穴と橋とあれやらこれやら -40ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2023年7月8日、11年ぶりの大分探索第1日目。この日のネタで記事にしているのは寒田隧道深江隧道臼津隧道と強烈オプション。今宵ご紹介するのはそれらよりも後、午後も深めの時間になった頃に訪ねた隧道。

 

 

 

例によって、思っていた以上に時間がかかり、

通常ならお参りする隧道前のお地蔵様?もスルーしてしまった。現在地こちら

 

 

 

 

はい、接近して正対。

いかにも狭い、生活道路のコンクリート隧道。しかし位置的には、国道217号八幡トンネルの旧隧道にあたる。

 

 

 

 

お名前は、

右書きで「大宮隧道」と。

 

右書きにより古い隧道であることはわかるのだが、佐伯市のトンネル長寿命化修繕計画によれば、完成年次は「不明」となっている。写真を拡大してよく見ると、上に何か刻まれているようにも見えるのだが、気のせいかもしれない。

 

 

 

 

洞内の様子。

元は素掘りのようだが、しっかりとモルタルで補修されている。

 

 

 

 

鉄板の構図。

前後の道も、いかにも海辺の旧道。お世辞にも広いとはいえない。ちょっとだけ余地があって助かった。

 

 

 

 

で、抜けまして反対側へ。

右に登ってゆくのは、隧道上南側にある大宮八幡宮への参道である。

 

 

 

 

こちらも接近して正対。

延長は、48.4mとのこと。

 

 

 

幅員は、

3.8mとのことで、当然内部での離合はできない。まあ先入車優先の交互通行かな。

 

 

 

 

鉄板の構図。

こっち側は(対面通行としては)ひときわ狭いな~。ここまで来て隧道から対向車が出てきたら、車種によってはバックしないと、かも。

 

 

 

以上、わたくしの大好物である「市街地の古びた隧道」でした。

 

 

 

これまでになく間が空いたこのシリーズ、ちょっとある理由でテンション下ってて控えてたんだが、まあもうええかということで再開。

 

 

今回はこれ。

 

ど~こだ…って、

まあわかりやすいか。

 

 

 

 

これがなかなか、

状態は悪い。

 

仁丹看板といえば魔法がかかってるんじゃないかという異様な状態の良さが特徴なんだが、これは悪い。まあ判読できるけど、今ではどうなってるかな(撮影は2020年2月27日)。

 

ちなみにこれ、わたくしの記録した中で市内最北の仁丹看板である。そしておそらく、実際にこれより北では発見されてないと思われる。少なくともこの時点ではそうだったはず。

 

 

 

そうだった、この日は親父の初七日だったんだ。そのあと移動して、静原の洗い越しに行ったのもこの日。

 

 

 

2023年5月12日、仕事での訪問先近くの橋を見に寄った。

 

 

近鉄大阪線の菖蒲池駅南口を出て、西へ。ほどなく、

こんな分岐が。ここは左へ。

 

 

 

 

するとすぐに、

はい、こちらがお題の橋。なかなか古そう。場所はこちら

 

さっきの分岐を右へ下るのが、この橋直下の道である。実は先に下から見に行ったのだが、流れ上それは最後に。

 

 

 

 

新しい家多めな周辺の住宅地から時代を画したような、

寂びた雰囲気だな~。

 

 

 

 

結論から言うと、親柱には何も情報がなかった。

Q地図では味もそっけもない「無名橋156」なんて名称、完成年も不明とのこと。まあ記事タイトルもこれを採用したけど、なんかねえ。

 

 

 

 

橋上からの見下ろし。

こちら学園前方面。

 

 

 

 

対してこちら、

あやめ池方面。

 

今昔マップで見ると、ここが立体交差として描かれているのは、1975~79年の地図から。その前の1967~70年の地図では、平面の交差点として描かれている。

そこから普通に考えれば、1970年代前半に立体交差化されて同時に橋が架かったとなるのだろうが、いや~そんなわたくしよりも年下には見えないんだよな~。高欄の雰囲気からすると、昭和半ば…ヘタすれば戦前も有り得るかな、という印象だ。

 

まあ、例によってそこは掘り下げないダメブログ(笑)。

 

 

 

 

渡るとすぐ先には、

近鉄大阪線を跨ぐ跨線橋がある。

 

実を言えば、こちらがメインターゲットだった。Q地図ではこの跨線橋、「メガネ橋」という名称で、ストビューではわからないものの、もしかしてアーチ橋だったりするんでは?と期待してたんだがそうではなく、大して面白いことはなかった。コンクリの風合いとか、何かを感じさせる部分もなくはなかったんだが…。

 

 

 

 

せっかくなんで、一枚だけ載せとこうか。

こんな感じ。写真奥に今宵のお題の橋があるという位置関係。

 

 

 

 

さて、無名橋とメガネ橋の間のわずかな余地に、

よくわからない石碑があった。

 

 

 

 

どちらかの橋にまつわるものかと期待して観察したんだが…

うーん、「南無阿弥陀仏」と刻まれているようなので、この時点で橋関連じゃないな…と判断。なんだろうなこれ。

 

 

 

 

この親柱の意匠や質感を見るに、

うーん、やっぱ先輩でしょ貴方?(笑)

 

 

 

 

最後に、

アンダークロスから見上げアングルを。

 

 

 

 

ご覧のように交通量そこそこあるのに歩道はなく、

おちおち上も見てられない。

 

 

 

 

ササッと撮って、

速やかに撤収~。

 

 

跨道橋って概して新しくて無味乾燥な橋が多めだから、こういう古めかしいの見ると得した気分になる(個人の感想です)。好きだなあ。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

皆様にはどうでもいいことだが、前回の大己橋をもって道路橋テーマの記事が700本に到達…してたようだ。うちのブログで一番記事数の多いテーマではあるけど、それでもまだ記録した橋の1/5も採り上げてないんだな~。

 

【2】より続く。

 

 

 

去り際に振り返り。

見に来られてよかった。

 

たぶん、また来る。何年後かはわからんが。

 

 

 

 

さて、戻りは、

行きには割愛した洞内の様子を何枚か。いずれも相当に明度を上げている。

 

 

 

 

実際のとこ、この隧道、

素掘り部分(つまり大部分)はじゅうぶんに安定してるのよなあ。

 

 

 

 

サミットが真ん中へんにあるので、どちらからも入洞からしばらくは漆黒の闇なんだが、

この瞬間にホッとするのよね。

 

 

 

 

で、この真ん中へんに

行き違いのためであろう、広くなった部分がある。

 

 

 

 

断面切り替わり部分がこんな感じだが、

倍近くには広くなってると思われる。

 

元より断面の大きなこの隧道、かつてトラックなど通していたと思うのだが、もしかしてバスなんかも?

 

考えてみればこの隧道のこと、ポータル周辺の情報で施工、竣功関係のことは承知しているが、「終わり方」はほぼ何も知らない。いつ頃に、どういう経緯で廃されたのだろうか。代替のトンネルとてなく…。ここが行き来できたら一定の利便性はありそうな印象だが、そこまで需要なかった?

尾鷲市側の道は賀田町地内で採石場となり消滅している部分があるが、これが廃止の原因じゃないよなあ。たぶん廃されてから採石場になったんだと理解しているが。

 

 

 


往時の写真とか、

あったら見たい。

 

 

 

 

やっぱここ、

熊野市側のコンクリ巻き立て部分、ここが最大の老朽ポイントですな。

 

 

 

 

先述のように尾鷲市側からのアプローチは不可能なので、

こっちがイカれてしまったらこの隧道は厳しい。洞内が崩れて閉塞することはないと思うけど…。

 

 

 

 

さて、この後は…

ふと思い立ちまして…

 

 

 

 

ここはどこ?

はい、ポータル上を見てみようとね。この角度は新鮮だ。

 

 

 

 

とはいえ、

だいぶ荒れていて、わたくしのヘボイ観察眼では特に見るべきものは見当たらなかった…ていうか、ちゃんと見なかった(笑)。

 

 

 

 

ここからの見下ろしで、

かつての線形がくっきりと。

 

隧道をガン無視して通り過ぎていく林道…。林道の廃隧道ってこんな感じが多いような。

 

 

 

じゅうぶんに堪能したが、実はひとつだけ心残りができてしまった。

 

戻りに動画を撮ろうとしてスマホを…あら?ない。しまった、車に置いてきた~…ってなって。

430mある隧道、取りに戻ってまた往復して…は、まだ行きたいところもあったしちょっとしんどいな、と断念してしまった。次がいつかはわからんが(また13年後?)、その時にはきっと。

 

 

 


また逢う日まで、

まずはポータル崩落しないように祈ってますよ、鳥越隧道さん。

 

 

 

以上。

 

 

【1】より続く。

 

 

 

入洞したが、洞内の様子はいったんすっ飛ばす。まあ再訪記事ですから。

 

抜ける手前で、これに引っかかった。

このコンクリ壁。

 

写真を見返してみたら前回訪問時にもあった(当たり前か)が、全く気にもしなかったのは、きっと何の異状もなかったからだろう。で、今回はあったんだな、「異状」が。

 

 

 

 

こんな開口部があったら気になりそうなもんだが、

当時は観察眼も一層お粗末だったってことか。

 

で「異状」というのは、大きな水音がしてたんだな、この穴の奥から。

 

 

 

 

さっそくのぞいて…いや、カメラを突っ込んで撮ってみたら、

地中の滝みたいになってますやん!

 

こんな水音が発生してたら、前回も絶対気になったはず。どうなってたんだろう当時。そしてこの水はどこへ消えてる?二枚上の写真を見ると側溝がありそうだが。

 

 

 

 

さて、こっからはコメント最小限でお送りする。結論的には熊野市側と違ってこちら尾鷲市側は前回から大きな変化はなかったのでね。ええ、再訪記事ですから(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

尾鷲市側、鉄板の構図。

こちらは熊野市側と違って、コンクリの荒れも一切なく、保守されていないにしては恐ろしく健全。この違いはなんだ?

 

前回もやはりこちら側には氷柱は発生していなかった。日照の関係なんだろうか。やはり氷柱の発生とコンクリの劣化具合には相関がありそうな。

 

 

 

 

隧道の先も、

相変わらず程よい荒れ具合。

 

 

 

 

こちらが前回の様子。

ひとつだけ目立つ変化?があるな。わかりますかね?これは後ほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尾鷲市側坑口正対。

 

 

 

 

こちら前回の様子。

向かって左側の木の成長がよくわかる(笑)。

 

 

 

 

で、廃道上の前回からの変化がこれ。

このま~るい石。たぶん転がってきた落石だと思うが、どうやってこの丸みになったんだろうか。妙に気になった。

 

 

 

 

変わらぬ、素晴らしい廃の景。

こちら側は「絶妙な廃具合」状態を保っているようで安堵。見にきてよかった。

 

では戻ろう。

 

 

 

 

なにげにこの隧道、

この尾鷲市側から覗きこんだ景が最高かもしれない。

 

 

 

【3】に続く。