5年前の今日書いたある記事、シリーズ化を前提として【1】なんてつけたのだが、全然書きやしねえ(笑)。しかも結局シリーズ化するほどのタマ數もなく…どうするんだねキミい。
まあ…しれっと【2】をやっとこうと。
そんなこんなで、写真は一枚しかない。
やはり「大津びわこライオンズクラブ」のもので、これは「健康で明るい生活につとめましょう」とある。これはなんとなくわかりやすいな。時代背景的なものも見えて、良き良き。
このフレンチブルー的な濃紺の看板、結構好きだったりする。
シンプルに、以上!
5年前の今日書いたある記事、シリーズ化を前提として【1】なんてつけたのだが、全然書きやしねえ(笑)。しかも結局シリーズ化するほどのタマ數もなく…どうするんだねキミい。
まあ…しれっと【2】をやっとこうと。
そんなこんなで、写真は一枚しかない。
やはり「大津びわこライオンズクラブ」のもので、これは「健康で明るい生活につとめましょう」とある。これはなんとなくわかりやすいな。時代背景的なものも見えて、良き良き。
このフレンチブルー的な濃紺の看板、結構好きだったりする。
シンプルに、以上!
暑いのでちょっと涼しげなネタを…と思ったのだが、微妙に今年最初の酷暑を外しちゃった(笑)。
2019年8月11日、夏真っ盛り(笑)。この日カインズに買い物に行ったついでに、付近にある物件…近場の甘えで長年にわたってスルーし続けていた物件に立ち寄った。お手軽そうだったので奥様も誘ってみたが、暑すぎるので車で待ってると。そりゃそうか~。
つうわけで、日陰に車を停めて歩くこと…25秒(笑)。
車からでもすでに見えていたけど、到着~。場所はこちら。
まずは、「農業施設を大切に」の看板がお出迎え。
そう、ここにある物件は、現役の農業施設なんですな。
ちゃんと見学のためのお立ち台が整備されているので、いきなり上からドン!
ハイ、(すでにタイトルで出てはいたけど)円筒分水~!
これ、水がないと面白さ半減、涼やかさ皆無なんだけど、
ありがたいことにちゃんと水が出ていた。
分水工といえば過去に記事にしたのは追分南の円筒分水と井之口円形分水の二件だが、「円筒」と「円形」と微妙に表記の揺れがある。
正直なところ、勉強不足でよくわかっていないし意識して使い分けてはいないが、わたくしの理解としては、引かれた水が円筒(円形)から逆サイフォンの原理で湧き上がってくるのだから「円筒」「円形」どちらでもよい、というテキトーなもの。ただ、ここのように均等に開けられた孔から分水するタイプは円筒が高く立ち上がっているので、特に「円筒」分水と呼びたくなる…みたいなニュアンスかな。
これはあくまで素人の見解なので、間違っててもご容赦を(笑)。
その上で、こちらを各自ご覧ください。
昭和37年製とのこと。解説に書かれている「現代の水分神」というフレーズ、いいな。
あとはもう二枚ほど、目に涼しい写真を~。
こうしてちゃんと整備してもらえているのは、大変ありがたい。
お察しのように円筒(円形)分水って俯瞰気味に見られなければこれまた面白さ半減なので、お立ち台も助かる。
このように、
解説も充実。
最後に、引きで全体像を。
結局見学中は直射日光だったので、奥様来なくて正解だった。
ちなみに、この写真のどこかにノートさんがいます。難易度高め(笑)。
以上。
2019年7月27日、高知~徳島遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、堀切橋、法恩寺跨線橋、加茂隧道、三子生隧道、二股橋、一ノ坂隧道、旧・一ノ坂橋。
今宵ご紹介するのは、時系列では三子生隧道と二股橋の間、昼下がりに立ち寄った物件。
まずはこれ。
ちょっとユニークな感じの吊り橋。現在地こちら。
木製玩具的な親柱?に掲げられたお名前は、
揉合橋。名称もユニークときたもんだが、どういう由来なのかな?
ちなみにもう一方の親柱には「安田川」と河川名。
銘板だけは、
どこかハードモード(笑)。「馬路村森林組合」という文字がそう思わせるのか?
この日は魚梁瀬森林鉄道の遺構を追いかけてここまで来たわけだが、実際この吊り橋の背後の山にも、林鉄のインクライン跡が(正確に言えばインクラ跡を活用した乗り物が)ある。
この吊り橋、他にもちょっとユニークなのは
両岸の高さが違うのを合わせるため、主塔までの一径間めは階段状にせり上がっているところ。
その先の主径間は
普通の吊り橋になった。が、さすがに林業のまち、床版含め木製吊り橋だった。
橋上より、
こちら安田川上流。
で、こちら下流側だが、
このデンデン太鼓みたいな意匠、なんかいいなあ(笑)。
渡りきって、左岸へ。
こちらには宿泊できそうなバンガロー?的建屋が一棟建っていた。
左岸より正対。
最初の右岸側とはちょっと印象が(意匠も)違った。ラウンドした階段もちょっといい感じ。
読み方はやっぱり…
(変体仮名混じりだが)「もみあいばし」。
もう一方の親柱には「平成元年三月完成」と。
可能な範囲でサイドビュー。
木製+赤っていう色味の橋、案外珍しいと思うのだが、意外と悪くない配色だな、と思ったり思わなかったり(笑)。
戻りながらもう一度じっくり見て…
やっぱここが一番好きかな(笑)。
このモチーフと「揉み合う」という橋名には、何か関連があるんだろうか?たぶんだけど…ないな(笑)。
以上。
埋め草記事として、モタスポネタを。最近YouTubeで見つけて微笑ましかった動画をご紹介。先日イギリスで行われた伝統的モタスポ行事「グッドウッドフェスティバル」でのひとコマである。
今回の目玉は92年F1王者・ナイジェル・マンセル(もちろんイギリス人)による、タイトルを獲得した時のマシンであるウィリアムズFW14Bのデモランだった。伝説的なマシンであるFW14Bとの取り合わせはまさに人馬ともにアイコニックというか、生で見られるだけで大感激モノであり、とくにイギリス人にとってはタマランものがあったと思う。
現在メルセデスからF1参戦中のジョージ・ラッセル(イギリスの次世代ホープのひとり)も2019年のマシン・W10のデモランで参加していたわけだが、ラッセルがパドックでこの「マンセル+FW14B」に出会った様子が、もうかわいらしくて。出会ったというか、明らかにこの「伝説的人馬」を見に来たんだろうけど(笑)。
動画冒頭、礼儀正しく緊張した感じでちょっと遠巻きに見つめるラッセル君。それに気づいたマンセルに「ヘイ、ジョージ!こっち来いよ!」的に呼ばれて、ちょっとはにかんだ感じで嬉しそうに握手するのがカワイイんだなあ(笑)。マンセルが気づくまで近づかないのもなんかいいなあと。っていうか、全体的なたたずまいやしぐさが、まさに「憧れの人に会えたらこうなりますよね」そのもの。
当時「大英帝国の愛すべき息子」と呼ばれ、常軌を逸した速さと精神的もろさを併せ持つ魅力的なキャラクターもあって、絶大な人気を誇ったマンセル。もちろん現在も認知度。人気は抜群であり、記録以上に記憶に残る名ドライバーだと言えると思う。
ラッセルが生まれたのはマンセルの戴冠よりももちろん後だが、レーシングドライバーとしてそんな母国の伝説的な先輩を大いにリスペクトしているのは当然であり、そのあたりこの動画から色濃く伝わってくる。マンセルも楽しそうに話してるし、こういうの、いいよなあ…。
日本ではアイルトン・セナのライバルとしてキャラ付けされたものの、プロストのように変にヒール扱いされることもなく、マンセルファンも多かったと思う。近年はまあまあの恰幅だったが、よくFW14Bのコックピットに収まったなあ(笑)。多少絞ったのかな?
【笠木トンネル】より続く。
使い回し写真で恐縮だが、
これより笠木トンネルを背後に、もう一本の隧道へ向かう。今回は道なりに左だ。
ちなみに正面に見えるコンクリ擁壁は、この先の旧道のもの。
その旧道、
明らかに…
醸していた。
せっかくの二車線幅もかたなし。
何度か止まりながら、のんびり進むこと6分。
現れた、もうひとつの隧道。天川村のカントリーサインとともにお出迎え。
道路状況も、そして隧道そのものも、
笠木トンネルよりもワンランク廃れていた。
お名前は、
「川合隧道」。そう、笠木「トンネル」に対して川合「隧道」と、名乗り方の流儀も異なる。
この川合隧道、昭和29年建造だという。昭和45年建造だった笠木トンネルとは16年の開きがあるが、この間に「隧道」は「トンネル」になった…って、まあそんなシンプルなことじゃないけど、基本的に「隧道」という呼び方は一般的ではなくなったのは間違いないだろう。
廃オーラの濃淡とは裏腹に、
こちらはちゃんと照明が複数点灯。管理者が違うからだろうな。
振り返り~の、鉄板の構図。
もうちょっと引いて撮れよ、へたくそ~(笑)。
ノートさんは寛いでいた。
もはや半廃道…なのかね?
では、天川側へ。
笠木トンネルと違い、こちらは全面プレート改修ではなかった。これはいいアクセント。
抜けまして、
川合隧道、天川側坑口。高さ制限バーが素敵。
かつては陸の孤島とも言われた天川村。吉野や黒滝、下市、五條などから村への入り口が、車道だとこの川合隧道と小南峠隧道だけだったのだから、そりゃそうも言われるわなあ、と。
大変読みやすい扁額。
どこか風格も感じる。
現道へと降りていく途中で、
このような祠があった。たしか天川らしく役行者がらみのものだった気がするが、さすがに覚えていない。
現道までは、
残り数百m。
最後に、現道の新川合トンネルも紹介しておこう。
こちらも、現代の基準で見ると大して素晴らしいスペックとも言えない。が、これで十分なのだろう、たぶん。
銘板によれば、完成は1997年。
1984年建造の新笠木トンネルから遅れること13年、ようやく併せて供用されることで、天川村にはまさに交通革命となったことだろう。
ちなみにその13年間、新笠木トンネルだけが供用されていた時期には、トンネルを抜けてからはループ状のルート取りとなり、非常に興味深いものだったと思う。一時期のR169瀞峡トンネルのように(って、関西人しかわからんか)長大トンネル抜けたら酷道、みたいな状態だっただろう。
つうわけで、天川村へのメインルートを担ってきた道と隧道たちを、二回に分けてご紹介した。
備忘:記事リストにおいて、自治体跨ぎの物件は当日どちらからアプローチしたかで「所属」を決めているが、今回はそれぞれの出自と名称から判断し、笠木トンネルを黒滝村、川合隧道を天川村物件とする。