2010年11月20日、摺子OFF前日の奈良県徘徊。この日のネタで記事にしてるのは…なんと参陵隧道だけだった!いろいろ行ってるのに。
今宵ご紹介するのは、当日昼過ぎに訪ねた物件。予備知識もなく、特に何か期待してたわけではなかったのだが・・・。
ここは天川村洞川(どろがわ)地区の外れ。
県道48号洞川下市線で、ターゲットのある小南峠を目指すのだが、
確か何ヶ所かにあった、
香ばしい看板。曰く、
大淀・橿原方面 幅員狭く対向困難 国道309号をご利用下さい
いやいや、一応この道、主要地方道なんやけど…(笑)。
実は吉野土木事務所だけでなく、天川村そのものが公式にこの道を通るな、とアナウンスしているのである。
村の公式HP上、村へのアクセス方法として「お車の場合」のところ、各方面からの簡単なルート説明の最後に囲みでこう書かれている。
洞川温泉へのアクセスはR309天川川合経由で!
一部のカーナビのルート設定で県道48号洞川下市線、黒滝村中戸経由の小南峠越えのルートが示されますが、道路が狭歪で対向が困難な場所が沢山あります。
洞川温泉へお越しの際は中継点として必ず天川川合を選択して下さい。
いやいや、「必ず」とキタもんだ、とんだ主要地方道ですわ。道路管理者や行政から公式に険道認定を受けているに等しい。これは好き者が喜ぶやつ(笑)。もちろんわたくしも喜んだ。これなら、隧道も期待できるかも?って。
ちなみに、同じページのもう少し下に「道路の通行規制/冬期通行止めについて」という記述があるのだが、その内容がコチラ。
・R309みたらい渓谷付近から行者還トンネル方面は大型車通行不可(高さ3m・長さ7mのマイクロバス程度までが通行可能)
・R309行者還トンネル方面は冬期閉鎖(12月中旬〜4月中旬)
・県道洞川下市線(小南峠方面)及び県道大峰山公園線(母公堂から大峯大橋)は冬期通行止
・広域基幹林道吉野大峯線(洞川〜吉野)及び林道高原洞川線(洞川〜川上村)は冬期通行止(12月〜3月末)
結局のところ冬期には、県道21号大峯山公園線+国道309号での川合方面以外に村と外界をつなぐ道路はなくなるのだった。紀伊半島内陸部、特に冬場には行動ルートが著しく制限される。
まあ行者還トンネルについては以前に書いた記事でも触れているように、冬期だけじゃなく通り抜けられる方が珍しいくらいの体感難度だったりするんだが(苦笑)。
なので当然、洞川から隧道までの道のりも、
おおむねこんな感じ。激狭ではないけど、離合はできないっていう(笑)。
走ること7分で、
おお~見えてきた。
これがお目当てのブツ。
小南峠隧道だ。場所コチラ。
改めて地図を見ながら、村のおススメするルートなども確認してみていただきたい。そりゃあそっち勧めるよね~と(笑)。
公式な広報活動の成果もあってか(笑)交通量は少ないし、隧道前にはなんとか離合可能な幅員が確保されている。が、さりとてのんびり停まってていい雰囲気でもない。手早く撮影。
扁額、銘板の類は見当たらない。あるのはこれだけだが…
イチイチ不安を煽るようなアイテムばっかやな。
そして洞内を見て…度肝を抜かれた。ポータルこそコンクリート製だったが、中は…
では、ご覧いただこう。
マジか!
なんと洞内は完全素掘りだった。主要地方道やのに。
このように
一部コンクリートで巻きなおされている箇所もあったが、いやいや、こりゃあ驚いた!
…とか書いておきながら、記事を書くにあたって判明した残念なお知らせなのだが、2012年、内壁に変状が認められたために改修を受け、全面的にモルタルで固められてしまったようだ。これは痛い!この隧道の魅力が大きく殺がれることとなってしまった…。
実はこの隧道は1901(明治34)年の開通という、道路隧道として奈良県最古クラス。
洞川は修験道の聖地である大峯山・山上ケ岳への登山口にあたる門前町で、江戸時代から山上街道という参詣道/生活路が存在したが、その最大の難所がここ小南峠であった。
ウィキ先生によると、この難所を克服すべく、洞川の有志による出資で、「九州から来た穴掘りの工夫たちがツルハシとノミを使い手掘りで貫通させた」のだという。
その後、川合から虻峠を越える現在の県道21号大峯山公園線にあたるルートが開通、そちらが主流となりこの小南峠越えルートは整備から取り残された、と。
まあその結果として、
現役にも関わらず、明治期の素掘りが21世紀まで生き残ることとなったのだったが…かえすがえすも残念。
とはいえ、安全第一なのは当然なので、致し方なし。
よって、往時を偲ぶ記録としてご覧いただければ。
コチラ、
黒滝側ポータル。
ウィキ先生にはこの隧道についていくつか興味深いエピソードが掲載されており、隧道名についても触れられている。
実は現在でこそこのとおり扁額なしだが、かつては「隧道の入口の上に3つの石に「山上街」「道小南」「峠隧道」と(右から左への)横書きに刻まれた扁額がはめられて」おり、「黒滝村史」には扁額の石が道路脇に置かれている写真が掲載されているとのこと。
さらに、「この扁額は所在不明となっていたが2013(平成25年)の奈良県による近代化遺産調査の際に「峠隧道」の部分が、黒滝村側斜面に埋もれているのが発見された」ということで、これはなかなか胸アツな出来事。見つかった扁額はどこに保管されてるんだろうか?そして、残り二つは何処に?
国土交通省の「全国道路施設現況調査」などを見る限り、公式にはおそらく「小南隧道」が正しいようなのだが、現地に掲げられていたというこの扁額に敬意を表し、小南「峠」隧道という記事タイトルとした。
明治の素掘りは見た目には失われたが、モルタルの下には確かに存在しているはず。
信仰の道、生活の道として洞川を支えてきた隧道の歴史的功績に、変わりはない。
険道としては隧道の黒滝側こそが楽しそうだったのだが、
この日の立ち回り上、再度洞川に取って返した。またの楽しみとしておこう…
とか考えながら、10年が経過したなあ(笑)。
以上。
*明日から26日まで福岡出張につき、またしても「あんな感じ」の記事が続きます(笑)。