片江七福橋 (大阪市東成区大今里南) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2018年2月13日、仕事で行った大阪の商談先近くでプチ徘徊した際に出会った橋をご紹介。

 

 

 

 

まずはこれ。

この狭~い川べりの道がねえ、いい感じなんだな。

 

 

 

 

 

 

 

で、これが今宵のお題。

斜めに架けられた、ゴツイ高欄のこの橋。さらに、太鼓橋よろしく反り返っている。場所コチラ

 

 

 

 

 

 

 

お名前は

「かたえしちふくはし」。

 

 

 

 

 

こちらは銘板二連貼りで

「片江七福橋」、そして「昭和56年2月竣功」。高欄のこの見え方で、反り返りっぷりが伝わるかと。

 

 

 

 

 

 

橋上から望む上流側。

川の名は、平野川分水路。人工河川だ。

 

 

 

 

 

 

 

渡って、北側…いや、北西側より。

この良さ、常人にはわかってもらえないだろうな~(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

けど、この橋の真骨頂はやっぱり存在感抜群なサイドビューだと思うの。

これっすね~。

 

橋脚なしのワンスパンでひらりと跨ぐ、この軽やかさがイイ~(博多華丸さんふうに)。なんともスタイリッシュじゃないかね。

 

 

 

写真でもわかるし、地図だと顕著にわかるんだが、まっすぐ東西方向に架かる周辺の橋に対して、この橋だけが斜めに架かっているのが気になった。もしかして、何かの廃線跡だったりして?ってのが、現場での印象。

 

で、記事を書くにあたり、改めて調べてみたら…廃線跡ではなく、シンプルに「古い道」だった。

 

 

 

こちら、今昔マップで確認あれ。青いマーカーの付いたところが橋の位置。

このように、一番古い「1892~1910年」の地図で、すでに描かれている道。周囲のほとんどの道よりも古い、村々をつなぐ道が今に残っているようだ。これはなかなか感動した。

 

ところでこの時期、平野川分水路はまだ開削されていない(「1947~1950年」の地図から登場する)。

 

 

 

 

 

 

橋の北西、古道に沿ってさらに引きで。右奥が片江七福橋である。

こんな古道沿いだからこそ、あのお宝が存在したんだな~、と、今さらながらに納得した次第だ。

 

 

なんの話かって?それは、この記事をご覧あれ。

 

 

 

以上。