川合隧道 (奈良県五條市西吉野町勢井~吉野郡天川村川合) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【笠木トンネル】より続く。

 

 

 

使い回し写真で恐縮だが、

これより笠木トンネルを背後に、もう一本の隧道へ向かう。今回は道なりに左だ。

 

ちなみに正面に見えるコンクリ擁壁は、この先の旧道のもの。

 

 

 

 

 

その旧道、

明らかに…

 

 

 

 

 

醸していた。

せっかくの二車線幅もかたなし。

 

 

 

 

 

何度か止まりながら、のんびり進むこと6分。

現れた、もうひとつの隧道。天川村のカントリーサインとともにお出迎え。

 

 

 

 

 

道路状況も、そして隧道そのものも、

笠木トンネルよりもワンランク廃れていた。

 

 

 

 

 

お名前は、

「川合隧道」。そう、笠木「トンネル」に対して川合「隧道」と、名乗り方の流儀も異なる。

 

この川合隧道、昭和29年建造だという。昭和45年建造だった笠木トンネルとは16年の開きがあるが、この間に「隧道」は「トンネル」になった…って、まあそんなシンプルなことじゃないけど、基本的に「隧道」という呼び方は一般的ではなくなったのは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

廃オーラの濃淡とは裏腹に、

こちらはちゃんと照明が複数点灯。管理者が違うからだろうな。

 

 

 

 

 

振り返り~の、鉄板の構図。

もうちょっと引いて撮れよ、へたくそ~(笑)。

 

 

 

 

 

ノートさんは寛いでいた。

もはや半廃道…なのかね?

 

 

 

 

 

では、天川側へ。

笠木トンネルと違い、こちらは全面プレート改修ではなかった。これはいいアクセント。

 

 

 

 

 

抜けまして、

川合隧道、天川側坑口。高さ制限バーが素敵。

 

かつては陸の孤島とも言われた天川村。吉野や黒滝、下市、五條などから村への入り口が、車道だとこの川合隧道と小南峠隧道だけだったのだから、そりゃそうも言われるわなあ、と。

 

 

 

大変読みやすい扁額。

どこか風格も感じる。

 

 

 

 

 

現道へと降りていく途中で、

このような祠があった。たしか天川らしく役行者がらみのものだった気がするが、さすがに覚えていない。

 

 

 

 

 

現道までは、

残り数百m。

 

 

 

 

 

最後に、現道の新川合トンネルも紹介しておこう。

こちらも、現代の基準で見ると大して素晴らしいスペックとも言えない。が、これで十分なのだろう、たぶん。

 

 

 

 

 

銘板によれば、完成は1997年。

1984年建造の新笠木トンネルから遅れること13年、ようやく併せて供用されることで、天川村にはまさに交通革命となったことだろう。

 

ちなみにその13年間、新笠木トンネルだけが供用されていた時期には、トンネルを抜けてからはループ状のルート取りとなり、非常に興味深いものだったと思う。一時期のR169瀞峡トンネルのように(って、関西人しかわからんか)長大トンネル抜けたら酷道、みたいな状態だっただろう。

 

 

 

 

つうわけで、天川村へのメインルートを担ってきた道と隧道たちを、二回に分けてご紹介した。

 

 

 

 

 

 

 

備忘:記事リストにおいて、自治体跨ぎの物件は当日どちらからアプローチしたかで「所属」を決めているが、今回はそれぞれの出自と名称から判断し、笠木トンネルを黒滝村、川合隧道を天川村物件とする。