旧・一ノ坂橋 (徳島県海部郡美波町北河内) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【隧道篇】より続く。

 

 

 

一ノ坂トンネル阿南側旧道入口の、この橋。

これをスルーするわけにはイカン。その理由はほどなくわかる。

 

 

 

 

 

 

一応、旧隧道側から始める。

ちょっと引き過ぎではあるけど、正対写真。念のため現在地コチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

右の親柱にお名前が。

「いちのさかはし」。まあ納得。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、左の親柱。これが、この橋をスルーできない理由である。

 

大きな写真でどうぞ。

「至徳島市 五●粁」。

 

なんと親柱が道標となっていて、徳島市までの距離が刻まれていた。一の位が判読できないが、徳島まで五十数キロと。

 

この後にも同じようなケースを見かけたので、これはやはり、この四国特有の事情によるものだろう。すなわち、霊場巡りのお遍路さんたちのための。いいなあ、こういうの。

 

四国以外ではこのパターン、見た記憶がない。あったかなあ…。

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

現道のあの橋も同じ「一ノ坂橋」という名前だった。なのでこの記事タイトルには「旧」と付けた次第。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら下流側。

ブレブレになっちゃったが、旧隧道開通前の「旧旧旧道」だったはずの道が見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

阿南側から正対。

こっちにもありましたぞ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

左の親柱に、

かたつむり…じゃなくって

「至日和佐町 五●粁」。

 

向きからして当然?こちらには日和佐までの距離が刻まれていたが、解せないのは伏せ字にした部分。元画像を拡大してじっくり見て、どうも「参」に見えるのだが…イヤイヤ53キロもないしなあ。5.3キロなら妥当かなあとも思うが。果たしてどうなんだろう。

 

とりあえず自信がないので(笑)、伏せ字にしとく。

 

 

 

 

 

で、右の親柱には、

「一ノ坂橋」。

 

道標兼用の親柱は大変興味深かったものの、これは結局お誕生日がわからない残念なパターン。

 

なので調べてみたら、美波町建設課による「美波町橋梁長寿命化修繕計画平成23年度版」pdfを発見(その表紙写真にもこの一ノ坂橋が使われている)。それによれば、昭和10年架橋とのことで、思ったよりも古かった。

 

 

 

 

 

 

というのも、現道の一ノ坂橋から見たサイドアングルが

この感じ。

 

プレートガーダーの塗装がまだ鮮やかなこともあり、正直そこまで古いものと思ってなかった。少なくとも戦後の橋だろうと。いや~、昭和10年か~。

 

ところで、平成23年度というのは美波町の橋梁長寿命化修繕計画の初年度であり、上記のpdfに掲載されているのは、同町が管理する207橋の中から「防災計画上の重要な橋」として真っ先に選抜された32橋である。その中にこの一ノ坂橋が含まれているのはいささか驚きだった。先になんか重要な施設でもあるのか?

ちなみにこの32橋の中で、もっとも古いのがこの一ノ坂橋だった。また、旧橋擁する道路の正式名は、町道馬路2号線とのこと。

 

 

 

 

つうわけで、隧道後篇と一緒にやれなくもないボリュームながら、単独で語りたいトピックがあったので、こうして別仕立てで記事にしてみた。前回ショボかったことをお詫びして、〆とする(笑)。