「要らない授業」あれこれ

教育に関心を持ってきた自分は、やはりこのお題を外すわけにはいきませんね。
クチコミスタッフの方
も読者仲間のどなたかも「微積は必要なかった」とおっしゃっていますが、逆に理系の私には、外せない科目であります。
一般受験の際も、難関大学の理系では欠く事の出来ない数学の分野で、計算が煩雑な所はあれど、それさえこなせれば数学の中ではむしろやり易い分野だったと思います。かえって図形とか整数論みたいなものの方が難しくて・・・

それに今、改めて大学レベルの勉強をし直している中で、生命科学を学ぶ者にとっても、やはり微積は大事なのだと実感させられています。というのも、生物の「運動」などを学ぶ際に物理学も必要になってきますが、大学レベルの物理はほとんどが微積なのですよ。生体の物質や反応について知る化学でも、ハイレベルになると微積が出てきます。
もちろん、文系で数学が苦手な方々には必要ないしキツイかもしれませんね・・・
そんな私が苦痛だった科目は、小学6年~中高時代が「歴史」(高校では日本史・世界史共にやらされたが、片方だけで良いかと)、当時は「過ぎた事をやってもしょうがない」と思ったりしましたよ。後になってみれば、過去を知る事で学ぶ点も多いというのは分かりますが、大量に覚えるのが苦手で・・・

大学受験時代は「古文」でした。文法を習っている頃や学校のテストはまあ出来ていたのですが、文章読解がわけ分からなくなくて・・・私にしてみれば、ありゃ外国語ですよ。
これこそ日常で使わないのでは?いずれにせよ現代日本語で解釈出来ないほどの言葉なら、外国語を学んだ方が役立つように思うのです。
もちろん、昔の日本人の考えや文化を知るには大事なのかもしれませんが、理系にとっては最も必要ないなと。にも関わらず、国公立志望の場合センター試験で必須だったため、歴史のように逃れるわけにもいかず、最後まで足を引っ張った科目でした。

あと、教科・科目ではなく「この教師の授業は要らなかった」というのがありまして。
年配男性国語教諭(現在は定年)で、まず中1の時に国語担当、子供心に「もうあの先生には習いたくない」と思ったものです。
その後、高1で漢文、引き続き高2でも教わりました。時々中国語の発音で読み、それがサマになっていていたのが印象的でしたが(聖歌隊顧問で声も通る)、もっともらしい事を言いながら、他の学年は必ず教わっていた文法事項(句形とか)を全く教えてくれなかったのです!

なので高3になって、文系選択者は別の先生が担当になり、彼女達でさえ「漢文に文法があるのを初めて知った」と言っている始末。。
(理系の私達は、普段はを選択出来ず、夏期講習でその先生に何時間か教わり、やはり感動した・・・もうヤバいね
)


なお高3では、全員必修の現代文が何とこの教師で、「受験に必要な科目さえ取れないのに、週3時間もこんな人に教わりたくない!」と嫌でたまりませんでした。
実際、授業内容もさることながら、相変わらずすぐに横道それ(卒業生に関する雑談など)、しかも、中1・高1・高2の時に聞いた話ばかり!

でも内職をしようものなら、すぐに「このクラスは理系が居るから、聞こうとしないんだ!
」と長々と説教垂れるし・・・

同級生達も「受験で必要なくても、面白ければ聞くよ」と、文句言いまくりでした。
そんな偉そうにしている割には、文学好きなクラスメートが授業の内容に関してその教師に質問したところ、答えられず「今度調べておく」と言っておきながら、その後も返答もなく、更に質問したら逃げられたそうです!
この教師の授業こそ、最も不要な授業でしたね!(怒)ホント、時間と授業料の無駄だった。。

ちなみに、この現状に耐えかねて、教師に苦情を言った勇気ある同級生(私大理系志望を公言)は、何と、後期日程で東大理科一類に合格しましたよ!

私達の中高時代は、よほどの超進学校でない限り高2まで全員全科目必修、高3でやっと進路別に分かれました。
なので「もっと早く理系文系に分けてよ」と不満でしたし、高3でも受験に必要な科目をすべて学べなかったのに(あのバカ学校のシステムゆえ)、上記の国語に加え「宗教」も邪魔でした。
ミッション系の学校では、キリスト教について学ぶ授業が必ずあり、カトリック校では「宗教」プロテスタント校では「聖書」といいます。自分の出身校では、高3では校長(当時はシスター=修道女、押さえつけ激しい教育で批判が多かった)が担当ゆえ、余計に嫌でね。
しかし、ここ数年は教師をしてきたわけですが、今の私学は何処も高2で理文別クラスになります。高1後半には進路を決めないといけない現状に、逆に「今は急ぎ過ぎ

当然、学ばず知らずに終わってしまう科目も出てくるわけで、最近の子は様々な分野を学ぶ機会が奪われているようにも感じます。
一昨年、多くの高校で「必修漏れ」が問題になりましたが、当時これについてコメントする時間が取れなかったため、機会があれば述べたいと思っています。
なお「宗教」や「聖書」は案の定、勤務経験校でも「いらない」とこぼした生徒いました。(^o^;)
立場上、同意するわけにはいかないし、大人である今、世界的に認められているキリスト教についての知識は(好き嫌いは別として)教養として知っておくのも良いと思い、その旨を伝えておきました。(^_^;)
長々書いてしまいましたが、本来は「必要ない」学問分野なんてないと思うのです。
振り返ると結局「必要か否か」という感情は、「受験やその後の生活で使うか否か」よりも「先生が熱意を持って教えて下さったかどうか」が大きかったなと。
そして残念ながら、熱意ある先生ほどすぐに辞め(させ)られてしまうのは、私の生徒時代も今も変わっていないと実感したのでした(苦笑)