穴と橋とあれやらこれやら -286ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2013年3月8日、第四次宮城県探索。この日のネタで記事にしてきたのは、旗立トンネル天斧巌上の無名橋宮下橋日和橋深沼橋。今宵ご紹介するのは、この日最初に訪ねた物件。

 

 

 

 

タメなしで、ドン。

なかなか、堂々たるお姿でありましょう?

 

仙台市内を大きく蛇行する広瀬川に架かる橋。現在地はコチラ

 

 

 

 

 

 

 

この親柱とか。

上部に火袋があるが、今も夜には点灯してるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

お名前は、

「靈屋橋」。「霊」は旧字が用いられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、その読み方が、

「おたまやばし」。

 

霊を「おたま」と読ませる、これは非常に日本的な、好きな名前。

 

 

 

 

 

 

 

上流右岸側からのサイドアングル。

コンクリート開腹アーチ橋である。

 

この橋は当てずっぽうで出会ったわけではなく、仙台市内の土木遺産橋梁を調べて来たのだった。ちなみに土木学会選近代土木遺産Bランク。記事の最後に詳しく書く。

 

 

 

 

 

同じく右岸下流側から。

うむ、アーチ橋ってやっぱいいですな(実際のところなんでも好きなヤツ)

 

 

 

 

 

 

 

まあコンクリアーチの場合、

真下から見ると、ちょっと締まらないんだが(個人の感想です)。ソリッドリブアーチだったらいいけどな~。

 

 

 

 

 

 

 

上路アーチの場合どうしても見てしまうここ。

可能であれば、あそこにも入る。まあさすがに街中でスーツではやらないが(笑)。

 

 

 

 

 

で、橋上。

 

束柱には二種類あって、

親柱と同じタイプのこういうのと、

 

 

 

 

 

 

 

もう一種類は

擬宝珠…じゃないな、似てるけど。そんなタイプのやつ。

 

 

 

 

 

 

で、渡りまして

東側より。

 

 

 

 

 

 

こちらも向かって右の親柱はお名前だったが、その外側側面を覗きこむと…

あった!お誕生日。「昭和十年四月竣功」。

 

土木遺産指定されているってことは当然戦前の橋だとわかってはいたが、それでもちゃんと銘板があると嬉しい。

 

 

 

 

 

で、左側の親柱は読み方だったのだが、こちらの袖高欄に

情報ぎっっしりな銘板があったのだった。

(今気づいたけど、束柱のもうひとバージョン、袖高欄の柱と似せてあるのか)

 

 

 

 

 

 

それがコチラなんだが…

スニッ●ーズなみにギッシリ(笑)。

 

到底読めないと思うので、非常に気が進まないが(爆)書き起こしてみる。

 

 

靈屋橋沿革概要

 

本橋は藩祖伊達正宗御靈廟の下に通ずるに依りて此の名あり 往昔は小舟に依り後猶(なお)粗雑なる木橋を架せるに過ぎず改築の要多かりしが偶(たまたま)明治三十四年陸軍東北大演習の擧(きょ)あり

聖上の御統監に當(あた)り藩祖の位階追陞(ついしょう)の御沙汰あり勅使御差遣のことあるに際し僅(わずか)に片板の假橋なりしは市民の恐懼(きょうく)(お)く能(あた)はざるところにして益改築の要を唱ふるもの多きを加え就中岡濯氏の如き「請宮城縣知事架橋靈廟橋書」を呈し世論のある所を提唱せり

後地方有志の援助により本市は大正五年木造吊橋を架設し稍(やや)(きゅう)態を改むるに至りしも材齢既に二十を算し幅員狭隘態様も亦(また)時運に伴はざるものあり

時恰(あたか)も藩祖三百年祭に會せるを以て之が記念事業をも兼ね昭和九年度一般労働者失業應急事業として仝年八月改築に着手し仝十月四月竣功したるなり

 

一、構造 鐡筋混凝土拱橋 橋長六十米六幅員九米〇九

二、工事費 六萬参千六百拾五圓六十五銭

三、労働者延人員 貮萬四千百参拾七人

四、工事日數 貮百四拾四日 自昭和九年八月十六日 至昭和十年四月十六日

 

昭和十年四月 仙薹市役所

 

 

 

つ か れ た (笑)

 

 

つうわけで、伊達正宗公の霊廟下に通じることからこの名前なんですな。右岸側の住所も「霊屋下」だし。

文脈上、聖上ってやっぱ明治天皇を指すんよねきっと。天皇の勅使が来るのに、こんな粗末な橋じゃ市民の恥だとか、リアルな経緯が活き活きと綴られていて面白い。

 

これだけ詳しく沿革が書かれているっていう情報量もさることながら、改行なし字間なしのギッシリ具合は凄いなと。陰刻じゃなくて陽刻なので、判読しやすいのが救いですな(笑)。

 

 

個人的にはなかなか見られない「鐡筋混凝土」に萌え(笑)。皆さま読めますよね?

 

 

 

以上、疲れたので終わり(笑)。

 

 

今宵ご紹介するのは、我がホーム滋賀県随一の暗闇洞として一部で有名(笑)な横谷トンネルである。

 

ここを初めて訪ねたのは、キャリア初期(謎)の2009年6月18日。この日の撮影が不十分でずっと撮り直しに行きたいと思っていたものの、近場の甘え&長らくここの林道(広域基幹林道鵜川・村井線)が通行止めだったこともあり、ようやく再訪したのが今年、2020年5月17日の「STAY HOMETOWN県内徘徊ツアー」の時だった。

 

 

 

まずは初訪問時の記録を。この日は朽木村井側からアプローチした。

 

手前の右カーブのあたりから、早くも遠望できる。

こういう見え方するトンネル、滋賀ではここだけ?かな?なかなか険しい立地。

 

手前の谷に見えているのは、林道の旧道かもしれない道。この後少し辿ってみたが、割愛する。

 

 

 

 

 

 

で、トンネルに到着して、

扁額を撮って…

 

 

 

 

 

 

 

銘板も撮って…

なんと、ポータルの全景写真を撮り忘れたっていうね。何を考えとるんだねキミぃ!

 

まあこれが、撮り直しに行きたかった要因の一部だ。

 

 

 

 

 

 

 

なんか知らんが、

ポータル上に登って撮ってた一枚。あ、そうそう、現在地コチラ

 

ちなみに谷底の旧道?とは、蒼い弾丸号の後ろからつづら折りでつながっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

でー。

いきなり畑側へ。

 

当時はここがそんな暗闇トンネルって意識もなく来たもんだから、洞内の写真なんて一枚も撮らずに抜けてきてしまった。確かに洞内で「暗っ!」って思った記憶はあるんだが。洞内の撮り直し。これが、再訪したかった最大の理由だ。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、上の写真には貴重なものが映っている。

この、横谷トンネルのスペックを含んだ図解看板だ。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ貴重かといえば…再訪時、2020年5月17日の写真を見ると、

スカーンと無くなっておりまする。

 

 

 

 

 

 

 

どこに行ったかと申せば、

ポータル左脇に、くちゃくちゃになって打ち棄てられておりました。よよよ…酷い。

 

人為的なものか災害的なものかは不明だが、まあこの様子じゃ復旧されることはなさそうな…。林道系のトンネルとか、まれにこういうトンネルの案内看板が立ってるやつがあるが、大方こういう運命を辿るんだろうな…。

 

 

 

 

 

洞内からの、鉄板の構図。

うん、これも撮りたかったやつ。

 

 

 

 

 

 

 

そしてそして、肝心の

闇黒洞内を一枚。

 

まあこれじゃ全然伝わらんよな…。

 

 

 

 

つうわけで、せっかく再訪したこの日、動画を撮ってきた。この日は初訪問と逆で畑側から登ってきたので、その方向での動画となる。

「無照明・洞内勾配・カーブ」の暗闇三重奏(笑)に加え、二ヶ所の退避所。闇黒洞としてのツボを抑えた洞内の様子をご覧あれ。二度、車のライトを全消灯しての「闇を愉しむの儀」も行っております(笑)。

 

 

改めて見てこのトンネル、暗闇トンネルとしてはけっこう関西でも上位ランカーじゃないのか?なんて思った。あ、もちろん現役トンネルが対象ですよ(笑)。

 

 

 

 

 

 

で、抜けまして~の、

ようやく撮影叶った朽木村井側。

 

今思ったんだが…初訪問時、よくここに登ったな。けっこう危険やないの(苦笑)。

 

 

 

 

 

 

 

で、こっちからも

洞内を一枚。

 

そうそう、無照明であれば、こっち側でカーブしてる時点で闇黒は約束されたも同然なのよね。バイクや自転車だとリアルに(物理的に)怖そう。

 

 

 

つうわけでここ、地味にネタとして楽しめるので、お近くへお越しの際はどうぞ~。

 

 

以上。

 

 

2017年5月4日、深遠なる紀伊半島彷徨の初日。この日のネタで記事にしているのは、時系列でカナウナギトンネル四ノ川の吊り橋北山トンネルその奥小松橋遺構と上滝トンネル再訪小又川の吊り橋

 

今宵ご紹介するのは、時系列では四ノ川の吊り橋の前に訪ねた物件。

 

 

 

 

 

まずはこれから。

面白くなさそうって?まあそうね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

お名前は

中州橋。親柱が独特な形。

 

 

 

 

たもとからのぞいた橋脚には、ゾクッとするような表示が。

ほぼ毎年、台風や大雨によって猛烈に増水するこの川だけに、この表示にもえらくリアリティがある。

 

 

 

 

 

 

 

その川の名は北山川なんだが…

向こうに、なんか見えてますよね?

 

 

 

 

 

 

実はあれこそが、今宵のお題。

たぶんこの中州橋の旧橋とおぼしき、香ばしい橋である。

 

 

 

 

 

さっそく接近…。

停まってる車は釣り人のものか。こんなんなら車で乗り付けりゃよかった(ちょっと離れたとこに置いてきた)。

 

 

 

 

 

 

 

改めて正対。

超・シンプル!潔し。

 

現在地コチラ。橋の名前が示す通り、見事にザ・中州なのが素敵でしょ。

 

 

 

 

 

 

 

つうかこれはもはや、

三径間の潜水橋と呼んで差し支えないよな?

 

さっき見た現・中州橋の橋脚に示された目盛に照らせば、こんな位置じゃソッコーで水没するはずだ。

 

 

 

 

 

 

武骨極まりない橋上の景だが、

わたくしに言わせれば、実にカッコいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む上流側。

この距離でも、けっこう見上げる感がある。どんだけこの橋が低いかってことだ。

 

 

 

 

 

 

 

そしてこちら、下流側。

すぐ先で、中州の中流と外流が合流している。

 

実はこの橋のことは対岸のあの道から見て、こちらへ回ってきた次第。ここの中州は地図で認識していて気になっていた場所で、冒頭紹介した現橋には以前にも立ち寄ったことがあったのだが、なんでか知らんが真夜中だったので、この旧橋には全然気づけてなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

渡りきっての振り返り。

うーん、見るからに水没しそうだ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

そして見るからに

頑丈そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

実際のところ、いざ水没してしまえばどうなるかわかったもんじゃないと思うのだが、

見たところ、近年に架け替えられたり大きな補修を受けたような形跡はない。まあ北山川の本流は中州の外側、こちらは内流なので、多少は「優しい」のかもしれない。

 

 

いや、いい橋だったね~。


 

 

 

 

最後に、対岸の道から見たファーストコンタクトの景を。

橋好きならこれは行くでしょ(笑)。

 

ちなみに対岸のこの道は、三重県熊野市育生町内。飛び地の村である北山村、三重県熊野市・奈良県十津川村と錯綜していて、地図を見ていても大変楽しいところである。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

2012年3月20日、愛媛から降臨されたアルプさんをおもてなしするツアー(長いな)の午後に訪れた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは…えーと…祓川橋梁の再訪とブラッキーFUSOバス二ノ瀬橋夜間再訪かな。

 

 

 

まずはここから…だが、

誰やねんゲートに凸かました奴は?

 

もちろんこれは8年以上前の話。現在は様子が違っているだろう。現在地はコチラ。これから辿るのは、もちろん国道旧道である。

 

 

 

 

 

ほんの数分で、

新たな封鎖。

 

 

 

 

 

 

二重のガードレール封鎖と警戒食の高さ制限バーのその先に…

見えた。

 

 

 

 

 

この写真、我ながら…

好き~(笑)。

 

ザ・廃隧道って感じ。うっすら残る黄色いセンターラインも実にイイ。あと左端のやつね。

 

 

 

 

 

そう、

ぶっ倒れたおにぎり。けっこう真新しく見える。

 

 

 

 

 

とっとと進んだアルプさん。

隧道一番乗り。

 

 

 

 

 

 

扁額は

右書きで「深見隧道」。

 

 

 

 

 

 

鉄板の構図を楽しみつつ、

洞内へ進入~。

 

 

 

 

 

 

あやしい3人組…ってオマエもやろ(笑)。

左から、おろろん教授、アルプさん、ピカさん。

 

 

 

 

 

 

 

洞内で何か光ると思ったら、これだった。

誰か持ち込んだのか、飛ばされてきたのか…。

 

 

 

 

 

 

 

進むこと80mくらいだっただろうか?

土砂が盛られて埋められているのを確認。

 

ちなみに「隧道データベース」によるスペックは、昭和21年建造、延長538m、幅員4.3m、全高4.5m。建造年時は「マジかよ?」って感じだが…。

 

 

 

 

 

で、当然ながら、

ここまでは攻める(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

すると、どうだろう!不完全な埋め戻しの先は

けっこうテキトーな感じで、遠くにはなんと向こう側の明かりが見えているではないかいな。

 

 

 

 

 

 

が、この時は、

アルプさんもお待たせしてることだし、ここで引き返し。美山側にも回ることはしなかった。

 

思えばこの時のアルプさん、全然大人しかったな…(笑)。

 

 

 

 

 

 

撤収。

ちょっとカッコいい感じの画ヅラに(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

最後に、改めての京北側坑口。

こうして見ると、狭い!京都市と美山、若狭方面との幹線をなす国道にはいかにもアンダースペックだけに、新トンネルが掘られたのは当然だろう。

 

ちなみに新トンネルの完成は2001(平成13)年のことだ。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二晩続けて申し訳ない。エディの訃報からこっち、YouTubeでいろんな動画を漁ってるのだが、そんな中で見つけたこのリアクション動画が最高だったので、ぜひ紹介したいと思って。

 

 

 

父と息子、二人でのリアクトなのだが、息子の方はまだあどけなさの残る少年、当然エディのことはほぼ知らないであろう年代。対して親父の方は、おそらくは我らと同年輩、青春時代にどっぷりエディを「浴びた」世代だと思われる。そんな父から息子に、「これを見てみるがいい、我が息子よ」てな感じで。

 

 

親父もさることながら、息子がまあエエ顔するのだ。「これ一体何が起こってるんだ!?」的な。それを見る親父の誇らしげな顔がまたよし。


 

このソロはどこのステージのやつだろうか?“ERUPTION”から“CATHEDRAL”へとつなぎ、さらに展開する10分越えのソロ、初めて見るやつだがまあ凄まじい。エレキギターってここまでいろんなことができるのか!?と驚愕させられるとともに、改めて失われた才能の偉大さに打ちひしがれる思いだ。エディの表情がまた素晴らしい…。

 

 

 

ともあれこのリアクション動画は、故人への素晴らしいトリビュートだと思った。親父さん、グッジョブだ。少年よ、世の中は広いぞ(笑)。