そしてやって参りましたのは、(実は)この日のメイン・ターゲット。
西からのアプローチの路傍にあるのが予告篇の石碑なのだが、
たぶん、思ってたよりデカくないですか?(笑)
大きく刻まれた文字は、
「者唱首鑿開道隧
碑之翁衛兵九間賣」
すなわち「隧道開鑿首唱者 賣間九兵衛翁之碑」。
さよう、この先のメイン・ターゲットとは、
京都府最古の隧道。
心して聞け!その名も
「撥雲洞」(Hatsu-un-do)。
雲を撥(はら)う、と命名されたこの隧道、建造されたのは、1886(明治19)年。実に今年で満130歳を迎える、筋金入りの古洞である。そんな古洞が、こうして今も普通に現役として供されている。それが素晴らしい。
最愛の隧道として、三重県の長野隧道(初代)と滋賀県の横山隧道を挙げているわたくしだが、この撥雲洞はそれら二洞に肉薄…というかほぼ同レベルで愛する隧道である!
そもそも、隧道手前の
そして、見よ!
改めて、この重厚な総石造ポータル。
それをガッチリと支える、
ゴツいピラスター。
帯石が擁壁とツライチになっているのが憎い。笠石との間隔も完璧なバランス。すでに紹介したとおり、扁額も持ち送り飾りのついた立派なもの。
そして、
アーチ環は盾状迫石!
当然のごとく、この隧道は土木学会選近代土木遺産Bランク、国登録有形文化財に指定されている。
我が国最初期の近代隧道のひとつである撥雲洞。これだけの立派な隧道が建造された理由はひとつ。
第三代京都府知事・北垣国道によって進められた、「京都宮津間車道開鑿工事」の一環として建造が行われたから、である。ちなみに扁額も、北垣の揮毫によるものである。
北垣といえば琵琶湖疏水の計画も主導したことで知られるが、その琵琶湖疏水(現在の第一疏水)の建設工事が行われたのは、1885(明治18)年~1890(明治23)年。まさにこの「京都宮津間車道開鑿工事」と同時期であり、超大型の土木プロジェクトが同時進行で進められていたことになる。
なんかワクワクしてくる話じゃないかね?
さて、冒頭の石碑に刻まれた「賣間九兵衛」なる人物。彼はここにどう絡んでくるのか?
それは、【後篇】 にて。







