穴と橋とあれやらこれやら -39ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2018年4月30日、三重県北東部をシバキ回す旅にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、解散後の辨天橋(ホラー記事?)のみ…たぶん。

 

 

ここんとこ山神さんが相次いで近辺のネタを記事にされているので、便乗してやっとく。もしかして見つけておられないんじゃないかなって。性格悪い(笑)。

 

 

 

とか言いながら、わたくしも長らく全然気づいてなくて。

このストビューで…わかりますかね?

 

おろろnさんプロデュースのツアーだったこの日、ようやく初訪問となった次第。

 

 

 

 

いやもう、ねえ。

こういうもんがポンとあるから侮れないんですわこのあたりは。

 

なんとも立派な煉瓦製ポータルで、小ぶりながらも風格は十分。そして恐ろしく状態がいい。だいぶ前に記事にした十三石山隧道も、開渠のままであればこういう重厚な姿が拝めただろうに。

 

 

 

 

ポイントはなんといっても、

この鋸歯状デンティル。

 

 

 

 

個人的にキューンときたのは、

中央の一個のみ斜めでなくまっすぐに積まれていること。不動のセンターってか(謎)。ニクイわ~。裏側どうなってんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

隧道を背に、水路を見た景。

時期的には(当日は4月30日)水路が使われがちな時期だと思うんだが、全然水が流れていなかった。廃水路じゃないと思うんだが。

 

 

 

 

ちょっと追いかけてみたら、

うむ、これは現役でしょ。

 

 

 

 

さて、隧道内部の様子。

水路系にありがちな欠円アーチ、側壁は小口面を焼過煉瓦で積んでおり、こだわりを感じる。

 

にしても狭い。めっちゃ狭い。これはハナから入ろうとは思わない(フラグ)

 

 

 

 

…いや、このお方はそうではなかった。

tellさん、アンタなにしてんすか(笑)。

 

 

膝に~?

 

 

ちぎったゴミ袋を~?

 

 

巻いて~?

 

 

 

 

はい皆さん!

これが正しい変態の在り方です。わたくしのようなハンパものではかないませぬ…。

 

 

 

 

こんなんやってるその間に、

 

関西本線の列車が通り過ぎて行った。

 

 

 

 

tellさんが潜ってたのは3~4分だったかな?

覚えてるのは、「あー濡れたー!」って声(笑)。

 

 

 

 

いやいやほんまに、

さすがでございます。…しかし一体どうやって体の向きを変えたんだこの人?

 

 

 

 

最後に、反対側はというと、

こんなんなっております。延長は、30mもないくらいかな。

 

 

 

 

ガッツリ改修されてるのだが、坑口のキワまでいって無理やり内部をズームで撮ると…

煉瓦ですなーこっち側も。

 

この日の撮影はすべてスマホで、しかもズームとなると画質低下が著しいので、これが限界だった。これまたさすがに入ろうとは思えない…ですよね、普通は。

 

 

 

これがいつできたものなのか、もちろん不明(まあ調べてもないんだが)。ただ、ちょっとした妄想はしている。

 

この近辺の関西本線は1890(明治23)年に関西鉄道の手によって開通した区間(柘植~四日市)で、ここ加太周辺には開通時を含む明治・大正期に建造されて今も現役で活躍している多くの鉄道施設があり、それらは現在「加太の鉄道遺産」として行政や地元の方々により積極的にアピールされている。

その中には煉瓦製の橋梁や架道橋などももちろんあるわけなのだが、この用水の隧道も装飾性豊かな意匠を見るにつけ、そして場所が近接していることもあり、どうしても共通するテイストを感じてしまうのだ。

 

 

遺産群の中で記事にしているのはこの第一六五号橋梁だけだが、

どうですかね?往時の煉瓦橋梁とかだいたいこんな感じでしょ?といわれたらまあそうなんだけど。

 

 

なので我が妄想としては、鉄道工事を請け負った会社に、工事終了後に(または同時期に)、同地区内ということでついでにやってもらうように依頼したのじゃないかな~と。で、余った煉瓦でやったるわ、みたいな。

 

いや、ここまでいくと妄想が過ぎるとは思うけど、案外そういうことも考えられるのではないかな、程度で。

 

 

 

 

てなわけで山神さん、これご存じでした?

 

 

 

ちなみに遺産関連で他に記事にしているものとしては、中在家信号場もございます。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

自分でも思い入れの強い記事のひとつである、「飛水峡の飛騨川右岸歩道」。未読の方はぜひ先にご覧いただきたい。

 

で、5回にわたって連載したものの、道の正体に関してはわからずじまいとなっていたのだが、このほどみんな大好き「道との遭遇」公式YouTubeチャンネルにこの道のことが上がっててビックリした。早速見てみたら…どうやら正体が判明したようだ。

 

 

 

念のためリンクも。

 

 

結論からいえば、やはりわたくしも第一に推していた「白川街道の旧道」が正解なようだ。トリさん(石井あつこさん)が近隣の方に聞き取って確認されているので間違いないだろう。馬車などの普及で道が手狭となり、現在の左岸の白川街道が開かれたのが明治28年ということで、その前身となる道なので、ガチな古道だったわけだ。

なぜ先に右岸歩道が開かれたのかといえば、日当たりがよく、雪も溶けやすいためとのお話を聞き、思わず唸った。なるほどね~…。

 

 

いやまあ、スッキリした。…が、ひとつだけ気になったこと。

 


動画の中でトリさんがこの道について「3年くらい前に訪ねたことがあるんですけど」といってるのだが、この動画が撮影されたのがいつなのか不明なので、2020年9月22日に訪問したわたくしよりも先なのか後なのか、そこが気になっていて。…ええ、器の小さな男ですから…(笑)。


ちなみに記事公開は、ウチには珍しくわずか一週間後の9月29日。いかにこのネタにテンション上がってたか、わかろうというもの。

 

いや、まあ先んじてた方が嬉しいのもあるけど、わたくしの記事を見て行ってくれたんだったらもっと嬉しいな、とかね。

 

 

 

てなわけで、トリさんありがとうございました(勝手にお礼)。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

最後の人家から、撮影コミで実は7分しか歩いてないのだが、

けっこうな秘境感のある吊り橋が登場した。

 

先に書いとくと、現地で橋に関する情報は一切見つけられなかった。まあ事前にQ地図で「栃穴橋」という名称はわかっていたので問題なし。

 

 

 

 

振り仰ぐ高い位置に

コンクリート主塔。

 

アンカーレイジは石積みで護られているが、どういう構造になってたんだろう。見に行かなかったもので…。

 

 

 

 

少しへつって、

精一杯のサイドアングル。

 

 

 

 

ではさっそく、渡ろう~。

床版は縞鋼板。ヤレた感じはあるが、しっかりしていた。

 

Q地図によれば、完成年は1954(昭和29)年、延長54.4m、幅員1.5mということだ。

 

 

 

 

人通りがどの程度かはわからないが、

もちろん人以外も使用しているようで、かなり古いものではあったが、動物の糞が残っていた。

 

 

 

 

うーーん、

気持ちいいな~。

 

 

 

 

こちら、上流側。

前回書いたが、川の名前は桂川。この川、神奈川県に入ると相模川という名前に変わるのかな?

 

 

 

 

そしてこちら、下流側。

余談だが、1kmほど下流にもう一本吊り橋が架かっていて、こちらも楽しそうだったんだが、アプローチを見つけられず断念したという心残りがある。

後日ストビューをよく見ていたらここだったかな?ってところは見つけたが、どのみち車を停めるスペースがなく無理だった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、右岸側へ。

目前に岩壁が迫り…

 

 

 

 

非常にタイトで余地がない。

けっこうな難工事だったのではないかと思われ。

 

振り返り。正対もまともにできないほど狭い。

 

 

 

 

ここで引き返した。

どんだけの秘境かと思わせる景だが、段丘を登ったすぐ先には栃穴地区の人家があり、地図平面上での直線距離だと50mもないくらい。とてもそうは見えんよな~。

 

なのでこれは、生活の橋として今でも最低限の通行があるんだと思う。車なら、800mほど上流の杖突橋を渡ることになる。

 

 

 

 

引き返し点からの一枚。

色んな意味で、これが精一杯。

 

時間さえあれば、このまま栃穴地区から徒歩で進み、断念したもう一本の吊り橋を渡ってぐるっと一周してくることもできたと思うが、まあガツガツいろんなとこをまわりたい貧乏性のわたくしには無理だった。

 

 

 

 

いや~、じゅうぶん楽しめた。

撤収~。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に余談。

 

ここはまだ比較的明確だったが、この手の、到達ルート不明確な橋(多くの場合吊り橋)の訪問ってホント好きで、記事を書くのも楽しい。

記事にしてるのだと川根橋訪問記向山の吊り橋訪問記佐田の吊り橋訪問記という同じ日の三部作(?)、あとは庄堺橋とか奥玉谷出合の橋二題とオプション四ノ川の吊り橋出谷の野猿黒川の吊り橋、ライトだけど音羽の吊り橋とかこのあたり。なんか忘れてる気がする…。

 

 

 

未読の記事があれば、よろしければどうぞ。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2023年4月14日、TKY~初の山梨進出。この日のネタで記事にしているのは、天神隧道千足橋とこのガチ廃屋。今宵から二回に分けてご紹介するのは、時系列では千足橋の直前、アプローチ含めてのプチ探索が楽しかった物件。

 

 

 

まずはこちらをご覧いただきたい。

山梨に行くにあたり色々調べてる中で、航空写真で見つけたこの吊り橋(写真中央)。楽しそうなニオイがプンプンしたので、楽しみにしていた。わたくしは西側(桂川左岸)からアプローチ。

 

まあこの地図を見れば場所はわかるだろうけど、あえて詳しくは書かない。ご一緒に探索気分でどうぞ~。

 

 

 

もちろん、事前にルートの見当は付けてきた。

こう来て…

 

 

 

さらにこう来て…

この先、民家で行き止まり…

 

 

 

に見えたが、

このいかにも気が引ける道が続いていた。

 

私道にしか見えないが、橋へのアプローチはここしかないはず。上野原市道牧野栃穴線という、れっきとした市道のはずだ。

 

 

 

 

…なんだが、民家をすぎれば

即刻、笹の激藪!ご挨拶じゃねぇか(笑)。

 

しかしながら、さながら紅海を往くモーセのごとく、クッキリと笹薮を割って一条の踏み跡が明確に見える。わずかながらも通行はあるようだ。

 

足元がよくわからないし、本来スニーカーで踏み込むのは気が進まない局面なんだが、そんなん気にならないテンションとなり、躊躇なく突撃!

 

 

 

 

たぶん最初の開けていたエリアは休耕地だったと思うが、

ほどなくこういう鬱蒼エリアに。

 

 

 

 

そして徐々に、

歩きやすくなってきた(当社基準による)

 

 

 

 

ただしこんな場所も。

わかりにくいが、鉄杭が打たれている右側は、地面がない。

 

気を抜いてると危ない場所だった。

 

 

 

 

そこを振り返るとこんな感じ。

伝わりますかね?

 

 

 

 

ここらで一応場所を確認…。

うん、着実に向かってそうですな。

 

 

 

 

鬱蒼エリアからまたまた場面転換し、

今度は植林エリアへ。目まぐるしい展開が楽し~。

 

 

 

 

すっかり歩きやすくなり、

ところどころに巻かれたピンクテープのおかげもあり、ずんずん進んでいけた。

 

 

 

 

やがて、右側は傾斜が強まり、河岸に出てきたと知れた。

そろそろか?

 

 

 

 

…あっ。

キタか?

 

 

 

 

はい~

ご登場~。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

以前あんなにも書いてた次回予告篇、なんと昨年5月31日以来ほぼ8ヶ月ぶり。そうだよ、この素晴らしき手抜きメソッドを使わないから更新がしんどいんだわ(笑)。

 

 

 

そんな久々の次回予告篇。

笹の激藪を貫く一本道。その先には何があったか?

 

 

…なんか、予告篇の書き方忘れた(笑)。

 

 

 

 

【前篇】に続く。