誰でも大好きなチーズケーキ、レアやベイクド等いろんなスタイルがあってお好みはそれぞれ違うだろうが、どれもみーんな美味しい。なかでも今風は「バスクチーズケーキ」(*1)だろう。とても濃厚で満足感もあるが、お店だと値段が高いのと、チーズは脂肪が多いからカロリーが高いのが難点だ。


ならば自宅にあるものを使って自作してしまえば安く済むし、出来ればチーズを使わずに作れればカロリーも気にならない。えー!そんな上手い話あるのか?と思いきや、あるらしいですよ、これが。ヨーグルトと牛乳とレモン液を使えば「チーズを使わないチーズケーキ」が出来る!とのこと。

  【なかなかの見栄えでしょ?お味はラストに】

動画で何でも教えてくれるyoutube先生だがニーズに合うものを探すのが大変。最初に「クリームチーズ200g」とか出てきたら「そんな高いもん買えるか!」と即退出だ。ということで、100円ショップを何軒もハシゴして吟味する要領でyoutubeもたくさん観た結果、参考にしたのがこれ↓

【チーズ、生クリーム不要】1人分65円!ヨーグルトで作るとろけるバスク風チーズケーキの作り方

ほぼ上記の動画通りに作ったのだが、ここで使っているブルガリアヨーグルト400g×2パックを自家製のカスピ海ヨーグルトもどき(*2)に代えたことでヨーグルトなど買わずに済むのでコストを削減、さらに砂糖を蜂蜜に代えたことでカロリーも低減させた。なかなかやるでしょ?

【材料:チーズも生クリームも不要】
①ヨーグルト:400g(800gを水切りして半量に)
②牛乳:100ml
③卵:2個
④はちみつ:大匙2杯 約30g(砂糖なら90g←多くない?)
⑤小麦粉(薄力粉):25g
⑥レモン液:小匙2杯 約10g
(あれば)バニラエッセンス:数滴、岩塩:少々

まずクッキングペーパーを敷いたザルの上でヨーグルトを半量(400g)になるまで水切りする。ところが800gを一度に水切りしようとしたらザルもクッキングペーパーも小さ過ぎてヨーグルトが一部溢れ出てきた(写真左)。これじゃ半量位は水切りできないままだ。重しは水入りビニール袋(写真中)。

下に垂れた乳清(ホエー)約400gは、別途ハチミツを入れてヨーグルトドリンクとして美味しく戴いた。水切りしたヨーグルト約400gに、全卵2個、ハチミツ、小麦粉を(網でふるいながら)入れて混ぜ、さらに牛乳、レモン汁、さらにバニラエッセンスやドイツの岩塩等を振ってさらによく混ぜた。

確か自宅にケーキ用の丸い金型があったはずだと思って探したら、直径15cmでちょっと大き目だった。「これでもいいかな?」とは思ったが、出来上がりに厚みが無いと盛り上がりに欠けるので百均を3軒回ってようやく直径約12cmの(底が取れる)型を見つけた。100円で済めば安いよね。

濡らして柔らかくしたクッキングシートを敷いた型の中にザルで濾しながら注ぎ、予熱した240℃のオーブンでyoutubeの指示通り25分間焼いたが全然焦げ目が付かない(写真左)。途中で焼き具合が均等になるよう左右を変えて上段でさらに15分焼いたら良い焦げ色になった(写真中)。合計40分間。

型ごと出して粗熱が取れたら少し凹んだ(写真右)。この状態で冷蔵庫でしっかり冷やして出来上がり!型から外してクッキングシートを開けながら上部の焦げ目の質感も本物っぽい(冒頭の写真へ)。で、食べると…う~ん!チーズの濃厚さが無く味もヨーグルトっぽい。水切り不足か…甘みも不足だ。

ま、「初めて作って大成功!」というのは虫が良すぎるから、またいつかチャレンジしよう。次回はヨーグルトを400gずつ2回に分けて“しっかりと水切り”をするぞ。あとハチミツも増量(大匙3杯くらいかな)。それから焼いた際に液が底に漏れていたのでクッキングシートを2重に敷こう。以上
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*1:バスクチーズとはスペイン・バスク地方の濃厚なチーズ。従って他のチーズを使ったものは「バスク風チーズケーキ」と称したりする。しかし本レシピはそもそもチーズ自体使ってないので「バスクチーズ風ケーキ」と称している。
*2:カスピ海ヨーグルトは常温でも発酵するので最初の種を買って牛乳に入れ常温で発酵させて冷蔵庫に。以降は毎週自宅で新しい牛乳に残りのヨーグルトを少し入れては常温で発酵させて同様に繰返して使用している(空気中の雑菌が入る事もあるので定期的に種から作り直すのが安全策)。

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今年は80回目の終戦記念日なので8月は戦争に関する映画の封切(*1)やTVの記念番組などが多く見受けられる。その中で気になるのは「零戦」を「ゼロ戦(ゼロセン)」と表記(呼称)しているがこれは正しいのか?私は兵器オタクではないが、言葉を紡ぐブロガーとして表記や読み方は気になる。

「ゼロ戦」とは「零式艦上戦闘機(略称:零戦)」のことだ。果たして戦前や戦中に「零戦」はどう呼ばれていたのかと調べてみると、活発に広報活動をしていた陸軍の「隼」等と違って海軍は秘密主義で、そもそも戦時中は「零戦」の存在自体が一般国民には余り知られていなかったともいわれる(*2)。

   【零式艦上戦闘機 from iModeler.com

米国では「Zero-Fighter (Fighter=戦闘機)」と呼ばれていたが「Zero-Sen」とは呼ばれていないし、当時の国内で「零」を「ゼロ」と、敵性語である英語読みしただろうか?映画「ゴジラ-1.0」では、戦時中のシーンで「あの零戦の機銃が~」という台詞では「れいせん」と呼ばせている。

そして何故「零式」なのかといえば、誕生した1940年(昭和15年)は皇紀2600年で下二桁が零だからだ。零戦誕生の前年(1939年 昭和14年)に完成した歩兵用小銃は皇紀2599年製なので「九九式短小銃」、逆に翌年(1941年 昭和16年)に完成した陸上攻撃機は皇紀2601年製だから「一式陸攻」となる。

   【写真上:九九式短小銃 from Kashbuk

   【写真下:一式陸攻 from レシプロマニア

名機とされている零戦も1940年製だから開戦当初こそ航続距離と空戦性能の凄さから米国に恐れられたが、次第に研究され対策される。そして大戦終盤には旧式となり、圧倒的な工業生産力を有する米国の最新鋭機に太刀打ちできなくなり、日本は対抗し得る後継機を本格投入できぬまま敗れた。

その零戦が米国に恐れられた空戦性能の凄さは、様々な犠牲の上に築かれていた。徹底した軽量化は機体の強度を犠牲にした上に重たい防弾装備や通信機器等は搭載されなかった。撃たれる前に急旋回して敵機の背後を衝くという戦法は「攻撃は最大の防御なり」という思想を体現していた。

この思想は実は日本刀に通じる。剣は世界中にあるが両手で握るのは日本刀だけで、海外ではもう片方の手で盾を持つ。日本の武士は防御用の盾など持たず両手で刀を握って相手に斬り込み「肉を斬らせて骨を絶つ」戦法に命を懸けた。これは零戦の設計思想とまったく同じではないか(*3)。

米国は機体に様々な防弾装備を設え、撃墜されても搭乗員だけは救助できるよう努めた。一方、日本は「貴様らは一人1銭5厘の赤紙(召集令状)で幾らでも調達出来るが、陛下からお預かりした武器や車両は貴重だから大事に扱え!」(*4)が軍隊での常套句だったそうだ。この違いは一体何なのだろう?

【米国の艦上戦闘機F6F Hellcat from esa.animalia-life

米国はヒューマニズムに根差していたのか?いや、違うだろう。資源と生産能力が潤沢にあれば飛行機は工場でいくらでも量産できるが、資質が必要な搭乗員は選抜と訓練に莫大な時間とコストがかかるし撃墜されたノウハウも次に生かせると考えたのだろう。つまり米国は徹底した合理主義なのだ

では我が日本はどうなのか?零戦の多くは大戦末期に特攻機となった。若い特攻隊員の事を思うと涙が出るし胸が痛くなる。しかし自爆覚悟の特攻作戦を「愛する国のために命を散らすことは尊く美しい」と美化してしまえば、我々日本人は将来また同じことを繰り返してしまう恐れもある。

「武士道は死ぬ事と見つけたり」(*5)等ともいうが、これは死を美化しているのではなく、常に死を意識することでより良く生きることができるという死生観を説いているのだろう。だから九死一生どころか十死零生の特攻作戦などは日本の伝統精神に照らしても正しくないのだと私は考えたい。
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*1:本件については下記ブログご参照。
映画「雪風YUKIKAZE」鑑賞報告 | Saigottimoのブログ
*2:初めて零戦の存在が公開されたのは終戦の前年1944年11月23日付の朝日新聞で、その記事には「零戦(ゼロセン)」とルビ付きで紹介されたという。from wikipedia
*3:本件は下記書籍に詳しく記載されている。
・百田尚樹&渡部 昇一「ゼロ戦と日本刀」PHP文庫、2015
*4:1銭5厘は赤紙と呼ばれた召集令状の原価で、それが自分の命の価値だと言われれば誰でもショックであろう。
*5:江戸時代中期の佐賀藩の武士、山本常朝が語った武士道の教えを弟子が口述筆記した「葉隠」という書物の一節。

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仕事で多忙な現役時代は「リタイアしたら趣味など好きな事を始めるぞ!」と思っていたのに、実際に退職したら何もする気にならず虚しい日々を送る。これは“退職あるある”だ。本来、退職して時間的にも経済的にも精神的にも余裕が出来れば何でも出来るはずだが、実に不思議な事ではないか。

私自身も「老後はデッサンでも習って絵画を始めよう」等と思っていたが老境の今も全く習う気はない。でも現役時代に始めた歌や朗読は今も続けている。てことは「本当にやりたい事」は多忙でも始めるのであって、現役時代に始めていないことは結局、余裕が出来てもやらないのかも知れない

ただ伊能忠敬のような例外もある。彼は婿入りした伊能家を再興し地元の名主となって天明の大飢饉で多くの人々を救い、長男に家督を譲って50歳で隠居(リタイア)した。隠居後は江戸で暦学や天文学を学び56歳から亡くなる73歳まで17年間日本中を歩いて測量し極めて正確な日本地図を作った

   【伊能忠敬肖像 from 伊能忠敬記念館

彼の場合、現役時代から測量をしていた訳ではない。逆境育ちで苦労しながら家業に励み、地元の人達にも尽くした。当時は毎週末(土日)が休みではないので、興味があった暦学や天文学の勉強を始めたのは長男が成人し隠居願いを提出してからだ(願い出てから5年後にようやく受理され隠居できた)。


   【アントニオ猪木氏 from 東京新聞訃報

故・アントニオ猪木氏は人前でいつも「元気ですかー?」と大声で問うた後に「元気があれば何でも出来る!」と言っていた。そして、かのジョン・F・ケネディが“尊敬する日本人”として紹介した上杉鷹山にも「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」という名言がある。

    【上杉鷹山肖像画 from 江戸ガイド

まさにその通りで「人は何かに元気に取り組めば何でも出来る」し「出来なかった」という場合も多くは自分が「やらなかった」のだ。それは私も含めて多くの人は理解している。しかし、問題は「自分が何かを元気に取り組む気にならない場合」にどうすればよいのかが分からないのだ。

恐らく、人間は「❶やらなきゃならない事」か「❷本当にやりたい事」しかやらないし、やれないのだろう。だとしたらリタイアして余裕が出来れば❶は無くなるので、❷がない場合は何もやらない虚しい日々を送る事になってしまう。これが冒頭に書いた“退職あるある”の正体ではないだろうか。

新たに❷を見つける事はそれほど難しい。多くの人が退職後すぐに仕事に就こうとするのは、仕事という❶を作ってしまう方が、新たに❷を見つけるよりラクだからではないか?仕事はストレスも伴うが他人から感謝されたり期待に応えられれば自己効力感や達成感も充実感もそこそこ得られるし。

「いや、そうではなくて、今やっている仕事が自分にとっては❷なのだ」と当事者は主張するかも知れない。もし本当にそうなら理想的だが少なくとも私は違った。リタイアしたら現役時代に勤しんだITや広報や経営企画や人事や障害者雇用に殆ど興味が持てず、❷ではなかったと思い知ったからだ。

なのでリタイアして4年目になる私は今のところ仕事は何もしていない。とはいえ常に❷をやっているわけでもなく、何もやらずにボーっと過ごすのも得難い時間として楽しもうとしている。そしてなによりそんな自分の現況をこうしてブログに書くこと自体が実は❷なのだろうとも思っている。

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大東亜戦争の終結から80年目となる今年(2025年)の終戦記念日(8月15日)に、映画「雪風YUKIKAZE」が封切られた。監督は山田敏久、出演は竹野内豊、玉木宏、田中麗奈、石丸幹二、中井貴一 他と豪華な顔ぶれで、日本を代表するコンテンツメーカーのSONYとバンダイナムコが配給している。


私は、昨年この“奇跡の駆逐艦”「雪風」のプラモデルを大小2艦製作したこともあり(*1)、是非とも観なければと思っていた。私が観たのは平日でお盆休みも終わった月曜日(8/18)の昼間、新宿ピカデリーのスクリーン7(約120席)で客入りは3~4割。果たしてこれは多いのか少ないのか、分からない。

   【↑映画のポスター from オフィシャルサイト

「雪風」は太平洋戦争が始まる3年前(1938年)に竣工した新鋭艦であり、帝国海軍のほぼすべての作戦に参加し戦果を上げた。そして主力駆逐艦のなかで唯一沈没しなかった“奇跡の駆逐艦”である。戦後は引揚船として1万人以上の日本人を本土に帰還させた後、補償艦として連合国側に引き渡された。

「雪風」の映画化は1964年に続いて2度目だが、2023年の映画「ゴジラー1.0」でも船腹に「YUKIKAZE」とローマ字表記された引揚船時代の“雪風”が海神(わだつみ)作戦で活躍した。今回の映画では海戦上の戦果よりも、多くの人々を救って帰還させた艦という点にスポットが当てられている。

本作品はドキュメンタリーではないので、史実を踏まえながらも架空の登場人物を軸としたドラマとして描かれている。物語はミッドウエー海戦から始まる。沈没した巡洋艦から若い水兵の井上(奥平大兼)が救われる。後に「雪風」の水雷員となる彼は「雪風」に救われた人々の象徴である。

また“幸運艦”とも呼ばれた「雪風」は、単に運に恵まれただけではなく、乗員の練度も士気も整備状況も常に他艦を上回り、様々な訓練においても常にトップだったいう。先任伍長の早瀬(玉木宏)という人物の存在や振舞いは「雪風」を支えた優秀な乗員や彼等の弛まぬ鍛錬の象徴である。

そして艦を統率する艦長は建艦時から引揚船まで計10人居り(主に中佐クラスの将校)、いずれも優れたリーダーだったという。映画では魅力的な人物として描かれている寺澤艦長(竹野内豊)は優れたリーダーの象徴である。役名や振舞いから史実上の四代目艦長、寺内正道中佐がモデルであろう(*2)。

戦闘シーンは多くないがVFXはリアルで迫力がある。また最重要シーンが敢えて無音なのも効果的だった。唯一被弾した爆弾が不発弾だった件、沈没した敵艦の将兵が乗る救命ボートに敬礼をして見逃した件(*3)、引揚船での出産の件など「雪風」に関するエピソードも漏れなく網羅されている

終盤に乗員が甲板から「おーい、日本!大丈夫か?」と現代の我々に手を振るシーンや「雪風」が解体された1970年の万博風景、艦長の娘が救援隊員となって集中豪雨災害時に被災民をボートで救うシーン、江田島に残る「雪風」の錨のラストシーン等、戦後を80年で風化させまいとの思いも伝わる。
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*1:本件については下記ブログご参照。
駆逐艦“雪風”構想通リ二完成ス | Saigottimoのブログ
*2:映画の寺澤艦長がしたように、寺内艦長は操舵室頭上のハッチから身を乗り出し三角定規で敵機の爆弾投下地点を予測し、操舵員の左右の肩を蹴って操艦して見事に被弾を回避していたといわれている。
*3:このエピソードは米国側の生存者の証言として書物に紹介されているという。

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“プティングの味は食べてみなけりゃ分からない”という名言があるが、プリンは老若男女を問わず魅了する。特に暑さで疲れるこの季節は冷えた甘いプリンを食べたくなる。本来は蒸し菓子(*1)なのに蒸し器も使わず、カラメルソースも含めてマグカップ1個だけでレンチンで簡単に作れるのだ(*2)。


材料は卵1個、砂糖30g(大匙2杯)、牛乳120ccがあればOK!あとは水5g(小匙1杯)、熱湯5g(小匙1杯)、塩1摘み、(あれば)バニラエッセンス。道具はマグカップ(耐熱力がある厚め)、茶こし(ザル可)、卵を混ぜるボウル状の容器、菜箸。冷蔵庫で冷やす時間も入れると3時間だが作業自体は合計数分だ。

①カラメルソースを作る ※砂糖は必ずグラニュー糖で!
マグカップに砂糖15g(大匙1杯)と水5g(小匙1杯)を入れラップをかけずに電子レンジ(600W)で2分間。そこからは砂糖が焦げて茶色になるまで10秒ずつ続けて熱し、レンジから出して熱湯5g(小匙1杯)を入れる(飛び散るので火傷に注意!)。

②カラメルソースを冷ます
マグカップを保冷剤などの上に置いて冷まし少し固まってくるのを待つ。マグカップ1個で作る場合はこの工程が重要。カラメルソースがサラサラ過ぎると上から注ぐプリン液と混ざってしまうし固まりすぎるとカップから出てこなくなる。

③プリン液を作る ※ここの砂糖はなんでもOK
上記②をしている間に、卵1個を菜箸などで溶き、砂糖15g(大匙1杯)を入れて菜箸で混ぜる。ザラザラしなくなったら牛乳120ccを注いで混ぜる。泡を立てない菜箸が最適。この時に塩1摘みと、(あれば)バニラエッセンスも数滴入れる

④濾してからチンする
マグカップの上に茶こしなどのザルを置いて③のプリン液を注ぐ。ラップをかけて電子レンジ(600W)で2分間チンする。まだ液状だったら、そこからは吹きこぼれないよう気を付けてモコモコしてくるまで10秒ずつチンする

⑤冷蔵庫で冷やす
ラップを外して粗熱がなくなるまで冷ます。およそ30分ほどだが、急いでいる場合はマグカップごと氷水の中に居れて冷ましてもよい。粗熱がとれたら冷蔵庫で2時間ほど冷やせば冷たい本格的なプリンが出来上がっている

冷蔵庫から出し、爪楊枝やスプーンでカップの内側をクルっと1周。マグカップの上にお皿を載せて一気にひっくり返す。あとはマグカップを少しずつ持ち上げるとブ、ブブッという音と共にプリンがお皿の上に!カップの底に残ったカラメルソースもプリンの上からかけて召し上がれ。激ウマ!

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*1:プティングは“洋蒸し菓子”を指す。従って蒸していない「プッ〇ンプリン」は厳密にはプリンではない。
*2:参考にした動画は下記。
【レンジで簡単!!】マグカップで.*固めなめらかプリンの作り方 | 失敗なし | ゼラチン不使用 | pudding

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今年は終戦から80年目なので今日8月15日は80回目の終戦記念日である(*1)。我々日本人には信じ難いが、米国では、原爆は戦争を終わらせて百万人の若者の命を救ったとして“平和のシンボル”となっている。しかしこれは全くの虚構であり、米政府の露骨な国内プロパガンダの成果なのである。


まず、広島や長崎への原爆投下は大都市への無差別爆撃と同じく、殆どが非戦闘員である一般市民に対する大量殺戮行為であり、戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)だから不問に付されたものの当時の国際法に照らしても戦争犯罪であることは明らかで、既に司法での結論も出ている(*2)。

そもそも原爆投下によって日本が降伏した訳ではない。既に制海権も制空権も失い物資輸入も絶たれた日本を降伏させるには原爆投下も本土上陸も不要だったのだ(*3)。にも拘わらず米国は原爆投下で20万人もの一般市民を虐殺し、何万人もの自軍兵士を犠牲にする前提で本土上陸計画を立てていた。

終戦4か月前にルーズベルトの病没で急遽大統領になったトルーマンは就任直後に原爆開発計画の詳細を初めて知らされ恐懼した。何故なら議会の承認も得ずに20億ドルも投じていた原爆開発が終戦に間に合わなかったら(民主党)政権はもたないからだ。そこで彼は日本の降伏を遅らせようとした

トルーマンは国務長官のバーンズと結託し、原爆の予備的実験と投下準備のために、6月のポツダム会談の日程を1か月延期した。さらに「天皇存命」「国体護持」の2条件さえ満たせば日本が降伏すると判って、日本がすぐに受諾しないように、敢えて降伏要求文書からこの2条件を削除した(*4)。

そして米ソ冷戦も始まっていたので、ソ連に「我々の参戦によって日本が降伏した」と宣伝されぬよう、ソ連が参戦する前に原爆を投下することで「米国の原爆が日本を降伏させた」ことにしたかったのだ。かくして、米国は戦争に勝つためには必要のない原爆投下を行ったのである。

その上で私が疑問を持ったのは、最初の広島にウラニウム型、そして長崎にはプルトニウム型と「何故2種類の原爆を投下したのか?」という点である。映画「オッペンハイマー」では、7月16日にロスアラモスで人類初の原爆実験が成功した直後「大統領に電話を!」というシーンがある

この時トルーマンはポツダムに向かう船上でこの知らせを心待ちにしていた。しかし実験したのはプルトニウム型であり、最初に広島に投下したウラニウム型ではない。ウラニウム型は実験も不要なので実験なしで使用されている。ならば何故、プルトニウム型の実験成功を待つ必要があったのか?

砲撃型点火装置のウラニウム型と爆発型点火装置のプルトニウム型、起爆方法が異なる両方式は同時に開発されていたようである。一般的に先が見えない研究開発においては、可能性のある複数の方式を並行して開発し、先に完成した方、または評価を行って良い結果を残した方を採用するものだ。

この“並行開発”は人手や費用は嵩むが研究開発期間を短縮するためには有効だ。アポロ計画の帰還カプセルの回収方法で実際に採用されたのはパラシュート方式だったが、採用されなかったグライダー方式の開発も並行して行われ、その成果はハンググライダーとして民間スポーツに転用されている

【パラシュートとハンググライダー(写真はネットから)】

国家規模のマンハッタン計画(原爆開発計画)において世界初の原爆開発で“並行開発”をしていたとしても、最初に予備的な実験も不要なウラニウム型が完成したのなら、その時点でウラニウム型を採用するはずだ。プルトニウム型の予備的実験の成功を待つ必要などない。

それに、1発目が想定通り機能したなら、どうして2発目にリスクを犯してまでわざわざ別の方式(プルトニウム型)を使用するのか?実は、米国は原爆の使用方法を議論した際、最初に完成度の高いウラニウム型を使用し、その後にプルトニウム型を使用することを事前に決めていたともいわれる(*5)。

もしそうなら米国は最初から日本に原爆を2発投下するつもりだったという事になる。そして一説によれば大手化学メーカー2社が別の方式で開発していたので一方だけを採用できなかったともいわれる。原爆開発には複数の大手化学メーカーが関与していたはずだから、これは大いにあり得る話だ。

原爆を2発投下するまで日本が降伏しないという確信があったなら2種類の原爆を実際の都市に投下してその影響等の違いを試したかったのかも知れない。もしそうなら日本人として人間として許し難いが、一方で我々日本人が戦後80年間、米国の核の傘下で平和を享受してきたのも事実である。

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*1:8月15日は日本が国内外にポツダム宣言受諾を公表した日。公式な終戦日は東京湾に停泊した戦艦ミズーリ甲板上で降伏文書に日本が調印した9月2日。
*2:1955年に被爆者らが国を提訴し1963年に東京地裁で「原爆投下は国際法違反」との判決が下された。
*3:ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」メディアファクトリー・1995年 P148~149、米国戦略爆撃調査団の公式報告書(1946年7月)に記載されており、所謂「原爆不要論」の論拠ともなっている。
*4:鳥居 民「原爆を投下するまで日本を降伏させるな ~トルーマンとバーンズの陰謀~」草思社・2005年 P.251~252
*5:日高義樹「なぜアメリカは日本にニ発の原爆を落としたのか」PHP研究所・2012年 P.72

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立秋も過ぎたから秋なのに連日うだるような暑さが続いている。熱中症が怖い高齢者の私はさすがにウォーキングも控え、エアコンをつけた自宅でTVのMLB中継を観ることが日課となっている。以前はNPB(日本のプロ野球)中継を中心に観ていたので日米の野球文化の違いに気付くことが多い

    【ドジャースタジアム(昨年9月撮影)】

まず対戦表記が日米は逆だ。日本では「主催球団、ビジター球団」と表記するが、米国は逆で「ビジター球団、主催球団」となる。「阪神×広島」なら阪神タイガースが主催かつ後攻だが「DET×NYY」ならNewYorkヤンキースが主催かつ後攻でDetroitタイガースはビジターである。

12球団しかない日本の場合は途中経過でも結果でも全国放送が前提だが、広大な国土に30球団もある米国はTVも新聞も地元局で基本地元球団しか興味ない。野球観戦といえば地元球場だから「次はどこ(ビジター球団)と対戦する?」という情報が重要なので、ビジター球団を先に記載するのだろう。

その他、日本にあるヒーローインタビューが米国にはなく、逆に米国では試合中にベンチで監督がTVのインタビューを受けたりするが日本では考えられない。その他、日米の野球文化の違いは数あれど、最も大きな違いは応援だろう。日本は応援団が居て選手毎にテーマソングがあって皆で歌う。

米国には日本のようにファンが球団毎に組織的に応援する文化はないが、全てのMLB球団で7回表が終わると球場全体で「Take Me Out to The Ball Game (私を野球に連れてって)」を歌う。1コーラスだけの球場もあるが、ドジャースタジアムでは半音転調して2コーラス分歌う。

    【昨年9月のドジャースタジアムにて】


昨年から大谷翔平が移籍したのでドジャースタジアムの中継を観る機会が多いが、ここのオルガン演奏を聴いていると面白い。三振時にはベートーベンの交響曲第5番「運命」冒頭の「ジャジャジャジャーン!」が鳴るが、これは当然ながらドジャースの投手が三振を奪った時だけだ(*1)。

あと、ロサンゼルスにはハリウッドもあるので映画音楽もよく演奏される。ドジャースが勝利確実で試合終了目前の状況で、いつも軽やかに演奏されている曲があるなあ、と思ってこれをよく聴いてみると「Time to Say Goodbye」だったりする。これも相手のチームはカチンと来ることだろう。

 【写真は「MLB ハモンド オルガン」で検索した画像】

それ以外でも曲に様々な意味が込められていて面白い。大谷が申告敬遠された際に「ジーザス・クライスト・スーパースター」のテーマ、これは分かり易い。ある試合でセカンドゴロの度に「機関車トーマス」のテーマが流れた。よく考えたら二塁手のエドマンのファーストネームはトーマスだった!

先日、試合中盤でドジャースが得点のチャンスを迎える度に演奏される軽快な曲があることに気付いた。これは珍しくもジャズスポットでよく聴く曲のフレーズだと思い、必死にタイトルを思い出したら「Four」。そうか、4点目が欲しい場面だった(結局この試合は3点止まりで逆転負けだった)。
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*1:三振は「strike out」だが、よく「K」と書かれるのは、別称で「Knock out」とも言われるからである。

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石貫慎太郎さんの新作オーディオドラマ「憑依は夏の高原で」に出演させて戴いた。これはイタコ探偵シリーズの第5弾(*1)であり、私はこの人気シリーズの主役!いよっ!イタコ探偵こと夏目卵朗という霊媒体質のオッサン役である。う~ん、改めて書いてみるとあんましカッコ良く無いなぁ...

ま、それは置いておくとして...今回イタコ探偵はイタコ(被降霊憑依)はしないものの複数の憑依現象が起こる。こう書くと何やらモノモノしいが、物語は“夏の風物詩”である怪談とも今までのkoto☆hana作品とも一味違い、一種ドタバタコメディのような面白さがあるので楽しんで戴きたい。

今回改めて分かったことは、よく出来たコメディとは真面目に演じれば演じるほど可笑しくなるということ。役の上の登場人物も演じている声優たちも極めて真剣なのだが、それが故に可笑しさもこみあげてくるのである。本作には人気オネエキャラのリリー(*2)も再登場するのでお楽しみに!

「憑依は夏の高原で」【約40分間】クリック!
■スタッフ

脚本/制作/音楽:石貫慎太郎
 エンディングテーマ:「Ciel
  歌:Mitsuyo
  作詞/作曲/編曲:石貫慎太郎

■キャスト
ナナオ:月宮はる
美玖:​中田真由美

真子:山木梨花
リリー:能登洋宇
卵朗:Saigottimo (開始早々から登場)
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*1:これまでのイタコ探偵シリーズは下記ブログご参照。
イタコの探偵は一人5役ですよ | Saigottimoのブログ
安心して下さい一人1役ですよ | Saigottimoのブログ
宝の地図巡るイタコ探偵第3弾 | Saigottimoのブログ
シリーズ第4弾イタコ探偵里帰り | Saigottimoのブログ
*2:オネエ警官リリーの登場作品は下記ブログご参照。
数学者でピアノが弾けて作曲も | Saigottimoのブログ

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2025年8月8日(金)、渋谷・SEABIRD第2金曜(2金)ライブ(通算359回)。今回のテーマは「海」。前日が「立秋」だから、1年を4分割すると既に秋なっているのだが、まだまだ猛署真っ盛りの毎日である。そのせいか、岩井バンマスもピアノの中川さんもかりゆしウェアで夏らしい雰囲気だ。
【中川さとし(pf)、小島幸三(ds)、岩井バンマス(tp)、榎本任弘(b)、加藤求実(ts)】
PROGRAM(各曲名⇒なおちゃん限定公開動画にリンク)
1st.set
1 Sail Away (千尋&求実)
2 Wave (山内恵英&求実)

3 Fotografia (出雲井裕実&千尋)
4 Moon River (裕実&恵英&尚子)
この曲のオリジナルは映画「ティファニーで朝食を」の中でオードリー・ヘップバーンがギターを弾き語りするスロー・ワルツなのだが、ここは出雲井さんがクインシー・ジョーンズ盤に触発されたとのこと。ジャズっぽくSwingアレンジ、なおちゃんけいちゃんのアンサンブルもカッコいい!

 【なおけいも出雲井さんもステージ衣装が艶やかだ】
5 Velas Içadas (裕実&求実)
6 白い波 (千尋&求実)
7 Afro Blue (千尋&求実)
2nd.set
1 Café de P (恵英&尚子)
今月のなおけい曲はなおちゃん(杉山尚子)のオリジナル曲。「P」はポケモンで「ポケモン・カフェ」という意味だ。なおちゃんは外資系企業の秘書として海外のお客様をもてなすことも大事な仕事、その中でお客様がポケモン・カフェを希望され必死に電話で予約を取った経験を曲にしたという。

【スタイリッシュに黒衣でコーディネートしたなおけい】
2 Cantaloupe Island (千尋&尚子)

3 I’ll remember you (Saigottimo&千尋)

【かりゆし組に対抗し青と白のマリンルックで私も参戦】
「海」がテーマならフランス語で海を指す「ラ・メール」が直球だがここ数年8月に歌っていたので、今年は7年ぶり4回目の変化球に。ハワイのシンガー・ソングライター、クイオカラニ・リーの作品だ。似た曲名で「I Remember You」というジャズ・スタンダードもあるが、これは全く違う曲。

4 Between the Devil and Deep Blue Sea (裕実&求実)
5 Sábado Em Copacabana (裕実&求実)
6 Blue Minor (全ブラス陣)

そして、いよいよ次回が通算360回目となる。第2金曜は月に1回しかないので、丸々30年継続したことになる。「継続は力なり」とは言うが、本当に凄いことである。はてさて、どんなテーマになるのか、そしてどんなメンバーが参加して、どんなライブになるのか、今から楽しみである

Saigottimo

昨日は国内最高気温を更新する41.8℃(群馬県伊勢崎市)が記録されるなど災害級の猛暑が続いている。とても外を出歩ける状況ではない。昨秋は直接ロスにナマ翔タイムを観に行った(*1)大谷ファンでプロ野球ファンの私も、最近は自宅でMLBやNPBの試合中継を観る日々である。


大谷翔平が「ヒリヒリした9月を過ごしたい」と、6年間ポストシーズンに無縁だったエンゼルスを去り、同じロスが拠点のドジャースに移籍したのは昨シーズンからだ。その1年目に2年連続の本塁打王に打点王と2冠を獲得、打率もリーグ2位だから“あと1歩で三冠王”という物凄い成績を残した


       【MLBのホームページより】

私は彼のモチベーションを維持する上でも、せめて最終目標は残しておきたい(*2)との思いもあり、昨年のワールドシリーズでは4勝3敗でヤンキーズが勝つと予想した(*3)が、これは見事に外してしまった(4勝1敗でドジャースが優勝)。但し、どうやらこれは運命的?だったらしい。

以下は面白半分で聞いて(読んで)戴きたいのだが、彼は昨年2024年までの3年間が最高の年廻りだったというのだ。これは故・細木数子氏が提唱した「六星占術」での話だが、この占いでは人は生年月日によって12種類に分類され、それによって年はズレるも全員次の12年間を1周期として巡るという。

①種子(しゅし)・・・物事を始める年
②緑生(りょくせい)…物事が成長する年
③立花(りっか)・・・物事の方向性が決まる年
④健弱(けんじゃく)・・・身体面の疲れが出る年「小殺界」
⑤達成(たっせい)・・・それまでの努力が実を結ぶ年
⑥乱気(らんき)・・・精神面の疲れが出る年「中殺界」
⑦再会(さいかい)・・・失敗を挽回し再出発する年
⑧財成(ざいせい)・・・富を得る刈り入れの年
⑨安定(あんてい)・・・良い状態を維持する年
⑩陰影(いんえい)・・・「大殺界」の始まりの年
⑪停止(ていし)・・・「大殺界」のド真ん中の年
⑫減退(げんたい)・・・「大殺界」の終わりの年

(※赤字は良くない年)

この「六星占術」(*4)に大谷翔平の生年月日(1994年7月5日)を当てはめると「火星人(+)」となる(偶然だが私も同じ)。私はどんな占いも真剣には信じないのだが、自分の過去にあてはめると確かに良い事は良い年に起こっていて身内の不幸など凶事は良くない年に起こっていたりするから興味深い。

そして大谷翔平にとっても2024年までの3年間(上の⑦⑧⑨に該当)は良い事づくしだった。WBC優勝2度のMVP連続本塁打王、プロスポーツ市場最高額(10年1015億円)での名門球団への移籍50-50(50本塁打&50盗塁)達成、そして結婚まで。ね?これじゃワールドチャンピオンにもなるよね

昨年の水谷通訳問題など吹っ飛ぶ勢いだが今年からの3年間は「大殺界」だからどうかと心配していた。打撃は開幕から昨年を上回るペースで本塁打を量産し好調だったが、ここにきて肘の手術で封印していた二刀流を解禁し何回か投手として登板したが直近の登板では筋肉の痙攣から途中降板した。

「大殺界」の過ごし方としては“新しい事”を始めたりしなければ問題ないらしい(季節では“冬”に相当)。ということは“今年から再開する二刀流(としての投手)”については問題があるのかも知れない。果たして大谷翔平に「大殺界」は関係ないのか?その観点でも、今後の彼に注目していきたい。
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*1:本件については下記ブログご参照。
ナマの大谷翔平を観に来ました | Saigottimoのブログ
*2:本件については下記ブログご参照。
大谷翔平に残された唯一の課題 | Saigottimoのブログ
*3:本件については下記ブログご参照。
私のワールドシリーズ勝敗予想 | Saigottimoのブログ
*4
:本件については下記ブログご参照。
六星占術 細木数子事務所公式ホームページ

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