2011年3月6日、丹後~京都府北部方面遠征。この日のネタで記事にしているのは、時系列で新旧日和山トンネル、盛上橋、気比トンネル、第一・第二網野街道架道橋、犬ヶ崎トンネル、津母トンネル旧廃道、六部橋、撥雲洞、大波隧道そして河辺由里バス停。
今宵ご紹介するのは、大波隧道の前に訪ねたトンネル。期待はしてなかったのだが。
記事構成上、まずはこれから。
これ実は最後に撮った西側抗口。全然駐車スペースがなかったので、諦めて引き返してきた通過しながらの一枚。
で、これが、東側抗口。現在地こちら。
煉瓦隧道か?と空目しそうなつくりだが実際は近代的なコンクリートトンネル。しかしながらこのビジュアルには謂れがあって。それはまあ後ほど。
まずお名前は、
「道芝トンネル」。
銘板によると、
1995年5月の建造となっている。
が、実際のところこのトンネル…いや隧道は、1902(明治35)年建造の古洞なのだった。このトンネル東側に整備されたスペースに保存されていたものたちによって、それを知った。
まずはこれ。
「旧トンネル覆工煉瓦」という解説看板とともに、組煉瓦が存置してあった。内容は以下の通り。
「旧道芝トンネルは、明治35年に建設されたもので90年以上舞鶴の幹線道路として利用されてきました。この煉瓦はトンネルのアーチ部のもので、手作業により丹念に施工されており、現在でもかなりの強度を持っています。」
もうひとつ、舞鶴市のトンネル長寿命化修繕計画資料によると、
「旧トンネル東側銘板 光大道其」。
その現物がこちら。
内容は「出典は不明であるが、「道がおおいにひらかれた」という意味であり、トンネル貫通による、のびのびした気分のあらわれである。」というもの。
あえて突っ込ませていただければ、これ銘板じゃなく扁額ですよね?…まあ細かいことは言うまい。
こうして残してもらっていることは大変ありがたいのだが、雰囲気を残すためであろうレンガ風タイルがはかなくもポロポロ剥がれて落ちているのがちょいと侘びしい(笑)。
もういっちょ、これ。
「旧トンネル西側銘板 通貫然豁」。
内容は、「朱熹(南宋の儒家)の大学章句(儒教の教書)から引用したもので「疑いや迷いがさらりと解けて物事がはっきりする」という意味であり、この場合、トンネルの開通により、道がまっすぐ開けたという意味である。」
現物こちら。
これまた煉瓦風タイルが剥落して、無残な状態に。
このあたり、ちょっとは手直しされていることを願いたい。
ストビューは本記事執筆時点でまだ2013年のものでしかなく、
変化があるのかどうかはちょっと判別できない。
このトンネル東側のこの一画、引きでは撮ってなかったので、こうしてストビューで補完してみた。
せっかくの展示?だが、残念ながら駐車できる場所がない。それがあればポケットパーク的に立ち寄りやすくなるのだが、もったいなし…。
最後に触れておきたいのが、こちら。
拡幅改修された現トンネルだが、非常にしっかりと造られていて、
こういう角度から見ると、ポータルには本物の煉瓦が(貼り付けではあると思うが)使われていて、突出した小口面の列などシンプルながらも凝った意匠となっていた。
ネットで見られる旧隧道の写真は小さく、この意匠が旧隧道から引き継がれたものなのかは不明。しかしながら、煉瓦造りだった先代へのリスペクトを感じさせる、非常に好ましい改修であると思った。
以上。