2011年3月6日、この趣味で初めての(そして今のところ最後の)丹後方面遠征.。この日のネタはけっこう記事にしている。時系列で新旧日和山トンネル、盛上橋、第一・第二網野街道架道橋、犬ヶ崎トンネル、津母トンネル旧廃道、六部橋、撥雲洞、そして河辺由里バス停。
今宵ご紹介するのは、河辺由里バス停へ行く前に通りかかった、なんかやたらと多くの人が記事にしている(笑)あの隧道。一番遅れて記事にしてやるさ!
タメなしで、
こんなとこまでズズイ~と。
この当時は旧道が封鎖されておらず、普通に入ってこれた。しかし肝心の隧道はこの状態。
これは…
どういう状態なのかねキミぃ?
うっすらと向こうが見えているが、あの見え方は普通じゃないよな~。
扁額には
右書きで「大波隧道」と。
あからさまにウェルカム状態なので、お邪魔してみた。
なのに洞内で撮ってる写真は、これと
これだけ。
淡白やな~当時のわたくし(爆)。コレ完全になんらかの工事中で、廃隧道なのになんの工事をしてるんだろう、と気にはなってたはずなのに、反対側までも行かなかったのだろうか。記憶ないけど。今思えばもったいなし…。
もちろん、反対側にも回って見たさ。
ほらね、あのように、旧道入口にはなにもなし。
現道に出て、
新大波トンネルで反対側へ。
この新トンネル、銘板には
1987年6月という完成年が記されていた。
探索時点で、旧道落ちしてほぼ24年が経過していたことになる。
そんな旧隧道、
![12970e22.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/31/32/j/o0560042014382053925.jpg?caw=800)
コッチはバッチリとシャット・アウツ(笑)。ご覧の状態で、とても接近は叶わなかった。
一度は死んだはずのアイツ。
ヤツを魔改造して、いったいどーーするつもりだ!?
とか思いながらこの場を立ち去ったのだった。
冒頭に書いたようにこの隧道、なぜかやたらと様々な方がレポートされている。リアルまたはブログでお付き合いのある方だけに限定しても、わたくしの知る限り…
・ハルニチさん(当時はかすがさん)、
そういえばハルニチさん、サイトの引っ越しはどうされるんでしょう?
・よととさん、記事コチラ。
・はみ男さん、記事コチラ。
・rin7574さん、記事コチラ。
・神威さん、記事コチラ。
5名いらっしゃいましたよ(笑)。他にもいらっしゃるかな?
この隧道が魔改造を受けてどうなったかは、はみ男さん以下の記事をご覧いただければわかる。一方、ハルニチさん、よととさんはガチ廃隧道時代なので、わたくしちょうど魔改造時代を捉えられて、ある意味貴重だったのかも?
そうなると…
あの絶好の機会になんでもっと内部を撮らなかったのか、小一時間ほど問い詰めたいわ、オノレを(笑)。
以上、完結。
追:ハルニチさんのリンク修正し…ようとして上手くいかなかったので(笑)、URLを貼りました。