プロ野球、今季雑感

書くのが遅れましたがプロ野球、両リーグ共にレギュラー試合すべて終了しました。
巨人と阪神が首位を争っていたセ・リーグは先日、巨人優勝が決まったとの事。ニュースで知ったものの、勤務開始
にあたってバタバタしていた上、現在の自分にとっては12球団中で1番と2番目に好きでないチーム同士の争いゆえ興味も持てず、詳しい結果は分からないでいます(^^;横浜はダントツ最下位だったし・・・
その横浜、石井琢朗・鈴木尚典両選手が戦力外通告!長年この球団に貢献してきた選手達が、こんな形でですか・・・年齢的に限界に近いのはあるでしょうが、あの監督は留任など、辞める人が違う気がします。それでも「横浜が好き」とコーチ就任に前向きな鈴木選手の姿勢は嬉しいものです。
広島市民球場が今年で幕を閉じるとのニュースも入りました。近年いくつもの球団で、長年親しんだ本拠地の球場が新しくなっていくのも寂しいでしょう・・・その点では、横浜スタジアムは子供の頃からずっと馴染みがあり、安心です。
一方、既に辞任を発表していた王貞治監督
率いるソフトバンクと、野村・楽天との試合が、パ・リーグ最終戦となりました。仙台の知人によると、チケットはあっという間に完売で手に入らなかったとの事
最名将同士で最後の対決が「最下位決定戦」というのは何とも寂しいですが、ニュースで見た限りでは、試合後の野村監督からの花束贈呈も含め、素晴らしい試合だったようですね。楽天が設立4年で最下位脱出できたのは良かった反面、その相手が王ホークスでなければとも思ってしまいます。
様々な声を見ても、王監督は球団を越えて愛される野球人だったと感じます。でぷあさん
、2度ほどTBさせて頂きましたが、そのたびにコメントありがとうございましたおっしゃる通り、巨人以外の球団でも業績を残されたのは大きいと私も思います。
後任が秋山幸二氏というは、事前の噂通りでした。秋山新監督は、かつて清原と共に西武黄金時代を支えた選手でしたが、今やすっかりホークスの人ですね。
そして、この清原和博選手(オリックス)は、その数日前に引退試合、こちらのセレモニーもすごかったようです。
しかも今年は、桑田真澄投手も一足早く引退しました・・・
桑田・清原といえば1983年夏、親の母校が甲子園決勝まで進み盛り上がっていたのですが、決勝戦で彼ら「KKコンビ」が1年生で出場していたPL学園やられてしまい・・・以後、KKコンビもPLもアンチでした(苦笑)
彼らがPL在学中は、甲子園に毎年出場し憎らしいほど強かった事、1985年ドラフトも球史に残る波紋を呼んだ事など、子供ながらによく覚えています。
そしてプロとしても、両者とも色々ありましたが長く活躍し、同年引退。何だか因縁を感じますね。
自分も小学生からいい歳になるまで、この両選手をリアルで見てきたのだなあ。2人が日本の野球に与えた影響も非常に大きかったと思います。
今年は、王監督やKKコンビに加えて野茂英雄投手 など、重要な野球人が次々に引退を発表してしまいました。一つの時代が終わった感じがします。
もちろん、ひっそり引退された選手達もおられると思いますし、そういう方々も含め皆様、長い間本当にお疲れ様でした!
ひとつの時代が、終わった。オリックス・清原和博内野手(41)が1日、京セラドーム大阪での今季最終戦に4番DHで先発。引退試合で適時二塁打を打つなど、最後まで強烈な光を放った。大阪・PL学園高時代には桑田真澄氏との「KKコンビ」で甲子園を熱狂させ、プロ入り後もファンも沸かせ続けた“スター”が23年のプロ生活に幕を下ろした。
バットマン・清原和博の9428打席目。八回の第4打席。4番・DHで先発出場した清原はプロとしての23年間、いや25年前の夏、PL学園の1年生4番として全国制覇を果たして以来今に至るまで「清原」であり続けることができた、誰にもまねできない、魂のこもったスイングを披露した。
カウント2-1。やや高めに浮いてきた杉内の139キロ直球に反応したバットは、空を切った。通算1955個目の三振。清原は「『ああ、終わったんだ』と納得できた」と、笑顔でナイン全員とタッチを交わし、ベンチ奥へ下がった。
六回の3打席目には右中間を破る、タイムリー二塁打をかっ飛ばした。過去に例のない左ひざ軟骨の移植手術から1年以上のリハビリを終え、8月から復帰した清原。しかしよく知る球団職員が「出来ることなら肩を貸したい」というほど、普段の歩行すらままならない状態での、極限を超える激走。この痛みに悩まされることも、もうない。
数々のドラマが、ラストゲームに集約された。85年秋のドラフト。当時、巨人監督として清原ではなく桑田を指名した王監督。また87年日本シリーズ。巨人を倒しての日本一にあと1アウトと迫った時に涙を流した、その相手も王監督。そしてこの日ソフトバンクを指揮するのも、同じく今季限りでユニホームを脱ぐ王監督。
「運命的なものを感じました」という清原は試合前、王監督から花束を手渡され「来世、生まれ変わったら必ず、一緒にやろう」と、言葉をかけられた。すべての思いが涙となって洗われ、清められ「感謝」の言葉だけが残った。
試合後、選手会長・北川、阪神・金本から花束をもらい、長渕剛には「僕の野球人生すべてを表している歌」という『とんぼ』を熱唱してもらった。また05年オフ、オリックスに呼んでくれた仰木監督、その存在を通じてこの日、球場に姿を見せてくれたマリナーズ・イチローなど、かかわったすべての人に対して「感謝しか出てこない」と清原。
一方で、例えば7月、ファームで不振脱却に試行錯誤を繰り返す浜中が、折れたバットをゴミ箱に突っ込むのを見れば「ハマちゃん、嫌なこと、言うよ」と断りながら「バットはほかのゴミが入ったものと一緒にしたらアカンよ」と、バットマンとしての誇りを伝えるなど、仲間に与えたものは、清原が今、受け止めている感謝以上に大きい。
だからこそこの試合、チーム全員が「清原さんのため」を合言葉にプレーした。魅了されたファン全員が「キヨハラコール」に声をからした。
西武で、巨人で、そしてオリックスで23年間、日本のプロ野球の中心選手であり続けた男の、魂のスイングは、もう見られない。
王さん最下位決定も笑顔でさよなら
<楽天1-0ソフトバンク>◇7日◇Kスタ宮城
ソフトバンク王貞治監督(68)がサヨナラでユニホームを脱いだ。9月23日に今季限りでの辞任を発表して迎えた最終戦は、延長12回に0-1で楽天にサヨナラ負け。最下位が決まった。選手として世界一の本塁打王、監督とし2度の日本一、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本を初代王者に導いたヒーローが、ついにグラウンドに別れを告げた。プロ野球人生50年、ON時代の終わりでもあった。今後はチーム、球界を側面からサポートする。
涙雨がKスタ宮城に降り続いた。楽天との最下位決定戦。ソフトバンク王監督のラストゲームは、4時間を超える熱闘の末、延長12回サヨナラ負け。12年ぶりの最下位が決まった。午後10時7分だった。「勝負師として最後に白星で飾れなかったのは残念。最後の最後まで、野球好きな僕にふさわしい、12回もやって、そういう点では良かった」。試合後は楽天野村監督に花束を渡され、場内のファンに両手を振った。
涙とは無縁。「涙雨なんて僕には似合わないよ」と笑顔を見せたが、雨にぬれながら深々と頭を下げてグラウンドに別れを告げた。
選手として世界記録の868本塁打を放ち、監督として両リーグ制覇、日本一、そして06年にはWBCで世界一も達成した。長嶋茂雄元巨人監督とともにONとしてプロ野球界を引っ張ってきた。プロ野球人生50年。常に看板を背負い、栄冠を手にするたびに、重さも増した。
世界記録の756本塁打を放った77年、国民栄誉賞第1号を贈られた。北京五輪の水泳男子平泳ぎ金メダリスト、北島康介に国民栄誉賞の話題が挙がった際、王監督は言った。「君たちも国民栄誉賞を1日でも体験してみればいいんだよ。そうすれば、こんなに簡単に扱わないだろう」。
8月14日には食物を腹部に詰まらせ、ロッテ戦を休養した。その翌日の試合後、王監督は何事もなかったように振る舞ったが、実は試合中のベンチ内は騒然とした。腹部が詰まり、激痛に襲われた。横たわる王監督をトレーナーが懸命の介抱に努め、球団関係者は連盟と連絡を取り、監督の途中退場を打診したほど。それでも体調が回復した試合終盤にはガッツポーズも見せ、周囲を安心させた。野球を愛し、ユニホームと生きた。今後は球団のGM的立場でチームを側面から支援する。第2回WBCのアドバイザー就任も要請されている。
最後の采配を終えた後、仙台市内の宿舎ホテル会議場に選手とコーチ、裏方らを集め、最後のミーティングを開いた。「14年間お世話になった。厳しくしたりもしたが、君たちにレベルの高い選手になってほしいから。プライドを高く持った選手を目指してほしい」と言った。試合終了から41分後の午後10時48分、ホテルの自室に戻り、1人静かにユニホームを脱いだ。【中村泰三】
[2008年10月8日8時45分 紙面から]
ありがとう 王道完走 夢と喜びくれた50年
2008年10月8日 09:49 福岡ソフトバンクホークスついに、この日がやってきてしまった。王貞治監督(68)が、50年に及ぶプロ野球人生に大きな区切りを迎える日だ。ラストゲームは延長12回サヨナラ負けで12年ぶりの最下位となったが、その勇姿を1分でも1秒でも長く見たいファンの思いに応えるように4時間7分の緊迫した戦いだった。通算868本塁打、巨人を率いてのリーグ優勝、そしてホークスでの14年間で3度のリーグ制覇に2度の日本一。数々の夢を、希望を与えた「世界の王」が静かにユニホームを脱いだ。
天も号泣した。延長12回で幕を閉じたラストゲーム。試合後のセレモニーで野村監督と斉藤から花束を受け取り、ファンに両手を上げた。監督通算2507試合目の悔しい黒星。赤く染まった大きな目に、悔しさと惜別の情が入り交じった。
「最後の試合? そんな気持ちは全然ない。それよりも、こんな試合に勝てなかったことの方が悔しい。勝負師としては最後を飾れず残念。その一言です」。試合後、「背番号89」はファンに頭を下げた。12年ぶりの最下位。まずプロとして結果を恥じた。
試合途中から振り出した涙雨にぬれて、杉内は奪三振王を獲得した。それでも勝てない。途中出場の川崎、代打小久保も快音を残せず、屈辱の12回ゼロ封負け。それでもベンチで若手に熱血指導を繰り返す姿を、選手もファンも心に焼き付けた。
半世紀に及んだ濃密なプロ人生。50年もユニホームに袖を通した理由はシンプルだ。「野球が好きだったからだよ。同じ試合や対戦は2度とないし、だからいつもドキドキできるんだ」。68歳の横顔には、今も少年のような笑みが広がる。
数多くの出会いが、現在の「王貞治」を作り上げた。「(東京の)人形町の人に早実を紹介された。巨人に入って、長嶋さんにも出会った。その時は、その他大勢の一人だったけどね」。甲子園のスターが巨人に入団した記憶をたどった。
傑出した才能は真っすぐに育った。「この世界に入る人は、みんな才能を持っている。僕は出会った人が、みんないい方向に導いてくれた」。当時の水原、川上両監督をはじめ、伝説の「一本足打法」を二人三脚で築いた荒川博コーチらへの感謝の念を忘れない。
小久保、斉藤、川崎に加え、マリナーズ城島も仙台に集結。一時代を築いた個性派集団は、指導者となった王監督に薫陶を受けた。「今度は僕がそうしないと。選手はうるさいだろうが、早く気付いた方が勝ち」。厳しく“いい方向”に導かれた教え子たちは、福岡の地に「常勝軍団」の大輪の花を開かせた。
宿舎で開かれた最後のミーティング。来季の秋山新体制を支える選手たちに語りかけた。「厳しくしかりもしたけれど、それはレベルの高い選手になってほしいから。プライドを高く持った選手になってほしい」。親子ほど年の離れた選手の心に言葉が染み込んだ。
試合前「僕に涙雨なんて似合いませんよ」と笑った。試合後も「最後の最後まで野球好きの僕にふさわしく12回もやれた。その点は良かった」と力を込めた。寂しさはある。それでも「野村さんに花束ももらったし満足な1日だった」と笑みを浮かべた。
王監督「今、一つの幕を引きますが、生きている限り、野球界をファンに愛されるようにしていきたい。米国との力の差も埋められる方向になるように、自分の力が役に立てばと思う」
試合後。グラウンドを去る「背番号89」には涙雨だけではなく、感謝の拍手が降り注いだ。現役通算868本塁打、そして監督通算2507試合のプロ人生。昭和と平成をつないだ一つの時代は幕を閉じたが、「王貞治」は新たな輝きを放ち始める。 (相島聡司)
=2008/10/08付 西日本スポーツ=