心霊体験したことある?
▼本日限定!ブログスタンプ
去年投稿した「怖い体験談」シリーズ。
4つとも、自分の実体験です。
そろぞれのエピソードに対して、考察もしてみました。
皆さんは、不可思議な経験、したことありますか?
心霊体験したことある?
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去年投稿した「怖い体験談」シリーズ。
4つとも、自分の実体験です。
そろぞれのエピソードに対して、考察もしてみました。
皆さんは、不可思議な経験、したことありますか?
千葉県柏市のあけぼの山農業公園。
風車前の花畑には、四季折々の花が植えられ、訪れる人を楽しませてくれます。
前回の投稿で、この時期に満開となる向日葵の写真と、撮り方による写り方の違いについて書きました。
今回は、同じあけぼの山農業公園の風車の横に有る池とスイレンやハスの写真を紹介しながら、狙った構図についても触れてみます。
向日葵畑から見ると、風車の左側、並木の奥に池が有って、スイレンとハスが咲いています。
スイレンとハスって同じ物だと思っていましたが、違うんですね。初めて知りました。
ここに写っているのは、スイレン科スイレン属のスイレン。
スイレンは、光沢と切れ込みがある葉で、水面に浮かぶように花が咲きます。
これらは、「三分割構図」、「対比構図」と「対角線構図」、「日の丸構図」ですかね。
こっちはハス科ハス属のハス。
ハスは、葉に光沢や切れ込みは無く、水面より高い位置で花が咲きます。
風車とハスを一緒に。ハスの背景に風車、風車の前景にハス、という撮り分けをした構図。
遠景に向日葵畑を入れるという構図。
ハスは、花が終わると、中心に有った蜂の巣のような「花托(かたく)」が残り、「果托(かたく)」となります。これが熟して硬くなり、種ができます。
写したい物をバランス良く配置したつもりの構図です。
水辺にはトンボが付き物。これはシオカラトンボらしいです。
「対比構図」と「日の丸構図」か、微妙ですが「三角構図」に見えなくもない?
トンボが飛んでいる所を流し撮りしたかったのですが、ピント合わせが間に合わず、断念しました。
久々に、写真について語った投稿でした。
今回、改めて構図について調べてみましたが、まだまだ工夫の余地が有るなぁ、と気付きました。
写真も奥が深いですね。
千葉県柏市のあけぼの山農業公園。
風車前の花畑には、四季折々の花が植えられ、訪れる人を楽しませてくれます。
風車を背景に撮ると、後ろ姿の向日葵が多いですね。
風車側から撮ると、向日葵の顔が見えます。
向日葵は、花が咲くまでは太陽に顔を向けるように回るそうですが、咲いた後はその時の向きで固定されるそうです。面白いですね。
今回は、撮り方による写り方の違いについて少し触れてみます。
次の2枚は同じ位置から撮っていますが、違いはカメラの高さと向き。
1枚目は人間の目線の高さから正面向き、2枚目は手を上に伸ばして少し高い位置から若干下向きに撮っています。
2枚目の方が、花畑の広さや奥行き感を感じられると思います。
次の2枚も、カメラの高さと向きの違いで、1枚目は青空の広さと向日葵の華やかさ、2枚目は向日葵畑の拡がりを撮りたかったのですが、伝わりますか?
他にも、低い位置から上向きに撮る「煽り」で高さを強調したり、高い位置から見下ろすように撮る「俯瞰」で奥行きの拡がりを写し取る事ができます。
撮る時に、後ろに居る別の人や看板など、余計な物が写り込んでしまう事が有ります。
カメラを水平方向に構えると、被写体の後ろに有るものが写り込みやすくなります。
煽りや俯瞰で撮る事で、アングルが上や下にずれるため、被写体の後ろに有る余計な物を構図から外して撮る事ができます。
ポジション(=カメラを構える高さ)
アングル(=カメラを向ける向き)
次の2枚は同じ位置から撮っていますが、違いは画角。ズーム倍率と言った方が分かりやすいかもしれません。
1枚目はちょっとだけズームしていますが、標準に近い84mm(フルサイズ換算)、2枚目は望遠側にズームして270mm(フルサイズ換算)で、1枚目の左上の一群を撮っています。
1枚目に比べると、2枚目は手前や背景がボケやすくなっていて、ピントが合っている一群の向日葵が際立つように見えると思います。
画角は、焦点距離・ズーム倍率で変わります。広角と望遠の特徴は、ざっくりこんな感じです。
焦点距離が短い(=広角)
焦点距離が長い(=望遠)
次の2枚も、1枚目は全体的にピントが合っていて、平面的ですがたくさんの向日葵が咲いている全体的な雰囲気、2枚目は、ピントが合っている向日葵の立体感が伝わりますでしょうか。
次の2枚は、同じ風車の写真でも、画角によって雰囲気がガラッと変わります。
1枚目のように広角気味に撮ると、広い範囲が写りますので、向日葵畑の風景の一部として風車が配置されます。
2枚目は、風車をメインの被写体として、向日葵畑を前景にしています。
最初に書いたポジションとアングルは、主に上下方向の位置取りでしたが、最終的な構図やフレーミングを決める際は、左右方向の位置取りも重要です。
被写体を正面から捉えるか、横や斜めから撮るかで、それぞれ違った表情を切り取る事ができます。
望遠で引き寄せるだけでなく、標準や広角で斜めの位置から撮ると、奥行きや遠近感が出ます。
写真を撮る時は、最初に何を撮りたいのか、どう表現したいのか、を決めます。
その上で、何を写し込んで、何を写し込まないかの選択と、どう配置するかのバランスが構図です。
バランス良く配置するためには、上に書いた様々な要素を変えて調整して、思った構図を狙います。僕は、だいたい次の順番で決めて行きます。
ファインダーの中に、思った構図で風景を切り取る工夫も撮影の楽しみのひとつです。
ここまでの説明で使用した写真も、何をどう撮りたいかを考えて、構図を決めています。
今回撮った他の写真から、代表的な構図の写真を並べておきます。
被写体をド真ん中に置く「日の丸構図」
全体を三分割してセンターを外す「三分割構図」
二つを並べる「対比構図」
斜めに配置する「対角線構図」
遠近感が出る「消失点構図(放射線構図)」
上下や左右または周囲を手前の木などで囲む「トンネル構図(額縁構図、サンドイッチ構図)」
構図は他にも色々有りますが、あくまで参考です。
コツは、
だと思います。
これについては、以前の投稿の「考察」にも書きましたので、ぜひ見てみてください。
あけぼの山農業公園には、風車の横に池が有って、スイレンとハスが咲いています。
次の投稿で、その写真を紹介しながら、実際の構図の工夫についても触れてみたいと思います。
少し前に、僕が触れてきた音楽について、2回に分けて投稿しました。
あの時、「レコード」についてもっと色々書きたいネタが有ったのですが、長くなってしまったので割愛しました。
そんな書き足りなかったアレコレについて、思い付くままに書き記します。
レコード盤には、大きさや回転数で、いくつかの種類が有ります。
「最初に買ったのは、CDではなくLPレコード」と書きました。
この「LP」というのは、"Long Play"の略で、片面20~30分収録できます。
曲数が多いアルバムや、曲が長いクラシックに使われます。
直径12インチ(30cm)の大きいレコードです。
主にシングル盤に使われる直径7インチ(17cm)のレコード盤です。
ドーナツ盤は、中央の穴が大きく、見た目がドーナツのような形状です。プレーヤーにセットする際は、ドーナツの穴のサイズのアダプタを使用します。
「EP」は"Extended Play"の略で、片面7~8分収録できます。収録時間がLPよりは短いが、SPより長い、というネーミングです。
「SP」は"Standard Play"の略ですが、初期の頃に使われた形式で、今は使われません。
サイズはLPと同じ直径12インチ(30cm)ですが、収録時間は片面4~5分です。
LP盤は33回転、シングル盤(ドーナツ盤、EP盤)は45回転、SP盤は78回転。
回転数が大きい程、音質は良いのですが、収録時間は短くなります。
レコード盤には、渦巻き状の溝に、音の振動が波として刻まれています。
この溝の長さは、盤面の大きさでほぼ決まります。
回転数が大きい(速く回る)と、レコード針が溝をなぞる速さが早くなるので、再生できる時間は短くなりますが、同じ時間で表現できる音の波が細かくなるので、音質は上がります。
このため、曲数が多いアルバムには33回転で大きいLP盤、一曲を高音質で聴かせたいシングルにはドーナツ盤が使われます。
レコードを知らない世代は、「両A面シングル」という言い方にピンと来ますか?
レコードには表(A面)と裏(B面)が有ります。A面の再生が終わったら、レコード盤を裏返してB面を再生します。
シングル盤はA面に売りたい曲を収録し、空いているB面にはカップリング曲として本命ではない曲を収録しました。
B面には、売れる曲よりも、アーティストが気に入った曲や、実験的な曲が収録される事も有り、ファンからすると「B面に名曲有り」というケースも多いです。
「両A面シングル」とは、カップリング曲がオマケじゃなくて、両方とも売りたいシングル曲なので、裏も表もA面、という意味でこのように呼ばれます。
音楽遍歴①にも書きましたが、アルバムの曲順には、アーティストやプロデューサーが想いを込めたコンセプトが感じられます。
CDの場合は、オープニングからラストまで一気に聴ける事を想定した起承転結で曲順を構成します。
レコードにはA面、B面が有るので、途中でひっくり返すためのインターバルが有ります。A面のオープニング~ラスト、ひっくり返してB面のオープニング~ラスト、と芝居で言えば幕間を挟む起承転結の構成に、ひと工夫もふた工夫も有ると、ファンにはたまらない名アルバムとなります。
財布の中身が寂しい高校生は、当時2,500円の国内盤はなかなか買えませんでした。
輸入盤は、国内盤とは違い、帯やライナーノーツ(解説や歌詞が印刷された紙や冊子)が付いていません。また、反りで波打つように歪んでいる事が多く、あまり反りが酷い場合は針飛びでまともに聴けない事もあります。
その分、価格は安く、当時だいたい1,800円前後で買えました。
学生時代に良くウロウロしていた渋谷に「CISCO」という有名な輸入レコードショップが有りました。たまに掘り出し物があったり、気になるアーティストやジャンルのレコードを物色しに、月に2~3回は通っていましたね。
邦楽は、地元の貸しレコード屋を良く利用していました。
マスターが幅広いジャンルの音楽通で、顔馴染みになると、それまで借りたレコードから、系統の似たアーティストをおススメしてくれました。
輸入盤が手に入らなかったプログレッシブロックのアルバムを借りると、他のプログレのバンドを教えてくれたり、邦楽の好みから、ナイアガラトライアングルを薦めてくれたり、音楽の幅が拡がったのは、このマスターのおかげでした。
思い付くまま、レコードにまつわる思い出でした。
「干支(えと)は?」と聞かれたら「丑年(うしどし)です」のように答えますよね?
僕は「丑年」生まれですが、「干支」は「辛丑(かのとうし)」です。
「丑年」というのは「十二支(じゅうし)」のひとつで、「辛丑」というのは「干支」のひとつです。
では干支とは何でしょうか?
実は、「干支」の「干」は「十干(じっかん)」の「干」、「支」は「十二支」の「支」。十干と十二支を組み合わせて「十干十二支(じっかんじゅうにし)」、略して「干支」なんです。
言わずと知れた「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)」の12個。
元々は、古代中国の天文学で、12年で天空を一周する木星の位置を、天を十二分して示し、そこに動物に当てはめたのが由来だそうです。
なぜこの順番になったか、については有名な物語があります。
昔、神様が動物たちに「1月1日の朝、ここへ早くたどり着いた順に12番目まで、一年毎に動物の大将にする」とお触れを出しました。
しかしネコは話を聞いておらず、後からネズミに聞いたら「1月2日の朝」とウソをつかれました。
ウシは足が遅いので、早く出発し、最初に到着したのですが、ウシの角に掴まって一緒に来ていたネズミが前に飛び降りたため、ネズミが1位、ウシは2位となりました。
その後、トラ、ウサギ、タツ、ヘビ、ウマ、ヒツジの順に到着。
サルとイヌは仲良く一緒に向かっていたのですが、途中でケンカになってしまい、そこへトリが仲裁に入って、サル、トリ、イヌの順で到着。
そして自分は速いと油断して、途中で居眠りしてしまったイノシシが最後の12位で到着。こうして十二支の順番が決まりました。
ネコが一日遅れでやって来た時には、すでに12番目まで決まってしまっていたので、それ以来ウソをついたネズミを恨み、追い回すようになったそうです。
また、サルとイヌのケンカは「犬猿の仲」ということわざの由来という説もあります。
国によっては、一部が別の動物に入れ替わったりするそうです。
古代中国には『万物は「木、火、土、金、水」の5種類の元素からできている』という自然哲学の思想「五行説(ごぎょうせつ)」が有りました。
また、森羅万象のあらゆるものを「陰」と「陽」の2つに分類する「陰陽説(いんようせつ)」という考え方も有りました。
そして、これらが後に組み合わさって、複雑に見える事象を全て説明しようとする「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」が出来ました。
五行説の「木、火、土、金、水」は、日本では「き、ひ、つち、か、みず」と読ませます。
陰陽説の「陽、陰」は「兄、弟」=「え、と」で表します。
この五行説と陰陽説を組み合わせると、5×2=10通りになります。
木:木+兄=きのえ
木+弟=きのと
火:火+兄=ひのえ
火+弟=ひのと
土:土+兄=つちのえ
土+弟=つちのと
金:金+兄=かのえ
金+弟=かのと
水:水+兄=みずのえ
水+弟=みずのと
これを、元々1~10の数字を意味する「十干」の漢字「甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)」の音読みに当てはめ、「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)」と読ませます。
前書きに書いたとおり、干支とは、十干と十二支を組む合わせたものです。
十干は10年で一周しますね。
①甲(きのえ)、②乙(きのと)、③丙(ひのえ)、④丁(ひのと)、⑤戊(つちのえ)、⑥己(つちのと)、⑦庚(かのえ)、⑧辛(かのと)、⑨壬(みずのえ)、⑩癸(みずのと)
⑪で甲(きのえ)に戻ります。
十二支は12年で一周しますね。
①子(ね)、②丑(うし)、③寅(とら)、④卯(う)、⑤辰(たつ)、⑥巳(み)、⑦午(うま)、⑧未(ひつじ)、⑨申(さる)、⑩酉(とり)、⑪戌(いぬ)、⑫亥(い)
⑬で子(ね)に戻ります。
十干と十二支を順番に並べて繋げると、こんな感じ。
①甲子(きのえね)
②乙丑(きのとうし)
③丙寅(ひのえとら)
④丁卯(ひのとう)
⑤戊辰(つちのえたつ)
⑥己巳(つちのとみ)
⑦庚午(かのえうま)
⑧辛未(かのとひつじ)
⑨壬申(みずのえさる)
⑩癸酉(みずのととり)
⑪甲戌(きのえいぬ) ←十干が先頭の「甲」に戻る
⑫乙亥(きのとい)
⑬丙子(ひのえね) ←十二支が先頭の「子」に戻る
⑭丁丑(ひのとうし)
:
(略)
:
(57)庚申(かのえさる)
(58)辛酉(かのととり)
(59)壬戌(みずのえいぬ)
(60)癸亥(みずのとい)
(61)甲子(きのえね) ←干支が先頭の「甲子」に戻る
60で一周して、61で「甲子」に戻りましたね?
これが「干支」です。60年で一周するので「六十干支(ろくじっかんし)」とも言われます。
干支の60は、十干の10と十二支の12の最小公倍数です。
60歳(昔は数え年で61歳)になると、干支が一周して暦が最初に還る事から「還暦」と言って、長寿をお祝いする風習が有ります。その際、生まれた年の暦に還る→赤ちゃんに戻る、という所から、赤いチャンチャンコを着るという語呂合わせで知られています。
干支を「えと」と読むようになった経緯は、実は謎に包まれたままです。
まず、「十干」に書いた、陰陽説の「陽、陰」を「え、と」で表す、という説明で気付いた人もいるかもしれませんが、「えと」というのは、元々は十干の事を意味していたようです。
また、「干支」は「十干」+「十二支」から来ており、この60年サイクルを「干支(かんし)」と呼びます。
これが、どういう経緯か、60年サイクルの「干支」を「えと」と読むようになり、その後さらに「干支(えと)」が12年サイクルの十二支を意味するようになったそうです。
なんのこっちゃ?ですよね?
これらは、色々な過去の文献で、そのような意味で使われている記述が見つかっているようですが、そのような意味で使われるように変化した経緯や理由は、調べても分かりませんでした。
最近、保護猫活動の話題を見聞きしたので、昔拾った迷子の子猫の思い出話を書き留めておこうと思います。
※ペット禁止のアパートで猫を飼っていた話が含まれています。もう30年以上前の話ですので、大目に見てください。
①と②はこちら。出会いと、保護してからの暮らしです。
今回は、最終回です。
2011年の初め頃。
昔は、階段で2階に上がったり、ソファや椅子に飛び乗ったりしていましたが、めっきり1階の床に置いてあるペット用ベッドで過ごす事が多くなっていました。元々、ほとんど一日中寝ているので、そういうものかと思っていました。
ある日、トイレから戻る途中で、腰が抜けたように足が動かなくなって寝そべっているのに気付きました。
抱き抱えてベッドに連れて行くと、何事も無かったかのように毛繕いを始めましたが、初めての事だったので、慌てて近所の動物病院に連絡して、診てもらいました。
検査してもらった結果は、慢性腎臓病。高齢の猫は、このようになる事が多いそうです。
定期健診で早期に発見できれば、進行を遅らせる事は出来たそうですが、すでに進行してしまった腎臓を回復させる治療法は無く、対処療法で症状を和らげるしかない、との事でした。
提案された治療方法は2つ。
①入院して、血管から薬剤と生理食塩水を点滴で入れる。
②家で出来る点滴器具で、家族が生理食塩水を入れる。
いずれにしても、根治する訳ではなく、症状を和らげ、延命するための処置。
弱った腎臓で老廃物を排出するには、口から摂取できる水分量では足りないので、点滴で補って排尿する、という治療方法です。
お医者さんの説明では、
「①の場合は、最期まで入院生活となるので、ご家族が看取るのは難しいでしょう。
②の場合は、最後までご家族と一緒に居られるので、みゃーちゃんも安心できると思います。
少しでも永く生きてほしい、と言う事で有れば①ですが、猫ちゃんで21歳という年齢は、長寿と言えます。住み慣れた家で、ご家族と一緒に過ごされてはいかがでしょうか。」
との事。
迷わず②をお願いしました。
点滴のやり方を教わって、点滴セットを受け取って、自宅に戻りました。
点滴の器具やパックは、ほとんど人間と同じ仕組みでしたが、針を刺す位置が違います。
猫の点滴は、首筋少し下の皮がたるんでいる所に針を刺して、輸液を流し込みます。
親猫が子猫を運ぶ時、首の後ろの皮を咥えてぶら下げますよね?あそこには神経が通っていなくて、痛くないそうです。なので、針を刺しても痛がる様子は有りませんでした。
血管に流し込むのではなく、皮下脂肪の下に輸液が貯まって、一時的に、何となく水風船のようにプヨプヨになるんですが、毛細血管から少しずつ吸収されるそうです。
点滴治療を始めて、一時的に少し回復し、歩けるようになりましたが、やはり、徐々に歩くのが難しくなってきました。
リビングに置いたペット用ベッドの前に、ご飯と水を置いて、ペットシーツとタオルを敷いて、ほとんど歩けなくても、何とかなるようにしました。
時々膝の上に乗せたり、なるべく傍で撫でたりして、少しでも安心してもらえるように心がけていました。
2011年5月7日。GW最後の土曜日の夜。
トイレしたので洗面所でタオルを洗っていたら、妻が呼ぶ声。
「様子がおかしい。痙攣してる。」
慌ててリビングに戻ってみると、手足を突っ張って、口をパクパクさせ、目を大きく見開いています。しかし、覗き込んでも視線は合いません。
何度も声を掛けて、身体や手足をさすっていましたが、そのうちフッと力が抜けました。
最期の瞬間、僕らの顔が見えていたのか、声が聞こえていたのか、さすっていた感触を感じていたのか、それは分かりません。それでも、最期は傍に居て、虹の橋に向かう彼を見送る事は出来たと思います。
1990年12月に寒空の下で保護してから、ペット禁止のアパートで10年間、その後一戸建てに引っ越して11年間、家族として一緒に暮らしました。
保護して、自分で飼うと決めた以上、最後まで責任を持って面倒を見る覚悟でいましたが、迷いや反省点は色々有ります。
・家猫として、外に出さずに閉じ込めていた事
・去勢して、繁殖の機会を奪った事
・怪我もなく、病気もせず、元気にしていたので、その間、定期健診に連れて行った事が有りませんでしたが、もし、定期健診で腎臓の不調が早期発見出来ていたら
また違う一生を送っていたかもしれません。
21年間の彼の一生は、充実していたのか、幸せだったのか。それは彼にしか分かりません。
虹の橋を渡ってから、すでに13年。次は何に生まれ変わっているのか、まだ生まれ変わる前の修行中なのか分かりませんが、これからも色々な経験を積んで、充実した生涯が送れるように祈ってます。
出会ってくれて、一緒に居てくれて、ホントにありがとう!!
いつかまた、どこかで!!
最近、保護猫活動の話題を見聞きしたので、昔拾った迷子の子猫の思い出話を書き留めておこうと思います。
※ペット禁止のアパートで猫を飼っていた話が含まれています。もう30年以上前の話ですので、大目に見てください。
前半はこちら。出会いと、保護した日と翌日の話です。
寒空で凍えていた子猫を、ペット禁止のアパートで、一晩だけのつもりで保護した翌朝。
元気になったようなので、外に放さないといけないけど、親も飼い主も居ないこの子は、このまま一人で生きて行けるのだろうか、というのが前半。
今回は、その続きです。
数分悩んだ結果、とりあえず飼い主が現れるまで預かっとこう、と、結論を先送りにしました。
しかし、そのまま部屋に置いておくには、知識も設備も足りません。
1990年は、まだパソコンやインターネットが普及する前。猫を飼っていた知り合いに聞いたり、本屋で猫の飼い方の本を買ったりして、
・ちゃんとした猫用のトイレと猫砂
・子猫用のエサ
・遊び用の小物
を買い揃え、同居生活が始まりました。
当面一緒に住むなら、名前決めなきゃ、という事で、男の子か女の子か見てみたら、何も無い、女の子か。という事で、「みゃーみゃー」鳴くから「みゃーこ」と名付けました。
ペット禁止なので、とりあえず外には出さず、家猫として暮らしてもらう事にしました。その代わり、ちゃんと遊び相手はしないとね!
当時は一人暮らしで、昼間はこの子だけ部屋に置いておく事になります。水とエサは、朝充分に用意しておきます。
同居し始めてから何か月かして、ふと気付いたら、お腹の下の方に何か有るぞ?えっ?男の子だったの???
※後で知りましたが、子猫のうちは見えないそうです。
男の子で「みゃーこ」は合わないかなぁ。どうしよう。とりあえず「こ」を取って「みゃー」にしよう。って事で、改名しました。
猫を飼っている経験の長い知り合いからのアドバイスで、生涯独身を貫いてもらうなら去勢を薦められて、動物病院の先生にも相談して、1年弱で去勢手術を受けてもらいました。
去勢した男の子は、男性ホルモンが出ないので、いつまでも子供っぽい顔のままになるそうです。また、長寿になる傾向もあるそうです。
これ以降、性別を聞かれた時は「オネェ」と答えていました。
この写真の頃は18歳くらい。童顔でイケメンでしょ?親バカかな??
家猫だから運動不足だし、去勢すると太るんだって。
僕以外の人間をほとんど見た事が無い事も有って、メチャメチャ人見知りでした。
宅配便の気配がすると、慌ててソファの裏等に潜り込んで隠れます。
たまに誰かが訪ねて来た日は、ソファの裏から出てきません。お腹がすいたり、トイレに行きたい時は、抜き足差し足忍び足で、壁際を見つからないようにコソコソ移動しますが、たまに目が合うと、しばらく固まったあと、ダッシュで逃げて行きます。
しかし、エサをくれる人には警戒心を解きます。出張の時に、動物病院併設のペットホテルに預ける事が有ったのですが、最初は先生を警戒して逃げ腰だったのが、「エサをくれる人」と認定してからは、懐くようになっていました。
現金なヤツ!
家猫なので外への出入りはできません。僕が仕事に行っている間は窓も締め切っています。
日当たりが良いアパートなので、夏は温室状態になるのが常。
夏が近づき、急に暑くなったある日、仕事を終えた僕は心配しながら家路を急ぎました。
そして、ドアを開けた瞬間!ドアの隙間から飛び出して、足元をダーッ!と駆け抜けて行く小さい影!
部屋の中からは、モワッとした熱気が流れ出て来て、かなり暑かった事が分かりました。
彼は、一番涼しい玄関の土間で、この熱気に耐えていたのでしょう。ドアが開いた瞬間、たまらず飛び出していったようです。ごめんよぉ。
すぐに探しに行きましたが、夜も遅く、暗くて見つける事はできませんでした。
翌日も仕事。仕方なく普通に仕事に行って、帰ってから探そうと思っていたら、かすかにドアをカリカリする音。もしかして、と思ってドアに近づくと、聞きなれた「みゃ~」という鳴き声!
僕が帰って来るのを待っててくれたのか、帰宅して少ししたら、自分で帰って来てくれました!おかえりー!!
脱走を期に、暑い日はエアコンをつけっ放しで出掛けるようになりました。電気代がぁ!!
猫は、一番快適な場所を見つける天才です。
同じ家の中でも、日当たり、風通し、床の材質、高さで、温度が変わります。暑い日はより涼しい所、寒い日はより暖かい所を見つけて、落ち着いてます。
おそらく、猫の目には、サーモグラフィのように、温度が見えているとしか思えません!
寒い日は日向ぼっこが気持ち良いにゃぁ。
保護した時はペット禁止のアパートでしたが、その後、僕の生活も変化し、一戸建てに引っ越しました。
猫は家に付くと言います。縄張り意識が強いので、自分の縄張りと認識している場所では寛ぎますが、縄張りの外では緊張して落ち着かないそうです。
引っ越した時、初めての場所に慣れるまでは、やはり落ち着かなくて、コソコソ隠れていましたが、いつもエサをくれる人が居て、他に敵は居なさそうだと認識できたのか、そのうち家の中を探検し始めました。
とりあえず、トイレの場所とエサの場所を教えて、寛げるペット用ベッドを用意して、新しい縄張りでの生活がスタートしました。
ベッドでぬくぬく。暑い日は寝相が!
根は人見知りで臆病なので、誰かが家に来るとすぐに逃げて隠れます。
しかし、窓から外を眺めている時に、鳥や猫が見えると、身構えて威嚇します。
これも、猫の縄張り意識によるもので、他の見知らぬ猫が近付いてくると、縄張りを守ろうとして、警戒して威嚇するそうです。
しかし、鳥はどうなんでしょうね?獲物と思っているなら、威嚇せずに静かに狙おうとする気もするんですけど、やっぱり威嚇してましたね。もしかしてビビってる?
お友達になりたかったのかな?威嚇しちゃダメよ。
次の投稿に続きます。
最近、保護猫活動の話題を見聞きしたので、昔拾った迷子の子猫の思い出話を書き留めておこうと思います。
※ペット禁止のアパートで猫を飼っていた話が含まれています。もう30年以上前の話ですので、大目に見てください。
1990年12月、寒風が吹き荒ぶ夜。
いつものように残業で遅くなり、凍えながらアパートにたどり着くと、外階段の裏側から「ミャ~...ミャ~...」と、か細い子猫の鳴き声。
気になって覗いてみると、まだ片手に乗りそうな子猫と目が合いました。僕に気付くと、まん丸い目で僕の顔を見ながら、精一杯鳴き声を絞り出しています。
「どうした?お母さんは居ないの?」と声を掛けると、他に頼るものがない子猫は、まっすぐに僕の顔を見ながら、おぼつかない足取りでヨロヨロと近付いてきます。そして、僕の足元に身体をすりすりと擦り付けながら、纏わりついて離れません。時々つぶらな瞳で僕の顔を見上げて「ミャ~...」と鳴きます。しゃがんで、手に乗せると、ホントに片手にチョコンと乗っかるくらいの子猫。ガタガタ震えながら、目の前で僕の顔を見つめ、精一杯鳴いています。
親とはぐれたのか、飼い主に捨てられたのか、いずれにしても、このまま寒空の下には放っておけないと思い、とりあえず朝まで自分の部屋で保護する事にしました。
ちなみに、そのアパートはペット禁止。ずっと飼う訳にはいかないので、緊急避難として朝まで保護するだけ、のつもりでした。その時は...
人間でも動物でも、子供がカワイイのは、強い存在に保護してもらえるように組み込まれた仕組みなんだだそうです。カワイイ様子を見ると、母性本能のような感情が生まれ、それが育てるモチベーションになるそうです(種を越えて子育てする動物の動画も有りますよね)。
そういう本能の仕組み、良く出来てますよね。
部屋に連れ帰った子猫は、初めての場所に緊張しながら、大人しく座っています。
僕は、猫を飼ったことが無かったので、それまでの断片的な知識で、トイレ、飲み物、餌、を用意しました。
・大き目の空き箱に新聞紙を細かくちぎって敷き詰め、トイレ替わりに。
・飲み物は何をやれば良いかわからず、小皿二つに水と牛乳を用意。
・餌代わりに、削り節を細かく砕いて小皿に。
たぶん、本能なんでしょうか。トイレは分かってくれたようで、ちゃんと使ってくれました。
しかし、牛乳を飲んだ次の朝、見事に下痢してました。
削り節は、食べてくれたかどうか覚えていません。
子猫は暖かい部屋で安心したのか、僕の側で落ち着いてくれました。
僕がベッドに入ると、床で鳴いていたので、安心させるために、その日は布団に入れて寝ました。腋の下で丸まって寝てる子猫、カワイイですよね
翌朝、僕が起きると子猫はもう起きていて、僕が寝ている布団の上で寛いでいました。
天気が良くて、風も穏やかな気持ち良い朝。一晩保護しましたが、ウチはペット禁止のアパート。元気になったのなら、外に放さなければいけません。意を決して、子猫を抱えて、ドアを開けました。
天気は良くても12月の朝。メチャメチャ冷たい空気が入って来ます。冷気に当たって、子猫もビックリして固まってます。
たぶん、まだ一か月くらいの子猫。親も居なくて、飼い主も居なくて、この子は一人で生きていけるだろうか...
僕は悩みました。
②に続きます。
ネタが無いので、初めて買ったレコード、学生時代に聴いていたアーティスト等、音楽について書いてみます。
「①小学校~高校くらいまで」はこちら。
小学生の頃、最初に買ったLPレコードの「ザ・ドリフターズ」から、中学時代のフォーク(イルカ、風、かぐや姫、グレープ)、ニューミュージック(チューリップ、ALICE、荒井由実、ゴダイゴ、海援隊)を経て、洋楽のロック(主にクイーン)、プログレッシブロック(ピンクフロイド、ELP)、その流れでボストンまで。
では、前回の続きです。
高校時代にはまっていたプログレッシブロックから、少しずつポップスなテイストのロックも聴くようになった大学時代。
この頃になると、テレビ番組「ベストヒットUSA」で洋楽のヒットチャートが紹介される等、日本でも洋楽に人気が一般的になってきました。
プログレッシブバンド出身の精鋭メンバーが集まったバンド。デビューアルバムの「詠時感〜時へのロマン」とシングル曲「Heat of the Moment」は大ヒットしました。
しかし、僕には物足りず、それ以上ははまらずに終わりました。
アメリカのヒットチャートが日本でも紹介され、ヒット曲が次々に流れて来る時代。そんな中、シンディの個性が光る楽曲やMVに惹かれ、聴くようになりました。
映画「グーニーズ」のサウンドトラックも担当し、映画の大ヒットと共にアルバムも大ヒットしました。
また、名だたるアーティストが集結したUSAフォー・アフリカの『We Are The World』にも参加し、シンディらしさ全開でした。
メイキング映像で見せたキュートさも魅力的でした。
高校時代に洋楽を聴くようになってから、遠ざかっていた邦楽ですが、サザンオールスターズが登場した時、その圧倒的な個性と才能にはまりました。
これ以降、大学でも社会人になっても、イチオシのアーティストの一人は桑田さんです。桑田佳祐さんのソロも、KUWATA BANDも、それぞれ個性が光っていて、今でも色褪せません。
最初に知ったのは、大ヒットしたシングル曲「君は天然色」。この曲を含むアルバム「A LONG VACATION」を地元でよく利用していた貸しレコード屋さんで借りたら、一緒に「NIAGARA TRIANGLE Vol.1/2」も薦められました。
シティポップと呼ばれるサウンドは、運転中にカーステレオで聴くのにちょうど良い、キャッチーでオシャレなメロディとアレンジでした。
大滝詠一切っ掛けで、さらに何人かのアーティストに拡がって行きました。
それは、「NIAGARA TRIANGLE Vol.1/2」で知った伊藤銀次、杉真理、佐野元春。
それぞれのソロ楽曲も聴くようになりました。
テレビ番組「笑っていいとも!」のテーマソング「ウキウキWatching」でも有名ですが、オシャレでキラキラしたシティポップ、J-POPSでこの人は外せません。アルバム「BABY BLUE」、「SUGAR BOY BLUES」、「STARDUST SYMPHONY」は、当時カーステレオで聴きまくっていました。
CD化されている音源は買い直しましたし、CD化されていない音源は、当時カセットテープに録音していたものをパソコンで取り込んで聴けるようにしています。
とても甘い声のボーカル。他のアーティストやCMに楽曲を提供するなど、聴いた事の有る曲が多数有ると思います。
アルバム「STARGAZER」、シングル「バカンスはいつも雨」「いとしのテラ」は良く聴いていました。
最初に聴いた3枚のアルバム「BACK TO THE STREET」「Heart Beat」「SOMEDAY」で、ストリートや夜や孤独や若さや熱さを感じさせる、ストレートなロックにドはまりしました。
特に、「悲しきRADIO」のピアノは、カッコ良すぎて、頑張ってコピーしようとしましたが、エアコピーで終わりました。
その後リリースされた「VISITORS」「Café Bohemia」「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」「Time Out!」辺りからは、少し複雑さとか、ロック以外のテイストも取り込んだり、バンド形式になったり、個性と才能が光り続けるミュージシャンです。
社会人になってからですが、チェッカーズにもはまりました。自分で演奏しようとは思いませんでしたが、カラオケで十八番だったのは、サザンか佐野元春かチェッカーズでした。
藤井フミヤさんがソロでリリースした楽曲も、良くカラオケで歌っていましたね。
ポップな曲からバラードまで、歌ってて気持ち良い曲が沢山有りました。
社会人になってからは、仕事が忙しかったりしたことも有り、特定のアーティストにどっぷりはまるというより、広く浅く聴くようになりました。ただ、個性的なアーティストに惹かれる傾向は、今でも有るようです。
ここ10年くらいは、ブログのテーマの一つに挙げている「ご当地キャラ」にご縁のあるアーティストさんの楽曲を良く聴きますが、それはまた別の機会に。
敬称略で名前だけ挙げると、石田洋介、神崎隆広、清水孝宏、寺嶋由芙、ずれやまズレ子、Charat(きゃらっと)、Toybee。
ネタが無かったので、初めて買ったレコード、学生時代に聴いていたアーティスト等、音楽について書いてみます。
最初に買ったレコード。
僕が小学生の頃なので、1970年代前半。まだCDではなく、LPレコードです。
当時、テレビ番組「8時だョ!全員集合」で大人気だった「ザ・ドリフターズ」。
番組ではコント集団としての人気が高かったですが、元々はバンド活動をしていて、番組の中でもコミックバンドのコーナーが有ったり、「ドリフのビバノン音頭」「ドリフのズンドコ節」「ミヨちゃん」「誰かさんと誰かさん」といった曲をシングルリリースしていました。
僕もドリフの大ファンで、誕生日プレゼントに買ってもらったのが、ベストアルバム「ゴールデン・ディスク」。
2枚組のLPレコードで、当時のドリフのヒット曲やカバーソングが詰まった名盤でした。
オリジナル曲以外に、世界各地の民謡等の原曲に日本語の歌詞を付けたものや、軍歌が収録されていました。
まだ実家に有るかなぁ?
3つ上のいとこの影響で、フォークソングに出会いました。とは言っても、まだ子供だったのでメッセージ性が強い曲にははまらず、その後のニューミュージックに通じるアーティストにはまりました。
アーティスト自身が作詞作曲するシンガーソングライターという存在を知り、自分で演奏しながら歌う弾き語り、というスタイルも新鮮でした。
良く聴いていたのは、イルカ、風、かぐや姫、グレープ(さだまさしさんが居たデュオ)。
小学生の頃は歌謡曲しか知らなかったので、フォークギターの弾き語りが新鮮でした。
近所のリサイクルショップで、質流れ品のアコギを3,000円で買って、家で練習してました。
フォークからの流れで、ポップで明るいニューミュージックに惹かれるようになりました。
良く聞いていたのは、チューリップ、ALICE、荒井由実、ゴダイゴ、海援隊(武田鉄矢さんが居たグループ)。
ピアノやキーボード、エレキギターのアレンジが新鮮で、その後の音楽の趣味のベースになったと思います。
小学生の頃、2年くらいピアノを習っていた事が有って、家にアップライトピアノが有りました。
ピアノを使ったアレンジの曲を聴いて、自分でも弾きたくなり、楽器屋さんでピアノ用の楽譜を買って、練習するようになりました。
最初に弾いたのは、チューリップの「心の旅」「青春の影」「ブルー・スカイ」あたりでした。
この時代に聴いていた音楽は、その後の音楽の趣味に大きく影響しました。
ここからは「心酔した」と言える程深くはまったアーティストを挙げていきます。
仲が良かった同級生の影響で、クイーンを聴き始めたのが、洋楽を聴く切っ掛けでした。
同級生の多くが、エレキギターメインのハードロックにはまる中、ピアノアレンジの曲も多く、家でピアノを弾いていた僕はクイーンにはまりました。
クイーンのピアノアレンジ用の楽譜も何冊か手に入ったので、「キラークイーン」「マイ・ベスト・フレンド」「愛にすべてを」「懐かしのラヴァー・ボーイ」「手をとりあって」「伝説のチャンピオン」あたりをコピーして弾いていました。
「手をとりあって」のサビは、1番は英語、2番は日本語で書かれています。ちゃんと同じ意味になるように訳されており、歌詞カードを見た時に感動したのを覚えています。
楽譜が手に入らなかった「ボヘミアン・ラプソディー」「ミリオネア・ワルツ」「輝ける七つの海」(*1)あたりは、頑張って耳コピ(*2)しました。
(*1)「輝ける七つの海」は、ファーストアルバム「戦慄の王女」のラストに、短いインストルメンタルでフェードアウトする形で収録され、2枚目のアルバム「クイーンII」に歌詞付きのフルコーラスの楽曲として収録されるという遊び心で、ファンにはたまらないアルバム構成でした。アップテンポでピアノのイントロがとても印象的な曲です。
クイーンの楽曲やアルバムの作り方は、革新的・実験的なものも多く、「プログレッシブロック」の要素も感じられます。好きな曲をピアノでコピーしていた僕は、次第にキーボードやシンセサイザーを多用するプログレッシブロックに惹かれるようになりました。
聴いていたバンドは多数ありますが、中でも印象に残るバンドを2つ挙げます。
最初にはまったのはピンクフロイドでした。アルバム「狂気」。
どっぷりはまって聴くような神秘的で重厚なサウンドから、ポップでノリが良い曲、メロディアスな曲。アルバムの後半は、フェードアウト&フェードインしたり、曲間無く繋がっていて、印象的なアレンジと歌詞のエンディングまで一気に聴かせる構成。
プログレにはまる切っ掛けとなったアルバムでした。
ラストの2曲はこれ。
曲の切り替わりでグッと引き込まれて、最後に余韻を残す、アルバム全体の締めに相応しい構成でした。
これ以外にも、「原子心母」、「ザ・ウォール」、「炎〜あなたがここにいてほしい」等、名盤と言われるアルバムが多数有ります。
次にはまったのは、ELPでした。アルバム「恐怖の頭脳改革」。
紙ジャケットにはメカに埋め込まれたドクロが描かれていますが、ここが観音開きになっており、開くと、メドゥーサのような女性の顔が現れる斬新なデザイン。LPレコードの紙ジャケットには、このようなギミックが組み込まれたものが有りました。
このアルバムもオルガンとシンセサイザー全開で、僕の好みにピタリとはまりました。
特に、A面ラストから始まる曲「悪の教典#9」が、「第1印象」「第2印象」「第3印象」に分かれて続きますが、この「第1印象」が「パート1」としてA面のラストでフェードアウトし、B面にひっくり返す「パート2」としてフェードインして続く、という斬新な構成になっています。
初めて聞いた時は、曲のカッコ良さと相まって、震えました!
Part1
Part2
このA面からB面に続く構成は、LPレコードならではのギミックです。CD化された音源では、単に長い間奏となっていて、B面に裏返した時の感動は味わえなかったのが残念です。
これ以外にも、「タルカス」、「トリロジー」、ライブアルバム「展覧会の絵」等、どれも個性的なアルバム揃いです。
ゴリゴリのプログレッシブロックから派生して、もう少しポップなテイストのロックバンドも聴くようになりました。中でもはまったバンドを一つ紹介します。
ファーストアルバムの「幻想飛行」は、オープニングからラストまで、重厚でポップで聴きやすくてカッコ良いサウンドとコーラス。
特に、「Foreplay/Long Time」の"Foreplay"部分は、めっちゃカッコ良すぎて、キーボードを弾いていた僕にとっては衝撃的!必死で耳コピして早弾きにチャレンジしました。
この流れで、大学時代に続くのですが、ちょっと長くなって来たので、次の投稿に分けます。