公立中学校の理科教師の75%が実験、観察の教材を自費負担した経験があることが、科学技術振興機構と国立教育政策研究所の調査で分かった。6割強の教師が各学級で週1回以上、実験などを行う一方、多くは「設備、備品が不足している」と訴えている。
調査は6-7月にアンケート方式で実施。全国から抽出した公立中のうち、337校の理科担当教師572人から回答があった。
授業で実験、観察を行う回数は、53%が「週に1、2回程度」、10%が「ほぼ毎時間」と答えた。
理科に充てられる今年度の学校予算(公費)を集計すると、設備備品費は生徒1人当たり453円、消耗品費は同341円。それぞれ「ゼロ」だった学校は17%、2%あった。公費以外では、教師の75%が教材費を自分で負担したことがあると回答。生徒から徴収した教師も24%いた。(2008/10/04-14:57)
若者に広がる大麻、そして大学付属校
ここ最近、大麻での逮捕が相次いでいる。夏の大麻キャンプ、大相撲ロシア人力士の騒動 が大きくなり、俳優の加勢大周、法政大学生、花屋に栽培を依頼した男、そして昨日、慶應義塾大学の学生2人が逮捕された。
今、こんなに大麻が広がっているのかと思うと、驚きとショックである(>_<)
今回の慶應、少し前の法政に加え、昨年は関東学院大が印象に残ったり、その他にも複数の大学の学生が逮捕されているようだ。(11/1追記:同志社大学4年生女子も逮捕 されましたね!)
学年と年齢から、2人とも浪人して入ったのかと最初は思ったら、付属高校出身との事!高校で留年しているそうだそのため記事に対する意見では、大学付属校へも厳しい目が向けられている。
私自身も、卒業した大学入学までは挫折や苦労が多く、もともと(付属でなくても)推薦などで苦なく入った人達への反発みたいのものを持ってきた。
おまけに、母校の大学にも付属や系属校が複数あり
、ヤバい学生は皆この系列の学校出身だったので、その気持ちは学生時代に余計に強まった。そういえば後輩にも、付属校で留年したという子がいたなあ。。(ある同期の高校時代の友人。でも、この同期よりまともな奴でしたよ)
だから、記事へのコメントでも見られる「推薦制度をなくせ」の気持はよく分かります。
しかし、教員として複数の学校で教えてきた体験では、大学付属高校の生徒の方が、全体的により授業を聞く耳を持ってくれているように感じるのです。なぜなら付属高では、日頃の授業態度や学校の成績がそのまま進学に影響してくるから。
新任校も大学付属 ですが、その点はなかなか徹底している印象を受けます(今後お互い慣れてくると、どうなるか分かりませんが)。
「付属高校の生徒」と言っても、私の知る学校は1学年あたり10~十数クラスあります。慶応高の場合、1学年700人で18クラスと聞きますから、その中にも真面目な生徒もいれば、お坊ちゃんや少々ワルもいるでしょう。実際、ここで勤務経験のある知人によると、生徒達は結構しっかりやるとの事です。
出身大学の同期や上級生・後輩でも、付属出身は変な奴が多かったとはいえ、きちんとやる人はやりますし、そういう人の場合、受験で入ってきた学生に比べ入学時は理数系の力は劣れども、レポートなどを書く力は結構あるなど、私達とは違った能力を発揮し、次第に伸びていったりもします。
なので、「付属校出身」を一括りにして「だからダメなんだ」というのも、そういうルートで真面目にやっている学生に失礼だなと思うようになりました。
でもやはり、他の進学校の生徒が大学受験で必死になっている時期に、付属高校の生徒はそれに費やさずに済むとなると、時間的・精神的なゆとりは大きいと思います。
横浜・有○堂の参考書コーナーにて先日、色々な学校の高校生達が勉強の本を探したり立ち読みしたりしていた時、上述の現任校の生徒達の集団がそこを横切り、すぐ隣りの漫画コーナーに向かいマンガ本を買って行ったという対照的な様子を間の当たりにし
、「受験が無いっていいよなあ
」と思ってしまったものです(^^;
付属高校生の皆さんは(他大を受験する人は別ですが)受験がない分、その時間とエネルギーをどのように利用するかで、今後の人生への影響も違ってくるのではないでしょうか?もちろん遊ぶのも結構だけれど、悪い遊びは覚えないで欲しい。受験とは離れた立場から真の意味で「勉強」したり、部活に力を入れたり、趣味を持ったりなど、どうか有意義に過ごしてもらいたいと願ってやみません。
慶大生が学内で大麻売買 2人を逮捕
10月31日8時3分配信 産経新聞
慶応大の学生2人が学内で大麻を売買したなどとして、大麻取締法違反(譲渡など)容疑で、神奈川県警中原署に今月上旬、逮捕されていたことが30日、分かった。2人は容疑を認め、「興味半分だった」「大学近くのカラオケ店などで吸った」などと供述しているという。
逮捕されたのは、慶大商学部2年の内田浩太郎容疑者(21)=横浜市青葉区=と、経済学部1年の中村友士郎被告(20)=東京都台東区、起訴後に釈放。横浜地検川崎支部は30日、内田容疑者を起訴した。
2人は横浜市の慶応高校出身で、先輩と後輩。内田被告は夏ごろまで、同大のアメリカンフットボール部に所属していた。県警は2人の自宅を捜索し、乾燥大麻や吸引具などを押収。入手ルートや販売先などを調べている。
調べに対し、2人は「同じ大学の何人かと一緒に吸ったことがある」と供述したことから、同署は慶大の学生3人から任意で事情聴取。いずれも使用を否定したという。
同署の調べなどによると、内田被告は7月、横浜市港北区の慶大日吉キャンパスで、中村被告に乾燥大麻約1グラムを約7000円で売った疑い。
中村被告は、今月1日に自宅で大麻を所持していたとして、同法違反(所持)容疑で、現行犯逮捕された。中村被告は、今年6月下旬から7月に複数回、港北区のカラオケ店や自宅などで大麻を吸ったと供述しているという。
◇
■過去にも学生ら4人起訴 慶大常任理事が会見「対応遅れた」
慶大生2人が大麻取締法違反容疑で逮捕された事件で、同大の森征一常任理事らが30日、東京都港区の三田キャンパスで記者会見し、「学生の良識を信じていたが、大変残念で痛恨の極み。お騒がせして本当に申し訳ない」と謝罪した。また、同大の学生や大学院生4人が平成16年から昨年の間、大麻に絡んで起訴され、退学や無期停学処分としたことも明らかにした。
今後は、2人の事件を解明するとともに、ほかに大麻を吸った学生がいないか確認するため、独自の調査をすることも発表した。これまでは2人以外に、大麻を吸った学生を確認していないという。
大麻売買が学生の間でうわさになっていたことについて、大学側は「把握していなかった」という。
慶大では再発防止策は取られておらず、「対応が遅れてしまった。今後は対応策を考えないといけない」と述べた。
2人の処分については、神奈川県警の調べが終わった時点で決めるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000116-san-soci
見た目で不合格の県立高校、女性監禁事件
神奈川県平塚市の県立神田高校(渕野辰雄校長)が2004、05、07年度に実施した入学試験で、学力テストなどの点数では合格圏内だったのに、服装や態度などから「生徒指導が困難」として、22人を不合格にしていたことがわかった。
県教育委員会は、希望者を入学させるとし、他の県立高校についても調査する。県教委の発表によると、願書受付時や入試当日に、服装や髪形、態度を担当教員がメモにして提出。「つめが長い」「胸のボタンが開いている」「まゆをそっている」などの報告があった受験生の中から不合格者を決めていた。
04年、05年度はいずれも6人、07年度は10人だった。07年度実施の前期試験では、内申書と面接の合計点が合格者57人中、16番だった受験生らが不合格となったという。
同校は以前、中退者が年間100人を超えるなど、定員割れが続いていたが、04年度に近隣の高校と統合されることが発表されて以降、入試倍率が上昇。前任の校長が「新学校に生徒指導が難しい生徒を入学させたくない」と発案した。06年度にいったん中断したが、翌07年度に再開した。今年7月に県の内部通報窓口に情報提供があり、発覚した。
記者会見した渕野校長は「先生方の生徒指導の負担軽減とまじめな子をとっていきたいという気持ちがあった。大変申し訳ない」と陳謝した。
神奈川県民とはいえ、横浜市以外の県立高校は学区トップかせいぜい二番手・三番手くらいしか知らず、失礼ながら初めて聞くこの高校は、記事の内容も併せると、先生方は生活指導が相当大変なのではと察してしまう。
態度や服装の乱れの程度が分からないので断言は出来ないし、公立という事で問題となってしまったが、今やほとんどが当たり前のように進学するとはいえ、高校は公立も私立も「義務教育」ではない。そのため、自ら学んだり部活や学校生活などを積極的に行う姿勢が求められ(中高一貫私立に通った私達さえ、中3の時には何度も口すっぱく言われた)、それにふさわしい身なりをするのは、規則や基準に書かれていなくても当然のはずだ。
面接ではもちろん、入試などの際にも受験生は見られていると思わねばならない。少なくとも私達の世代は、中学や高校受験において、面接が廃止された学校では、学力試験でそういう部分もチェックされていると聞いた。
本来こういう面での躾は家庭で行われねばならず、中学校で繰り返し指導してもダメな場合、普段の服装の乱れは許したとしても、こういう大事な時や場においてさえ出来ない生徒は、この結果も仕方ないように思う。
国公私立に関わらず最近の高校の多くは、進学実績やスポーツ(特に野球)での業績で名を売って生徒を集める事ばかりが優先され、それさえ良ければあとはどうでも構わないとか、「お客様」である生徒や保護者に遠慮して多少の態度の乱れを許容してしまう傾向にあるように感じる。今夏の甲子園 でも、不祥事を起こした高校が相次いで出場 しましたし・・・
「学校独自」の判断には少々疑問が残るが、校長の更迭(実は、この合否基準は前校長が決めたのに)と対象受験生の編入で終わらせては、ますます態度悪い生徒(や親)を甘やかす結果にならないだろうか?今回の件で、そうした現状を考える機会としてもらいたいものである。
母親が娘を“監禁状態”8年 2年前に保護 札幌市
13:39更新
札幌市北区の女性(21)が小学6年のときから、平成18年8月に保護されるまでの約8年間、母親に自宅で事実上の監禁状態に置かれていたことが30日、明らかになった。
札幌市が同日、発表した。市によると、女性は小学3年ごろから、現在50歳代の母親が小学校から連れ戻すなどしていた。母親は「娘が学校から危害を加えられる」と強く思いこんでいたという。現在、障害があると診断され、入院している。
女性も長期の監禁状態が原因とみられる知的障害のような状態で、治療を受けている。保護当初は十分な会話ができなかったが、現在は日常会話は可能だという。
女性の小学6年時の登校日数は1日、中学は入学式とその翌日しか登校しなかった。
この間、学校側は母親と連絡をとったが、「娘は具合が悪い」などと答えていた。16年には父親が別居。その後は父親が生活費を渡すなどしていた。17年1月、父親が同市北区役所に「母親の精神的な様子がおかしい。子供を閉じこめてしまっている」と電話で相談。相談員は父親に、母親に治療を受けさせるように助言したが、その後、父親と連絡が取れなくなった。
18年8月、近隣住民から「殴る音や子供の泣く声がする。異臭もする。虐待ではないか」と通報があり、女性を保護した。
この事件を聞き、8,9年ほど前に新潟で発覚した当時19歳の少女監禁事件
を思い出す。新潟の被害者も、小学生の頃に誘拐されて10年くらい閉じ込められ、発見時は歩く事も困難だったと聞いた。
小学生後半~中高生にかけての最も心身成長著しい時期に、すべての自由を奪われ、学習や様々な活動の機会を与えられなかった影響というのは測り知れない。
しかも今回は、母親が行っていたというのもショックである。記事によると、被害妄想激しく精神状態が普通ではないと見られ、こういう母から生まれてしまった被害者は悲劇としか言いようがない。
しかし父親は、別居前は何をしていたのだろうか?周囲はもっと早く異変に気付かなかったのだろうか?そして、2年前に発覚した事が、なぜ今になって明るみになったのだろうか?
神奈川県私学協会への登録
新任校での勤務が本格的に始まり、コマ数は少ないのに結構大変です。。
自分が教えた事のない科目ゆえ、予習だけでなく授業での説明も、4年やってきた生物のようにはいきません(もともと人前で話すのは得意ではないので、専門科目も上手くはないのですが・・・)。特に、生徒達との関係が出来るまでは、教壇に立つのも緊張しますね。
実験が中間試験後~期末のこの期間に高2も高3も2回ずつ入り(しかも既に組まれている予定で行うため、こちらは生徒と慣れていない中で次々やらねばならない)、予備実験・他のクラスの見学・レポート(プリント又はノート)回収&採点など、想像以上に手間がかかりますね。一昨日は空き時間に、他の先生の実験を拝見させてもらいましたが、見学のみのつもりが生徒達から質問を受けたりしました(^^;でも、勉強にはなります。
学校生活全体も、新たな環境で戸惑う事は多いですし・・・本当に疲れたーーーという感じです。
ただ、男子校の様子は昨年でつかめたため、その点では少し気持ちにゆとりを持てます。というより、男子生徒のみの雰囲気に慣れてしまうと、あらゆる面で女子校より気楽だったりします(^^;
もうすぐ文化祭なので、一昨日を終えた段階で来週末まで私の授業は無しになります。その間に、実験レポート採点や次の授業準備をしておかないと。
勤務開始前に、産休に入る先生とは引き継ぎを行ったものの、始まってみないと分からない点も出てきますね(特に、高3選択授業に関しては)。
あと、引き続き進路活動も。ここで、いくつかの書類を書いておきたいです。
その一つとして、神奈川県の私立中高への教員希望者は、神奈川私学協会への履歴書委託受付(書類提出)が始まっています。10/27(月)~10/31(金)で、31日の消印有効です。
「履歴書委託」とは、私学協会から書類を受け取り(直接行ってもらうか、返信用封筒を入れて郵送依頼するか)、指定の履歴書と課題作文「私学教育に対する私の抱負」を裏面の原稿用紙に書き、3000円の郵便為替(委託料)と切手を貼った返信用封筒を同封し、協会に送ります。
本当は、春~秋にかけての活動が成功すればやらないつもりだったのですが、なかなか思い通りにはいかないものです(汗)先ほど作文を書き終え、明日に郵送する予定です。
東京の私学を希望する場合は、8月下旬に行われる東京都私学適正試験を受けねばなりません。その申し込みは6月末~7月初頭の指定の3日間のいずれかで四谷の協会まで行かねばならないんですよね。ネット知人の講師方々は受験されたとの事ですが、他の対策をしていた私は受けませんでした。
自身の経験では、採用された学校はすべて、この東京都私学適正試験か神奈川私学登録のいずれかです。公募のものはなかなか通らないですし、それ以前に、毎年募集の怪しい学校がほとんどですから・・・
このような私学就職に関しても、いずれまとめたいと思います。
今更ながら、義家弘介ふたたび
昨年夏に書いた「ヤンキー先生国会へ行く? 」に対してコメント を頂いたので、返信を中心として記事にします。
seigo19920202さん は高校生ですか。しかも、辛い思いもあったのですね。それなのに以下のように述べてしまい恐縮ですが・・・
もちろん様々な意見があるでしょうし、支持する人々の意見も尊重したいとは思いますが、再度あのエントリーを読み返し、私の考えは変わりません。この時に頂いた数々のコメントへ返信した記事「今日は参院選 」にも、この先生に関して書いています。
しかし、義家氏が現場(北星余市高校)にて、私達が接した事のないような生徒達とも体当たりで向き合ってきた熱意と経験・実績に関しては、今でも立派だと思っていますし、私など頭が上がらないです。
教え子でなくても、貴方のように彼の言葉に救われた若者も多いでしょう。私も最初の頃は、ヤンキー先生を好意的に受け入れていました。
彼に対する見方が変わってきたのは、コメント頂いた対象記事の通りです。意見もコロコロ変わり一貫していない、との指摘もあります。
・マスコミに取り上げられて次第に天狗になり、現場で勤めていた当時の情熱を感じられない。
・過去の悪行について、関係者にお詫びの姿勢がないどころか、それを自慢げに面前で話す。
(家族への暴行、先生の頭にたばこを押しつけ酷く殴ったなど、あまりに醜いと思いました。)
・結婚した教え子との関係。
やはり私は、教師と教え子の結婚は快く思えません。出身校にも一人いましたが、変な教師だったので(これについてはまたの機会に)余計に印象が悪いです。
しかし、(義家関連の記事とは別に)生徒との関係で逮捕された教師達の記事を取り上げた 時、多くの人が賛成していると知り、恋愛については妥協せざるを得ない部分はあるかもしれません。別に「生徒と結婚するのがダメ教師」とは言っていませんよ。
ただ、在学中に関係を持つ事や、未成年のうちに結婚するのは、どうしても許せないですね。
義家氏の結婚のいきさつについても「妊娠させて退学させた」とか「退学後に交際・結婚した」など様々な説がある ようで、真相は分からないですが、これらの対談 が本当だとすれば、妻となったこの生徒への後半の対応はヤバいですよ。それまで「教師」として精一杯彼女に向き合ってきたのに、退学を導くような発言や、将来について受けた相談への答えとして交際期間なくプロポーズとは、あまりに突拍子もなく的外れな・・・当事者でない者が分かった事を言えないのは承知ですが、時間をかけても卒業を支援し、その間は「教師」として対応してあげて欲しかったです。
上で挙げた記事 にも書きましたが、実際に教員になって見方が変わったり初めて気付く物事があります。そうした者の目から見ると、申し訳ないけれど、彼の言動の多くに疑問を感じたわけです。
今回頂いたコメントも、意見の一つとして受け止めたいと思いますが、「彼の活動があらゆる教育の論客より的を得ている気がします」にはちょっと頷けず、この人の考えが正論とはどうしても思えなくなってしまうのです。すみません。子供の頃から真面目に生き、上から非情な扱いを受けようとも現場に向き合い続ける下っ端教員達にとっては、彼も表に出てくる他の「教育家」達と同じに映るのですよ。
義家氏に関する意見は、ネットでも様々出ており、以下にくつか挙げます。批判的なものばかりゆえ、支持者の方には申し訳ないのですが(そういうのしか見当たらなくて)、個人的には一番上のサイトは比較的穏やかな書き方だと思います。その管理人さんも言われているように(私も前に似たような事を書きました )、この先生は、ああいう現場にいらしてこそ持ち味を活かせるのだと考えます。
ところで皆様、14日の「コメント御礼 」で「以後しばらくコメント返信は無しになる」と申したものの、その少し後も出来るだけ返信させて頂きました。しかし、新任校での勤務が本格的に始まり、その合間で引き続き進路活動をしている今、非常に疲れきってしまい限界です。。
今回取り上げたものは高校生からとの事で、精一杯向き合わねばとお返事しました。それ以外で10/16以降に下さったコメントについては(お初の方も含め)、大変申し訳ないのですが、返信出来なくなる事お許し下さい。
過去に頂いたものと返信を公開したく、コメント欄は開いておきますが、当座はあくまで「閲覧目的」なのをご了承お願い致します。
プロ野球、今季雑感

書くのが遅れましたがプロ野球、両リーグ共にレギュラー試合すべて終了しました。
巨人と阪神が首位を争っていたセ・リーグは先日、巨人優勝が決まったとの事。ニュースで知ったものの、勤務開始
にあたってバタバタしていた上、現在の自分にとっては12球団中で1番と2番目に好きでないチーム同士の争いゆえ興味も持てず、詳しい結果は分からないでいます(^^;横浜はダントツ最下位だったし・・・
その横浜、石井琢朗・鈴木尚典両選手が戦力外通告!長年この球団に貢献してきた選手達が、こんな形でですか・・・年齢的に限界に近いのはあるでしょうが、あの監督は留任など、辞める人が違う気がします。それでも「横浜が好き」とコーチ就任に前向きな鈴木選手の姿勢は嬉しいものです。
広島市民球場が今年で幕を閉じるとのニュースも入りました。近年いくつもの球団で、長年親しんだ本拠地の球場が新しくなっていくのも寂しいでしょう・・・その点では、横浜スタジアムは子供の頃からずっと馴染みがあり、安心です。
一方、既に辞任を発表していた王貞治監督
率いるソフトバンクと、野村・楽天との試合が、パ・リーグ最終戦となりました。仙台の知人によると、チケットはあっという間に完売で手に入らなかったとの事
最名将同士で最後の対決が「最下位決定戦」というのは何とも寂しいですが、ニュースで見た限りでは、試合後の野村監督からの花束贈呈も含め、素晴らしい試合だったようですね。楽天が設立4年で最下位脱出できたのは良かった反面、その相手が王ホークスでなければとも思ってしまいます。
様々な声を見ても、王監督は球団を越えて愛される野球人だったと感じます。でぷあさん
、2度ほどTBさせて頂きましたが、そのたびにコメントありがとうございましたおっしゃる通り、巨人以外の球団でも業績を残されたのは大きいと私も思います。
後任が秋山幸二氏というは、事前の噂通りでした。秋山新監督は、かつて清原と共に西武黄金時代を支えた選手でしたが、今やすっかりホークスの人ですね。
そして、この清原和博選手(オリックス)は、その数日前に引退試合、こちらのセレモニーもすごかったようです。
しかも今年は、桑田真澄投手も一足早く引退しました・・・
桑田・清原といえば1983年夏、親の母校が甲子園決勝まで進み盛り上がっていたのですが、決勝戦で彼ら「KKコンビ」が1年生で出場していたPL学園やられてしまい・・・以後、KKコンビもPLもアンチでした(苦笑)
彼らがPL在学中は、甲子園に毎年出場し憎らしいほど強かった事、1985年ドラフトも球史に残る波紋を呼んだ事など、子供ながらによく覚えています。
そしてプロとしても、両者とも色々ありましたが長く活躍し、同年引退。何だか因縁を感じますね。
自分も小学生からいい歳になるまで、この両選手をリアルで見てきたのだなあ。2人が日本の野球に与えた影響も非常に大きかったと思います。
今年は、王監督やKKコンビに加えて野茂英雄投手 など、重要な野球人が次々に引退を発表してしまいました。一つの時代が終わった感じがします。
もちろん、ひっそり引退された選手達もおられると思いますし、そういう方々も含め皆様、長い間本当にお疲れ様でした!
ひとつの時代が、終わった。オリックス・清原和博内野手(41)が1日、京セラドーム大阪での今季最終戦に4番DHで先発。引退試合で適時二塁打を打つなど、最後まで強烈な光を放った。大阪・PL学園高時代には桑田真澄氏との「KKコンビ」で甲子園を熱狂させ、プロ入り後もファンも沸かせ続けた“スター”が23年のプロ生活に幕を下ろした。
バットマン・清原和博の9428打席目。八回の第4打席。4番・DHで先発出場した清原はプロとしての23年間、いや25年前の夏、PL学園の1年生4番として全国制覇を果たして以来今に至るまで「清原」であり続けることができた、誰にもまねできない、魂のこもったスイングを披露した。
カウント2-1。やや高めに浮いてきた杉内の139キロ直球に反応したバットは、空を切った。通算1955個目の三振。清原は「『ああ、終わったんだ』と納得できた」と、笑顔でナイン全員とタッチを交わし、ベンチ奥へ下がった。
六回の3打席目には右中間を破る、タイムリー二塁打をかっ飛ばした。過去に例のない左ひざ軟骨の移植手術から1年以上のリハビリを終え、8月から復帰した清原。しかしよく知る球団職員が「出来ることなら肩を貸したい」というほど、普段の歩行すらままならない状態での、極限を超える激走。この痛みに悩まされることも、もうない。
数々のドラマが、ラストゲームに集約された。85年秋のドラフト。当時、巨人監督として清原ではなく桑田を指名した王監督。また87年日本シリーズ。巨人を倒しての日本一にあと1アウトと迫った時に涙を流した、その相手も王監督。そしてこの日ソフトバンクを指揮するのも、同じく今季限りでユニホームを脱ぐ王監督。
「運命的なものを感じました」という清原は試合前、王監督から花束を手渡され「来世、生まれ変わったら必ず、一緒にやろう」と、言葉をかけられた。すべての思いが涙となって洗われ、清められ「感謝」の言葉だけが残った。
試合後、選手会長・北川、阪神・金本から花束をもらい、長渕剛には「僕の野球人生すべてを表している歌」という『とんぼ』を熱唱してもらった。また05年オフ、オリックスに呼んでくれた仰木監督、その存在を通じてこの日、球場に姿を見せてくれたマリナーズ・イチローなど、かかわったすべての人に対して「感謝しか出てこない」と清原。
一方で、例えば7月、ファームで不振脱却に試行錯誤を繰り返す浜中が、折れたバットをゴミ箱に突っ込むのを見れば「ハマちゃん、嫌なこと、言うよ」と断りながら「バットはほかのゴミが入ったものと一緒にしたらアカンよ」と、バットマンとしての誇りを伝えるなど、仲間に与えたものは、清原が今、受け止めている感謝以上に大きい。
だからこそこの試合、チーム全員が「清原さんのため」を合言葉にプレーした。魅了されたファン全員が「キヨハラコール」に声をからした。
西武で、巨人で、そしてオリックスで23年間、日本のプロ野球の中心選手であり続けた男の、魂のスイングは、もう見られない。
王さん最下位決定も笑顔でさよなら
<楽天1-0ソフトバンク>◇7日◇Kスタ宮城
ソフトバンク王貞治監督(68)がサヨナラでユニホームを脱いだ。9月23日に今季限りでの辞任を発表して迎えた最終戦は、延長12回に0-1で楽天にサヨナラ負け。最下位が決まった。選手として世界一の本塁打王、監督とし2度の日本一、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本を初代王者に導いたヒーローが、ついにグラウンドに別れを告げた。プロ野球人生50年、ON時代の終わりでもあった。今後はチーム、球界を側面からサポートする。
涙雨がKスタ宮城に降り続いた。楽天との最下位決定戦。ソフトバンク王監督のラストゲームは、4時間を超える熱闘の末、延長12回サヨナラ負け。12年ぶりの最下位が決まった。午後10時7分だった。「勝負師として最後に白星で飾れなかったのは残念。最後の最後まで、野球好きな僕にふさわしい、12回もやって、そういう点では良かった」。試合後は楽天野村監督に花束を渡され、場内のファンに両手を振った。
涙とは無縁。「涙雨なんて僕には似合わないよ」と笑顔を見せたが、雨にぬれながら深々と頭を下げてグラウンドに別れを告げた。
選手として世界記録の868本塁打を放ち、監督として両リーグ制覇、日本一、そして06年にはWBCで世界一も達成した。長嶋茂雄元巨人監督とともにONとしてプロ野球界を引っ張ってきた。プロ野球人生50年。常に看板を背負い、栄冠を手にするたびに、重さも増した。
世界記録の756本塁打を放った77年、国民栄誉賞第1号を贈られた。北京五輪の水泳男子平泳ぎ金メダリスト、北島康介に国民栄誉賞の話題が挙がった際、王監督は言った。「君たちも国民栄誉賞を1日でも体験してみればいいんだよ。そうすれば、こんなに簡単に扱わないだろう」。
8月14日には食物を腹部に詰まらせ、ロッテ戦を休養した。その翌日の試合後、王監督は何事もなかったように振る舞ったが、実は試合中のベンチ内は騒然とした。腹部が詰まり、激痛に襲われた。横たわる王監督をトレーナーが懸命の介抱に努め、球団関係者は連盟と連絡を取り、監督の途中退場を打診したほど。それでも体調が回復した試合終盤にはガッツポーズも見せ、周囲を安心させた。野球を愛し、ユニホームと生きた。今後は球団のGM的立場でチームを側面から支援する。第2回WBCのアドバイザー就任も要請されている。
最後の采配を終えた後、仙台市内の宿舎ホテル会議場に選手とコーチ、裏方らを集め、最後のミーティングを開いた。「14年間お世話になった。厳しくしたりもしたが、君たちにレベルの高い選手になってほしいから。プライドを高く持った選手を目指してほしい」と言った。試合終了から41分後の午後10時48分、ホテルの自室に戻り、1人静かにユニホームを脱いだ。【中村泰三】
[2008年10月8日8時45分 紙面から]
ありがとう 王道完走 夢と喜びくれた50年
2008年10月8日 09:49 福岡ソフトバンクホークスついに、この日がやってきてしまった。王貞治監督(68)が、50年に及ぶプロ野球人生に大きな区切りを迎える日だ。ラストゲームは延長12回サヨナラ負けで12年ぶりの最下位となったが、その勇姿を1分でも1秒でも長く見たいファンの思いに応えるように4時間7分の緊迫した戦いだった。通算868本塁打、巨人を率いてのリーグ優勝、そしてホークスでの14年間で3度のリーグ制覇に2度の日本一。数々の夢を、希望を与えた「世界の王」が静かにユニホームを脱いだ。
天も号泣した。延長12回で幕を閉じたラストゲーム。試合後のセレモニーで野村監督と斉藤から花束を受け取り、ファンに両手を上げた。監督通算2507試合目の悔しい黒星。赤く染まった大きな目に、悔しさと惜別の情が入り交じった。
「最後の試合? そんな気持ちは全然ない。それよりも、こんな試合に勝てなかったことの方が悔しい。勝負師としては最後を飾れず残念。その一言です」。試合後、「背番号89」はファンに頭を下げた。12年ぶりの最下位。まずプロとして結果を恥じた。
試合途中から振り出した涙雨にぬれて、杉内は奪三振王を獲得した。それでも勝てない。途中出場の川崎、代打小久保も快音を残せず、屈辱の12回ゼロ封負け。それでもベンチで若手に熱血指導を繰り返す姿を、選手もファンも心に焼き付けた。
半世紀に及んだ濃密なプロ人生。50年もユニホームに袖を通した理由はシンプルだ。「野球が好きだったからだよ。同じ試合や対戦は2度とないし、だからいつもドキドキできるんだ」。68歳の横顔には、今も少年のような笑みが広がる。
数多くの出会いが、現在の「王貞治」を作り上げた。「(東京の)人形町の人に早実を紹介された。巨人に入って、長嶋さんにも出会った。その時は、その他大勢の一人だったけどね」。甲子園のスターが巨人に入団した記憶をたどった。
傑出した才能は真っすぐに育った。「この世界に入る人は、みんな才能を持っている。僕は出会った人が、みんないい方向に導いてくれた」。当時の水原、川上両監督をはじめ、伝説の「一本足打法」を二人三脚で築いた荒川博コーチらへの感謝の念を忘れない。
小久保、斉藤、川崎に加え、マリナーズ城島も仙台に集結。一時代を築いた個性派集団は、指導者となった王監督に薫陶を受けた。「今度は僕がそうしないと。選手はうるさいだろうが、早く気付いた方が勝ち」。厳しく“いい方向”に導かれた教え子たちは、福岡の地に「常勝軍団」の大輪の花を開かせた。
宿舎で開かれた最後のミーティング。来季の秋山新体制を支える選手たちに語りかけた。「厳しくしかりもしたけれど、それはレベルの高い選手になってほしいから。プライドを高く持った選手になってほしい」。親子ほど年の離れた選手の心に言葉が染み込んだ。
試合前「僕に涙雨なんて似合いませんよ」と笑った。試合後も「最後の最後まで野球好きの僕にふさわしく12回もやれた。その点は良かった」と力を込めた。寂しさはある。それでも「野村さんに花束ももらったし満足な1日だった」と笑みを浮かべた。
王監督「今、一つの幕を引きますが、生きている限り、野球界をファンに愛されるようにしていきたい。米国との力の差も埋められる方向になるように、自分の力が役に立てばと思う」
試合後。グラウンドを去る「背番号89」には涙雨だけではなく、感謝の拍手が降り注いだ。現役通算868本塁打、そして監督通算2507試合のプロ人生。昭和と平成をつないだ一つの時代は幕を閉じたが、「王貞治」は新たな輝きを放ち始める。 (相島聡司)
=2008/10/08付 西日本スポーツ=
大学サークル30周年記念祭

一昨日、大学で所属していたボランティアサークルの30周年記念パーティーに参加しました。
自分が大学時代に卒業まで籍を置いたのは、奉仕系のサークル2つです。
本当は音楽や語学に興味のある自分としては、その方面のサークルに入りたく、1年目は色々周って複数のサークルに入部しましたが、今後の事も考え授業優先で励んできたのに加えて
、学費はじめ自身に必要な費用を稼ぐためにアルバイト(家庭教師中心)を目一杯入れねばならなかったため
、練習に費やせる時間が取れず、そんな自分でも出来るのは、時間のある時に参加可あるボランティアぐらいしかありませんで・・・興味というより居場所が欲しくて所属していた感じで、決して熱心に活動していたわけではなかったのです
その2つのうち、障害者介助の手伝いを行うサークルが今回、創立30周年を迎えたわけです。
私がこの大学に入学したのがちょうど10年前、その年は20周年記念祭が行われました。学年が上がるにつれ顔を出せなくなったものの、部員達の人の良さで居続けた感じです(^^;
夏の終わりに招待状が届き、今は慌ただしくお金も苦しい時なので(参加費が結構高い!大学の食堂で行うのに)迷いましたが、しばらく疎遠になっている大学時代の仲間と会えるチャンスと思い、参加で返送しました。
そして当日、夕方~夜にかけて大学学食で、バイキング形式の立食パーティが行われました。
開始より少し遅れて到着しましたが、知っている人があまり見付からず、最初に1学年下の後輩(この代の部長で私と同じ学科専攻出身)が目についたので少し話をし、食事を取って食べながら誰かいないか探しました。
しかし、同期は誰も来ていないと分かった。。どちらかというと、比較的年配のOB・OGが目立った感じです。
でも、私が1年の時の部長に合って近況を話したりし、在校生(学生が少ない気がした)の1人も話しかけたりしてくれました。
その後、指定ボランティア先の方とお目にかかる事が出来ました
このサークルでは、指定先である、障害を持つ方の住む個人宅や施設にて介助手伝いを行うのですが(決められた日時の中から自分の都合に合わせて任意で)、そうした個人ボランティア先の中に私より1歳上の女性がいらっしゃいまいして、この方が介助を必要としており私達と会話する事は出来ないのですが、そのお母様がとても明るく前向きで、そのご姿勢に何度と励まされてきました。
他にもボランティア先はいくつかあったのですが、最も印象的なお宅であり、今回の記念祭にあたっても、この親子を真っ先に思い出し「お元気かなあ」と気になっただけに、お会い出来た時には本当に嬉しかったです。
あちらのお母様も、私の顔を見るなり、懐かしく当時の事を思い出し話しかけて下さいました。
近況なども少しお話下さったのですが、ボランティア対象である彼女(以前と変わりない様子に安心しました)を含むお子様達の事など本当に御苦労が絶えない、そしてご自身も病気と闘っておられるようですが、相変わらず前向きで「命ある事、こうして皆さんが心かけて下さる事に感謝」とおっしゃるお心には、感服致しました。
私達も、人生思うようにいかず苦しい事の方が多く、不満・怒り・不安の気持ちばかり募ってしまいがちです。しかし、何が起こるか分からない現在、まずは毎日元気に暮らせる事、そして支えて下さる人々がいる事が有り難いのだと再認識させられました。そして困難があろうと、前向きに乗り切っていくための元気を、再びこのお母様から頂いた思いでした。
終了まで話し込んでしまい、帰りも駅までご一緒しました。
結局、食事はほとんど出来ず、友人とは会えなかったのは残念でしたが、一部の上下級生との再会に加え、このボラ先お母様にお会いして前向きな気持ちを頂けた、それだけでも大いに収穫でした。
今の生活で手一杯ですが、現状の中で精一杯やるべき事を行い、その中で周囲の人にも心かけていく、そうした「奉仕の心」で日々を送っていけるよう、努めたいと思います。
昨夜この記事を書いたのですが、今日出題された「クチコミネタ 」に参加するため、こちらの新たなエントリーに差し替えました。その間にコメント頂いた8さん 、大変申し訳ないのですが、こちらにコメントを掲載し返信させて頂きます(評価を受けたら、戻すかもしれません)。
>上を見ればキリがない。下を見てもキリがない。
この言葉、予備校時代にやはり浪人していた元同級生が言っていたのが印象に残っています。
しかし、大きな夢を持って最大限の努力をしてきた割には、今の現状があまりにかけ離れ過ぎている事に絶望を感じてしまう最近でした。
このボランティア先のお母様は、本当に広いお心の持ち主で、お会いするたびに心を成長させて頂いています。
何度か貴ブログにお伺いさせて頂き、8さんも非常に明るく前向きな方とお見受け致します。
私が少々暗めのコメントをしてしまった際も、ポジティブなお返事を下さった。そんな8さんの精神も見習わせて頂くつもりです!(^o^)
■気持ちの持ちよう
さすらい人さんおはようございます。
良いひとときを持てたみたいですね(*^_^*)
上を見ればキリがない。下を見てもキリがない。要は、適当なところで諦めよ。と言うことでしょうか。子供の頃、親からよく聞かされました(笑)幸せも充実感も一人一人違うものですし、今回さすらい人さんの、そう感じることが出来たその気持ちが大切だと思います。また一段と素敵な女性になったんですね~♪(*'-^)
8 2008-10-15 08:26:10 [コメント記入欄を表示]
コメント御礼+授業始りました
現場復帰 に関して、数々のお祝いコメントありがとうございました。今春(いや、その前から)「もう辞める 」などと言っていた上、色々思うようにいかない中での臨時採用ゆえ、複雑な心境ではありました。
しかし、こうしてたくさんの方々が温かい言葉をかけて下さった、それらを素直に受け止め、支えて下さる人々に感謝しながら、与えられた事を行っていこうと思っています。
おとといから新任校で初授業を行いました。2学期中間試験直後で、1コマだけでしたが。
その後、化学科全教員と実験助手の方とで、今後の授業で行う実験の予備実験を行ったりしました。他の教科の状況は分かりませんが、少なくとも化学科に関しては、授業計画もしっかり立っており、同科目の教員間での連絡を密に取り合い、何かあった時も科目主任が相談に乗ってくれたり助手さんがサッと援助して下さったりなど、講師仲間から聞いた 通り、システムはなかなかしっかりしている感じです。
立地も結構良く、こういう所に長く勤められたらいいだろうなあ、と思ってしまいますが、あくまで私は「産休代講」の身なんですよね・・・
それに驚いたのは、この学校の化学科専任、今回産休に入った(私達が引き継いだ)先生以外に現在もう一人が産休中ですと既におられる講師1人が、その代講なのか?
つまり、専任は本来3人のところ2人が産休で、主任(男性)のみ出勤されているというわけです(苦笑)
しかし、授業時間数・専任の数・こうした待遇などを考えると、専任(特に女性)はこれまでの勤務校の中で最も恵まれているかも!
また「理科実験費の自腹 」に関するエントリーも、結構な反響を頂きました。
先日、ようやく遅ればせながら8月以降に頂いていたコメントの返信を(記事中で行ったものは除き)致しましたが、更に何人もの方から頂き(アメブロメッセージやメールも含め)、また対応しきれなくなってしまいました。。
すみません。このように新勤務先に関する準備(やはり今まで行った事のない分野ゆえ、授業の組み立て方はかな考え込む)、そして勤務開始しましたし、自身の活動も次の段階を始めねばならなかったりで・・・不器用なもので、一度に多くの事をこなせないんです(>_<)
その分は以下またはコメント欄に、お初の方から優先的にさせて頂きましたが、前回アメブロメッセージも含め返信させて頂いた方まで手が回らず、申し訳ありませんがご容赦下さい。
再びコメント欄を閉じるつもりでしたが、過去に頂いたコメントや自身が行った返信が閲覧出来るよう、それは止めにします。ただ、また以後しばらく頂いても返信は無しになりますので、ご了承下さい。メッセージ機能は現在、拒否設定にしています。
徐々に更新休止モードに入る予定ですが、たまに顔を出した際には、よろしくお願い致しますm(_ _)m
ドクさん 、こちらこそ、お先に読者登録ありがとうございました。
希望の進路でなかった上に毎年「使い捨て」状態ゆえ不満で、そんな今の身分をよほど心許せる友人・知人以外には知らせたくない気持ちにまでなってしまった自分です。しかし一般の方々からすれば、今でも「教師」と聞くと非常勤であれ一目置かれる面もあり、同様に言ってもらえたりもします。ありがとうございます。
こちらこそ、今後よろしくお願い致します。
>最近じゃあ専門分野も…
私も正直のところ、学力的にな最大のピークが必死で勉強した大学受験、そして大学~大学院時代は、専門分野を勉強・研究していたため最新の生命科学情報に触れられていたと思います。
教員就職してからは、教科書を教えるための教材研究に追われ、学年が低いほど(中学生など)勉強より生徒指導(お説教)中心になりました。特に専任時代は公務・雑用・部活指導が多くを占め、なかなか自身が学びを深める機会が持てず、自身の学力が後退いていく不安さえ感じたものです。
part time teacherさん 、先月と今月に何回か、貴ブログへのコメントを試みたのですが、反映されなかったようです。どうなっているのかお分かりでしょうか?
社会科は、自分の学生時代にも(地歴&公民に分かれる前)、教員免許を取る負担度や教員になる倍率なども含め、最も大変な教科だと思っていました。
数学などもご自身の専門分野はあるでしょうが、中高の範囲は、数学専攻以外でも理系の私達は、受験ではすべてマスターしましたからね。特に中学では専門外の地学なども教えねばならない私達よりは、慣れない分野は少ないかもしれません。
加えて理科や社会は、高校生の選択科目も確かに細分化されていますね。。
>医者顔負けのハードな職業
以前にも書きました が実は、私が高校~卒業後数年間に最も志望していたのが↑の職業だったため、この言葉は正直ツライんです。。
一方この職は、その夢破れて新たに見出した夢も破れて意図せず就いたので・・・そう考えると、この落ちぶれようが惨めに思えてしまう事がしばしばあります。
とはいえ、学生時代から家庭教師や塾講師を行い、教える事の楽しさややりがいを感じていた部分はあります。当時は貴殿とほぼ同様の気持ちでした。私も教材自腹も経験あります(^^;
カズゴンさん も、数々のコメント&メールありがとうございました。すべてに対応出来ずに申し訳ないですが、これをまとめての返信とさせて下さい。
自分が貴殿のおっしゃる「教育のプロ」などとは思っておらず、そう言うのはあまりにもおこがましく感じます。
まして教職や学校に対する文句が多くて恐縮ですが、そんな本ブログでも興味を持ってお読み下さっているのも、経歴を伺いより納得しました。というよりむしろ、そのような道に進まれているカズゴンさんこそ、私などより様々な子供達や親御さんについてご存じなのではと思います。
教育は奥が深い反面、教育について語るのは本当に難しいです。これも機会があれば記事として書きたいと思っています。
時折触れているように、ここ2年ほどは教員以外の可能性も探るべくそちら方面の活動もしており、授業のコマ数はかなり減らしています。お言葉通り、無理をしない程度に頑張ります(^^;
他の方への返信で上述しましたが、おっしゃる通り専任教諭は、授業以外の仕事が大変ですからね。。私も1年だけ経験ありますが、近年では最も辛い1年でした。加えて生徒の言動にも頻繁に不快にさせられたため、自分の人格さえ傷つけられる思いもしたため余計に。
それを思えば、授業のみの非常勤は身分や生活が不安定で今後が不安すが、当時より自分らしくいられたり、1校に縛られずに他の世界へも目を向けられたりなど、気楽ではあります。とはいえ、教材研究(授業予習)にテスト作成など、給与外の準備などにも結構費やしますね(^^;
私も理科教員ながら、専門外の物理はチンプンカンプンです(^o^;
善ちゃんさん からのコメントで思い出したのですが、近年では大学の先生も、研究費をご自分で取らねばならない方向になってきているようです。それらも考慮すると、貴殿のおっしゃる事にも十分理があると思います。
ただ、安い給与で何の保障もなく短期間で使い捨てにされる不安定な身分の講師では、その学校のためにそこまで行う余裕など持てないのが実情です。
私がこれまで関わってきた学校は(教員としても生徒としても)私立ゆえ、税金でなく「生徒の学費」なのですよね。「私学助成金」も年々減らされていると聞きますし・・・
高い学費を支払っているゆえ注文多い生徒(保護者)も時々いますが、教員はそれだけの恩恵どころか公立より待遇が醜くなっているくらいですから、そういう学校でお金はどう使われているのやら・・・と思ってしまいますね。
なので結局は、原竜也さん がおっしゃるのと同じ考えなんです。それ相応の待遇や安定を保障されていない中で、そこまで行う必要はないと。
私の経験では、(請求し忘れは別として)強制的な実験費用の自腹はありませんでしたが、給与外で補習や行事等の手伝いを命ぜられた事がありました。その時は、かわいい生徒のためと「いずれ専任に」という校長らの言葉を信じて行ったのですが、結局は皆1年でクビでした!この件も、機会を見付けて書きたいと思っています。
こうした経験を重ね、もう給与内の授業のみに専念するようにしていますが、講師仲間(自腹も含め)も当時の自分も、雰囲気的に断れなかったというのもありましたね(苦笑)
このように我々講師が都合よく扱われる一方、授業のコマ数もほとんど入っていないとか高校生の授業は教えられないという年配が長く居る学校や、専任が勤務時間中にmixiや遊び系のサイトを見ている学校があったりで、ケースは違えど貴殿のお怒りの気持ちもお察し出来ます。
ノーベル賞(物理学&化学)で日本人教授の受賞ラッシュ!!
ここ最近、暗い事件が続く中での、明るいニュースです
まず昨日、ノーベル物理学賞で、3人の日本人教授が同時受賞
自分は物理学は苦手ゆえ、理科教員ながらまともにコメント出来ず恐縮ですが・・・
それにしても、30年ほど前の研究に対してとの事で(正しいと証明されたのが5,6年前ですね)、発見からこれほど長い年月を要するとは!逆に言えば、若くして成果を出さないと、この世界での成功は難しいのでしょうね。。
同じ賞で3人が独占というのは初めての快挙のようです!
(高エネルギー加速研究機構 HPより)
ノーベル物理学賞:益川教授ら日本人3人に授与
スウェーデン王立科学アカデミーは7日、08年のノーベル物理学賞を、米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授(87)=米国籍▽高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)の小林誠名誉教授(64)▽京都産業大理学部の益川敏英教授(68)の日本人3人に授与すると発表した。素粒子の理論で先駆的な役割を果たしたことが評価された。日本人のノーベル賞受賞は、02年の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授(物理学賞)、田中耕一・島津製作所フェロー(化学賞)以来6年ぶりで、3氏を含め受賞者は計15人。物理学賞に限ると小柴氏に続き計7人となった。
南部氏の受賞理由は、物質の最小単位である素粒子の「自発的対称性の破れの発見」。小林、益川両氏は「CP対称性の破れの起源発見」。素粒子の世界に存在する「破れ」と呼ばれる非対称性の理論化に取り組んだ3氏の業績は、理論物理学の発展に大きく貢献、初めての日本人3人同時受賞につながった。
左右対称の図形は、左右を入れ替えても形が同じ。物理法則でも、一つの状態をほかの状態に変えても不変であるとされる。しかし、超電導現象などでは、対称性が失われることがある。
南部氏は60年代にこの「対称性の破れ」を初めて素粒子の世界に導入した。これにより、物質の質量の存在が合理的に説明できるようになり、素粒子の基本理論となっている「標準理論」の基礎となった。
一方、粒子と反粒子(質量が粒子と同じで電荷が反対)の数が全く同じだと、この世界は光だけになる。このため、小林、益川両氏は粒子と反粒子の性質にあるわずかな違いを示す「CP対称性の破れ」を理論的に説明するため、当時3種類しか存在が確認されていなかった素粒子クォークが3世代6種類以上あることが必要だとする「6元クォーク模型」を考案。両氏の名字をアルファベット順に並べて「小林・益川理論」と呼ばれた。
小林・益川理論は当時の理論物理学の常識を覆す理論だったが、その予言通り、77年までに4、5番目のクォークの存在が実証され、95年には6番目のトップクォークの存在が確定、理論の正しさが証明された。
南部さんは戦後まもなく渡米した頭脳流出組で、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎の両氏(いずれも故人)に続く日本の素粒子論研究者の第2世代。益川、小林両氏は名古屋大理学部の先輩、後輩で、湯川博士の協力研究者だった故坂田昌一博士門下で素粒子論を学んだ。
授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億4000万円)は南部氏に半分、残りの半分を小林、益川両氏に贈る。
そして今日、ノーベル化学賞受賞者の一人がやはり日本人との事ただ、こういう内容なら「医学・生理学賞」がふさわしい気もしますが、それだけ自然科学が密接に関わっているという事でしょう。
近年は日本人のノーベル賞(特に自然科学系)受賞が増えてきたように思いますが、1年にこれだけの人数というのは、本当に初めてですね。
受賞された先生方、おめでとうございます!
ノーベル化学賞:下村脩・米ボストン大名誉教授ら3博士に
スウェーデン王立科学アカデミーは8日、08年のノーベル化学賞を下村脩・米ボストン大名誉教授(80)ら3博士に授与すると発表した。受賞理由は「緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見と発光機構の解明」。下村氏らが見つけたGFPとその遺伝子によって、たんぱく質を蛍光標識し、脳の神経細胞の発達過程や、がん細胞が広がる過程などを生きた細胞で観察できるようになった。分子生物学や生命科学の発展に大きく貢献したことが高く評価された。
日本人のノーベル賞受賞は7日の物理学賞3人に続いて16人目。化学賞は福井謙一氏(故人)、白川英樹氏、野依良治氏、田中耕一氏に続き5人目。年間の受賞者数も過去最多の4人となった。
授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、下村氏ら3人に賞金1000万クローナ(約1億4000万円)が3分の1ずつ贈られる。
下村氏は、1962年にオワンクラゲから緑色蛍光たんぱく質(GFP)を初めて発見した。さらに分離・精製にも成功した。このGFPは、紫外線を当てると発光する。その後、92年に別の研究チームがGFPの遺伝子を特定し、複製に成功。さらに別のチームが、異種の細胞内にGFPを導入し、発色させることに成功した。
GFPの発見以前は、たんぱく質を蛍光標識する際、たんぱく質を一度精製した上で蛍光物質を付け、蛍光標識したたんぱく質を生きた細胞内に注入するなど、煩雑な作業が必要だった。GFPは、他のたんぱく質の遺伝子に融合させ、細胞内に入れるだけで、細胞内の好きな場所で蛍光を作り出せる。そのため、目的の遺伝子が生きた細胞内のどの場所で働いているか調べられるようになり、これによって分子生物学や生命科学などの研究が大きく進展するようになった。
【略歴】下村脩(しもむら・おさむ)氏 1928年京都府出身。51年に長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)を卒業。60年に米プリンストン大に研究員としてフルブライト留学した。63年名古屋大助教授、65年プリンストン大上席研究員、82年米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員(01年退職)。主な受賞として、04年にPearse Prize(英国王室顕微鏡学会)、07年に朝日賞がある。米マサチューセッツ州在住。
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- (益川・京都産業大教授が著者の一人となっている本)
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私の出身校と私立小学校受験(まよりん様への返信を中心に)
おととい、俳優の緒形拳さんが亡くなられたと聞いて驚きました。
緒形拳さんといえば、お嬢様が私の出身校の5年くらい上級生だったそうで、私達が小学校に入った年辺りの運動会で、保護者としていらしている緒形さんを見た、と母が言っていた事があります(サイン攻めに遭っていたそうです)。
頂いたコメントへの返信が滞ってしまっていますが、まよりん様 はお嬢様の受験が差し迫っているという事で、まず返答させて頂きます。
(もう更新半休止に入りたく、以後は私へのご質問等を頂いても対応出来ませんので、ご了解お願い致します。)
>希望校はさすらい人様の母校と拝察します。
>御母校をあまりよくお思いになっていらっしゃらないのでしょうか?
私の出身校については、9月6日のエントリー で少し述べましたので(過去にもそれとなく触れたような・・・)、お分かりになる方も結構いらっしゃるでしょう。
その記事中で、高校時代の私と卒業した上級生との会話を書きましたが、その後の自分も含め多くの卒業生達が同様の気持ち、つまり、この学校を快く思っていないのが実情です。在校時は「ここが良い」と誇りの思いで、教師達にも従って真面目にやってきたのですが・・・元同級生達も文句言いまくりでした。
こういう仕事を行っている関係上、学校関連の掲示板も時々覗きますが、あるスレで次のような内容の一連の書き込みを見付けました。やはり、そういう卒業生は多いんだなと(苦笑)
他の学校だと卒業生は「良い学校だった」と言うのに、
ここは掲示板が立つと、必ず「嫌だった」という卒業生が数人でてきますよね。
>厳しいだけとお感じになっていましたか?
>それとも、理系学習への対応が後手にまわっているという点のみのご不満でしょうか。
「厳し過ぎる」というより「世の中からずれている」ほど異様に押さえつけられ、まるで「収容所」でした。
勉強に関しては在学当時は、理系はもちろん、文系を含め受験に対する学習さえ行ってもらえませんでした。宿題等はたくさん出されるなど、膨大に勉強はやらされるのですが、何かにつけて要領悪かったり、無駄な事が多かったり・・・
私の場合、「小さい頃から私立で『良い教育』を受ければ良い大学に入れる」という母の考えで入れられました。しかし、その効果はなかった、というより、かえって潰されてしまった感じです(>_<)あらゆる点で不満でした。
ただ、ここで述べたのは私達の在学時ですので、現在はだいぶ変わっていると思います。今こんな事をしていたら、生徒は集まらず潰れるでしょう。
実際、押さえつけの激しさから批判を浴び、一時期は中学受験者数が下がったところを、シスターの校長から男性の校長に代わって改革を行い人気が復活した、と学内外で聞きました。
教師もほとんど入れ替わり、加えて新校舎になり、数年前に教育実習を行った時には全く別の学校という雰囲気で、教育もビシビシ行っている印象を受けました。実際には、教師が生徒に媚びている感じもしましたが(そして、我々実習生達にはすごく意地悪なので、根本的には変わっていなさそうだなと)。
近年、街中で生徒達を見かけると、ブラウスの上ボタンを外していたり、ブレザーのボタンをかけずに前を広げたりして歩いており、私達の頃には考えられない服装の乱れに驚いているくらいなので、生徒に対しては以前ほど厳しくないとは思います。
なお教員は、その後も入れ替わり、昨年に用事があって行った際には、卒後十数年の私の知っている先生はほんの数名しかいませんでした。
今春に届いた同窓会報の異動状況よると、専任数名が退職した代わりの新任は、一人を除いてすべて非常勤講師(退職者の倍ほどの人数)です。在学時から先生はコロコロ入れ替わっていましたし、教員として働いてきた現状を見ると「やっぱり」という気持ちではありますが・・・
良くない事ばかり書いて申し訳ありません。ただ正直、この学校での経験は心の傷になっている部分も多く、どうしても好きになれないのです。そんな所に何も知らないうちに入れた親を恨んだ事さえありました。「母校」という意識はほとんど無いです。
思う事はまだ色々ありますので、時間や精神的に許せば、そのうち加筆あるいは新たな記事にするかもしれません。
最後に、他所にて私立小学校に関する質問に答えたものを掲載させて頂きます。
小学校受験というのは、親御さんが「良かれ」と思われてなさっても、まだ物心のつかない本人にとって必ずしも良いかが分からないですし、高校卒業までの12年のうちに状況はかなり変化するので、小学校入学時の常識が当てはまらなくなる事も多いなど、難しいです。
加えて私の場合、普通の子供が出来るような楽しい体験さえ出来なかった、と感じています。
まよりん様も講師をなさっているとの事で、様々な学校の事情をご存じかと思います。そうしたご経験からも、後の中高での生活や更に先の将来もお考えになられた上で、娘さんが一番良い道に進まれる形になる事をお祈りしています。
生意気申して大変失礼致しましたが、同業者としての立場からも、またどうぞよろしくお願い致します。
********
一応、県内ではトップと言われていた私立小学校(女子校)に、親の意志で入学し通った者です。
正直、良かったと思える点は何もなく申し訳ないですが、以下、悪かった点を挙げます。
・まだ何も分からない幼児である本人の意志は全く介入出来ない。
親もその子の好みや性格がまだはっきりは分からず、物心ついた自分には合わないと感じましたが、エスカレーター式で他校に移る事も出来ず、仕方なく高校まで通った感じです。
・ずっと同じメンバーで、人間関係を広げる事が出来ない上、
小学校からの関係や印象を高校まで引きずる事になり、心機一転が出来ない。
嫌な同級生がいた場合、ずっと一緒で逃れられず、これまた苦しいです。。
しかもこの学校はずっと女子のみで、出会いも全くなし。最高につまらない学校生活でした。
・小学校ではトップ校でも、中高は、(小学校の存在しない)中学からの超一流校もあるため、そういう学校よりはレベルは下がる。
同じ学校でも、内部進学者より中学受験を経験した生徒の方が、学力もつきます。
この中高は押さえつけが激しく、学力も個性も潰された感じで(近年この点で批判を受け、今は改革しているようですが)、得る物より失う物の方が多かったです。より良い環境を求めて力をつけ多くの仲間を作りたかった自分としては、この環境は合わなかったです。正直、学費の無駄でした。。
親御さんがどういう目的でお子様をお入れになりたいかや、その子の性格によっても、通学する事の良し悪しが違ってくると思います。
あと、私立小や国立小からよりレベルの高い中学に受験して入る人達は、非常に頭が良かったです。
国立小に関しても質問がありましたが、個人的には、安い学費でレベルの高い教育を受けられる国立小はお勧めです。ただ、学力試験に通過してから抽選があるののが痛いです。。
理科の実験と費用―教師が「自腹」も!
前回「理科に実験は欠かせない 」と申しました(昨年は行わなかったのですが)。
その際の材料や器具は、学校で買ってくれる場合や、自分で必要な材料を買って来て後で請求する場合が多いですが、時は自腹を切る場合もあります。
以下の記事は公立のみの調査との事ですが、私立の教員(講師)も同じです。経営難でお金をケチる学校は結構あります。「生徒のために実験をして下さい」と言いつつ・・・
ある講師仲間の勤務経験校は、実験を強要しておきながら費用はいっさい出さず、すべて自費で行ったというケースがあります。しかも、普段の給与外の夏期講習として行わされた場合も、時間外(講習)手当どころか、夏休み中の給与すら出さない所だったそうです
なので「支出の方が多くなってしまった」との事!
私の勤務経験校は幸い、そのような酷い所はありませんでしたが、学校で出してくれる場合も、請求にはかなり面倒な手続きがあります。その際に、請求先から色々言われるし。。日頃の業務が忙し過ぎて一度、請求しそびれてしまった(結果として自腹)になってしまった事もありました。。
ある学校では、決まった実験をせねばならないというのに道具や薬品が全く揃っておらず、しかも毎年教員が交代し、前任者達が散らかしっ放しにしたまま去り、専任の先生に尋ねても「分からない」と言われ、自分と同学年他クラスを受け持っていた同期同僚の新人同士で、長時間かけて用具類のチェックをした事もあります。
そういえば、この学校では理科主任が、本棚の修理や理科室の整理の費用、そして教科会のプリント(印刷)代が自腹だとおっしゃっていました。「学校で出してくれないのか」と驚いたものです。
そう考えると、確かに某勤務経験校の数学教諭 ではありませんが、理科教員はこのような点でも不利しれません(>_<)
http://ameblo.jp/sasurai-diary/entry-10019085068.html
なお、私達の中高時代は(少なくとも当時の出身校では)、理科も全くと言っていいほど実験をしませんでした。確かに、やらなければ時間もお金もかかりませんからね(苦笑)私達生徒は実験したくても、教師の都合で行わなかったという事でしょう・・・
ところで先日に見た朝のニュースで、理科離れが久しい今、小学校教師を対象にした「先生のための実験講座」というのが行われているとの紹介がありました。小学校の場合、担任が様々な教科を受け持つため、文系や芸術系の先生は理科が全然分からないそうで・・・そうした先生に実験を通して、方法を身につけると共に楽しさを分かってもらう事は必要ですが、それだけでは解決するものではないかと・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081004-00000060-jij-pol