本日ご紹介する小ネタは、津母トンネルと撥雲洞のちょうど間くらいに出会った橋であります。マジで、特筆すべきことは何もございません。
京都府道53号網野岩滝線を北上中。通りすぎた橋が気になって停車。
言葉は悪いが、田舎を走ってりゃどこにでもありそうな橋・・・か?
いやいや、そんなことないのよ。こういう昭和前半(大正末期~含む)系の橋は、価値が云々されるほど古くも個性的でもなく、また老朽化した道路インフラに対する見方が格段に厳しくなった今日では、この手の橋はちょうど寿命を迎えるものが多いこともあり、どんどんと架け替えられている。
だから、こういう一見どうってことない橋でも、可能な限りチェックして記録するようにしておるのであります。あ、場所コチラ↓
これが、最初見えた時の感じ。
![ac4c22ca.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/4b/d7/j/o0560042014382029229.jpg?caw=800)
橋も、それを含めた線形もイイじゃない!高速S字的な(笑)。
向かって左の親柱でお名前が判明。
「六部橋」。
シンプルだけどドッシリとした佇まいが好ましい。欄干も含めて人造石製かな?
右側の親柱は、河川名。
上谷川。
欲しい情報はあとふたつ。デフォルトどおりなら得られるはずだが・・・。
北側の親柱で、
「ろくぶはし」。読み方いただきました!
残るは、お名前と並んで最も知りたい情報だったりするんだけども・・・
ああ~、あるある炸裂~(笑)。
お誕生日、不明。オリジナルの親柱は損壊してしまったのか、のっぺらぼうのそれに置き換えられていた。コレよくあんのよね~。見たところ、昭和二十年代後半~三十年代くらいの橋だと思うけど。
よくあることとは言え、悔しさが減るわけではない(笑)。
わが橋梁趣味の原点である、「自分より年長の、シンプルな桁橋」。今思えば対象が広すぎる(笑)。でも正にこういう、誰も顧みなさそうな橋、当時も今も大好き。こういう橋をひとつひとつ拾って、記録したい。これからも。
コレけっこう、原点回帰な記事ですな(笑)。ワイワイマップ時代っぽい。