笠木トンネル (奈良県五條市西吉野町勢井~吉野郡黒滝村笠木) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2010年11月20日、摺子OFF前日の奈良県徘徊。この日のネタで記事にしてるのは、参陵隧道小南峠隧道

今宵ご紹介するのは、時系列では両者の間に訪ねた、国道旧道のトンネル。

 

 

 

まずはこのようなアイテムから。

現在地こちら

 

 

 

 

 

ここは、旧国道にふさわしい大きな交差点。これは上の写真左手からの景だが、

いまいち全体を捉えてはいないものの、しっかりと整備された交差点であることは伝わると思う。ちなみに地理院地図によると、ここまで走って来た道(上の写真の青看で「立川渡」方面)は奈良県道49号勢井宗川野線であり、この交差点が起点となっている。

 

 

 

 

 

ここで振り返ると…

もうそこに、今宵のお題が。

 

中途半端に置かれたAバリが罠のようだが、当時この旧道はまだ開かれていた。ただし訪問当日は黒滝側の旧道が土砂崩れ復旧中の通行止めとなっていた関係で、こうして牽制するような置き方になっていたのかなと。

 

 

 

 

 

ノートさんを入れて正対。

のんびりとこんなんできるくらいに、全く往来はなかった。前述の状況だったから余計にだ。

 

改めて見ると、しっかりと二車線幅が確保されていて、まあ大型車には窮屈であろうものの「まともなトンネル」だ。あくまでトンネルは、ね…。

 

 

 

 

 

扁額には

「笠木トンネル」。

 

 

 

 

 

洞内から、ノートさん入り鉄板の構図。

洞内はすべて波型ライナープレートで巻かれていた。

 

現地に銘板などはなかったため、帰ってから調べたところによると、昭和45年建造、延長203m、幅員7.5m、有効高5.5mというスペックだった。

 

 

 

 

 

照明は設置されていたが、

この時には無点灯。廃道でもない限り、通常ひとつくらいは点いてそうなものだが…。

 

 

 

 

 

粛々と抜けまして、

当初こっちから来るはずだった黒滝側へ。

 

 

 

 

 

ポータルに正対。

昭和45年製、まさに、って感じのご面相だ。

 

 

 

 

 

引きで見た一枚が萌え~。

おにぎりの消された青看がいいねえ。西吉野村のカントリーサインも残っていたが、今もあるのかな?ちなみに吉野郡西吉野村は2005年9月に五條市に編入されてその名は消えた。

 

そして左へと登る分岐が、トンネル開通前まで使われていた旧道(現国道からだと旧々道)。こうして見ると普通に進めそうに見えるが、えぐい道で撤収。今はもう無理だろう、絶対。

 

 

 

 

 

で、トンネルの先、ほどなく…

しっかりと通行止め。本来はコッチから登ってくるつもりだった。

 

 

 

 

 

それでもいけるとこまで、と、この辺までは登ったんだけど、

すれ違った作業車の運ちゃんに「抜けられないよ~」と言われたので、ヘラヘラ笑って引き返したっけ(笑)。

 

 

この時点では、こうして旧道の土砂崩れを治すというメンテナンスが行われていたわけだが、2022年現在ではどうなっているんだろう。ストビューもカバーしていないようだし、もしかして閉じられた?

 

 

 

 

 

そうそう、この黒滝側の旧道別れが個人的に好きなので、写真を載っけておこう。

まさに二枚上のナビ写真での現在位置だが、この旧道別れ、なんでこんなんなってんだろう。写真左が現道の新笠木トンネルだが、トンネルを抜けてきた車がこの旧道に入る確率は限りなく低いと思われるので、このような上下分離方式(笑)は不要だと思うのだが…もしかして新トンネル工事期の名残りだったりするのかな?

 

 

 

 

 

せっかくなので、

同位置からの新トンネルも。

 

 

 

 

 

「新」とはいえ、

正直なところトンネル自体のスペックは大幅に改善されたとは言えない。やはり旧トンネル前後の屈曲・狭隘路が問題だったということなのだろう。なんと8倍以上もの延長のトンネルで一気にパス。

 

 

 

 

 

あー、大幅に脱線(笑)。


それにしてもこの旧トンネル、第一線を担ったのはわずか14~5年間だったんだなあ。なんだか不憫。

早すぎる隠居生活を持て余してるような、そんな笠木トンネルだった。

 

 

 

 

 

旧道はこの先にもう一つ、隧道を擁している。【次回】はそちらをご紹介する。