忘れた頃にやってくる、いい感じのペースでやれているこのシリーズ(笑)。今宵は我ながら謎な切符を発券…もとい、発見してしまったんで、ちょっと記事にしておこうと。
正確には切符じゃなくってその券面に押された途中下車印。それが、こちら。
これは昭和58年3月24日~27日に九州への乗り鉄旅へ行った際に使用した青春18きっぷ。時期が時期だけに、やはり今や現存しない駅の途中下車印もある。大社、宝泉寺、肥後小国、黒木、筑前宮田あたり。
…とか懐かしく見ていて、「んんん??」となった。
九州に行くのに使ったのに、全然関係ない場所の途中下車印が混じってるぞ?てか、いっぱいあるぞ!!?
例えば大垣、北濃、美濃白鳥、福井…あとなんだ?信楽!?近江塩津!?岐阜や福井や滋賀、九州とは全然逆方向じゃないの!なんでこんなのが同じ券面に!?
こんな時に役立つのが、我ながらマメにつけていた乗り鉄記録ノート。それを調べてみると…うーむ、どうもこの九州行きの2ヶ月ちょい後、5月3日に京都から湖西線経由で越美北線と越美南線(連絡の国鉄バスも)を乗りに行った際のものだと思われる。
この頃の18きっぷって、たしか4枚綴り(2日有効1枚、当日有効3枚の計5日分)で販売されていた。で、わたくしは九州行きの際に使用した4日分の券がくっついて残った状態で、残り1日分を使って行ったんだと思う。で、すでにいっぱい下車印で埋まっていたこの券面にまとめて押してもらった、ってことか?つうか、ゴールデンウィークまで18きっぷって使えたっけ?たぶん使えたよな?
けどなあ。駅員さんが明らかに使用済みである券面に下車印なんて押してくれるもんかなあ。国鉄時代はそのへんゆるかったから、鉄道ファンの少年へのサービスとして押してくれたんだろうか?
でもまあ、きっとそうなんだね…で解決しかけて…ちょ待ってちょ待って。
「信楽」ってなんなんだねキミぃ。
前後含めて再度確認してみたが、全然信楽なんて行ってないし。
かくして…
この「信楽」、ガチな謎となりましたん。なんでここに存在してるのか…?
ちなみに九州への行きは山陰本線経由(大社線含む)、帰りは山陽本線経由だったので、その辺の駅の下車印は謎でもなんでもない。「山陰」と「ながさき」(いずれも客車夜行鈍行)に二晩連続で乗ったのもよい思い出だ。
ノスタルジック~(笑)。
スケープゴート【scapegoat】
1,古代ユダヤで、年に一度人々の罪を負って荒野に放たれたヤギ。贖罪のヤギ。
2,責任を転嫁するための身代わり。不満や憎悪を他にそらすための身代わり。
また…
”本来、古代ユダヤで贖罪(しょくざい)日に苦難や罪を負わせ荒野に放したヤギのことをいい、〈贖罪のヤギ〉などと訳す。転じて、欲求不満から生ずる破壊的衝動を、直接その原因となっているものに向けるのではなく、他の対象に転嫁して不満の解消を図る場合、その対象をいう。その対象には社会的弱者が選ばれることが多く、ナチス政権下のユダヤ人や関東大震災時の朝鮮人等はその例。大衆操作の一手段として用いられる場合も多い。“
(出典:平凡社 百科事典マイペディア)
今の状況はまさに、「”逆”スケープゴート」じゃないのか?。そんなように使われてないか?
改めて、心より安倍晋三氏のご冥福をお祈りいたします。
つうわけで(どんなわけで?)、
FEAR FACTORYの”Scapegoat”(もうタイトルだけの話だけども)。
92年のアルバム「SOUL OF A NEW MACHINE」。
これが確か彼らの1stアルバムだったかと思うのだが、まあ最初に聴いた時の衝撃は凄かった。爛熟期を迎えていたデスメタルというジャンルにおいて、インダストリアルを組み合わせてきたか!っていう。
そして3曲目がこの曲だったわけだが、いや、たまげた。デスヴォイスとクリーンヴォーカルをここまで効果的に使い分けたのは、彼らが最初じゃないかな~。そのクリーンヴォーカルがまた詠唱ふうというか、対比がより鮮やかで。どこか千鳥足のようなリズム(謎)も面白いし、めっちゃ好きな曲だ。
…まあ、一般の方にはとてもお勧めできないが(笑)。いや~、だいぶストレス溜まってきまして…。そろそろ心の洗濯が必要っす。
2018年2月13日、仕事で行った大阪の商談先近くでプチ徘徊した際に出会った橋をご紹介。記事にしているのは、ラストの片江七福橋とこれ。
まずはこれ。お隣の橋からのサイドアングル。
デカい緑のやつは近鉄大阪線の橋梁であり、その下のが今宵のお題である。
え?つまらなそう?まあそれは個人差アリってことで。けど、真っ当な橋梁愛好家は見向きもしないだろうなとは思われ(笑)。
つうわけで、
上の写真でいえば左側から正対。取り付けの道路が狭いため、左右からのステップがついた歩行者用橋である。
現在地こちら。今里駅の直下といってもいいような場所なのがわかると思う。
右側側壁に、銘板二種。
「片二橋」、そして「昭和51年6月竣工」。
左側の銘板は
「かたにはし」。
かたわらにのしかかる、
近鉄大阪線。手を伸ばせば届きそうだ(いや、届かんけど)。
跨ぐのは平野川分水路で、
こちら上流側。
対してこちら、
下流側。
近鉄越しに見えるあの橋も、続いて後ほどご紹介する。
すぐに渡りきるのだが、
この状況は…?
パッと見、民家の勝手口か?くらいに見えたが、
右方向には一応道が続いていて、上流側の橋まで行けそう。冒頭の写真はその橋からのもの。
そして左方向は…
…ちょっと躊躇する雰囲気だったのでやめて(笑)、渡り返した。
そして近鉄をくぐって、
先ほど見えた橋へ。これまた同じつくりの歩道橋だ。スロープがない、完全歩行者専用タイプ。現在地こちら。
銘板の構成も同じで、
「片一橋」、「昭和51年3月竣工」。
そして左側には
「かたいちはし」。
構成は同じだったが、高欄の仕様はちょっと違う。そして「一」のほうが「二」よりも3か月古い。
ところで「片」ってなんだろう、と思っていた。近鉄を挟んでニコイチの兄弟橋として「片割れ」の「片」なのかな?とか。
この後で「片江」七福橋に出会ったので、かつてのこの辺りの地名による命名なのかも、という説も出てきたが、まあなんであれ、このネーミングならばやはりいっしょに紹介しておかねばならんだろう、ということでね。
「二」と違ってこっちは、
渡った先にちゃんと道路が見えてるので、ちょっと安心感があった(笑)。
橋上からの上流側。
近鉄と「二」。
そして下流側、
あの橋もいつかは記事にする日が…来るのかな?来ないのかな?どっちなんだい?
(BGM : It's My Life / BON JOVI)
階段下は、即民家の門前。
しかし、先ほどの「二」のように進むのに躊躇するような雰囲気はなし。
今気づいたけど、「一」のほうだけ後付けで階段部分に手すりが完備されてるな。やはりこっちのほうが圧倒的に利用者が多いのだろう。端の一部だけでもスロープ状にすれば、自転車づれでも渡れるのにね。
振り返って正対。
左の民家脇に一応辿れそうなスペースはあり、そっちへ向かえばあの躊躇したエリアがある方向だったのだが、いや~あそこはちょっと進入は憚られたので確認はしていない。公道なのか私有地なのか、グレーすぎて。
そんな周辺状況も含め、なかなか「兄弟橋」だった。
最後に、下流側の橋より望む「一」。
うっすらと「二」も見えてる。近鉄電車が写り込むと、やっぱちょっといいな。
以上。
2011年3月6日、丹後~京都府北部方面遠征。この日のネタで記事にしているのは、時系列で新旧日和山トンネル、盛上橋、気比トンネル、第一・第二網野街道架道橋、犬ヶ崎トンネル、津母トンネル旧廃道、六部橋、撥雲洞、大波隧道そして河辺由里バス停。
今宵ご紹介するのは、大波隧道の前に訪ねたトンネル。期待はしてなかったのだが。
記事構成上、まずはこれから。
これ実は最後に撮った西側抗口。全然駐車スペースがなかったので、諦めて引き返してきた通過しながらの一枚。
で、これが、東側抗口。現在地こちら。
煉瓦隧道か?と空目しそうなつくりだが実際は近代的なコンクリートトンネル。しかしながらこのビジュアルには謂れがあって。それはまあ後ほど。
まずお名前は、
「道芝トンネル」。
銘板によると、
1995年5月の建造となっている。
が、実際のところこのトンネル…いや隧道は、1902(明治35)年建造の古洞なのだった。このトンネル東側に整備されたスペースに保存されていたものたちによって、それを知った。
まずはこれ。
「旧トンネル覆工煉瓦」という解説看板とともに、組煉瓦が存置してあった。内容は以下の通り。
「旧道芝トンネルは、明治35年に建設されたもので90年以上舞鶴の幹線道路として利用されてきました。この煉瓦はトンネルのアーチ部のもので、手作業により丹念に施工されており、現在でもかなりの強度を持っています。」
もうひとつ、舞鶴市のトンネル長寿命化修繕計画資料によると、
「旧トンネル東側銘板 光大道其」。
その現物がこちら。
内容は「出典は不明であるが、「道がおおいにひらかれた」という意味であり、トンネル貫通による、のびのびした気分のあらわれである。」というもの。
あえて突っ込ませていただければ、これ銘板じゃなく扁額ですよね?…まあ細かいことは言うまい。
こうして残してもらっていることは大変ありがたいのだが、雰囲気を残すためであろうレンガ風タイルがはかなくもポロポロ剥がれて落ちているのがちょいと侘びしい(笑)。
もういっちょ、これ。
「旧トンネル西側銘板 通貫然豁」。
内容は、「朱熹(南宋の儒家)の大学章句(儒教の教書)から引用したもので「疑いや迷いがさらりと解けて物事がはっきりする」という意味であり、この場合、トンネルの開通により、道がまっすぐ開けたという意味である。」
現物こちら。
これまた煉瓦風タイルが剥落して、無残な状態に。
このあたり、ちょっとは手直しされていることを願いたい。
ストビューは本記事執筆時点でまだ2013年のものでしかなく、
変化があるのかどうかはちょっと判別できない。
このトンネル東側のこの一画、引きでは撮ってなかったので、こうしてストビューで補完してみた。
せっかくの展示?だが、残念ながら駐車できる場所がない。それがあればポケットパーク的に立ち寄りやすくなるのだが、もったいなし…。
最後に触れておきたいのが、こちら。
拡幅改修された現トンネルだが、非常にしっかりと造られていて、
こういう角度から見ると、ポータルには本物の煉瓦が(貼り付けではあると思うが)使われていて、突出した小口面の列などシンプルながらも凝った意匠となっていた。
ネットで見られる旧隧道の写真は小さく、この意匠が旧隧道から引き継がれたものなのかは不明。しかしながら、煉瓦造りだった先代へのリスペクトを感じさせる、非常に好ましい改修であると思った。
以上。
































