【前篇】より続く。
反対側に回る前に、現トンネルを確認しておこう。
こちら西側(日和佐側)。
ポータルを覆う苔が、なぜか下半分には全然付いてないのが不思議だ。幅員を見るにつけ、この現トンネルでさえもそれなりなオールドタイマーであろうことが窺える。
銘板。
「1970年3月」。やはり立派なおっさんトンネルだった(笑)。つうか、こんなに早く路線改良された要因はなんだったんだろう。
で、トンネルを抜け、
右手前に鋭角ターンする形で旧道が分岐している。これは振り返り方向で撮影。
隊長のアウトバックが停まっているのが旧道の橋だが、道はその先で左へとターンしてゆく。
その左ターンをまっすぐに突っ切る形で、
ドンツキにひっそりと、旧隧道が。
うーん、
雰囲気あるな~。
人為的なものかどうかは不明ながら、隧道前には倒木などがうずたかくわだかまっており、隧道に接近するのも一苦労。
そのせいだったかどうか、記憶は曖昧なんだが、
なんとわたくし、中にはチャレンジせずにこの一枚を撮っただけで撤収している。ヘタレもいいとこですな…。なんてダメなやつ。この迫受石の形状だけ撮っておこうと思ったのかな。
四国の隧道情報のバイブルであるマフラー巻きさんのHP「隧道探訪」によると、この隧道、徳島で現存する最古の道路隧道なんだとか。
その竣功は、明治36年。スペックは延長81.8m、幅員3.7m、高さ4.0m。
ここで改めて地図をご覧いただきたい。
中央に青線で書き加えたのが旧隧道(と前後の道)だが、
隧道が貫くこの峰を囲むように、北河内川が大きく蛇行しているのがわかる。
元々の道は、その蛇行する川筋に忠実に通されていたのだろう。旧隧道はこれだけの蛇行をショートカットできるということで、その有用性により隧道掘削という判断がなされたということか。
ちなみにその元々の川べりの道(最新の日和佐道路を現道とするならば、国道の旧旧旧道ってことになる)、途中途切れてはいるが、今も地理院地図に描かれている。途切れてる部分はガチな弩廃道状態なのかもしれないが、途中に建物表記があってそこから対岸へ渡れる?なかなか気になる道だ。
隧道前からの振り返り。
ここらは明治以来ほとんどすの姿を変えてないんじゃなかろうか?
最後に、一瞥。
記事にしてみると妙に消化不良(笑)だが、現場では充分堪能した…のだと思う。隧道に入らずに引き返してるくらいだから。
けどまあ、さすがにちょっと尻すぼみ感ハンパないんで(笑)、
この流れであちらもやっときましょうかね。
【次回】に続く。