ経ってから急に思い出す

使用頻度が高いかどうかで、記憶の取り出し易さに差が有るようです。

 

  日常生活に例えると

上の例の記憶の置き場所を日常生活の物の置き場所で例えてみます。

  1. 最も頻繁に使用する物は、出しっ放しで、いつも手元に置いてあるか、身に着けている
    (例:リモコン、スマホ、etc.)
  2. 出しっ放しする程ではないけどよく使う物は、棚や引き出しに整理して収納している。
    (例:引き出しやバインダーや収納ケースに中身が分かるようにシールを貼る、etc.)
  3. ほとんど使わない物は、押し入れや天袋、手の届きにくい棚や抽斗に収納している。
    (例:オフシーズンの服や小物、たまにしか使わないホットプレートや鍋、etc.)
  4. ほぼ使う事は無いが、捨てられない物は、適当な所に入れっ放しにしたり、物置等に整理せずに雑然と収納している。
    (例:子供の頃の思い出の品、記念品、使わなくなったけど捨てるには惜しい物、etc.)

4番の例は分かり難いかも知れませんね。探している時には見つからなかったのに、他の物を探している時に「あ、こんな所に有ったのか」ってたまたま見つかったりするアレです。

 

  データベースに例えると

IT関係でデータベースを扱った事がある人は、昔から有るデータベースの検索の仕組みに当てはめると、分かりやすいかも知れません。

  1. いつも手元に置いといて、繰り返し使う情報は、「キャッシュ」に置かれていて、いちいち記憶をたどらなくても、パッと使える状態。
  2. 良く使う情報は、「インデックス」が付いたデータベースに格納して、検索すればすぐに取り出せる状態。
  3. ほとんど使わない情報は、インデックスの無い「シーケンシャルファイル」に雑然と保管されていて、頭から順番に探す必要がある。
  4. ほぼ使う事が無い情報は、「アーカイブ」に移されて、普段は忘れ去られています。万が一必要になったら、アーカイブから読み込み直す必要がある。
どうでしょう?人間の記憶って、コンピュータのデータベースと似たような仕組みだと思いませんか?
 
思い出せなかった事を、だいぶ経ってからパッと思い出すのは、
  • 3番や4番の検索に時間が掛かりすぎて、その場では思い出せなかった。
  • その後も頭の片隅で記憶の検索は続いていて、やっと見つかった時にパッと出てくる。

というマルチタスクのバックグラウンド処理なんでしょうね。

緊急度が低い検索なので、優先度が低いバックグラウンドの別タスクとして、頭を使っていない隙間で検索し続けてるんでしょう。

 

  人生の走馬灯とは?

データベースに例えた説明の3番。「頭から順番に探す」にピンと来た人もいるでしょう。そう、雑然としまわれた記憶を片っ端から検索している時に見えるのが、人生の走馬灯と考えられています。

 
トラブルに遭遇すると、過去に似たような経験が無かったか思い出そうとします。
転びそうになった、何かを無くした、忘れ物をした、怪我をした、体調が悪い、etc.
そういう時にどのように対処すれば良かったかを、自分の記憶から探そうとします。
よくある軽いトラブルなら、上の2番のインデックス検索までで何とか見つかりそうですね。
 
しかし、それまでの人生で経験した事が無いような重大な事態は、2番まででは見つからないでしょう。そうなると、過去のありとあらゆる経験から、何とか対処方法を見つけようとして、3番の検索が始まります。これがあたかも走馬灯のように見えるんですね。
3番で見つからなければ、さらに、奥底に眠っていた4番の古い記憶まで引っ張り出してきます。長い間すっかり忘れていた風景や出来事がランダムに出てくるのは、こういう事なんですね。
 

  後から思い出すのと、走馬灯との違い

前の方で説明した「思い出せなかった事を、だいぶ経ってからパッと思い出す」のも、同じ3番や4番の検索ですが、これは走馬灯のように見えていません。何が違うのか?

 

それは、優先度の違いと考えられます。

緊急度が低い検索は、優先度が低いバックグラウンドの別タスクでしたが、生命の危機にも繋がる緊急事態では、脳みそをフル稼働させて、最優先のフォアグランド処理として処理しているため、検索している情報が、全て視覚イメージとして認識されるものと考えられます。
この辺も、コンピュータと似ていますね。
 

 

あとがき

いかがでしたでしょうか。

人生の走馬灯、見てみたい気もしますが、そんな事態にならないように気を付けましょうね。